15・そして、新たな戦場へ向かう人たち
史実では随分長い準備期間を要したらしい青島攻略があっという間に終わり、通商破壊で大活躍したらしい巡洋艦エムデンを勾留しているのだが、他のドイツ艦艇も随分と暴れているらしい。
そんな訳で、英豪州軍と共にドイツ艦狩りを行う事になった。
主力を張るのは平賀さんが設計した軽巡洋艦だ。
日本にはこの時期、本来このような近代巡洋艦など存在しなかったそうだが、主力艦の建造中止に巻き込まれて巡洋艦も延期や中止が相次いでかなり混乱したらしい。
そして、史実と違い、テーハンをロシアが領有したことで、海賊退治もあって鹵獲艦を返還している。
さらに、日本で整備するならと、日本から太平洋艦隊向けの駆逐艦や旧式化して使えない巡洋艦の代替を受注もした。警備艦はそんな大型艦の需要が増えた事で民間造船所へと割り振ったという訳だ。
そんな事があって、民間造船所も充実し、平賀さんが設計した夕張の14センチ砲塔を用いて球磨型並みの船体を持った6000t型巡洋艦を明治のうちから就役させていった。
開戦時点で6隻が就役しており、旧式艦と交代しているという。
ロシアは自国製15センチ砲を積むという要望があったそうで、少し艦容が違うらしいが、船体は同じ。
いくら近代軽巡と言っても球磨型のような高速力は時代的に無理で、30ノットに届いていないんだとか。ただ、米国へ警備艦を販売した時の経験を生かして居住性は史実の日本艦をはるかにしのぐとの事。
そんな快速部隊を太平洋に送り出したが、当然の様に相手にされない。
結局、豪州の都合に振り回されただけで戦果を挙げたのは豪州艦だった。
太平洋での大きな戦闘もそれ以後は無くなり、南米からマゼラン海峡を抜けた先で英海軍が逃走中のドイツ艦隊を殲滅したらしい。
そんなことはありながら、太平洋のドイツ領に関してはその多くを日本が占領するところとなった。
さて、そうこうしていて、短期決戦という大方の予想は見事に消し飛んで年を跨いだ。
1915年も戦いが続いている。
ただ、どうやらロシア軍は史実より善戦しているらしい。
日露戦争で得た戦訓から、マドセン機関銃を更に改良し、大量配備を行い、三八式の脅威に触発されてフェドロフ小銃の開発も早まり、迫撃砲や擲弾筒の威力を知ってロシアも迫撃砲を開発配備している。
歩兵装備は第二次大戦時かそれ以後の状態であり、改革が兵制にまで及んでいるらしいことは青島戦に帯同したロシア軍を見ればわかると乃木さんが言っていた。
そして、ロシアが律儀にも英国を介して日本へと再度の派兵要請を行った。
弾薬供給はそれ以上にせっついて来ている。しかも、三八式作ってんだからフェドロフ作れるよね?なんて要請までして来た。
派兵要請に応えて乃木親子が欧州へと渡るらしい。
その乃木軍団の装備は明らかにロシア軍に見劣りする。
「フェドロフ小銃なんて無理ですよ。しかもあれ、小銃としては欠陥が多いので、日本で採用は出来ませんし、出来ればSKSクラスの半自動銃が作れたら良かったんですが、間に合ってません。ストレートプル式を何とか完成させましたが、欧州派兵軍に持たせるほどの数は揃えられていないんですよ」
と、南部さんが悔しそうにしている。で、フェドロフの受託生産もままならないのかと思ったら、日本では使いたくないが生産だけなら可能だという。大量生産になるので固定式弾倉に変更した日本仕様で返答を待っているとか。
なにそれ。
日本国内では欧州派兵は反対多数だった。
わざわざ他国のために血を流す必要がどこにあるのかと、ある意味真っ当な意見ではある。
だが、以前、権兵衛さんが言っていた様に、日本人の視点は日本国内か、広くても極東域程度でしかない。
欧州に目を向ければ、これからの日本の地位向上のためには参戦すべきだと分かる。
史実で地中海までしか行かなかったことは、講和会議での日本の地位を決めたと言って良いし、戦間期の日本外交はそんなマイナスからスタートしてマイナスを積み増しただけに終わっている。
もっと欧州各国を知り、日本の存在を知らせておけば状況は変わったかもしれないというのだ。
だが、多くの日本人にはその考えは理解されないらしい。
だが、山本内閣は伊藤博文というバックを得て、欧州派兵を決める。
なんか外相が反対していたが、速攻で首切ったらしい。
そうして、ロシアの要請からすればかなり少数ではあるが、欧州派兵が決まり、英国船で欧州へと向かった。
そう言えば海軍は?
どうやら平賀さんが豪語していた扶桑型の完成が遅れている。
その結果、薩摩型3隻が欧州へと向かうらしい。
なんでも、金剛型の売却要請が来ていたのを断っての派遣だとかで、英国もあまり良い気はしていないらしい。
確かに、14インチ砲を備える高速巡洋戦艦の方が良いに決まっている。
二世代も古い45口径12インチ砲なんて、いくらド級だと言っても格下なので、嫌がられても仕方がないだろう。
そして、欧州へ渡った日本陸軍は大して重要ではない戦域に配置された。
「なんか派兵部隊がヒマそうだから、新型騎銃を送れば?」
と、南部さんに言ってみたが、訓練からやり直しになる武器を前線に送りつけても困るだけだという。
じゃあさ、何で済州島に送りつけてんの?
明治最後の制式化兵器である四七式騎銃。
本来騎兵が持つ短銃身のライフル銃なのだが、それが特別乗り組隊宛てにやって来た。
大きさは四四式機関短銃より少し大きい程度、全長は1mを超えない程にコンパクト化されている。
それでいて、6.5mm弾を撃つんだから、なかなかに使い勝手は良いだろう。
もちろん、銃身が三十年式の半分程度しかないのだから、射程は短い。
と言っても、500mの射程は十分と言って良い。
「コイツも着脱式弾倉にしてあります。装弾数は15発。ストレートプルなのでセミオートに近い感覚で撃てますよ」
と言っていたので訓練して見たが、まあ、たしかにそうだな。瞬発火力はマシンガンには明らかに劣るが、確実に射程もあって、野戦での使いでもあるだろう。
しかも、ボルトハンドルのストロークも考慮しているとかで、肩に着けたまま、場合によっては狙いをつけたままでも装填動作が出来るのがまた凄い。
というか、うちに持ち込まれたのは特殊仕様らしく、低倍率のスコープが搭載されている。
世界的にもまだ珍しいらしいが、人質救出という誤射防止が必要な部隊なんだからと、試験的に搭載したらしい。
いや、うち試験評価隊じゃないし・・・