第44話:黒田、頭を下げる
学園の授業が終わり、日が傾き始める頃、私はジグリッド王子と二人きりで屋上にいた。
「ごめんなさい」
何気ない顔で見つめてくるジグリッド王子に対して、私は勢いよく頭を下げる。大変申し訳ない気持ちで一杯なので、腰を深く曲げて、最敬礼で謝罪した。
「いや、気にしていないよ」
恐る恐る頭を上げてみても、ジグリッド王子は本当に気にした様子を見せなかった。
でも、簡単に信じてはいけない。なぜなら……。
「せっかく買ってもらったショートケーキ、無駄にしちゃったのよ?」
暗殺者に襲撃されたとき、ジグリッド王子が買ってくれたショートケーキの箱を投げ捨ててしまったのだ。
アルヴィが守ってくれた影響なのだけれど、この罪は私が背負わなければならない。
食べ物の恨みは恐ろしい。それは黒田が一番よく知っていることなのである。
「クロエ嬢が無事でいてくれて何よりだ。ケーキと命を比べるものではないよ」
優しい……。初めて買ってもらったショートケーキを台無しにしても、受け止めてくれるほど心が広いのね。さすが一国の王子だわ。
とんでもない正論を言われている気もするけれど、それはそれ、これはこれよ。
だって私は、スーパーチョロインなんだもの。
「むしろ、俺の方こそすまない。やはり一緒についていって、寮まで送るべきだった」
逆に謝ってくるなんて、さすが私の推し! スーパー紳士だわ! などと思ってしまうあたり、本当にチョロインすぎる自覚があった。
「私が同行を断ったのよ。ジグリッド王子のせいではないわ」
「不審者が動いている情報はあったんだ。騎士団が警備を固めていたとはいえ、日があるうちに強行するとは思わなくて、判断を誤った。アルヴィにもクロエ嬢にもツライ思いをさせてしまって、本当に申し訳ない」
そう言ったジグリッド王子は、頭を軽く下げた。
人前ではないが、一国の王子が頭を下げるなど、本当にそう思っていないと取らない行動だろう。でも、これもジグリッド王子が悪いわけではない。
襲撃があるとわかっていたのに、事態を悪化させてしまった責任は、誰が何と言おうと私にあるのだから。
「この件に関しては、全面的に私が悪いわ。アルヴィが許してくれるから前を向くだけであって、二度とこんなマネをしないように反省する。それ以上でもそれ以下でもないの。ジグリッド王子は背負わないで」
これはクロエとしてではなく、黒田としての誓いだ。
オリジナルルートを進んでしまった以上、今後の未来は大きく変化していく可能性がある。最初の変化は小さくても、物語が進むにつれて、それが大きな変化に変わるかもしれない。
だから、もう油断はしない。それを推しに表明することで、チョロインの私は必ず守る。
真剣な表情で見つめると、ジグリッド王子の強張った表情が緩み、微笑んでくれた。
「不思議な人だな、クロエ嬢は。今までは表面的な部分しか見えていなかったんだろう。学園に入学してからというもの、クロエ嬢が別人に見えてくるよ」
……すいません。それは黒田のせいかもしれません。
「ダメ、かしら?」
「いや、とても良い変化だと思う。俺はいまのクロエ嬢の方が好きだよ」
えっ、やだ。ジグリッド王子はルビアとくっつかなきゃダメなのよ。ただでさえ私は、予想外の展開でアルヴィと良い感じに……。
いや、まだ友達よ! まだ、とか言っちゃってね。でも、アルヴィが好きって……。ひ、人として好きなだけかもしれないし、期待しすぎるのもいけないわ。えへへへ。
「アルヴィと何かあったか?」
「ふええっ!? べ、別に何もないけれど? しいて言うなら、友達になったことくらい、かな」
「……逆に聞きたいんだが、今まで友達ではなかったのか?」
推しと友達は違うわ。そんなことは言えないから、誤魔化すけれど。
「乙女心は複雑なのよ。王妃様に教わらなかったのかしら」
「残念ながら、母上は放任主義だ。政治が関わらない限り、聞かないと何も教えてくれないよ」
「意外ね。あの王妃様なら、たっぷりと甘やかしそうなのに」
お茶会に呼ばれた時のことを思い出せば、小さな頃からジグリッド王子に過剰な愛情を与えていてもおかしくない。
プレイヤーからは聖母と呼ばれ、バブバブルートまで存在するにもかかわらず、放任主義とは違和感がある。現実に会ったときでさえ、私は着せ替え人形になったというのに。
「母上の愛情を受けて育っているが、趣味嗜好の違いが大きい。今は誰にご執着か、言わなくてもわかるだろう?」
ジグリッド王子がポケットから小さな封筒を取り出すと、私に手渡してくれた。見覚えがあるのは、お茶会の招待状だからである。
あれ? 王妃様とのお茶会自体が激レアイベントなのに、また招待されたの?
原作では、こんな展開はなかったはずよ。王妃様のサブイベントが発生するのも、ルビアとクロエが王城に足を運んだときだけだもの。
可能性として高いのは、オリジナルルートの影響、もしくは、主人公のルビアが関与しない裏イベントね。
「王妃様は、随分と私を気にかけてくれているのね。ルビアの分はないのかしら」
「俺が預かってきたのは、その一枚だけだ。母上はルビア嬢も気にかけているが、クロエ嬢は特別なんだろう」
うーん……まだハッキリしないけれど、裏イベントの可能性が高いわね。主人公のルビアよりも、クロエは色々と情報を知っていたような立ち回りが多かったもの。
きっと裏で王妃様と繋がっていたんだわ。あの着せ替え人形イベントを思い出せば、明らかにクロエの方が好きだとわかるから。
ただ、どうしても気になることがある。
「変なこと聞いて申し訳ないんだけれど、王妃様って女の子が好きなの?」
王妃様の性癖が気になって仕方ないのだ。聖母と言われたあの方が、ジグリッド王子を溺愛していないなど考えられない。
しかし、聞いてはいけないことだったのか、ジグリッド王子の表情が曇った。
「……娘が欲しかったそうだ。その欲情のはけ口がメイドに行き、仲間が増え、毎月誰かが犠牲者として現れる。母上が放任主義になったのも、俺が小さい頃にスカートを履かされて泣いた影響が大きい」
えっ? そのお宝映像は残ってないのかしら。とても興味があるわ。
どうして運営も静止画として残しておかなかったのよ。タペストリーで販売してくれれば、部屋に飾ったのに!
「王妃様の気持ちがわからないでもないけれど、また着せ替え人形になるのかしら。私よりもルビアにお願いした方がノリノリで着替えてくれると思うわ」
「羞恥心がないとダメなんだそうだ。クロエ嬢、頑張ってくれ」
なんか気持ちがわかる、と思ってしまった私は、王妃様のことを悪く言えないのかもしれない。




