第15話:黒田、初めての治療を推しに捧げる
「クロエ嬢……。本当に大丈夫かい?」
学校が終わり次第、治療師として活動することになった私は、なぜかいま、ジグリッド王子の治療をしていた。
騎士団との訓練で怪我をしたらしく、何気ない顔でルベルト治療院にやって来たの。
まるで、初めから私がいると知っていたような顔をして。
初めて治療を行う相手が、まさか推しになるとは。嬉しいやら悲しいやら複雑な気持ちになるわ。
一番複雑な気持ちを抱いているのは、間違いなくジグリッド王子だけれど。
「も、も、問題があるとでも言うのかしら?」
私は平然とした顔で対応している……つもり。でも、明らかに顔が引きつっているだろう。
だって、血が……、血が怖いの! 傷口を見ながら回復魔法をかけないといけないなんて……うえっ! キツい……。
「はぁ~。まさかクロエ嬢にも苦手なものがあったとはね」
「苦手じゃないわよ! こんなのかすり傷だもの!」
予想以上に厳しい現実にへこたれそうになっているが、ジグリッド王子に情けない姿を見せるわけにはいかない。
現在進行形で見せているのだけれど、それはそれとして、途中で投げ出すわけにはいかないのよ。やり遂げるカッコよさを見せつけて、この情けなさを勝手にチャラとさせてもらうわ。
たとえ、ルベルト先生が慈愛に満ち溢れた眼差しを送ってこようとも、絶対に治療して見せる!
「補佐に回るかい?」
「よ、余裕です……」
私が治療している間はルベルト先生が魔力を休められるため、補佐として付いてもらっていた。
流れた血を拭いてくれたり、服をめくってくれたり、痛がる患者を押さえつけたりしてくれる。
でも、ジグリッド王子の傷は浅く、そういう行為をほとんど必要としない。いわゆる、軽症に分類される怪我だった。
平和な日本で過ごしてきた黒田にとっては、あまり見たくないというだけであって。
今の私はクロエよ。ひとまず深呼吸で落ち着きましょう。
ヒッヒッフー、ヒッヒッフー。
「ルベルト先生、クロエ嬢は本当に大丈夫なんでしょうか?」
ジグリッド王子が心配になる気持ちは、大変よく理解できる。私もこんな先生は嫌だ。
しかし、こっちも文句を言いたい気持ちはある。
どうして王族の人間が一般の治療院に来ているのかって話よ。私がここで治療師になったことなんて、ポーラにしか知らせていないのに。
「普通は治療師見習いを最低でも一年続けて、徐々に慣らしていくんだ。まだ魔力操作にも治療にも慣れてないんだから、こればかりは仕方ないと思うよ。僕としては、許可した王家に責任があると思うけどね」
「母上にも困りましたね。ここは王家の人間として、責任をもって俺が治療の実験台になろうと思います」
どういう責任の取り方よ。推しの体に傷痕を残せない私の身にもなってよね。
「間違っているわ。すでに私は立派な治療師と認められているの。実験台なんて言い方は失礼ね。もっと信用するべきよ」
「俺の個人的な意見だが、手が震える治療師ほど信用できないものはないぞ」
「武者震いという言葉をご存じないのかしら!?」
二人で憐れみの視線を送ってくるのはやめてください。これでも懸命に頑張っているんです。
推しに触れそうで触れないもどかしさに耐え、荒い呼吸をしそうな黒田を抑えながらね!
「僕としては、ジグリッド王子に何かある方が大変だし、問題が出そうなら止めに入るよ。さあ、クロエくん。無駄話はこれくらいにしておこうか」
「私はずっと集中して治療していますが」
色々と反発をしているものの、回復魔法をかけ続けているのは事実だ。冷静さを保つために、わざと大声を出しているとも言い換えられる。
こっちは真剣なのよ。ルベルト先生に習ったことを思い出しながら、慣れない作業をやっているの。
怪我をしている部位を魔力で包み込んで、細胞の再生を促すように魔力を流し込むのよね。その後は、流した魔力を聖魔法に変換して……っと。
聖魔法がうまくいったときの反応はわかりやすく、傷痕を中心に淡黄色の淡い光を放ち、温かいものを感じた。
「やはり、クロエ嬢の聖魔法は本物か。母上と同じ波動を感じる」
「それを確認するために来たのかしら」
「まさか。せっかく治療してもらうなら、クロエ嬢にお願いしたいと思ってね」
どんな理由であったとしても、推しが私のために会いに来てくれるなんて……嬉しいわ。お世辞でも励みになるもの。
うぐっ、落ち着きなさい。ここは黒田の出る幕ではないわ。夜ごはんの時間はまだ先よ。
「彼女が行使しているのは、間違いなく聖魔法だよ。僕が使う光属性の回復魔法とは違い、効果は極めて高いはずだ」
「そうですね。痛みの引きも早く、魔法の才もあると思うのですが……。食い入るような視線と、手の震えは何とかしてほしいです」
「文句ばかり言っていないで、目を閉じなさい! すぐにその悩みは解決するわ!」
ジグリッド王子とルベルト先生に乾いた笑いをされるけれど、治療自体はうまくいっている。今は推しの肌に興奮して、手を震わせているだけであって。
もうすぐで終わりよ。傷口を完全にふさいだら、一安心なんだから。
……よしっ、終わった~~~!
「はぁー……。お大事にしてください」
「その言葉、そっくりそのまま返すよ。主に精神的な意味で、クロエ嬢もお大事にね」
患者さんに心配されるという前代未聞の展開が起きても、私は突っ込む気力すら起きなかった。
今ならわかるわ。クロエは精神が持たないとわかっていたから、あえて治療師見習いを始めていたのよ。
ゲームの描写だと、服に軽く血が付く程度だったけれど、現実は違うわね。当て馬になるためだけで目指すような仕事じゃないわ。
ジグリッド王子が治療室を後にすると、ルベルト先生が次の患者さんを呼び始める。
正直、始めたばかりだけれど、一回休憩を入れてほしい。
「おっと、次の患者さんは難易度が高そうだ。僕が代わろう」
「いえ、大丈夫です。補佐をお願いします」
言いだしっぺは自分だし、やりますけれどね。ルビアの逆ハールートのために!
当然、明らかに無理しているとルベルト先生は気づいているため、意固地の私に険しい表情を向けてきた。
「無理はおすすめしないよ。もう少し慣れてからの方がいい。何を考えているのか知らないが、君は急ぎ過ぎている」
ルベルト先生の言い分は、もっともだろう。私のことを思って言ってくれているのもわかる。でも、時間は待ってくれない。
この世界に生まれてきたクロエの方が、血に対する耐性は持っていたはずだもの。黒田として乗り越えなければならない部分もあるなら、少しでも早く前に進むべきだ。
「……お願いします。妹に情けない姿は見せられませんので」
「意地っ張りだね~。僕にも君の立派な姿を見せてほしいよ」
そう言ったルベルト先生は、次の患者さんをチョイチョイっと手招きした。
酷い患者が来るとわかっていれば、それ相応の心構えをすればいい。大丈夫、私ならでき――。
「やっちまったぜ、先生。こいつはマズ――」
「ぎゃああああ! 血がドバドバー!!」
黒田の心の弱さを痛感するように、私は失神した。




