29・そして、栄冠を手にした
中島さんがエンジン開発に没頭している頃、条約に即した建艦計画を行い、かなり仕事に忙殺されていた平賀さんが何とか暇を作って会いに来た。
「え?シュナイダートロフィー?来年、英国が三連覇して終了したはずですよ。その後、随分後になって、同じ名前を冠した別のエアレースが始まったそうですが」
と言い出した。
英国が三連覇する?
いや、それじゃあ、MC72の700kmって、その上を行く機体を英国が作ってしまうのだろうか?
「いえいえ、MC72は調整不良で英国が優勝し、後にイタリアで整備を万全にした状態で出したのが時速709kmという水上レシプロ機の世界記録です」
と、教えてくれた。
なんだ、だったら700km出なくても勝てるのか。
「殿下、そう安易に考えるのはダメですよ。史実でテーハンは今頃日本が併合しているんです。歴史が変わっているのに、マッキのメカがヘボなままだという確証がありますか?」
なるほど、それは確かにそうだ。
もしかしたらマッキのメカが当日に完璧に調整してくるかもしれない。
という事で、中島さんには事情を伝えたが、更なる衝撃も伝えた。
「なるほど、過給で3100馬力を実測で出せるんですか。それはかなり頑張らないといけませんね」
そう言って、妖しく嗤う中島さん。大丈夫なんだろうか。
そして、俺も上総村農産からの支援として、資金提供を行った。
こうして、1930年は二宮の話でもちきりとなった。
政治?
ロンドン条約について話題になったが、一番の話題は日本海軍の話ではなく、米国海防重巡洋艦についてだった。
特に日本に対する脅威ではないが、米国に特例として認められたコレが日本にどう影響するのかという事でアレコレ議論が行われたが、結論としては、戦艦より速いかもしれないが、重巡洋艦の中では低速、いくら重装甲だと言っても、戦艦ほどには出来ていないはずなので、足止めして戦艦で叩けばどうという事はない。
そもそも、重巡部隊には足が遅いので配備できないし、戦艦部隊にも足が速いので配備できない。あくまで黄海や上海沖、フィリピンで海防艦隊を編成するような特殊艦なので、仮に日米が戦う場合に出てくる相手とは思えないというものだった。
結局、騒いだ割にどうという事が無く、巡洋艦枠を割いて対抗艦を建造するほどではないし、戦艦枠の特例条項を跳躍して対抗可能な巡洋戦艦を建造する必要もない。それなら、あと5年、しっかり研究して同等の速力を戦艦で出せる様にすればよいではないかという話になった。
確かにその通り。
扶桑型や長門型は近代化改装で公表値26ノットを誇る。つまり、船体から新規設計して最新のボイラーやタービンを載せれば30ノット近く出るやろ?海防重巡と同等やないか。10年内に意味を失う艦種に拘るのはおかしいやん?という、ものすごく健全な結論だった。
というか、23ノットしか出ず、12インチ砲の安芸を近代化して保有し続ける意味が無いと言ってるだけなんだけどね?
そんな、健全で平和な議会。
どうやら、乃木さんの計らいで欧州の政治や政治と軍の在り方を士官たちに直接見聞させたのが大きかったらしい。
兵士たちにも見聞を広めさせようと、簡単なレクチャーや町村議会の見学などを行わせていたという。
まあ、結果として、議会の見聞ではなく、食の見聞を広めてフライドポテトを覚えたもの。肉食に目覚めてかば焼き代わりに肉串を持ち帰ったもの。白人の嫁を連れ帰って大騒動起こした者。流石に誰もうなぎゼリーは持ち帰らなかったらしいが、英国で滞在した士官がウナギの下ごしらえを教えて、繁盛する店は出たらしい。
まあ、上総村にはカーシャという粥があるし、アナスタシアの影響で日本中に広まっている。おかげでソバのむき身が売れている。嫁が多方面で万能すぎる。今は静かだぞ、3人目が生まれるからな。
そして、1931年、エンジン試験で何とか2800馬力までの耐久試験には成功したH型24気筒エンジン。
機体の方も完成し、初飛行を無事に終えた。
その機体、何か見た事がある。
そう思っていたら、やはりそうだった。
「小山に頼んで、実はまだ存在しない技術を組み込んでもらいました。5年後に実用化される構造です」
と言っている。小山というのは機体の設計を担当する人の事らしい。乃木さんに聞いたら、隼や疾風を設計した人なんだそうだ。
そんな訳で、中島さん曰く、ルマンカーの屋根上に取り付けられたダクトが発想元らしいが、元をたどると第二次大戦前に開発され、P51が採用した形状だとか。
しかも、更に推力効果を持つ排気側ダクトも備えてるとかで、この時代に一般的なラジエータよりも効率よく冷えて、更に抵抗を減らせる優れモノらしい。
「エンジンが思いのほかてこずりましたが、その不足分は機体側でカバーしてもらう事が出来そうです」
そんな、少しホッとした感じの中島さんだった。
国内最後の試験で出した速度が624km。前回大会の英国機よりも100kmも速かった。
これなら何とかなるだろうとの事だった。
そして迎えた本番。
英国は前回優勝機を改良してきていた。
イタリアは何とか間に合ったマッキMC72を持ち込んできた。
日本は当然、二宮機である。
こうして揃って大会が始まると、まず記録を出したのは当然の様に英国機だった。
前回記録を超えて来た。
二宮機は気候の違いに冷却剤と燃料がかみ合っておらず、出力を上げられない。522kmしか出せていなかった。
イタリア機はここでようやく慣熟飛行の状態で525kmを出した。
だが、二回目の飛行でイタリア機が600kmの大台に乗せて観衆の度肝を抜いた。
英国の三連覇がかかったこの大会。観客は50万人が詰めかけており、まさかの事態に悲鳴すら聞こえる始末だった。
当然だが、英国機は追い付く事すらできなかった。
そして、何とか調整を終えた二宮機が最後の正直、3回目の飛行に臨んだ。
すでにイタリア機が645kmを出している。だが、どうやらトラブルが出たらしく、途中でリタイヤとなった。
二宮は何とか2500馬力を維持できるギリギリの状態だった。
それでもゴールまで飛びきる事が出来、イタリア機を抜く655kmを記録して、観衆がどよめいた。
シュナイダートロフィー優勝のニュースは日本中を駆け巡る。これで次回大会は日本となったのだから。




