12・そして、歴史の分岐点を迎えた
なんと、1911年に日米安保条約が締結された。
何を言っているのか分からないと思うが、俺も何が起きたのか分からなかった。
歴史の修正力なんてチャチなパラドックスじゃ断じてねぇ、もっと恐ろしい世界の力を味わった気分だぜ。
そんな訳で、遼東半島を中心とする黄海、満州での周辺事態に対して、日本も米国と共同して防衛に当たる事になった。
もちろん、済州島を主とする日本周辺事態において米国も共同して防衛に当たる事になる訳だが。
この条約でとりあえず、米国は安心したらしい。
こうして、日本は金剛型巡洋戦艦4隻、薩摩型戦艦3隻、扶桑型戦艦2隻を保有する事になる。史実の伊勢型については建造しない。
よく言われる空母の為という訳ではなく、薩摩型戦艦がマトモに機能する艦だからだ。この3隻で伊勢型2隻分の戦力にはなると踏んでいる。
ただ、権兵衛さんや平賀さんによると、長門型に相当する戦艦は既に研究中らしい。
「本来なら41センチ戦艦と行きたいのですがね、ワシントン条約を睨んで、敢えて軽量長砲身38センチ砲、フランスやドイツが1930年代後半に開発した砲の性能を狙っています」
と、平賀さんが言う。
もちろん、38センチ砲だけでなく、41センチ砲の製造能力は獲得するそうだが、現状で製作するのは38センチ砲らしい。
「しかも、扶桑型は排水量を抑えることが出来ておりますので、ワシントン条約が史実通りだったとしても、後一隻、確実に建造可能です。仮に薩摩型の廃棄を行うならば、長門型を超える戦艦を2隻作れることになります」
と悪い笑顔を見せている。
なるほど、戦後まで見据えての話だったのか。
それに、史実から大幅に陸軍を削減できているので、規模でも予算でも史実より確実に負担が軽減され、その分を国土開発に回せている。
ただ、陸軍は規模が小さい割に、近代化著しいので金食い虫ではある。
そんな中で、二宮飛行機に1人の海軍軍人が出入りしているという。
「中島知久平って、中島飛行機の人?」
そう、権兵衛さんに聞いて見ると、間違いないらしい。
たしかあの人、飛行機に随分興味があって、海軍辞めて飛行機会社作ったんだっけ?
ならば、日本に飛行機メーカーが出来ているなら入りびたるか。
もしかしたら中島飛行機は創業されないかもしれないが、二宮がその代わりになるなら構わないかもしれない。
最近はカラス型飛行機を更に進化させて、よく見るこの時代の単葉機を作れるようになったらしい。
「すでにプロペラ同調装置は試作できてますので、頃合いを見て取り付けるようにしますよ」
と、南部さんが言って来る。
なかなかに頼もしい事である。
そして、更に、無反動砲の類を乃木さんから依頼されたらしい。
「カールグスタフ砲はちょっと重たくなりすぎそうですが、RPG7のようなモノなら作れるでしょうね。射程は400mもあれば良いそうですから」
と、新たなモノが依頼されているらしい。
そう言えば、海上警備隊でも6.5ミリ機関銃では射程が短すぎるのでもっと大口径なモノがという意見や6斤砲を自動化出来ればなんて話も出ている事を伝えた。
「ショートリコイルはブローニングM2と同じ作動方式なので、50口径でも作りましょうか?6斤砲?ああ、平射砲で良いなら、どうにかなると思いますよ」
との事だった。
すでに機関短銃は四四式機関短銃として制式化され、軽機関銃も四五式携帯機関銃として制式化されることになった。
九六式をリファインした機関銃とは言うが、実際に日露戦争でロシア軍がマドセン機関銃を使用しており、陸軍では「携帯可能な機関銃を」という声があったのは事実だ。
そして、乃木さんの散兵戦術には必要な支援火器なのだという。
「殿下もご存知かもしれませんが、現在、モンドラゴンをはじめ、いくつかの自動小銃が既に存在します。陸軍が四五式の採用を渋っていたのも、機関銃の弾を輸送する手段の問題があるからなんですよ。乃木君がうまく米国の自動車メーカーを誘って日本に工場を設けることができることになったのが採用を決めた大きな理由ですよ」
と、教えてくれた。
乃木さん、随分多方面で活躍しているらしい。
そして、工業規格についても規定が始まっているんだとか。
「マザーマシンの国産化も始めることが出来ましたので、規格化をこれからどんどん進めていきますよ」
と、南部さんはにこやかに教えてくれた。
こうして何やかにや進んでいく中で、朗報というか歴史を覆す事が起きた。
何だかんだと戦争に向けた準備が行われる1912年の夏である。明治45年だね。
権兵衛さんと伊藤さんの後押しで陸軍が有無を言わさず脚気対処を行わされた結果、それが明治天皇、おっと、今上帝の健康にも影響したらしい。
ゴネる森鴎外らを余所に、麦飯やパン食が陸海軍の食事となったことで、英国式の食事が脚気に効果があると理解したらしく、医者嫌いが緩和している。
その上、伊藤さんが何やら吹き込んだらしいのだが、英国王室のような君臨すれども統治せずの立憲君主制を志向しだしている。
そう、未だ病に倒れずに政務に当たる事が出来ている。乃木将軍殉死も避けられるかもしれない。
そんな中、史実より早いそうだが、山本内閣が組閣されることになった。