第21話:黒田、こっそりと覗く
「教室に体操服を忘れるなんて、うっかりしていたわ」
治療師として活動するため、学園が終わり次第ルベルト治療院に行った私は、もう一度学園に引き返していた。
この世に完璧な人間など存在しないし、ミスは誰にでもあるのだけれど、学園に忘れ物をするなんて、クロエらしくない行為だわ。学業と治療師の両立にも慣れてきて、たるんでいるのかもしれないわね。
お腹がたるまないだけマシなのだけれど、もう少し気を引き締めましょう。
部活動の声が響く運動場を通りすぎ、階段で委員会活動を頑張る生徒たちとすれ違うと、自分の教室が見えてくる。そこへ近づき、ドアを開けて入ろうとしたところで、サッと身を隠した。
ルビアとアルヴィが向かい合って、良い雰囲気を作っていたから。
まるでドラマのワンシーンみたいで、二人だけの世界に浸っているみたいだった。
こんなイベントは知らないわね。二人が早く仲良くなれるようにアルヴィの背中を押したけれど、あまりにも展開が早すぎるわ。
まだアルヴィの主要イベントは発生しないはずなのに。
「お姉ちゃんは不器用だから、誤解されやすいの」
「クロエ様は周りからの干渉を拒んでいるように思います。いつも独りで行動されるか、ルビア様としか行動されません」
しかも、話題が私なの? もっと他に話すことがあるでしょう。年頃の男女が放課後の教室で二人きりなのよ。
「違うの。人の心を惹きつけるのはいつもお姉ちゃんで、本当は私が孤独のはずだから。私の周りに人が集まることがおかしいんだよ」
「そんなことはありません。ルビア様の周りはいつも明るく、とても華やかだと思います」
「偽りの関係だよ。本当に仲良くしたいと思ってくれている子、一人しかいないもん」
その衝撃的な言葉を聞いて、私もアルヴィも目を丸くした。あの天然のルビアが、人の心を見抜いているのだから。
アルヴィやジグリッド王子のように、心の綺麗な人と早く接触した影響で、ルビアの心に大きな変化が起きたのかもしれない。
まだ学園が始まったばかりで、みんなが手探り状態だから、悪事を企む貴族たちの心を見抜いた可能性がある。
一つだけ間違いないのは、相談の内容が重いわ。二人きりの教室でネガティブモード全開なんだもの。重い女は嫌われるなんて、私でも知っている恋愛の常識よ!
苦笑いを浮かべるアルヴィを見れば、そんなの誰だって――。
「すごいですね。僕にはそれがまだわからないのに」
好意を抱く人もいるの!? アルヴィは重い女が好きだったのかしら。
「宰相をしている父に言われているんです。良くも悪くも人の心を見抜けるようになれ、と」
宰相が国王様の補佐をする仕事である以上、他国や貴族たちとの会合も多くなるだろう。アルヴィのお父様としては、将来ジグリッド王子の右腕になれるように、若い頃から厳しく教育してきたんだと思う。
それゆえに、人の心の動きを把握したルビアに惹かれたのね。すっっっごい主人公補正だわ。
「目の動きや声のトーン、仕草を頭に入れるとわかってくるみたいですが、なかなかうまくいかなくて」
「私はなんとなくだよ。いつもお姉ちゃんが他の人と接する姿を見てきたし、こうして心を開いてくれる人と話せているんだもん」
まっすぐアルヴィを見つめる姿を見て、ルビアのあまりにも高度な恋愛テクニックに驚いた。
重い女ムーブから一変して、自然な流れでアルヴィの思いを受け入れ、一気に恋愛ムードへと変えたのだ。
「そういうことを肌で感じられるルビア様が羨ましいですね」
「生きにくくなるだけだよ。心を開いてくれる人しか、私も心を開いてあげられないから」
「貴族として生きるには必要なことです。少なくとも、僕はそういうルビア様に惹かれているんだと思います」
ちょ、ちょっと待ちなさいよ! なんでもうアルヴィを攻略したみたいな雰囲気になってるの! 急展開すぎるわ!
それ以上は絶対に近づいちゃダメよ。キ、キ、キスできるような間合いはまだ早いんだもの。
主に、私の心臓にだけれど!
ヒャーッ! と心の中で黒田が叫び、見ていられない私は顔を両手で隠す。
しかし、指の隙間が大きすぎて何も隠せていないので、この光景を目に焼き付ける勢いで凝視した。
「自分を見下さないでください。あなたに惹かれている僕まで見下されているように感じてしまう」
「アルヴィ様……」
ムードに押し流されているのか、すでに二人の恋が開花しているのかはわからない。でも、恋のステップを踏み出すかのように、ルビアがアルヴィの二の腕を優しくつかむ。
互いに見つめ合う二人が残された選択肢は、もう一つしかない――。
「お願い。お姉ちゃんを気にかけてあげてほしいの」
………。良い雰囲気はいずこへ?
どうしよう、この展開はサッパリわからないわ。『恋と魔法のランデブー』廃プレイヤーの私でも、ルビアの心がまったく読めないんだもの。
今の雰囲気はキスしかないでしょ! その流れ一択だったじゃない。わざわざ姉の話に戻さなくてもいいの。
どうして私の話からこんな良い雰囲気になったのか、それもサッパリわからないけれど!
「ふふっ、やっぱり双子ですね。クロエ様にも同じことを言われましたよ」
「あぁー……そうだったんだ」
「いや、そういう意味ではなくて。ルビア様とお近づきになりたいと思っていた僕の背中を押してくれただけです」
「冗談だよ。お姉ちゃんはいつも私を気にかけてくれてるもん。だから、この学園で過ごす三年の間に何か返していけたらなーって思うんだけど、相談に乗ってもらえないかな?」
「頼りになるかはわかりませんが、僕でよければいつでも大丈夫ですよ」
これ以上は聞いてはいけない気がして、友達みたいな雰囲気になった二人を残し、私は学園を後にする。
略奪愛がしたくて何かを企むわけじゃなさそうね……と、少し複雑な気持ちになりながら。




