第56話:ジグリッド、甘く見ていた……?
―― ジグリッド王子視点 ――
暗殺者襲撃事件のこともあり、殺伐とした雰囲気で午前の会議を終えた俺は、騎士団の訓練場を訪れていた。
剣術大会へ向けて練習するグレン……ではなく、なぜか出場することを決めたクロエ嬢の様子を見に来たんだが、時間が合わなかったみたいだ。
容姿がそっくりな双子の妹、ルビア嬢の姿しかない。
早く魔法を扱えるようになり、魔物と戦うことができれば、国に貢献できる。そのため、剣術大会を辞退してまで魔法の訓練を増やしたんだが、判断を誤ったか。
クロエ嬢と肩を並べられる存在になりたい、それだけで頑張っているのに、こうも空回りするとは。彼女と剣術大会で戦いたくはないが、練習くらいは付き合えたかもしれないと思うと、寂しさを感じてしまう。
特に、ルビア嬢とグレンの姿を見ると余計にそう感じるものがあった。
「グレンくん? おサボりしてない?」
「……好きにさせてくれ」
座って休憩するグレンに対して、両手を腰に当てたルビア嬢が怒っていた。
俺が剣術大会を辞退してから、グレンのやる気は急降下している。汗も流さずに休んでいるため、ルビア嬢の見立ては正しいだろう。
「ダーメ。お姉ちゃんは勝ち目のないことに打ち込まないもん。このまま不貞腐れてたら、本番で痛い目を見るんだからね」
何か思うところがあったのか、最近のルビア嬢は妙に積極的になっている。
誰とも関わりを持とうとしなかった人見知りの彼女が、寡黙なグレンに圧をかけるなど、まったく予測できなかったことだ。剣術大会に出場するクロエ嬢もそうだが、フラスティン家の双子姉妹は、何を考えているのかサッパリ読めない。
まあ、予期せぬことはもう一つあるが。
「……双子の見分けがつかん」
「接する態度が違うんだし、それくらいは見分けてよ」
「いや、その解決方法は強引すぎないか」
グレンが普通に話しているのだ。剣のこと以外に無関心なあのグレンが、である。
同じ騎士団員でも話せる人は少なく、付き合いが悪いで有名なのに、どうしてルビア嬢とは普通に話せているんだろうか。むしろ、尻に敷かれている印象すらある。
「気合いが足りてないし、先に走り込みからしよっか」
「勝手に訓練内容を決められても……」
「ぐたぐだ言わないの! ほらっ、シャキッとする! 早く立って!」
手を引っ張って強引にグレンを立たせると、ルビア嬢が背中をパンパンと叩いた。
「はい、しゅっぱーつ!」
渋々ランニングに向かうグレンだが、その光景に一番驚いているのは、騎士団員たちである。
どうしてグレンが言うことを聞いているのか、誰もわかっていない様子だ。なかには目をこすって確認する者もいるため、相当おかしな現象だとわかるだろう。
あいつ、意外にボディタッチに弱かったのかな。頭をポリポリとかいているが、あながち嫌そうでもない。
走り始めるグレンを見て、うんうんと何度か頷いたルビア嬢と目が合うと、俺の方に近づいてきた。
「ジグリッドくんも今から訓練するの?」
「いや、俺は息抜きだ。魔法の訓練はもう少ししてからだな」
「そっか。少しお願いがあるんだけど、ジグリッドくん以外に知り合いがいなくて心細いから、息抜きの間だけでも付き合ってもらってもいい?」
「さっきまでの勢いはどうしたんだ?」
「だいぶ無理してるというか、頑張ってるというか……」
本当にこの双子姉妹はよくわからないな。クロエ嬢のことを心配するならともかく、グレンを心配する必要などまったくないというのに。
「グレンは前年度の剣術大会の覇者だ。今大会においては、ほぼ優勝が確定しているようなもの。クロエ嬢には申し訳ないが、グレンに勝てるほど剣の道は甘くない」
「それはどうかなー。私は違うと思うよ。剣術を馬鹿にするつもりはないけど、お姉ちゃんに勝てると思うことが甘いと思うの」
「身内を信じたい気持ちはわかるが、無理な話だろう。クロエ嬢に剣の素質があったとしても、剣術大会までの短期間では仕上げられない」
世間一般的に考えて、クロエ嬢の挑戦は無謀と言わざるを得ない。子供が大人に喧嘩を売るようなもので、勝てるはずがなかった。
才女と呼ばれる彼女にしては、珍しく浅はかな行動だったと思う。
「ジグリッドくんは、まだ本当のお姉ちゃんが見えていないんだね」
しかし、確信めいたものがあるのか、ルビア嬢は否定する。
「ずっと一緒に過ごしてきたから、私にはわかるの。今までのお姉ちゃんは、私のために色々なことを犠牲にしてきて、何もかもが中途半端だったって」
あのクロエ嬢が、中途半端だった? ルビア嬢は何を言っているんだ。そんなはずがあるわけない……と言いたいところだが、思い当たる節がないわけでもなかった。
たった数週間で治療師として覚醒し、多くの命を救った実績がある。治療師になりたての頃、小さな傷にすら怯えていたというのに。
「昔は手が届く場所にお姉ちゃんがいた。でも、今は届かない。追いかけても触れなくて、私は何もかも敵わなくなってしまった。お姉ちゃんは、変わってしまったの」
そう言ったルビア嬢は、いつもと違う異様な雰囲気を放っていた。
初めて会った時のような人見知りの女の子とは違う。言葉を交わして打ち解けた後に見せる元気な姿でもない。
まるで、心の闇に飲み込まれた復讐者みたいで、悪寒が走る。
そんなはずはないと思うのだが……どうしてだろうか。今のルビア嬢は、クロエ嬢を恨んでいるように感じてしまう。
たとえば、剣術大会で圧倒的に有利だと思われるグレンを応援し、姉のクロエ嬢を倒そうとしているところ、とか。
「だから、クロエ嬢に負けてほしいと思っているのか?」
「違うよ。お姉ちゃんは負けないから、グレンくんを応援するの。剣の腕を磨くことだけに執着する彼は、本当の意味で敗北を知らなければならない。それが国のためになると思ったから、お姉ちゃんは剣術大会に出るんだよ」
ルビア嬢の言葉に納得できる部分はある。グレンは騎士として生きることを知らないからだ。
今は形ばかりの騎士であり、圧倒的な大差で打ち負かさない限り、あいつが忠義を尽くすという言葉の意味を理解することはないだろう。
……まさか、クロエ嬢はそのために? 俺が辞退したことを知り、国とグレンのために出場を決めたというのか!?
「いったい何を考えているんだ、クロエ嬢は。人それぞれ役割があるし、出来ることと出来ないことがあるだろう」
「ふふっ、大丈夫だよ。お姉ちゃんは期待を裏切らないから。剣術大会に優勝して、それを証明してくれる。たとえ、グレンくんが万全な状態であったとしても、ね」
そこまで言われて、俺はようやく気がついた。ルビア嬢は誰よりもクロエ嬢を信頼しているがゆえに、グレンを許せないのだと。
少し目を細めてグレンを眺める彼女が、それをよく物語っている。
「お姉ちゃんを舐めるなんて、あり得ないよ。グレンくんも攻略されるべきだよね? お姉ちゃん」
才女の影で隠れ続けたルビア嬢も、また異質な存在なのだろう。聖魔法に選ばれた者であり、クロエ嬢よりも強い魔力を秘めた彼女は、今まで仮面をかぶって生きてきたのかもしれない。
深すぎる愛情を持つがゆえに、心に歪みを生じているんだ。今後は少し注意をしておくべきだな。
「あっ、そうだ。前から気になってたこと、聞いていい?」
「……どうした?」
コロッと雰囲気が変わったルビア嬢は、妙に落ち着いていた。
こういうところだけ見れば、クロエ嬢よりも大人びた雰囲気を放っている。
「ジグリッドくん、いつも私と話すとき、お姉ちゃんの面影を探すよね。お姉ちゃんのこと、好きなの?」
そのあどけない瞳に、俺は目線を外すことができなかった。




