第42話:黒田、弱る
爽やかな日差しが窓から差し込み、小鳥たちのさえずりが聞こえてくる朝を迎えても、私はベッドの上でゴロゴロしていた。
「お姉ちゃん、今日も学園に行かないの?」
「………」
部屋の前でルビアが問いかけてくるが、私が返事をすることはない。あの日から五日が過ぎた今でも、自分を許すことができなかった。
「お姉ちゃん、聞いてる? アルヴィくんも心配してるよ?」
唯一の救いとしては、騎士たちのおかげもあって、アルヴィの命が助かったこと。念のため三日間の休養を取った後、学園生活に戻ったと聞いている。
でも、今回の件に関しては、無事で何よりだった……で、済まされることではない。
本来なら、アルヴィはかすり傷で済むはずだったから。
今の私にならわかる。原作で暗殺者が狙っていたのは、聖女の力を開花させた主人公のルビアであり、襲撃を察知したアルヴィが助けたのだ。その結果、かすり傷で済んでいただけにすぎない。
しかし、私が歴史を変えてしまった。
今まで治療師として活動し、華やかな功績をあげたこと。
あの時にルビアとアルヴィに目を閉じさせて、隙を作ったこと。
咄嗟に命を狙われて、何もできなかったこと。
標的が私に切り替わったことにも気づかないで、暗殺者の前に堂々と登場すれば、良いカモだっただろう。
諦めたルビアが部屋の扉から離れていくと、寝返りをうった私は大きなため息を吐いた。
私って、本当に馬鹿だな……。神様にでもなったつもりだったのかしら。
今までうまくいきすぎていたこともあり、調子に乗っていたのは間違いない。ジグリッド王子やアルヴィと関われて、とても幸せな日々を送れていた影響も大きい。
でも、それも今日までね。疫病神みたいな私が近づけば、きっと推しを不幸にしてしまう。
だって、略奪愛システムがある限り、クロエは幸せになれないんだもの。ルビアに幸福をもたらすために、クロエは存在するだけだ。
推しを殺しかけるなんて、最低の当て馬になってしまったわ。
塞ぎこんだ私がベッドの上でしばらくゴロゴロし続けていると、部屋の扉がコンコンッとノックされる。
ルビアは学園に行ったし、私の元に訊ねてくる人がいるとしたら、ポーラしかいない。
さすがの黒田も推しを死なせかけたという事実に心が折れ、まったく食欲がないけれど、人は水を飲まないと死んでしまう。そのため、飲み物だけ持ってきてくれていた。
再びコンコンッとノックをされたので、両手が塞がっているのかもしれないと思い、しぶしぶベッドから起き上がる。
こんな私を心配してくれるなんて、なんだかポーラにも申し訳ないわ……と、部屋の扉をガチャッと開ける。
すると、そこにはアルヴィがいた。
とりあえず、部屋の扉を猛烈な勢いでバンッ!! と閉める。
これは嬉しいとか悲しいとか合わせる顔がないとかではなく、ただの防衛本能だ。
寝起きで推しが訪ねてくるのは、逆にツライ。
泣き疲れてしか眠れないような日々を過ごしている私にとっては、今一番会ってはならない人である。
「すいません。ルビア様に言われて、来てしまいました」
どうしてルビアがアルヴィをそそのかしたのかはわからない。しかし、一度顔を合わせてしまった以上、無視するわけにもいかなくて……。
「い゛え゛、ごめんなざい」
残念なことに、泣き疲れて眠った影響もあり、私は史上最凶に声がブスである。
ただでさえ寝起きでだらしなく、目元が酷いことになっている姿を見られたのにも関わらず、喉にウシガエルでも飼っているのかと思うほど声がガラガラだった。
やはり、寝起きで推しが訪ねてくるのは、逆にツライ。
とりあえず、部屋の扉という障壁が存在するため、ンンンッ! と喉のウシガエルを追い出す。
「ごめんなさい。ちゃんとお礼も謝罪もしないといけないとわかっているの。でも、今はちょっと……」
「父に聞きました。僕が寝込んでいる間に訪ねてくれたそうですね」
一応、アルヴィが命を取り留めた後、兄のサウルと宰相のお父様には謝罪している。私が落ち込みすぎていた影響か、厳しい言葉が投げかけられることはなく、逆に慰められる始末だった。
意を決して足を運んだだけに、もう一度アルヴィと会おうとするには勇気が足りなくて……。
「ごめん……なさい」
「思い違いであればと思っていたんですが、やっぱり色々と気にされているみたいですね」
「……気にするわ。少しでも遅れていたら、アルヴィが死んでいたんだもの」
「そうかもしれません。でも、遅れませんでしたから。クロエ様がいらっしゃれば、必ず助けてもらえると思っていました」
「ううん、私は何もできなかった。アルヴィを助けたのは、騎士団の人たちよ」
「日頃の治療活動の賜物でしょう。兄さんから色々聞かされましたが、多くの騎士が掟を破ってまで、解毒薬の生成に尽力してくれたそうですね。クロエ様がいなければ、そこまでのことをして助けてくれる人は――」
「違う! 私がいなければ、アルヴィが怪我をすることはなかった! 事態を悪化させたのは……、私なのよ」
アルヴィが慰めてくれようとしているのはわかる。でも、その優しさに甘えてはならない。
そんな資格を私は持っていないから。
「ふふっ。やっぱりクロエ様は変わりましたね」
声を荒らげたにもかかわらず、唐突にアルヴィに笑われてしまい、私は思考が停止する。
「昔のクロエ様は近寄りがたい雰囲気がありました。でも、いつからでしょうか。何気ないタイミングで普通の女の子みたいなクロエ様が現れるんです。きっとそれが自然体であって、呼び捨てになっているのもその影響でしょう」
アルヴィの言葉を聞いて、何度も目をパチパチッとさせるほど、私は呆気に取られていた。
あれ? いつから私はアルヴィを呼び捨てにしていたんだろうか。言われてみれば、しばらく素の黒田に戻ったままで、随分とクロエムーブの意識が……。
もしかして、クロエムーブをしてきたはずなのに、黒田の存在がバレかけている……!?
いや、それどころじゃないわ。いくら公爵家である私の方が高い身分だといっても、同年代の異性を呼び捨てにするのはまずい。
婚約していない相手であれば、親しい友人関係になりたい、好意があるなどというメッセージになり、求愛行動と取られかねない。
このままでは、破滅エンドの道が開かれてしまう……!
「ちょ、ちょっと待って! 違うのよ、これには深い理由が――」
「僕はいまのクロエ様が好きですよ」
衝撃な言葉をぶち込まれ、私は言葉を失った。
「とても心が清らかで無邪気なクロエ様のこと、僕は大好きです」
絶対に推しに言われたら引き下がることのできない言葉『大好きです』をちょうだいした私は、予期せぬ展開に混乱してしまう。
泣き疲れて目がとんでもない状態になっていようとも、服がパジャマであろうとも、髪の毛がボサボサであろうとも、どうしてもアルヴィの顔が見たくなってしまい、部屋の扉をそっと開けた。
もう後戻りができなくなる、そんな気持ちになりつつも、私はどこか期待しているのだろう。
人は強欲な生き物であり、絶対にダメだと決めたことに手を出してしまうのだ。
姉の好きな人に手を出してはならないと思うルビアのように……。
「弱っているときにそういうのは卑怯よ、アルヴィ」




