第25話:黒田、当て馬作戦を成功させる
目の前にニンジンをぶら下げられた馬のように燃え始めた私は、その心とは裏腹にポーカーフェイスで挑む。
「お姉ちゃん、何してるの? 顔に血が付いてるし、服が汚れてるよ?」
ここは治療院なんだし、非常事態だったんだから、そんなものは部屋のあちこちについているわ! とツッコミたいけれど、混乱している貴族令嬢のルビアにとっては、まずそこが受け入れられなかったらしい。
「あら、そう。顔にも服にも血がつくわ。そういう仕事をしているんだもの」
しかーし! 完璧すぎるクロエはアッサリとかわす。
何か問題があるのかしら? これくらい普通よね? と、平然とした表情を崩さない。
一方、血に怯え始めるルビアを見れば、私の努力が無駄ではなかったと確信する。
胸の前で両手をブルブルと小刻みに震わせる姿は、守ってあげたいヒロインオーラが強すぎるんだもの。こんな姿を見せられたら、普通の男はイチコロよ。
何より、このゲームだけに存在する機能『略奪愛システム』が発動する。クロエが完璧な姿を見せるほど、か弱いルビアの可愛さが際立ってしまうのだ。
よって、この強烈な当て馬攻撃により、アルヴィの恋心は急激にルビアの方へと傾く。
それを証明するかのように、ルビアが体を震わせていることに気づいたアルヴィは、肩に手を回して優しく身を寄せた。
やだ、弟系のアルヴィが男に見えるわ。かっこいい……。
「クロエ様は怖くないのですか? どうしてそんなに平然としていられるんです?」
当て馬だからです。とは言えない私は――、
「何が怖いのかしら。この人たちが戦ってくれるから、私たちは平和に過ごせているのよ。感謝したとしても、怯える意味がわからないわ」
などと言い、当て馬スキル【正論キック】をぶちかます。
なお、治療師になりたての頃、血を見て何度も失神した私が言うことではないが、気にしていない。
今日の私は完璧なクロエなのだから。
そして、サウルも援護に加わろうと思ってくれたのか、アルヴィの方に顔を向けた。
「そうだぞ、アルヴィ。これくらいの血で怯えるもんじゃない」
「兄さん……」
……兄さん。……兄さん? ……兄さん!?
「えっ、待って。兄弟なの?」
「十歳ほど離れているが、アルヴィは俺の弟だ」
アルヴィがうんっと頷くため、間違いないだろう。しかし、アルヴィが長男だと思い込んでいた私は、魔力操作が拙くなるくらいには動揺している。
お兄様の名前がサウル・ブルネスト、弟の名前がアルヴィ・ブルネスト。やだ! 本当に兄弟じゃない!
相手がアルヴィのお兄様なら、良いところを見せなきゃ。
さっき黙れって言ったけれど。惚気話をするくらい好きな婚約者がいるけれど。
どうしよう! 推しのお兄様と意識すると、緊張してきた!
どうりで良い男だと思っていたのよね~……って、こんなときに黒田が出てくるんじゃないわよ。今夜はいっぱいごはんを食べてもいいから、ちょっと引っ込みなさい。
今日の私は完璧なクロエなのだから。
「珍しいですね。兄さんが大怪我をするなんて」
「騎士団に所属していれば、少なからず怪我をする。命があるだけでも、ありがたいもんだ」
大怪我をしている人間が言うと、説得力が違うわね。治す方にプレッシャーがかかってくるけれど、大丈夫ですよ、お兄様。
報酬はアルヴィスマイルでキッチリ働かせていただきますので!
推しに喜んでもらう、それだけを原動力で動き始めた私は、回復魔法にキレが戻り始めるのだから、とても単純な女だろう。
そして、完璧なクロエを演じることで、再び略奪愛システムが起動する。
膝の力が抜け落ちたルビアが、床にペタンッと座って顔を青くし……ちょっと待って。それは大丈夫なの? 精神的な負担がかかりすぎていないかしら。さすがに心配するレベルよ。
突然、ルビアが絶望に満ちたような表情を浮かべ始めたら、アルヴィが呆気に取られるのも普通のことだろう。
このゲームだけに存在する機能『略奪愛システム』は、あくまでクロエの好感度がルビアに変換されるだけであって、すべての状況で好印象を与えるものではない。
もしかしたら、容姿がそっくりな私の姿を見続けたことで、ルビアは治療師を疑似体験をしているような気持ちになったのかもしれない。双子の私が何度も失神したように、ルビアも心がパンクした可能性がある。
まずいわね。違うのよ、ルビア。私は略奪愛システムを起動させようとしただけであって、追い詰めるつもりはなかったの。
ここはひとまず、急いで原作ルートに戻して、ルビアとアルヴィを隔離する方向でいきましょう。
「アルヴィ様。申し訳ないのだけれど、ここに来た用事を早く済ませてもらえるかしら? 同級生に見られていると集中できないの」
「す、すいません。父さんの手伝いでやってきたんですが、クロエ様がいらっしゃるとは思わず、驚いてしまいました」
有事の際には、重軽傷者数や情報をいち早く国に届けなければならない。その役目がアルヴィだった。
「構わないわ。それより、しばらくルビアをお願いしたいの。一人にさせるのは心配だから」
人生で一度もやったことがないウィンクをパチンッとした私は、大事な場面でスーパーアシストを決める。この後は二人で過ごすのよ、とアルヴィに妹を預けたのだから。
これで二人がファーストキスをするのは、間違いないわね。弱った心には、アルヴィみたいな優しい男の子が一番いいんだもの。
絶対にルビアもイチコロになって――。
「ごめんなさい。足がいうことを聞かなくて、動けないの……」
耳を疑うようなルビアの言葉が聞こえてきたが、気のせいだと信じたい。今まで私が頑張ってきたことを、無に帰すことだけはやめてほしい。
いや、私が過剰な負担を与えてしまったことが原因だが。
「ルビア。アルヴィ様と一緒に帰りなさい」
「お姉ちゃん……、自分の力で立てないよ」
血が怖くて力が入らないなら、部屋を出ればそのうち治るわ。アルヴィに運んでもらえば……あっ、ダメだわ。アルヴィは小柄だった。
ちょっと待ちなさいよ。せっかくいい感じで軌道修正もしたのに、それはないじゃない! 意地でも二人きりにして、アルヴィルートに入れるしかないわ!
「ごめんね、サウル。もうほとんど治療も終わっているから、先に妹を運ばせてほしいの」
「……フッ、構わない」
どうやらまたサウルのお嫁さんと行動が被ったみたいね。この際、協力してくれるのなら何でもいいわ。
軽快な動きでササッと移動した私は、ルビアの背後に回って脇に腕を通した後、ズリズリと引きずって別室へと運んでいく。
普通はこんな失礼な対応を貴族令嬢にはできない。双子の姉の特権である。
「アルヴィ様、ちょっと扉を開けてもらってもいいかしら」
「は、はい。大丈夫ですが……、兄さんに運んでもらった方がいいのでは?」
「婚約者がいるのなら、誤解を与える行動は避けるべきよ」
念のために補足しておくが、アルヴィのお兄様にお姫様抱っこで運んでもらうなんて羨ましくて仕方がない、という黒田の嫉妬があるわけではない。アルヴィ兄弟に奉仕してもらうなんて贅沢過ぎるだなんて、まったく思っていないのだから。
本当にもう、世話が焼ける妹だわ。アルヴィだけで我慢しなさいよ、まったく。
「お姉ちゃん、ちょっと脇が痛い」
「我が儘言わないの。あざになったら治してあげるわ」
「お願いだから、もう少し優しく運んで。お、おへそ、見えちゃってるから」
「胸が成長しすぎて、服が浮いてるからいけないのよ。減るもんじゃないんだし、見せるくらいがちょうどいいの」
「そんなこと言われても……。あの、アルヴィくんはあまり見ないで。恥ずかしい……」
「す、すいません」
そういう作戦もあったか、と気づいたときにはもう遅い。すでに別室にたどり着き、後はルビアをソファーに寝かせるだけだった。
うぐぐっ、ルビアのセクシーショットを見せていれば、草食系のアルヴィも野獣のようになったかもしれないのに。非常にもったいないことをしてしまった。
まあ、当て馬計画の効果はあったみたいで、何よりだわ。ルビアが『アルヴィくん』と呼び始めたから、この後は二人で恋の炎をメラメラと燃やすに違いないもの。
何とか気合いでルビアをソファーに寝かせた私は、アルヴィを置いて治療室に戻る。
困りましたね、などと顔を赤くしながら呟くアルヴィに対して、お幸せに……と心で思いながら。




