第82話:黒田、治療する
呪縛の対処法がわかるルビアは、治療と指示を同時進行でこなしていた。
右手で呪縛の治療を施し、左手で呪縛の術式に魔力を流し、マーキングしてくれている。
「随分と器用なのね」
血が怖いとはいえ、ルビアは少し前まで出鱈目に回復魔法を使っていた。ルベルト先生からも、まだ魔力操作が拙い、と言われていたのに、驚くほど成長を遂げている。
平日は治療師見習いをやってるし、毎朝王妃様と一緒にライルードさんの治療をして、かなりの経験を積んだのだろう。
主人公だからすごい……なんて、もう言えないわね。とても優しくて頑張り屋さんな治療師だと思うわ。
「お姉ちゃんもこれくらいはできるでしょ?」
「それはまあ、そうなんだけれど」
「褒められてる気がしないよ。それに前にも言ったけど、私の聖魔法だと鍵穴に合わないの。どれだけ魔力の扱いが上達しても、回復魔法は治せなかったら意味がないんだよ」
いつの間にか成長したルビアの言葉は重い。治し方がわかるのに治せない、そんな壁にぶつかり続け、苦しんでいたに違いない。
ライルードさんの命を救う理由が、また一つできた気がする。助けられる保証なんてないけれど、この夜が明けるまでは死力を尽くそう。
だって私も、ルビアと同じ治療師なのだから。
ルビアの左手に手を重ね、マーキングされた部分に魔力を流していく。
上手くいったとしても、呪縛が活性化状態の中で休憩する余裕はない。とことん魔力を節約しつつ、最大限に治療効果を高める必要があった。
今まで治療してきた経験があるし、落ち着けば大丈夫。今はルビアのことを信じて、治療だけに集中すればいい。
マーキングされた呪縛の術式に魔力を流し終えると、それらを聖魔法に変換する。その瞬間、パァーッと明るく光り、ライルードさんの体から黒い煙のようなものが出た。
呪縛の一部が急速に浄化されたのかもしれない。体を包んでいた黒いモヤも薄くなっている。
「呪縛の鍵穴に合うのは、お姉ちゃんの聖魔法みたいだね」
この現象を見る限りは、ルビアの言うことで間違いない。双子であったとしても、同じ聖魔法ではなかったのだ。
いま思えば、ルビアの回復魔法は効果が薄く、治りが遅かった。同じ聖魔法を表す淡黄色の光でも、僅かにルビアの色は暗い印象があり、性質が違う印象を受ける。
回復魔法に特化した聖魔法、それが私の聖魔法なのかもしれない。魔力量に懸念はあるけれど、ルビアと一緒なら……。
「治せるわね」
「治せるよね」
互いに顔を合わせて頷き合うと、すぐに呪縛の術式の解除を行う。
原作の光景を思い出すと、呪縛の術式はかなり多かった。ライルードさんの体がどれくらい持つかわからないし、時間との勝負もある。
ただ、シビアな作業であることは間違いなく、少しでも術式と形が違うだけで弾かれ、治療効果は生まれない。
「焦らないで。もっと正確にマーキングしてほしいの」
「お姉ちゃんほど集中力がないんだもん。大雑把にやるなら得意なんだけど」
「私とルビアでは魔力量が違うのよ。魔力の消費は最小限に抑えないと、最後まで持たないかもしれないわ」
「お姉ちゃんに勝てるのは魔力量だけかぁ」
「変なところで落ち込まないでよね。ルビアは呪縛の術式をマーキングすることだけに専念してちょうだい」
「……かなり多いけど、それこそ魔力は大丈夫?」
「持たせるわよ。回復魔法は治せなかったら意味がないわ」
何気ない会話をするほどには、私たちに余裕が出てきている。
呪縛の術式を一文字ずつ消していくという途方もない作業だからこそ、先にルビアの心を落ち着かせるべきだ。人の命に関わる経験や大きな期待に応えるプレッシャーは、今までクロエしか経験していない。
ルビアが正確にマーキングしてくれたら、それだけ助かる可能性が高まる。今はまだ、姉に頼ってくれればいい。
私たちの姉妹関係は崩れていないんだ。ライルードさんを助けるためには、双子の絆が必要なのよ。
慣れない作業に戸惑いつつも、私とルビアは懸命に治療を続けた。
まだ夜は明けない。でも、黒いモヤは薄くなり、ライルードさんが苦しむこともなくなっていた。
「お姉ちゃん、もう少しだけ右にずらして」
「これでいい?」
「うん、大丈夫。次で最後だよ」
何とか魔力が持ってよかった、そう安堵したくなるのは、魔力を消費し過ぎた影響が足にきているからである。
ルビアに心配させたくなくて涼しい顔をしているが、どうにか立っている状態だ。途中で失敗していたら、集中が途切れて持たなかっただろう。
最後の呪縛の術式に魔力を流して浄化すると、黒モヤが弾けるように消える。その後、もう一度体から黒い煙が立ち昇ると、それもまたすぐに消えた。
おそらく、呪縛を最後まで浄化できたに違いない。一応、夜が明けるまでは慎重になった方がいいと思うけれど。
「はぁ~……、さすがに疲れたわね」
「そう? 私はまだ大丈夫だけど」
昼間、治療師として騎士団に同行していたのに、どれほど魔力があるんだろうか。ヘロヘロの自分と比べると、やっぱり主人公ってズルイと思ってしまう。
「とりあえず、王妃様に連絡してきてもらってもいいかしら。ジグリッド王子が何も言いにこないし、問題はないと思うわ」
「王妃様の呪縛はもう少し簡易的なものだったし、命の危険はないと思うよ。でも、一応報告してくるね」
「お願い」
疲労した姿を見せないまま、ケロッとした表情でルビアは部屋を離れていった。
あぁ~、しんどい……とベッドにダイブしたい。でも、ライルードさんが寝てるし、まだ部屋には、背を向けたグレンがいる。
「………」
原作にはない展開であり、男心がわからない私にとっては、こういう空気は気まずい。それでも、あえて、グレンの背中に抱きつくことにした。
足の疲労がピークとか、推し成分を吸収したいとか、良い思いをしたいとか、そういう気持ちではない。
「これで見えないわよ。今だけは耳も閉じておくわ」
現実でどうなっているのかわからないが、剣術大会の決勝で男泣きしたグレンは、ルビアに慰められた時に二度と泣かないことを決意している。
過去の自分と決別するための涙であって、一人前の騎士になるべく、強く成長すると誓うのだ。
でも、嬉しい時くらいは泣いてもいいと思う。
「うぅ……ぐすっ……」
抱きついている私が耳なんて閉じられるわけがなく、必死に声を殺して泣くグレンの声が聞こえてくる。推しの嬉し涙は悪くない、と思いながら、聞いていないフリをするのだった。




