第69話 幸子の故郷への想い
新幹線からローカル線に乗り換えて、いくつかの駅を通りすぎた。
お母さんと私は、ひまわり荘のある岐阜を離れ、遠い街へと向かっている。
昨日お母さんに誘われた旅だけど、もう、何処へ向かっているか分かっている。
私の生まれ故郷―――――
あまり気乗りはしなかった。
何で今更ここに来たのか理解出来ない。
全てを失った、この場所に…
「さぁ、着いたわよ。」
降車した駅名を見て確信する。
「お母さん…。私、ここに用事はない…」
「言ったでしょ?お呼ばれしているって。」
ニコッと笑ったお母さんに…、騙されることにした。
「時間通りだから、迎えの車が来ていると思うけど…」
するとスマホで連絡を取り合い始めた。
どうやら電話の相手の人は、既に居るみたい。
「あっ!あの車だね!」
指差した先には、初心者マークを着けた軽自動車が見えた。
車の窓から身を乗り出して、電話をしながら大きく手を振る若い女性がいた。
あれ?
どこかで見たことがある?
若い女性は慌てて降りてくると、ガバッと私に抱きついてくる。
な、何なの…?
「さっちゃん!私!覚えてない?朱里だよ!あーちゃんだよ!!!」
遠い記憶の中…
そこは嫌な事件があったから、もう少し大人になるまで忘れようとした記憶。
あーちゃんって言ったら…
「あのあーちゃん?」
「そうだよ!小さい頃、一緒に遊んでいたの覚えてる?」
記憶が少しずつ甦る。
物心ついた頃から、お母さんの実家で一緒に遊んでいた…
確か、同い年だった…
「会いたかった…」
あーちゃんは、そう言いながら泣いていた。
どうして泣いているの?
「ささ、朱里ちゃん。ここじゃ何だから行きましょ。」
あーちゃんは私から離れると、お母さんに向かって深々とお辞儀をした。
「さっちゃんのこと…、本当にありがとうございました…」
「いいのよ。それに、今は世界一の娘なんだから。」
「はい!」
ボロボロと零れる涙を吹いて、あーちゃんは私の手を取って車へと連れて行き、助手席に案内された。
「まだ免許取り立てだから、ゆっくり行くからね。」
後ろに座ったお母さんが「お願いします」と言いながら微笑んでいた。
凄く置いてきぼり感がするけれど、取り敢えず何も言わずに従うことにした。
幹線道路から細い道に入り、暫くは右へ左へとゆっくり進んでいく。
どこかで見覚えのある風景だと感じた瞬間―
「着いたよ。」
そう言って車を止めた。
あぁ…
ここは…
産んでくれたお母さんの実家だ…
黒い霧のようなモヤモヤが心を覆っていく。
この家で、私は養子に出すことが決まった。
あの時の、親戚と呼びれる大人達の冷たい視線を思い出した。
「お母さん…。私、家の中には入りたくない…」
「大丈夫。私も一緒に行くから。」
「そもそも何をしに行くの?」
目的がわからない。
「けじめをつけに行くのよ。」
けじめ…
もう二度と来ないってこと…?
私は渋々家の中に入っていった。
広い玄関から、長い縁側を通って、角部屋の襖の前であーちゃんが立ち止まり膝を付いた。
「朱里です。お連れしました。」
「入って頂戴。」
聞き覚えのある、威厳を感じさせる、老齢の女性の声が聞こえてきた。
あーちゃんが襖を開けると、中にはベッドに横たわる老婆がいた。
老婆はあーちゃんに支えてもらって、ゆっくり上半身を起こす。
顔を見て思い出した。
少し老けたけれど、間違いなくお婆ちゃんだ…
「幸子…。元気そうで良かったわ…」
「お婆ちゃん…?」
「そうよ。覚えていてくれたの?嬉しいわ。」
そう言って微笑む姿は、本当に嬉しそうだと感じられた。
少しだけ緊張が解ける。
「前々からね、朋美さんとはお手紙でお話しさせていただいていたの。」
お母さんの顔を見ると、ニッコリと笑っていた。
「私はね、幸子が事故に巻き込まれた時、足の手術で病院にいたの。だから、私が幸子のことを引き取ると、いくら言っても、馬鹿息子どもは言うことを聞いてくれなかった。」
寂しげな表情と、後悔の表情が入り乱れている。
「退院後、朋美さんと連絡をとって、私に引き取らせて欲しいとお願いしたの。けどね、息子らにバレてしまって猛反対されたわ。足が言うことを聞かないのも理由に、結局私は幸子を遠ざけたままにしてしまった。ごめんなさいね…」
そんな過去があったとは、当然ながら知らなかった。
親戚一同から追い出されるように、この街を1人で出ていったから…
だから、たった1人でも、一緒に居てくれようと思っていた人がいることが嬉しかった。
「その後はね、色々と援助させてもらおうかと相談したのに、朋美さんは何も受け取ってくれなかった。」
あぁ…、そうかもね…
お母さん、頑固だし…
「だからね、どうしても困ったことがあったら言って欲しいとお願いして、時々幸子の様子をお手紙で教えてもらっていたの。会いに行きたかったけれど、この足だしね…。協力してくれるのは朱里だけだしね…」
あーちゃんがドヤ顔で答えた。
「免許取ったからね!いつでも会いにいけるよ!車も車椅子が乗せられるようにしてあるから!」
私に…、会いにくるの…?
「どうして…?」
お婆ちゃんは、まるで子供が宝物を自慢するかのような、満面の笑みを見せてくれた。
「自慢の孫娘が、タイトルマッチするのですもの!その試合を見届けるまでは、どんな手を使ってでも生きてみせるわ!」
「お婆ちゃん…」
10年間ずっと…
「今まで何にもしてやれなくって、本当にごめんなさいね…」
応援し続けてくれていたんだ…
「んーん。いいの。こうして出会えて…、良かった…」
私はお婆ちゃんの所にいって、そっと胸に飛び込んだ。
優しく頭を撫でてもらって…、涙が止まらなくなっちゃった…
「あの事件の話しは…、何か聞いている?」
お婆ちゃんの言葉に、ゆっくり首を振る。
「幸子のお父さんはね、誰もが自慢する金属加工技師だったの。ロケット部品も手がけていたのよ。コンマ何ミリなんて加工が出来ちゃう、凄腕だったの。」
お父さん…
「でもね…、会社の経営は苦しかった。色んな人からの援助の話しがあったのだけど、頑固な人でね。私からの話も断られちゃって。その苦しい時期にね、どさくさに紛れて会社を乗っ取ろうとする人と争ってね。お父さんは最後まで従業員を守る為と言って、もしも乗っ取られたらどうなるか分からないからって、最後まで頑張ったけど…」
駄目だったんだ…
「会社が奪われたと確定したのが…、あの事件の日…。後は…、皆が知ってる通りよ…」
お父さんは従業員の為に戦ったんだ…
誰かに頼ることも出来たのに…、本当に馬鹿な人…
「お父さんは許せないけど…、憎んだりしないよ。」
私の言葉にハッとすると、お婆ちゃんは優しく微笑んでくれた。
「ありがとうね…。どうも私の周りには不器用な人ばかりでね…」
お婆ちゃんは、凄く寂しい表情だった。
どんな理由があったにせよ、お父さんがやった事は許される事はない。
誰に何を言われても仕方がないほどの事をした。
死を持って償っているかも知れない。
けれど、関係者に与えた被害は大きかったと思う。
だけど…
理由があったんだ…
それが知れただけでも、お婆ちゃんとお話し出来て良かったと思う。
そっか…
お母さんは、これを伝えたかったんだ…
きっと私は、もう二度とお父さんに襲われる悪夢は見ないと思う。
そう確信した。
その後は昼食を皆でいただいた。
家の中は凄く広くて、部屋なんかいくつかるか分からなかったぐらい。
お婆ちゃんとあーちゃんが居ない時に、こっそり聞いてみた。
「あら?知らないの?ここから見える田んぼと山、全部お婆ちゃんのらしいよ?」
「……………」
「1000万欲しいって言ったら、即金でくれるわよ。」
そう言って意地悪な顔をしていた。
「い、いらないよ!」
「フフフッ、知ってる。」
そんな話しを聞いていたのか、お昼の時には財産の話もしてくれた。
「もう遺言書は書いてあるの。弁護士さんに依頼した正式なやつをね。」
「?」
どうしてそんな話しをするのだろうと、最初は思った。
「その中に、幸子と朱里に譲ることも書いてあるの。」
「それは…」
「受け取ってくれない?」
「もう名字も違うし…。今は秋名 幸子が私の名前だよ。」
お婆ちゃんはゆっくり首を振った。
「幸子はどんな名字になっても、私の可愛い孫なんだよ。」
「お婆ちゃん…」
「だからね、あそこに見える山から、あそこのちょっと尖った山まで、幸子にあげたいの。」
思わず箸を落としそうになった。
「そ、そんなに沢山貰えないです…」
「謙虚なのね。何もバックに詰めて持って帰ってと言っていないわ。」
「私はそんな話しより、来年のタイトルマッチ来てくれるお話しがしたい。」
「幸子…」
「特等席を準備しておくからね!絶対に来てよね!」
「………。ありがとうねぇ…」
「私も行く!」
あーちゃんが目を輝かせて言った。
「勿論だよ!二人分の席を作るね!」
「一昨日の試合、二人で見ていたんだよ。」
あーちゃんが教えてくれた。
「お婆ちゃん、私…、どうだった?」
お婆ちゃんは箸を置くと、真っ直ぐ私を見つめている。
「最高に格好良かった。」
「最高に可愛かった。」
「どんなに苦しくても逃げ出さず…」
「どんなに追い込まれても最後まで諦めなかった…」
「その姿に感動しました。」
お婆ちゃんはニコッと笑った。
「お父さんとお母さんの良いところを、全部受け継いだんだね。これからも大切にしていきなさい。」
その言葉に…
ボロボロと泣いちゃって…
食事中なのも忘れて…
お婆ちゃんに思いっきり抱きついた―――
食事の後はお婆ちゃんとお別れした。
「私も、お手紙書きます。」
「嬉しいわ。でも…」
懐からスマホを取り出した。
「今はブログにつぶやきも、全部見ていますからね。」
ニカッと笑ったお婆ちゃんと、大笑いしながら抱き合った。
その後は、あーちゃんに案内してもらって、花屋に寄ってから、お父さんとお母さんのお墓参りをした。
掃除をして…
お花を飾って…
お線香をあげて…
手を合わせて…
二人が居なくなってからの事を…
独り言のように話した…
辛かったこと…
悲しかったこと…
でも、泣いてばかりいちゃ駄目だって思ったこと…
変わろうとして、勇気を振り絞ったこと…
滝のように流れ落ちた涙が乾いたら―――
新しい旅が始まる―――
「次の旅が終わったら、またお話ししにくるね―」




