第26話:黒田、少しくらい良い思いをする
治療師の仕事が終わる頃、周囲は暗くなり、昼間の騒動が嘘のように王都は静まりかえっていた。
唯一変わらないのは、黒田の食欲くらいかしら。魔法を使いすぎて、今日はいつも以上にお腹がすいたわ……。
ヘロヘロになった私がルベルト治療院を出ると、そこには一人の男の子が立っていた。
ニコッと癒やしの笑みを見せるアルヴィである。
当然、ゾンビのように怠けていた私は、シャキッと背筋を伸ばした。
やっぱりハードな仕事の後は、推しの笑顔を見るに限るわね。空腹で死にかけていた黒田が元気になり始めたんだもの。
でも、ルビアとのイベントがあるはずなのに、どうしてここへ……と考えていると、アルヴィは深々とお辞儀をした。
「兄さんを助けていただき、本当にありがとうございました」
「仕事としてやっただけよ。気にしないで。それより、ルビアと寮に戻っていなかったの?」
「いえ、ルビア様はちゃんと寮に送り届けましたよ」
わざわざお礼を言うために戻って来てくれたのかしら。帰りがいつになるかわからないし、学園の寮で待っていてくれてもいいと思うのだけれど。
「このまま話していたら、寮の門限に間に合わないわ。歩きながら話しましょうか」
優しく頷いてくれたアルヴィと一緒に、私は寮までの道を歩き始める。
推しと一緒に仕事の帰り道を歩く、なんて幸せなシチュエーションなのかしら。弟系のアルヴィだからこそ、守ってあげなきゃっていう気持ちになって、勝手に胸が高鳴るわ。
「これだけ暗くなると、帰り道は危ないですよ」
逆にアルヴィに心配されるのも、悪くないわね。普段は大人しい男の子が、たまに見せる男の顔にグッと来るものがあるの。
まあ、一番の危険人物は黒田であり、アルヴィの方が危険なのだけれど。
「心配不要よ。これでも公爵家の長女だもの。姿が見えないだけで、警備がついてくれているわ」
王妃様の近衛騎士が見守ってくれているらしいのよね。治療院の仕事をした初日に、挨拶に来てくれたから。
公爵家と何かやりとりがあったのかまでは、さすがにわからないけれど。
「それならよかったです。ちょっと気になってしまって……」
「それでわざわざ迎えに来てくれたのね」
「大層なものではありませんよ。僕は戦闘できないので、本当に気になってきただけです」
黒田が心臓に宿っているんじゃないかと思うほど、ドキドキしてきたわ。推しが心配して迎えに来てくれるなんて、とても素敵なことなんだもの。
でも、素直に喜んでいられる状況でもない。本来は、ルビアとアルヴィのイベントがある日なのだから。
「ルビアの方を気にしてほしかったわ。あの子、ああいう場面は初めてだったんだもの」
「ふふっ。やっぱり双子ですよね。ずっとクロエ様の話をされるくらいには、ルビア様も心配されていましたよ」
何よ、それ……。せっかくのアルヴィイベントなのに、どうして詰め寄らなかったのかしら。この雰囲気だと、ファーストキスは済ませていなさそうね。
ルビアの弱った心をアルヴィが癒してくれたと思うし、恋愛に進展はあったと願いたいわ。
たとえば、た、互いの温もりを確かめ合う行為、は、ハグとか……!
「ところで、どうしてクロエ様は治療師の仕事をされているんですか?」
黒田の息が荒くなりそうな状況を押さえ込んでいると、アルヴィが真面目な質問をしてきた。
当て馬になるためです、と言えないのに、なんて答えればいいのかしら。そう思った瞬間だった。
癒やし系のアルヴィの隣を歩き、魔力を使いすぎてヘロヘロの私は油断しすぎて、足がもつれて盛大にこけてしまう。
ドテッ
……やってしまった。推しの前で無様に転ぶなんて。
こういう役目は天然のルビアがやることなのに~。
「大丈夫ですか?」
惨めな私の姿を見ても、笑うことなく手を差し伸べてくれるアルヴィが天使のように思えた。
その手を取って立ち上がり、そのままアルヴィを見つめる。
「アルヴィ様はいま、どうして私に手を差し出したのかしら」
「えっ?」
転んでもただでは起きない女、それが黒田である。これは嫌味ではなく、わざと転んだアピールをする作戦に切り替えたのだ。
「私が公爵家だから? 可哀想だから? 好意を得たいから? おそらく、深い意味はないんじゃないかしら」
盛大に転んだ影響で膝や手が痛いけれど、平然とした顔を崩さない。
なぜなら、今日の私は完璧なクロエなのだから。
「治療師の仕事を始めた理由はないわ。あえて言うなら、聖魔法で手を差し伸べてあげられるから。それだけよ」
転んでさえいなければ、とてもクロエらしい回答をしたことだろう。人の命を救いたい、そんな大層な理由で始めるのは、ルビアの方だと思う。
逆ハールートのために始めたなんて、推しの前で言えるわけがないわ。アルヴィが攻略対象だから、という以前の問題よね。人として恥ずかしいもの……。
「クロエ様は、とても優しい方ですね」
どこをどう聞き間違えたのか、真剣な表情でアルヴィが見つめてくる。
「怪我に動じることなく冷静に対処して、肌や白衣が汚れても、何よりも治療を優先されていました。理由もなく治療する人が、そこまでできると思えません。誰も死なせたくないと、必死だったんじゃないですか?」
的を射るようなアルヴィの言葉に、私はそっぽを向いた。
頑張り続けてきたことを推しに褒められるのは、さすがにまずいわ。嬉しくて早くも涙腺が崩壊しそうだし、そういう黒田らしさは見抜いてほしくないから。
だって、今日の私は完璧なクロエなの。泣きたいと思うほどツライ現実を見てきたとしても、絶対に涙は見せてはいけないし、強く生きなければいけない。
沈着冷静なクロエが、感情に流されるわけにはいかないのよ。
「お兄様を治療したから、そう思うだけよ」
「そんなことありません。とてもカッコよかったですし、治療を受けた騎士の方々も感謝していましたよ。とても丁寧に治療してくれる、と」
毎日騎士の治療しているから、誰のことかはわからないけれど、そういうのは直接言いなさいよ。
「私は愛想がないし、ほんの一握りの人しかそう思っていないわ。さあ、早く帰りましょう」
強がることでしか隠せない感情が湧き上がってくるため、私はアルヴィに背を向けて再び歩き始める。
「僕はそう思いません。クロエ様は少し感情を表に出すのが苦手なだけで、誰よりも優しい方だと思います」
何を言われたとしても、一刻も早く寮に帰るべきだ。このままアルヴィと話し続けていれば、黒田に芽生える感情を抑えきることができず、逆ハールートに支障が出る可能性がある。
それなのに、どうしてだろうか。勝手に足が止まって、動いてくれない。
「……そんなに深く関わっていないわ。数えるほどしか話したこともないじゃない」
「僕も同じことを思います。でも、生まれて初めて人の心が見えた気がしたんです」
アルヴィの言葉を聞いて思い出すのは、ゲームの話ではなく、夕方の教室でルビアと二人で話していたときのことだ。
良くも悪くも人の心を見抜けるようになれ、その父親の影響を受けて、治療する私がアルヴィには違う何かに見えたのだろう。
「殺伐としたはずの治療室とは裏腹に、とても綺麗な景色を見ているようでした。晴れ渡る空よりも、どこまでも広がる海よりも、クロエ様の穢れなき白い心はとても綺麗です」
言い返したい言葉はいっぱい思い浮かぶのに、ヘロヘロになった私の心は、アルヴィの言葉を受け入れてしまう。
もしかして、アルヴィは私に憧れを抱いてくれたのかな。同じクラスの同級生が頑張っている姿を見たら、応援したくなるのも普通よね。
尊敬や憧れは恋愛対象ではないし、私だって頑張っているんだ。少しくらいは……良い思いをしてもいいのかもしれない。
少なくとも私はいま、二つの選択肢を迫られている。
一つ目は、自分の頑張りを認めてくれたアルヴィの胸で泣いてしまう形。今まで体験したツライ思いを癒してもらい、また明日から頑張っていきたい。
二つ目は、応援してくれるアルヴィに笑顔を見せて、労いの言葉に感謝する形。推しの言葉が原動力となるファンにとって、アルヴィのありがたい言葉ほど嬉しいものはない。
どちらもクロエらしくないと思うけれど、これ以上は黒田を抑えつける自信がなかった。
後ろを振り向いた私は、アルヴィに近づく。そして、抑えきれない感情をすべて表情筋に捧げる。
「ありがとう。おかげで報われた気がするわ」
推しに泣き顔なんて見せたくない。どれだけ心が弱っていたとしても、推しは笑顔にしてくれる存在だから。
「い、いや、あの、そ、そういう笑顔は……」
「どうかした?」
「い、いえ、何でもありません」
妙に照れ始めたアルヴィの姿を見て、私は察した。
はっはーん。いつも笑顔を見せてくれるルビアっぽいと思ったのね。オリジナルルートを通ったけれど、今日のアルヴィイベントは大成功だったみたいだわ。
ルビアのヘソチラを思い出しているだろうアルヴィと一緒に、寮へと帰っていく。
アルヴィの会話が少し減って、顔を真っ赤にしていたのは、ルビアのことで頭がいっぱいだったと推測した。
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