21・そして、平和な時代が始まった
ワシントン軍縮会議を無難に乗り切った日本。
なにせ、周りに敵がいない。
南の方に居るには居るが、面積が広いだけで人もいないし軍事力も小さいので問題ない。
英米に関しては、敵とは言い難い存在になっている。
ただ、この二か国については今後の対立も懸念される状況だ。
対華21か条要求に対して英国は文句を言わなかった。しかし、彼らの権益である天津や山東半島に文句を言えばどうなるか分からない。
米国も、今は南満州で満足しているらしいが、大恐慌が控えている以上、その発生規模によっては、他の地域を欲しがってもおかしくない。
ただ、それについては東ロシアがあるからそこまで深刻に考えなくて良いのでは?というのが俺の感想。
そんな訳で、備えは怠れないが、ド級以上の戦艦9隻あれば十分でしょ?と、海軍もそんな感じだ。
陸軍については、欧州遠征で軍の在り方というものを確立させようとしている。
その一つが、東ロシアとの共同防衛条約によるシベリア駐留だろう。
そう多くはないが、陸軍は輪番制でシベリア送りになっていると聞いている。
そんな1922年も過ぎ去り、1923年である。
そう、関東大震災だ。
権兵衛さんがアレコレ動いていた。
ただ、先年、山縣有朋さんの死去ののち、伊藤さんも体調を崩しがちになり、何を思ったのか山口に帰省した際にフグに中って亡くなってしまうというショッキング過ぎる出来事が起きてしまう。
結局、伊藤さんの葬儀が盛大に行われ、直近の対策をする時間などなく、震災対策は長年の蓄積に期待する意外に無くなった。
結果はやはり、小説のようにうまくはいかない。下町の大火や近代建築の倒壊など、結局は防ぎきれるものではなく、5万人近い犠牲者を出す大惨事が起こってしまった。史実とそう変わらないんではないだろうか。
この災害に対する各国の支援は頼もしいモノだったし、景気後退が未だ見られないことで、政府は新東京市計画なるものを発表して、東京大改造を始めると鼻息が荒い。
さて、俺自身の事についてだが、戦争が終わって戦時昇進が元に戻り、臨時措置であった参謀資格も消えたので、参謀大学校に入って参謀資格を取得した。
今の日本軍、陸海海上警備の組織毎にある平時の司令部だけではなく、任務ごとに全て集まって司令部を立ち上げるのだが、その司令部は軍務総省隷下の総参謀本部に隷属するので、司令部要員には総参謀本部で活動するための資格が必要になる。それが参謀資格。
これは陸軍、海軍の将校教育ではなく、陸海海上警備をひっくるめて教育を行う参謀大学校へ行かなければならない。
ここで、三軍の特性や役割などを学び、作戦立案に必要な個々の知識や違いなども教えられる。
そうやって知識を得た上で得られるのが、参謀資格。第一期は乃木さんたちらしいね。
そんな参謀資格を取得して特別乗り組隊隊長も後任へとバトンタッチし、総参謀本部へと転出する事になった。
のだが、現状、予備役編入となり、上総宮家を立てて、言い出しっぺだからと一村丸ごと与えられたうえで、農業改革の骨子を作れと言われて苦労している。
地主だ庄屋だ小作だという関係を会社や法人へと変革する必要があるので、その為の試行錯誤中だ。
さらに、効率化のための農地整備も行っている。
そこには大型建機が使われ、村の小作人も作業員として雇われている。
農地整備が簡単に終わった平野部の農地では、農機を用いた作業が行われている。
ただ、予想通りに高価な農機を小作が買う事は出来ないし、無計画に地主や庄屋が買い与えたのでも困る。
結局、村内に農機具販売店を設立し、販売だけでなく機械作業まで手掛けることになった。野菜栽培などで水やりに必要なポンプはリース制度を設けて貸し出している。
結局、軍のアメリカナイズに疑問を呈していた俺が、農地経営、耕作企業、食品加工業という米国式の分業型農業を模索する事になった。
まあ、そうなるのも仕方がない罠。機械は高いし、栽培品目ごとにやり方が異なるくせに機械がアレコレ必要になるんだもの。一軒の農家で全てを揃えるのは無理だし、農地整備で田畑もとことん広く整備したので、トラクターで耕す分にはよいが、そんな大型トラクターは個人で買える状態ですらなくなった。
そんな訳で、分業化、企業化して対処している。
で、そんなところへ中島さんがやって来た。
「殿下が村をひとつ所有したと聞いたんですが、余ってる山とかありませんか?」
と、そんなことを言い出す。
何がやりたいのかと思ったら、レース事業部が自動車事業部に改編されたので、試験場が欲しいそうだ。趣味に浸りきれなくなってざまぁ
「出来れば、舗装路と未舗装路のテストコースが欲しいんですが」
そう言うので、林業もやってない山をひとつ貸すことになった。
農地整備で建機がたくさん動いている事もあって、村人の操縦訓練も兼ねてこちらで整備を請け負ったのだが、舗装路って、なんかサーキットになってない?
作業が進むごとに疑問符が付いたのだが、中島さんが言うには、ドイツの有名なサーキットもそんな公共事業として作られたんだとか話してくれた。いや、そう言う問題では・・・
そして、完成した試験場には不整地と舗装路のテストコースが完成し、舗装路には上総宮リンクと名付けられた。
二宮リンクとか中島リンクで良くないか?
そんな中島さんが持ち込んできたのは、トラックとなぜかスポーツカーだった。
ああ、もちろん見えてるさ、時代錯誤なフォーミュラって奴がな、だが、聞いたら負けだ。
「おや、わかりますか?」
目ざとく視線に気づかれてしまった。
「素材も技術も、そして、要求性能を満たすタイヤもないので形だけですけどね」
と言っているが、時代から逸脱してるのは確かだ。
さらに、零戦の降着装置を作っていたメーカーが操業していたので早速事業協力しているらしい。
「自動車のショックアブソーバーや飛行機のオレオ、更には建機の油圧シリンダー。全て油圧ですし、オイルシールという共通のパーツが必要ですからね。もちろん、それはエンジンや変速機といった部分もですが」
そう、二宮に必要な重要パーツを作ってもらう会社なので、今から共同開発をやっているらしい。
そんな訳で、俺はそのスポーツカーに乗せてくれるというので、試乗と相成った。アーシャも乗せてコースを走ったが、フォーミュラを駆る中島さんに何度も抜かれてしまった。
タイヤがダメって言ってなかった?
素材も技術も無いんだよね?
言ってることとやってることが違うオカシな人だ。