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14・そして、新たな戦いが始まる

 1914年8月、時は史実から遅れる事2年、大正元年を迎え、そして、戦乱の真っただ中であった。


 どうやら、伊藤さんによる事前の根回しがあったらしく、英国は8月1日には英国の宣戦布告が行われ次第、膠州湾封鎖と英国船舶の護衛を日本に要請してきていた。


 7月中に準備を整えていた山本内閣は英国の要請によって、8月3日には準備態勢を整える。


 だが、当の英国が問題をややこしくしている。


 そもそもの宣戦布告が史実通りに行われなかったのだという。


 本来であればドイツがベルギーの中立を無視する通行同意を求め、ここで後ろ盾である英国がベルギー側に立ってドイツへ最後通牒をするはずだったというが、事態はそうは動かず、8月4日にベルギーが要求を拒否した事に対するドイツの宣戦布告を遺憾の意で受け流してしまった。


 正直、英国何やってんの状態だったそうだが、この世界ではそうなのだ。


 英国が動いたのはリエージュ要塞が陥落した8月16日になってから。


 そこで慌てた様にドイツに対して最後通牒を行い、あわせて日本へも大陸沿岸域でのドイツ権益の封鎖要請を公式に要請してきた。


 だが、日本側はそのはるか以前から活動を始めていた。


 ドイツがロシアへ宣戦布告をした頃から黄海、東シナ海、日本海でのドイツ艦への警戒がはじめられた。


 そして、8月4日には対馬海峡でロシア商船を拿捕しようとするドイツ巡洋艦と海上警備隊の交戦が起る事になる。


 警備艦1隻はとても貧弱だが、対馬沖という事で、特に冬の皇女遭難事件からこちら、テーハン南部海域沿岸の海難救助体制強化のために警備艦多数が配備されていた。


 さらに、ジンセン、プサンには少数のロシア艦艇も居た。


 勢力としてはドイツ東洋艦隊以下であり、ドイツ側も日本から返却されたような旧式艦だとまともな戦力とは見ていなかった。


 だが、その軽視が事態を大きくしてしまう。


 日本側の警備が厳しい対馬海峡でロシア船を拿捕しようとし、日本の警備艦がそれを制止した事で、日独間で戦闘が生起した。


 しかも、巡洋艦1隻に対して6隻の警備艦が取り囲む事態となり、ドイツ側の発砲に対して自衛行動として海上警備隊が反撃を行い、巡洋艦は被弾損傷してしまう。


 ドイツ側は日本へ抗議を行うが、日本は自国領域での戦闘行動であると返答し、英国の参戦要請を待たずに緊張状態に陥っていた。


 そんな事があったので、ロシアは日本に対して参戦を要請してくる。


 中立を宣言していた米国がそこに懸念表明を行うが、それ以上の事をしてくることはなかった。


 日米安保条約は遼東半島や済州島が戦場となる場合の話だと米国は非公式に日本側へ伝えて来たし、日本もその旨を了解している。


 そして、ロシアからの要請を受けて、テーハン周辺で戦闘が行われるなら即座に戦闘を開始するとドイツ側へ回答した。


 ロシア船を拿捕しようとした巡洋艦は日本側が拿捕、勾留する事となり、佐世保へと回航される。


 この交戦によって日本は艦隊を済州島へ向かわせ、臨戦体制を採るのだが、豪州がこの行為を非難してきた。


 あいつら何なん?


 そして、総省直轄部隊の隊長という事で、戦時昇進させられた俺が済州島防衛司令官に祭り上げられてしまう。


 済州島に居る陸軍の指揮権も渡されたが、だからどうしろと。


 ドイツ軍はそんな日本を攻撃してくることはなく、テーハンへも攻撃を加えなかった。


 こうして極東戦線では兵力過小のロシア海軍が動けない事で英国による日本への参戦要請が行われた8月17日まで静かな時が流れることになった。


 なにせ、日露戦争の頃の艦は既に修理代がかさんで野ざらしだし、日本からの新造艦はようやく引き渡しが始まった段階だったしね。


 そして、8月19日、日本がドイツに対して行った最後通牒への返答がない事から自然開戦の状態となり、即日神州丸をはじめとする陸軍上陸部隊を載せた艦隊が山東半島へと向かい、青島の戦いが始められるのだが、まずはジンセンに寄り、ロシア軍を積んでの移動となった。


 護衛を行うのは海上警備隊。


 こうして、日露連合軍として青島攻略戦が行われ、僅か1週間で攻略してしまった。


 攻め落とした山東半島は後から駆けつけてきた英軍に任せることになった。


 この戦いで日本初の航空戦が行われ、使用されたのは二宮水上機だった。


 権兵衛さん曰く、もたつく英国に不信感を持ったそうだし、英国も日本に対して不満と不信を抱いただろうと言っていた。


 この時、ロシア軍が装備していたのがフェドロフ小銃だった。


 青島戦の後、済州島へ立ち寄ったロシア兵がアサルトライフルっぽいモノを持っていたのを見てびっくりした。


 南部さんが苦笑いしながらこれに回答したところによると、三八式機関短銃が旅順で猛威を振るい、鞍山でも大活躍したにとどまらず、その後の海賊退治にも大活躍している姿に触発されたんだろうという。


 なにせ、ロシアの自動小銃研究は日露戦争前に始まっていたそうで、日本軍がマシンガンをぶっ放す姿を見て、自動小銃と下手をしたら浸透戦術にまで考えが至ってるんじゃないかという。


 しばらくして、それを示すかのように6.5mm弾の大量発注がロシアから届く。


 南部さん、ホクホクではなく苦笑いである。


「これが、バタフライ効果って奴か」


 だそうだ。


 しかし、南部さんは未だに突撃銃を完成させてはいない。


 

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