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13・そして、一つの時代が終わる

 史実より早く組閣された山本内閣では伊藤さんを中心として様々な改革が実行されることになった。


 その中には天皇自ら英国型立憲君主制を希求する旨の言葉も盛り込まれ、改憲論争まで巻き起こった。


 もちろん、伊藤さんが仕組んだことではあるが。


 権兵衛さんが主導する軍制改革はもちろん、モロに天皇発言を根拠にしている。


 これまでの陸海軍で独立した統帥権というものを統合し、一人の指揮官が一つの戦域を統制する形に改めることを主眼とすることになった。


 もちろん、反発が無いわけではないが、藩閥も学閥も権兵衛さんと伊藤さんが主導したために太刀打ちできなかった。山縣さんは日露戦争の敗戦で力を落している。


 そんな中、多年にわたる検討の結果纏められた改革案が通り、翌年には陸海軍省の上に軍務総省が乗っかる、第二次大戦後の米国式の組織が作られることになった。


 この軍務総省傘下に陸軍省、海軍省、海上警備庁が置かれる。


 大臣も軍務総大臣として一人しかなれなくなるが、実は軍務総省の傘下に設けられる総参謀部の総参謀長や副長というポストが増えるので、飴と鞭の政策であった。


 俺は暢気に構えていたのだが、海上警備隊立検隊の中で人質救出を行う特別任務修了者で構成されていた特別乗り組隊が総省直轄部隊になるという。


 同じように特殊な技能を持つ隊員で構成された部隊をすべてまとめて特殊任務総隊とするんだとか。


 どこまで米帝ナイズする気なん?


 総省直轄の特別乗り組隊初代隊長に就任することに相成った模様。


 こんな大改革、普通なら10年近くかけて行うはずなのだが、内部改変はいくつか先行しており、とりあえず体裁は1914年4月1日からスタートとかいうとんでもないスケジュールと相成った。


 それ、間違いなく第一次大戦参戦不可能じゃね?


 俺も総省直轄隊編成という大役を仰せつかり、東奔西走する羽目と相成り、いつもの会合が開けなくなった。


 目まぐるしくアレコレ仕事を行い、何とか1914年4月1日にガワが整う算段が付いたのは秋も深まっての事だった。


 そんな時期にとんでもないことが起きた。


 ロシア帝室の皇女がテーハンへ来ており、あろうことか海上で遭難したというのだ。


 ロシア海軍だけでなく、日本の海上警備隊にも救難要請が出され、大捜索網が敷かれた。


 しかも、未だ海賊行為が小規模ながら続いている事から、特別乗り組隊まで出動する騒ぎとなる。


 時に1913年12月23日の事だった。


 ロシア側から詳細は教えられることが無かったが、冬のサンクトペテルブルグよりも温暖という事でやってきているらしかった。


 大変迷惑な事である。


 特別乗り組隊の本部は済州島にあるのですぐさまテーハン南部へと向かう。


 プサンへ来ていたという事なので、周辺の捜索が行われ、誘拐の可能性を考えてロシア軍が周辺の島々を捜索した。


 日本側もロシアの承認のもとで様々な機器を持ち込んでテーハン内の島周辺の捜索を行うが見つからない。


 そう言えば、釜山から対馬って近いよなと、対馬の捜索も行う事になり、とりあえず手が空いている特別乗り組隊が担当する事になったが、何の事はない。そこに白人の少女を見つけることになった。


 言葉が通じないのに身振り手振りで交流している島民と少女。


 対馬ではたまにある光景らしく、あまり問題視していなかったというのだから暢気すぎないだろうか。


 照会したところ、行方不明の第四皇女で間違いないという。流石にじゃじゃ馬過ぎないだろうか?


 そんな彼女を連れてプサンへと送り届け、何とか事件は一件落着したのだが、幸か不幸か、総省機能の実働演習にもなっていた。


 何とか正式編成前に機能する事が分かり、ホッとしたのもつかの間、どうやらロシアは暦が違うらしく、なぜか俺がロシアのクリスマスに招待された。


 まあ、皇女を救助した部隊の隊長だし?


 何だかよく分からないままに行事が終わって、日本へ帰ったのだが、テーハン併合からわずか数年しかたっていないが、プサンはロシアの街に変貌していた。

 そこがかつてアジアの一国であった気配など微塵もなく、欧州的な街並みに占領されている事に圧倒されるばかりだった。


 帰国した俺のもとには電報が届いていた。


 伊藤さんはロシア皇室と縁を結ぼうと黒い笑顔が目に浮かぶ電報を寄こした。


 権兵衛さんも似たようなモノだった。


 乃木さんからはロリコン殿下や~いや~いとあった。


 何言ってんだアイツら。


 しかし、伝説の美人姉妹に会えたのは本当に良かったな。革命起きたら助けに行こう。


 そんな事があって、4月から体制がガラッと変わった。


 そして、憲法も夏には改定されることが決まり、政府も議会も大混乱となる。


 何とも強引な伊藤、山本コンビには批判も大きいが、成果も大きいと思うんだ。


「シーメンス事件は事前に芽を潰しておいたよ」


 と、よく分からない事を5月に聞かされたが、一体何の事だったんだろうか?


 そんな1914年、なんと明治47年ですよ。


 歴史が変わって2年がたったが、どうやら限界らしい。


 サラエボ事件が起きた頃、父が倒れてしまった。


 何とか史実より2年は持ったのだが。


 そして、オーストリアがセルビアに宣戦布告したと聞いた7月30日、明治は終り、大正が始まる。


 大正天皇となったのは、兄である。


 うん、俺殿下、明治天皇の子だったんや。


 日本が明治から大正へ変わると同時に、世界大戦の火ぶたが切られるという事態の中、軍では非常招集が将校に掛けられており、乃木将軍は有無を言わせずそれに応じることになった。


 殉死どころでは無い。  

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