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38・そして、現実を知る

「で、これですか」


 いつぞや見せてもらった図面からはものの見事に別物になった巨大な物体が船台にある。


 なぜわかるかって?


 だって、舷側エレベータ1基と言っていたのが、右舷にでっかい穴が二つ開いてるんだ。俺でもわかるよ、コレがあの図面と違うことくらい。


「あれからいろいろ議論した結果、要求を詰めていくと明らかに2万トンに収まりきらなくなりましたからね。それでも一応、保有限度には届いてませんよ」


 と、まあ、どうでもいい事を言い出す平賀さん。


 そして、説明してくれた内容によると、新型機関を積み込みたいだとか、シュナイダ―トロフィーで全金属機が飛んでいるから、この空母が完成する頃には実用化出来ているだろうとか、ドンドン要求が膨らみ、全長が260mにまで伸びてしまった。


 そして、全金属機は重たいからとカタパルトの搭載まで検討する事になった。


 そうすると、前方エレベータが邪魔になったらしい。


 かといって、舷側エレベーター1基のみという訳にもいかない。


 あれこれ検討した結果、新型ボイラーをシフト配置にして、シフト配置の試験艦にもしようなどとさらに混迷を極めた挙句、空中分解寸前にまで至る。


 それが1932年の話。


 そんな状況の中で平賀さんが出したのが、クイーンエリザベス級空母をモデルとした空母試案だった。


 飛行甲板を広く取り、アレコレ出された要求を吟味して盛り込めるものはすべて盛り込み、その上で、最低限、捨てるものを捨てた案。


「で、それがどうやればこんな時代錯誤な空母になるんですか?」


 そう指摘すると目を反らす平賀さん。


 はいはい、趣味ですよね。やってみたかったんですよね。


 譲らないその姿勢でぐいぐい押して決まったその時代錯誤なシルエットの空母が裁可され、こうして進水の日を迎えたわけだ。


「命名、蒼龍」


 何だろう、ワシントン条約で建造が決まった空母の名前が龍驤、龍鳳だった。また龍で来たよ。


「そうりゅう型ですか、という事は、黒龍とか剣龍とか量産するんですか?」


 そう言いたくなってしまう。


「それはどうでしょう。この船台で次に建造するのは戦艦です。まずは、安芸の代艦を。そして、扶桑型の更新をしていきます」


 そんな事を言っている間にもくす玉が割られ、うちの娘がシャンパンをぶつけて綱を切った。


 船台を滑り落ちていく蒼龍。


「史実の蒼龍は公表値1万1千t、実際には1万6千tでした、この蒼龍も1万9千tに対して7千t上乗せですよ」


 2万6千tというのはフランスが建造したクレマンソー級空母や米国のワスプ級強襲揚陸艦が近いという。


 なんか、色々とヤラカしてるんだろうな。


 そんな事を思いながら進水式を眺めていた。


 実は、話しはそれで終わらない。


 シュナイダートロフィーの優勝は海軍の考えをも変えた。


 時代は全金属単葉機だ。


 当時、飛行機の時代が来ると言い出していた人々がそう叫び出していた。


 そして、艦上機にも全金属単葉機をという話になったのだが、そう話がうまく進むはずもなく、失敗の連続となる。


 二宮はシュナイダートロフィー日本大会へ向けて忙しいので三菱や愛知、川崎が参加して試作が行われ、失敗しては次をやりという状態だった。


 そんなところに、二宮からH型16気筒エンジンというものがポンと提示された。


 二宮自身は自主製作の実証機を作っていたので、そのエンジンだと他社や陸海軍に紹介した。


 陸軍は様子を窺っていたが、海軍はそのエンジンに飛びつく。まだ500馬力前後が実用、頑張って700馬力の時代に800馬力が保証されるというのだから、分からないでもないが、しっかりスペックを確認してから飛びつくべきだった。


 案の定、二宮エンジンを指定された各社は頭を抱え、愛知、川崎は離脱。残された三菱だけがそのエンジンで開発を続行したが、事故の連続になってしまう。


 1935年には見るに見かねて軍務省が乗り込む騒ぎとなり、二宮も加えた検証が行われることになった。


 結果、判明したのは海軍の要求した寸法や重量に収めた結果、バランスの悪い機体や強度不足の機体ばかりを送り出していた事実だった。


 そこで、実際の空母から、搭載可能な大きさ、重量を算出しなおして再度の開発となったのだが、三菱だけでは仕様決定が出来ず、二宮から技術者の派遣や技術提供を行って何とか完成にこぎつけている。


 完成した機体は液冷ゼロ戦といった感じで、全く九六艦戦っぽさがない。


 それは陸軍が採用した九五戦もそうなんだけど。アレは九七戦ではなく隼ではないだろうか。


 そうして完成したメタボゼロ戦は時速470kmを出して海軍を喜ばした。


 なぜ、二宮が技術提供したり技術者派遣しないと完成しないのか少々謎だったが、中島さんに話を聞いて納得した。


「殿下、この世界が史実より発展している事で錯覚しているのかもしれませんが、技術レベルは史実と同等か精々5年程度の誤差ですよ?」


 というのだ。


 たしかに、未だにパソコンはおろか電卓すら完成していない。


 レーダーはあるが、そもそも1930年頃にはモノがあるから誰かが思いつけば登場して不思議はなかったらしい。もとをただせば1903年にはドイツで電波を使った接近警報装置は発明されていたそうだ。


 そうした、すでにあった、出来得る技術と違い、飛行機に関しては史実とほぼ変わらない流れの中にある。


 たしかに、二宮がシュナイダートロフィーに参加している事で、二宮の技術は飛躍的に進んだが、他のメーカーは統一規格や国産工作機械の登場と言った違いを除いて、史実と大差がないという。


「レースの世界は戦争と同じで、とりあえず使えそうなアイデアを試して、結果が出たモノを投入していきます。レースに耐える耐久性があれば良いので、実用化のための実験室であったりもします。戦争でも、平時よりも投機的、冒険的な技術導入や膨大な資金の投入でブレークスルーが起きやすいのは同じです」


 しかし、日本でそれが行われていたのはシュナイダートロフィーに参加していた二宮のみ。


 上総村農産も二宮にかなり資金援助した。


 1931年の優勝で協賛者が大幅に増えた事でレースエンジンから実用試験機の試作に切り替えてレース後に備えていたそうだ。


 そうした先読みもあって、潤沢な資金による試作、研究、実験を繰り返し、他社より5年は軽く先を行く技術を手にしていたらしい。


「乃木さんや山本さんが言っていましたが、スピットファイアやBf109も今頃は初飛行している頃だそうじゃないですか。米国では真珠湾攻撃以前に2000馬力戦闘機が初飛行したとか。現在の二宮でようやく欧米先進メーカー並みですよ」


 との事だった。


 なんか、もっと知識チートでヒャッハーな転生戦記物かと思ったら、案外そうじゃない事に驚いた。 


  


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