第5話 死神の女
平坦な道が続く道すがらを、2人は北東に進んでいく。
一旦デンメルンク王国と中間地点にあるミーエ村で、小さな種火の仲間と合流。
それから王国にて、武器や道具の調達をするという。
ノーラに聞くと、大陸を支配する七帝に反逆する組織のため、名前や構成員を、おおっぴらにするのを避ける目的があるようだ。
朱に交われば赤くなる。
その言葉通り、目的を共にする組織の人間たちも、彼女と同じように熱い心を秘めているに違いない。
クロードはまだ見ぬ仲間と久々の王国に、胸を膨らませる。
「王国にいくのも久々だな。リズは元気にしてるかな。ゾフィーちゃん、大きくなったかな」
「ゾフィーさんって、あなたのお友達? 昔の仲間ではないわよね?」
聞き覚えのない人の名を耳にした彼女は、会話を遮る。
「ああ、言ってなかったな。四明星のグントラムのおっちゃんの孫娘なんだ。ありゃ、将来有望な冒険者だな」
「あなたが褒めちぎるくらいだし、優秀な子なのね」
「へヘー、すごいだろ」
彼が得意げに腕を組むと
「あなたが威張ることじゃないでしょ」
と、突っ込みを入れる。
「あっちに着いたら、クラーケン焼き食べようぜ。これが旨いんだよ、デンメルンク名物なんだ」
「食事も旅の醍醐味よね。土地勘がないから、案内は頼んだわ」
「おう、任せとけ」
デンメルング王国は海に面した大国で、諸外国からの輸入品も数多く仕入れている。
それ故に冒険者が、装備や旅の支度をするにはもってこいだ。
親友ルッツと仲間であったリズベットの故郷への訪問を、意識的に避けていた彼だが、2人を片時も忘れたことがなかった。
「そうそう、必殺技!」
「なによ、藪から棒に」
「師匠の教えをサボってて、アレの使い方を忘れたからな。今の内に必殺技の決め台詞を考えとくぜ」
「アレ? 決め台詞?」
「魔法使う時の口上、かっこいいじゃんか! 俺もあんな風に戦ってみたかったんだよな」
「あなたは詠唱がいらない体質なのよね、私からすれば、そっちの方が羨ましいけど……」
「お互いないものねだりだな、ハハハ」
クロードが一方的に喋り倒し、たまの質問に彼が受け答えする。
会話に花を咲かせていると、前方から人影が見えた。
目を凝らすと、黒い外套のフードを深々と被った人間が、穂先が槍状に尖った大鎌を持ち、こちらに向かってくる。
その姿はさながら死神のようで、彼は首を傾げた。
田舎村に同業者とは珍しい。
だが大鎌を持っている人間など、それこそ農家と冒険者くらいのもの。
「あんたも冒険者かい。この先にはシャーフには気のいい人以外は何もねぇぞ」
袖が触れ合う距離まで近づくと、彼はすれ違いざまに訊ねた。
おもむろに顔を上げた人間の顔を見た彼は、とっさに後ずさる。
「銀髪に右頬の蛇眼。貴様、クロードヴィッヒだな。苦労しただろう。私たちは呪われた星の元に生まれているのだ―――この眼のせいでな」
右目の目頭と目尻の湾曲した角のような痕―――その模様の下には、ヤギの眼があった。
彼女のヤギ眼は彼の蛇眼と同様、顔の周りを飛び交う羽虫でも追うみたいに、あちこち目移りする。
(こんな人間、俺以外にもいたのか?!)
作りものではない動物の眼球に、彼は唇を固く結ぶ。
不幸が不幸を呼ぶという迷信のように、眼を持つ者同士が惹かれ合い、引き寄せられたのか。
だが彼には、呪われた星の元に生まれたとの一言が気掛かりだった。
「確かに女で、顔に変な模様があるのは辛いかもな。俺たちはデンメルンク王国に向かってる最中なんだ。質問があんなら、できる範囲で答えるぜ」
右頬の眼が原因で煙たがられたことは、一度や二度ではないだろう。
彼女の半生を慮ると、慰めの言葉が自然と口をついてでる。
同じ眼を持つ者として、少しでも心の痛みに寄り添えたら。
順風満帆な人生ではないものの、喜怒哀楽の全てを、自分の糧にできれば。
たくさんの人々から貰った暖かい気持ちを、その一言に込めて。
「……するなよ」
「悪い、聞こえなかった。もう一回いいか?」
「……へらへらするなよ。私と同じ失敗作の分際で」
「は?」
怒り狂う獣のように歯を剥き出しにする女に、怨嗟を吐き捨てられたクロードは、眉尻を下げる。
唐突な彼女の罵倒にも、不思議と怒りは沸かなかった。
何が彼女をそうさせるのかという疑問の方が、はるかに大きかったのだ。
「どうしたんだよ。俺、怒らせるようなこと言ったか? それなら謝るよ」
「いきなりあなたを罵るなんて、ちょっと変じゃない。関わらない方がいいわよ」
聞こえると面倒になると考えてか、彼女の心情を配慮してか。
掌で口を隠したノーラは、彼を横目で見ると、ぼそりとささやいた。
「まぁ、そうだな」
「すいません、急いでいるので」
ノーラは耳打ちすると、適当な噓をついて、2人は彼女の横を通り過ぎようとした。
そんな彼らを死神の女は
「英雄よ。いいことを教えてやる」
といい、呼び止める。
含みを持たせた言い方に、関わってはいけないと心が警鐘を鳴らす。
だが英雄として、悪事を野放しにはできない。
正義感と好奇心の板挟みで手をこまねくと、横のノーラに先を越されてしまった。
「いいことですって?!」
「夜明けの王国に、大いなる災厄と絶対の破滅が訪れる。命が惜しくば引き返すことだな。世界を救うなどと世迷言を宣えるのは、“あの方”のような力のある者だけだ」
女は淡々と告げた。
ルッツとリズベットの故郷の崩壊を。
大陸の列強国の一つとして必ず名を挙げられるほど、デンメルンクは兵力が整った国家。
大陸最強の名を欲しいままにしていた元四明星の一人であるグントラムも、いざとなれば母国を守るために命を賭す。
彼らが簡単にやられてしまうとは、にわかには信じ難い。
しかし彼女の双眸は、それが真実であるのを物語るように、鈍い光を放っていた。
真一文字に閉じた唇は微動だにしておらず、笑い話にも、嘘をついているようにも見えない。
冗談にしては、ずいぶんとタチが悪い。
もし彼女の話が本当だったならば―――大惨事になる。
「まさかあんた、それに一枚噛んでやがるのか?」
クロードが問い質すと
「そうだ、と言ったら」
悪びれた様子もなく、死神の女が冷笑する。
間違いない。
この女、その計画に加担している。
友が守ろうとした国や、残された人々まで好き放題されたら、ルッツらの命が無駄になる。
デンメルンクに、指一本触れさせてなるものか。
興奮したクロードは問い詰めたいのをこらえて、二の句を継いだ。
「誰かに命令されてやってるのか? だったら、こんなこと……」
「全て私の意志だよ。あいつらへの復讐さえ成し遂げられるなら、赤の他人の命などいくらでも踏みにじってやる」
言葉を遮るヤギ目の女に、腸が煮えくりかえる。
「もういい。お前をブチのめして洗いざらい吐かせる」
「やれるものならやってみろ。お前には無理だろうが」
「無理かどうかも、諦めるかも、俺が決める。お前が指図してくんな!」
彼女に一撃を見舞うべく、クロードは体中に電撃をまとわせる。
体内の魔力と大気中のマナが反応して、彼の周囲に緑の光球が現れると―――突如として朱色に染まり、灼けるような熱を伴って爆発した。
(は!? どうなってやがんだ?!)
かつてない体験に、クロードの頭は疑問符に埋めつくされた。
吹き飛ばされた彼は、陸に打ち上げられた魚のように、びちびちとその場で跳ねる。
「……何を?!」
「敵に手の内を晒す馬鹿が、どこにいる。足りない脳味噌で考えろ」
大の字に寝そべった彼に、ヤギの眼の女は執拗に蹴りを入れる。
殺意こそないものの、体重をかけた一撃や踏みつけは骨に軋む。
「グッ、ゲホ、ゴホッゴホッ」
「痛いか、苦しいか、自分が惨めか。私が受けた傷に比べれば、こんな苦痛など屁でもない」
「クソ、調子に乗るんじゃ……」
足首を掴もうとすると、先ほどの現象がまた起きる。
立ち上がろうにも不可思議な攻撃に晒されて、状況は悪くなる一方だ。
「何者だ、お前は……」
「私はお前、お前は私。出来損ないの似た者同士。敢えて名乗るとするならば―――天に浮かぶ禍つ星。四凶星の死神クルトゥーラ」
「四凶星……だと」
明らかに四明星を意識した名前に、クロードは驚きを隠せない。
リンドムート、カウツ、ベルナ、ギズルフ。
彼ら四明星の一行が人類最後の希望だとすれば、四凶星と名乗る彼女らは―――人類の絶望とでもいうのだろうか。
「待ちなさい、そんなことはさせないわ!」
「歯向かう気か。やめておけ、手が震えているぞ。フフフ……」
「ふざけないで! 仲間を傷つけられて、黙ってられるはずがないでしょう」
妖しく微笑むクルトゥーラの忠告を無視して、ノーラは呪文の詠唱を始める。
案の定、魔法陣が足元に浮かぶより早く、彼女に紅の衝撃が襲った。
「だから言ったろう」
口許を歪ませて、ノーラの醜態を嘲笑う。
「肩書だけはご立派だな、クロードヴィッヒ。それに実が伴っていないが。そいつに付き従う、お前も同類だ」
「……ノーラ、やめろ。お前に敵う相手じゃない!」
武器である大鎌を抜かせない、完全なる敗北。
格の違いを身をもって知らされた彼が呼びかけるも、立ち上がる彼女は首を横に振った。
「私はもう、誰かが戦って傷つくのを眺めるだけの、傍観者ではいたくない!」
ノーラは叫ぶと、膝から崩れ落ちて倒れ込む。
「さて用件は伝えた。もうお前たちに用はない」
「四凶星、お前たちは……何がしたいんだ」
「お前たちと、たいして変わらないさ。破滅の前座で踊る、哀れな人形に過ぎんよ」
抽象的な発言に、脳がこんがらがる。
だが放っておけば、罪のない人々へ危害を加えるのは確実だった。
「待ちやがれ! デンメルンクに何かしたら、ただじゃおかねぇからな!」
「逆上するなよ。どの道この世界は天界の城による支配で滅びに向かうのだ。あの国の崩壊も滅ぶのが遅いか早いか、その違いしかない」
「黙れっ! 消えていい命なんか、この世に一つもねぇんだ。よく胸に刻んでおきやがれ!」
彼女の考えを、真っ向から否定した。
恐れがないといえば嘘だったが、弱くとも気高くあろうとする彼女の雄姿が、彼の背中を押した。
「ならば私たち四凶星から大事な命とやらを守ってみせろ、愚かな英雄。さらばだ」
去り際、クルトゥーラはクロードを挑発する。
死神の後ろ姿を、捨て猫を思わせる瞳で見据えると、胸の中の決意を更に強くした。
次回は、敵幹部会議回。
一回やってみたかったので、本編そっちのけで書くことに決めました。