第40話:黒田、不覚を取る
箱に入ったショートケーキが傾かないように意識しながら、走って追いかけていくと、すぐにルビアとアルヴィを発見した。
楽しそうに話ながら歩いているため、私は少し離れてついていく。
ジグリッド王子が言っていた通り、この街で何か問題が起きているのね。今日は騎士の数が多いわ。原作では気にすることがなかったけれど、暗殺者の情報が入ってきているのかしら。
下手に隠れて尾行したら、私も怪しまれかねない。慎重に行動するべきね。
まだ何も起こっていないとはいえ、もう少し歩いたところで事件が起こるはずだから。
気を引き締めた私は、アルヴィの足元を注視する。
どんな変化も見逃さないようにしていると、突然、僅かに光をキランッと反射するものが見えた。そこにアルヴィが足を乗せた瞬間、ツルッと滑って派手に転んでしまう。
あれは……水魔法の一種かしら。かなり遠くから扱っている影響か、威力は弱いけれど、足を止めさせるには十分ね。
確か、暗くて狭い路地裏の方から様子を見ているはずよ。私が認知していると気づかれないようにしないと。
危険な路地裏を視界に収めつつ、歩行速度を上げた私は、慌てふためくルビアと右腕の痛みを我慢するアルヴィに接触する。
「あら、どうしたの? 珍しいわね、怪我をするなんて」
「お、お姉ちゃん!? ルベルト先生のところに行ったんじゃ……」
「色々あって、やっぱり寮に戻ることにしたのよ」
「そうなんだ。でもよかった。お姉ちゃんがいてくれたら、アルヴィくんの怪我もすぐに治療してもらえるね」
今の私にとって、アルヴィの怪我を治すのは朝飯前だろう。しかし、これはあくまでルビアとアルヴィのイベントにすぎない。
「なんだか恥ずかしいところを見られましたね」
呑気なことを言いながらも、痛そうな表情を浮かべるアルヴィには悪いけれど、もう少し痛みを我慢してほしい。
元々ここにクロエが来るはずはないので、治療は私がするべきではないから。
「ルビアが治療してみるのはどうかしら」
「えっ? わ、私……?」
「そうよ。人見知りのルビアが、いきなり騎士や冒険者の治療なんてできないわ。練習台と言っては悪いけれど、アルヴィ様の体を借りるべきだと思うの」
「そんなこと急に言われても、まだ練習してる途中なんだよ? うまくいく保証なんてないのに」
「大丈夫よ。いまルビアが一番仲良くしている殿方でしょ。ちゃんと思いを込めれば、きっとうまくいくわ」
さりげなくアルヴィが大本命ですよアピールをした私は、アルヴィに向けて軽くウィンクをして、物語がうまく進行するように誘導する。
「僕からもお願いするよ。ルビア様に回復魔法をかけてもらいたいかな」
「アルヴィくん……。はぁ、わかったよ」
意を決したルビアが、怪我をしたアルヴィの右腕を優しくつかむ。
「私からのアドバイスよ。二人とも目を閉じて、回復魔法で治るイメージを明確に持った方がいいわ」
一瞬、魔法を行使される側のアルヴィがキョトンッとしたが、ルビアと目を合わせて、互いに目を閉じた。
本当はアルヴィが目を閉じる意味はないし、ルビアは治療する部位を目視した方がいい。でも、まだルビアは血が怖いのよね。
しっかり魔法を行使するためにも、暗殺者の襲撃で驚かないためにも、目を閉じさせる方が正解だと思うわ。
目を閉じたルビアが深呼吸をすると、どうしてこのイベントが『聖女の目覚め』と言われるのか理解できる光景が目の前に広がった。
魔法適性を判別する『始まりの式典』で見せた光景と同じように、ルビアの聖魔法が淡い淡黄色の光となって、周囲を照らし始める。見るものすべてを魅了する神イベントであり、通行人の人々が目を奪われ、足を止めていた。
よって、暗殺者には絶好の機会が訪れる。アルヴィの命を狙うとしたら、このタイミングしかあり得ない。
貴族が命を狙われるのは、当然のこと。どうしてアルヴィが標的なのかはわからないけれど、私が守ってみせる。
魔法障壁の準備はしてあるし、気を緩めない限りは――。
「お姉ちゃん、もう治った?」
呑気なルビアにペースを乱されてしまうけれど、ま、まだ大丈夫よ。律儀にギュッと目を閉じている影響で、自分が放つ強い光にすら気づいていなさそうね。
「もう少し魔法に集中しなさい。まだ治っていないわ」
私がそう言った瞬間だった。一番隙ができたところを見計らい、視界に映っていた路地裏から黒い服を着た一人の人間が猛スピードで飛び出してきた。
アルヴィには指一本触れさせない、そんな思いで暗殺者と向き合うと、予想以上に殺意に満ちた目を向けられたため、委縮してしまう。
あれ? アルヴィが狙われるはずなのに、どうして私が狙われているのかしら。
もしかして、原作で本当に狙われたのは……。
聖女……だった?
暗殺者の殺意に押され、毒が塗られた刃物を向けられた私は、思考が停止する。
絶対に気を抜いてはいけないとわかっていたのに、殺されるかもしれないという恐怖に声すら出せず、動くことができなかった。
「クロエ様! 危ない!」
混乱する私をかばうかのように、アルヴィに押し倒される。動けない私が受け身なんて取れるわけもなく、手に持っていたショートケーキの箱を手放し、背中から地面に叩きつけられた。
「チッ、しくったか」
低い男の声が聞こえた後、暗殺者が逃げていくのがわかった。それと同時に、とてつもない騒ぎになるとわかるほど、いろんな声が聞こえてくる。
街の住人の叫び声だったり、犯人を追いかける騎士の声だったり、ルビアの言葉にならないような気の抜けた声だったり。
でも、そんなものはどうでもよくて、私は一つだけ気掛かりなことがあった。覆いかぶさっているアルヴィの体温とは別に、手に感じてはいけない温かいものを感じるから。
「大丈夫……ですか。クロエ様……」
「ええ、大丈夫よ。アルヴィも……大丈夫よね?」
「僕は、大したことありません。それより、ケーキ、飛ばしちゃってすいません……」
「そんなのいいわよ。それより教えてほしいの。痛く、ないわよね?」
「ちょっとだけ……ですよ。でも、クロエ様が無事なら、治して……」
自分で意識を保つことはできなくなったのか、アルヴィは私の胸に頭をうずめた。
嘘……よね。そんなわけないわ。原作だと、かすり傷で死の淵を彷徨ったのよ。もし刺されて体内に猛毒が循環してしまったら、きっと命は……。
まだ私の勘違いかもしれないと、淡い期待を胸に抱きながら、恐る恐る手を挙げる。自分の目に映し出された光景を見て、希望が失われた気がした。
もう見慣れたはずの血が、今日ほど怖いと思った日はなかった。




