第70話 幸子の新たなる旅路
「お母さん!おかーさん!!」
もう時間がないの!
形振り構わずお母さんを呼んだ。
「もう、まだやっているの?」
部屋に入ってきたお母さんは、短くため息をついた。
「今着ているので良いじゃない。」
適当とも言える回答に、焦りが増す。
「ちゃんと見て!こっちと悩んでいるの!」
「はいはい、可愛い可愛い。」
「もうっ!おかーさん!!」
結局、お母さんに服を選んで貰って、急いで着ていく。
鏡を覗いて、髪型を整える。
少し伸ばした髪で、首の後ろで縛る。
こーちゃんが好きな髪型…
鏡の中には、すっぴんの私が映っていた。
後ろからお母さんも鏡を覗き込んできた。
「ほら、お洒落やお化粧、覚えたくなった?」
「………、うん………」
「あー、でも、そんなの必要ないって、随分前に断られたっけなぁー」
「もう!意地悪ぅ!」
「しょうがないわね。鏡を見てごらん。可愛いさっちゃんが映ってる。大丈夫、自身を持っていってきなさい!女は度胸でしょ!」
「うん…、わかった。」
お母さんの車で、三森ジムへ向かう。
後部座席で待っていると、びっくりするぐらい格好良いこーちゃんがやってきて、私の隣に座る。
どどど、どーしよう…
どう観ても釣り合ってないよ…
「お母さん、駅までお願い。」
と、こーちゃん。
「駅でいいの?」
「うん。ゆっくり行きたいんだ。」
「わかった。」
嬉しそうなお母さんの鼻歌を聞きながら、駅まで送ってもらった。
今日は1月5日―
まだ正月ということもあり、商店街は半分ぐらいは閉まっている。
気合入れて商売するほど、人通りもないしね…
小さな駅の待合室。
「後10分で来るみたい。」
時刻表で確認し、こーちゃんは温かい飲み物を買ってきてくれた。
「ありがと…」
「ニシシッ、今日は何だか大人しいね。」
「どういう意味?」
「試合終わって、ふるさとに帰ってからのさっちゃんは…、何ていうか、凄く明るくて、テンション高くて、何をやっても楽しそうで、いつも笑っていたから。」
「今日も変わらないよ?」
「そうかな?」
そう言われて顔を覗き込まれると、つい俯いちゃった…
「変な気遣いはいらないからね。いつも通りにしよ。」
「う、うん。頑張る…」
こーちゃんはいつも通りのはずなんだけど、いつもより格好良くて、優しくて…
ドキドキが止まらないの…
視線が合うだけで顔が熱くなってるのがわかる。
ブウウウ…
「ヒャッ!」
マナーモードのスマホが鳴っていた。
慌てて画面を見る。
雪『緊張してるでしょ!そんな時はインファイター教の動画を見るんだよ!』
もうそんな場合じゃないのに!
あれ?こーちゃんにもメッセージが届いているみたい。
「さっちゃんも?俺も雪ちゃんから届いているよ。」
そう言って画面を見せてもらう。
雪『さっちゃんは絶対に緊張してるから、ちゃんとリードしてあげてね!』
「フフフッ…」
つい笑みがこぼれた。
「さっ、電車に乗ろうか。」
いつの間にか緊張が和らいで、さり気なく握ってくれたこーちゃんの手に引かれて、電車に乗り込んでいった。
揺られる電車の中では、私の心もちっとも落ち着いてくれない。
雪ちゃんのメッセージで少しリラックス出来たけれど…
あぁー…、試合より緊張している…
今日は、彼氏になったこーちゃんと初めてのデートなの…
ガラガラの車内で二人で並んで座る。
「今日は特に寒いね…」
こーちゃんはそう言うと、私がプレゼントした手袋の左側だけを私に渡してきた。
「両方は繋げれないから…。でも、繋いだ方の手は温かいでしょ?」
一瞬意味が分からなかった…
けれど分かった瞬間、顔から火を吹くかと思うほど熱くなった。
つまり、ずっと手を繋いで…
「うん…。だから、離しちゃ嫌…」
こーちゃんは一瞬ドキッとした顔をして、
「絶対離さないから…」
と、言ってくれた。
私は嬉しくて、早速手を繋ぐと彼の肩に頭を乗せた。
今日はデートと言っても、岐阜市まで行って、映画観る程度しか予定が決まってないの。
見た映画は、恋人を助ける為、孤軍奮闘するアクションものだった。
こーちゃんはアクションシーンで盛り上がっていた。
格好良いし、凄い迫力だった。
私は二人の絆が素敵だなって思った。
どんな窮地でも、離れ離れでも、お互い信じていられる。
そんな風に、なりたいな…
お昼は喫茶店でパスタとデザート。
食後のジュースを飲みながらの、何気ない会話が楽しい。
「今日のこーちゃん、いつもと雰囲気が違う。」
「本気コーデなんだ。駄目だったかな?」
「んーん。えっと…、格好良くて私…、釣り合わないかもって…」
「そうやって自虐的になるのは駄目だよ。今日のさっちゃんの服だって可愛いし、その…、髪型は俺の好きな感じだし…」
やっぱり縛ってる髪型が好きなんだ…
雪ちゃんが言ってた通りだ…
「俺さ、こうやって本気コーデすると、何というか逆ナンされたりするんだ。だからいつもしなかったんだ。」
そして私は思い出した。
クラスでも、男女隔たり無く大人気だったことを…
「でもね、今日は大好きなさっちゃんと一緒だからね。自慢できるぐらい格好良くないとって気合入っちゃった。」
「……………」
お化粧…、死ぬ気で頑張らないと…
「それに、さっちゃんだって、凄く可愛くて目立ってるよ。」
そう言われたけれど、自信はなかったの。
けれど無理はしないって決めたの。
努力は惜しまないけれど、背伸びだけはしないって。
そうじゃないと、笑顔まで無理しそうだから…
ショッピングモールで、お揃いで色違いのマフラーを買い合ったり、その後は岐阜城にも行ってみたよ。
眼下に流れる長良川と、遠くに広がる濃尾平野…
今日は天気が良くて伊勢湾まで見えちゃうね。
世界って広いんだなぁ…
そっかぁ…
私が閉じこもっていた世界は、地球から見たら物凄く小さな世界だったんだね。
あの時はその小さな世界が、私の知っている唯一の世界だった。
アルバイトして、ボクシング始めて、勝って、負けて…
色んな風景を見る度に、世界が広がっていって…
今度の誕生日には、日本一をかけて戦うことになっている…
「さっちゃん。何を考えていたの?」
「世界は広いなーって。」
「今見えている風景は、日本の、それもほんの一部さ。この景色を見ただけで天下取ってやるって思った信長は、想像以上に日本が広くてびっくりしたかもよ。」
「逆じゃないかな。」
「逆?」
「なんだ、日本ってこの程度しかないのかって思ったのかも。」
「さっちゃんらしいや。じゃぁ、日本一になって、世界に行ってみようか。」
「世界…」
「ファンさんも待ってるしね。あぁ、そうだ。相田さんが何で世界に挑戦しなかったか知ってる?」
言われてから、ハッとした。
そう言えば、彼女の実力があれば世界チャンピオンだって夢じゃないはずなのに…
「絶対に誰にも言っちゃ駄目だよ。」
「うん、わかった。」
「死ぬほど嫌いなんだって。」
「ん?」
「飛行機が…」
「あっ………」
そんな理由だったの…
「確かに誰にも言えないね。」
「じゃぁ、もう一つ内緒話。」
「なになに?」
「クリスマスバトルが終わってから、相田さんがね…」
「うん。」
「親父に告白したんだって。」
「えぇぇぇぇぇぇぇぇええええええ!?」
「声が大きいよ。」
慌てて口を塞いでキョロキョロしちゃった。
「あの人が14年間もチャンピオンに固執した理由は、親父に認められて、振り向いて欲しかったらしいよ。」
「……………」
「でも安心して。丁寧にお断りしたみたい。」
「そう…、なんだ…」
「その時の相田さん、突然笑いだして、憑き物が落ちたみたいに吹っ切れた顔してたって言ってた。」
「生まれ変わった感じだったかもね。」
「あー、そうかもね。そんで新しい武器まで引っさげて、有終の美を飾ろうと1年も準備期間作って…。本気でさっちゃんに勝つ気だよ。」
「私だって本気だもん。」
「俺らもさ、また1から頑張ろうか。」
「うん!」
肩を並べて家路へ向かう。
夕食は食べないで、駅から二人で歩いていく。
色んな話しをした。
こーちゃんはスポーツ医学を学ぶ為に大学にいくの。
いくら岐阜市内の大学だって言っても、昼間は会えないし、大学でもモテモテだろうし、だからちょっと寂しいけれど、私はボクシングに集中する…、予定…
お弁当屋さんでバイトしながら、ひまわり荘のお手伝いもする。
お正月の挨拶の時に、会長に言われたことがあって、早速習っていることがあるよ。
それは車の運転免許。
自分で自由にどこでも行けるようにって、受かってからの車の購入代金込み、100万円渡されたの。
受け取れないって断ったのだけれど、このお金はグッズ売上なんだって。
制作費、販売経費、全部抜いてジムにも少し売上計上して、更に残ったお金で、これは著作権費用ということで、私への正統な支払金らしい…
このために、一生懸命グッズを売っていてくれたのかと思うと、涙が止まらなかった…
そう言えば、ナナちゃんもマー君も里親が見つかりそうなの。
私の試合を見て感動してくれて、そんな私が育ったひまわり荘ならばって声をかけてくれたみたい。
どちらも優しそうで、大切にしてくれるって感じた。
これから何度か一緒に過ごして、特に問題がなければ正式に決まるみたい。
ひまわり荘は少しの間、静かになっちゃうかも。
出来ればその間に、お母さんの幸せも見つけて欲しいと願っているの。
そんな話しをして三森ジムの少し手前まできた。
ジムについたらこーちゃんとお別れ…
急に寂しさが私を襲う。
!!
こーちゃんはギュッと抱きしめてくれる。
「そんな寂しそうな顔をしないの。明日も、明後日も、ずーっと会うんだから。」
「うん…」
彼の首に両手を回して、一生懸命背伸びをした。
軽く合わせた唇からは、彼の優しさを感じた。
「へへへ…」
だらしない笑顔だったかもしれない。
不器用な笑顔だったかもしれない。
でもこーちゃんは可愛い笑顔が好きって言ってくれて…
持てないほどの幸せを抱えてジムに到着。
名残惜しそうにしながら、バイバイをした時だった―――
「あぁー、ちょっと待って。」
ジムから会長が慌ててやってきた。
こーちゃんと、何だろうって不思議がる視線を交わす。
会長が振り向いて、誰かを呼んだ。
「あぁー、俺、結婚するから。」
「はぁぁぁぁあああ?」
こーちゃんが滅多に見せないほど狼狽していた。
「さっちゃんにも、紹介しておこうって思って。」
ちょっと待って…
だって…、だって…
会長の後ろからひょっこり顔を出したのは…
「「お母さん!」」
思わずこーちゃんと声が重なる。
えっと、それはつまり…
「ここにいる4人が、書類上も家族になったってことでしてー」
会長は照れているのか、ちょっとぎこちなく説明する。
「さっちゃんが、私の幸せを探せる為にも頑張っていたって聞いて、本当に嬉しかったの。私はね、随分前から和ちゃんにプロポーズされてたの。だから、この機会に受けようって決めたの。二人はどうかな?私達の結婚。」
こーちゃんと視線が合うと、同時に笑顔になっていく。
「勿論!お母さんおめでとう!」
「親父!やったな!」
いやー、とか言いながら照れる会長と、フフフッと笑うお母さん。
うんうん、二人はとてもお似合いだよ。
「と、言うことで、二人は兄妹になりました。」
!?!?
あれ?
あれれ?
兄妹?
こーちゃんは会長の養子で、私はお母さんの養子だったから…
えーと、えーっと…
兄妹って…、付き合っていいの…?
け、結婚も出来ない!?
私達を見ていた会長とお母さんが笑っていた。
本当に嬉しそうな顔をしたお母さんが言った。
「心配いらないわよ。この場合は、ちゃーんと結婚も出来るから…、ね!」
これからお父さんになる会長も笑顔で答えた。
「誰も血が繋がってないけれど、俺達は血よりも濃い絆で結ばれているって思ったんだ。」
その言葉を聞いたこーちゃんも笑顔で言った。
「当然だろ!10年間、全員で頑張ってきたんだぞ!」
そして私も笑顔で答えた。
「その全員で、もっと幸せになるよ!!!」
こうして私の新たな旅路が始まりました。
タイトルマッチに向けて頑張っていくのだけれど、勝ったり負けたり、怒ったり泣いたり笑ったり…、色んな事が起きて大変です。
チャンピオンとの戦いがどんな結末を迎えたかは…
機会があれば、お話ししたいと思います。
今日も三森ジムでは―――
汗が飛び散り―――
小さな拳と笑顔が飛び交いながら―――
幸せを探す旅が続けられています―――
この物語を読んでくださった方に、素敵な幸せが訪れますように―――
『私はリングの中で幸せを探す度に出る』 ~第1部完~




