第67話 幸子が得たもの
私はどこかで見たことのある街の中を、ゆっくりと歩いていた。
右側には背の高い女性。
左側にはもっと背の高い男性。
両方の手を、それぞれの相手と繋いでいる。
ここは…
私が産まれた街―――
私の手を握っているのは…
両親だった―――
顔は影になってよく見れないけれど、二人共口元は笑っている。
あぁ…
思い出した…
これから近くの公園に、お弁当持って遊びに行くんだ…
幼稚園生の頃は、月に1回は行っていたかも…
広くて、動物もいっぱいいて、池の鯉なんか気持ち悪いぐらい沢山いて…
その時の記憶が少しだけ蘇ると同時に、当時の楽しい気持ちも思い出してきた。
両親とお出かけ出来るなら…
私はどこでも良かった…
二人同時に持ち上げられ、高いたかーいをしてもらって…
あっ…
突然お父さんが頭を抱えて苦しみ出した。
お母さんが心配そうに背中を擦る。
見たことがある風景…
お父さんは、お仕事では誰にも真似できない、凄い物を作っているって聞いたことがある。
でも…
ある日突然、その物が作れなくなって…
それからお父さんは暴力を振るうようになって…
駄目だよ…
お父さん!駄目だよ!!
鬼の形相のお父さんが包丁を振り上げた瞬間―――――
「さっちゃん!!!」
目が覚めると、自分の部屋の天井が見えた。
直ぐにお母さんが覗き込んできた。
「大丈夫?うなされていたけど…」
溢れていた涙を拭き取る。
「………。お父さんの夢を見ていたみたい。」
「そう…。気分はどう?」
「うん、大丈夫。」
お母さんは考える素振りをした。
「そうね。そろそろ頃合いかもね。」
「ん?」
「明日、私とちょっとお出かけしようね。」
「どこに?」
「招待されているの。そこにね。」
場所を言ってくれない事が、ちょっと引っ掛かったけれど、お母さんが言うのなら変な所じゃないと思った。
「わかった。」
「体調はどう?起きれる?もうお昼だけれど、ご飯食べる?」
慌ててスマホを見る。
沢山のメッセージ通知と、電話も何回かかかってきたみたい。
あわわわ…
「取り敢えず、御飯食べる!」
「うん、分かった。」
食欲があることに安心したのか、お母さんはにっこりしながら1階へ降りていった。
部屋着に着替えて、私も1階の居間に降りていく。
直ぐにナナちゃんとマー君に囲まれる。
「お姉ちゃん!すげー格好良かった!」
満面の笑みのマー君。
まるで自分のことのように誇らしげだった。
「お姉ちゃん…」
ナナちゃんに優しく抱きつかれて、彼女はそのまますすり泣いていた。
「どうしたの…?」
「昨日の試合…、感動しちゃって…。私も何があっても最後まで諦めない…」
優しく頭を撫でてあげる。
「良かった…。皆に元気を分けてあげられて。」
ガバッと涙目の顔をあげたナナちゃん。
「手術代…、本当にいいの…?」
「当たり前じゃない。そのためにも頑張ったんだから。」
そう言った途端…、自然と笑顔が溢れた。
「お姉ちゃん…」
再び顔を埋めるナナちゃん。
「後、マー君の食べたいって言ってた10人前のコロッケ!今日注文しに行こうか!」
「マジで!?」
「マジだよ!」
マー君は大袈裟にガッツポーズして、走り回っていた。
何だか変な気分…
いつも助けられていたから…
いつも守られていたから…
それもこれも昨日で終わり。
今日からは、私を助けてくれた人を支えていくの!
だって私は…
落としたものを、全部見つけられたから!
「ほらほら、お昼ご飯にしようか。」
お母さんが軽めの昼食を作ってきてくれた。
笑顔で囲む食卓。
ひまわり荘に来てから、初めて私も笑って食べられた―――
会長から連絡がきて、夕方6時から記者会見だから、30分前にはジムに来て頂戴と言われた。
そう言えば合同記者会見だったね。
それまでは自由時間だったので、不在通知の電話に折り返したり、メッセージの返事を書いたりしていた。
真っ先に、こーちゃんにメッセージを送る。
「おはよ」
少しして返事が帰ってきた。
『おはよー』
何だか照れくさくて、夕方には会うし、返事は返さなかった。
多分、こーちゃんも同じなんじゃないかな…
あぁ…、思い出すだけで顔が熱くなっちゃう…
着信の相手は、クリスさんや常磐さん、沢村さんからもきていたよ。
メッセージは、本当に沢山の人から届いていた。
雪ちゃんを始め、委員長さんや伊藤さん、クラスメイトや商店街の人達、つぶやきにもブログにも沢山のお祝いコメントがあったよ。
暖かい…
無機質なスマホから、目には見えないネットから…
皆の暖かさが伝わってくる…
優しさが私に届く…
そうこうしていたら、玄関から呼び鈴が聞こえてきた。
誰だろう?
「はーい。」
返事をしておいて、玄関の扉を開けた―
「さっちゃん!」
突然飛び込んで抱きついてきたのは、雪ちゃんだった。
「優勝おめでとう!」
「ありがとう…。雪ちゃんのお陰だよ。」
自然とニコッと出来た。
私の笑顔を見た途端、雪ちゃんは口を半開きにしながら、ボロボロと泣き出してしまった。
「さっちゃ…、ウワァァァァァァァン…」
「ゆ、雪ちゃん!どうしたの!?」
「さっちゃんの…、グズッ…、笑顔…、可愛いから!ウェェェエエエエエン…」
「雪ちゃん…」
「ウワァァァァァァァン…」
「そんなに泣かないで…」
「グズッ…、グズッ…」
彼女は本当に良かったと何度も何度も言ってくれた。
心配かけていたんだよね…
「雪ちゃん、ありがと…」
ギューッと抱きしめた彼女も、私を強く抱きしめ返してくれた。
そんな私達を、お母さんは涙ぐみながら見つめていた。
雪ちゃんは、そんなお母さんにも抱きついていた。
「ありがとうね、雪ちゃん。」
「あたいはおばさまのお手伝いをちょっとしただけ…」
二人は多くを語らなかったけど、ずっと一緒に戦ってきたみたいな雰囲気があったよ。
そうだよね…
沢山の人に心配かけていたんだよね…
皆にお礼をしたいけれど、どうしたら良いだろう…
その後は、雪ちゃんが持ってきた昨日の試合のDVDを皆で鑑賞した。
最後のパンチ…
自分でもダウンしたと思うほど崩れてからの、超低空スマッシュ…
凄いパンチだった…
自分で撃ったのが信じられないぐらい…
自分のことなのに他人事のようにポカーンとしちゃった。
「パンチに名前付けないとね。」
「そ、そうなの?」
雪ちゃんの突然の提案だったけれど、少し思案する。
「じゃぁ、トールハンマーにする!」
「おぉ~、格好良い!北欧神話だね!」
「うん!」
何気ない会話でも、自然と出ていた笑顔。
なんだか不思議な気分…
あんなに笑えなかったのにね…
そんなことを感じながらも、今の試合の中で1つだけ不自然な瞬間があることに気が付いた。
それを伝えると、雪ちゃんも気付いていたみたい。
そう、トールハンマーを撃つ直前のこと。
相田さんは、ほんの1秒ぐらい、視線をちょっと外して何かを確認していたんだよね。
最初は時計かと思った。
けれど方向が全然違う…
そんな話しをしていたら、合同記者会見の集合時間が近づいてきているとお母さんに言われあたふた…
結局私達は、全員で三森ジムに向かうことになった。
ジムに到着してみると…
「すげー!」
マー君が驚くのも無理はない。
私自身もびっくりした。
沢山の記者の人達が待っていたから。
何だかテレビカメラみたいなのもあるよ。
確か、クリスさんとの試合前では、3人の記者しかいなかったのに…
今は10倍ぐらい居るかも…
人垣をかき分けて、ジムの中へと潜り込んでいく。
「鈴音選手!昨日はゆっくり休めましたか?」
「今の気持ちはどうですか!?」
「何か一言!」
矢継ぎ早の質問にオロオロしていると、グイッと腕を引っ張られ、人混みを抜けることが出来た。
「後でちゃんとお答えしますので、今はご遠慮ください!」
ビシッと記者達に言ってくれたのは…
「こーちゃん…」
昨日の事を直ぐに思い出して赤面しちゃった…
雪ちゃんと家族の人達も合流し、一旦会長室へ逃げ込んだ。
部屋の中にはスーツでビシッとキメた会長の他に、ラフな格好のレオさんも居た。
「幸子!コノヤロー!!!」
えっ!?
私何か…
!!!
レオさんは優しく抱きしめてくれた。
「よくやったな…。おめでとう…。ジャベリンでダウン奪ったの、すげぇ嬉しかった…。サンキューな…」
「レオさんの想いが…、拳に宿っていましたから…」
「ありがとう…。でもな、お前は1つ、重大なミスを犯した。」
突然の指摘に驚き、レオさんの顔を覗き込んだ。
「ミス…ですか?」
「そうだ…。それはな、ベルトを持ち帰らなかったことだ。」
「でも…、タイトルマッチじゃないし…」
「だからさ。ファンは何を望んでいると思う?お前を応援し支えてくれた人への最高のお礼は何だと思う?」
「……………」
「そういうこった。まっ、幸子が必死になって賞金狙ってたなんてのは、知らなかったけどな。」
「えっと…、すみません、無粋で…」
「何を言ってやがる!」
レオさんは腰に手を当ててから、ビシッと右手人差し指で私を指した。
「ハングリー精神だって、十分過ぎる戦う理由だ。まぁ、一昔前の景気の良い時は、無欲ってのは1つの美徳みてーに言われてたがな。こちとらボランティアでリングにあがれねーっつーの。そうだろ?」
「商売上がったり…、ってやつですね!」
「だな!」
ニカッと笑ったレオさんは、やっぱり格好良いなぁ…
「と、言うことで、これからは俺様とベルト争奪の競争になるぞ。」
「わかりました…。私、応援してくれる人達へのお礼を考えていました。それがベルトならば、全力で奪いにいきます!」
そこへこーちゃんが口を挟んできた。
「二人共凄い自信だけれど、相田さんもあの試合で進化したの、忘れてる?」
「進化?」
「さっちゃんが一番肌で感じたでしょ。最後のKO前、どうやって追い込まれたか覚えてる?」
確か…、前にも後ろにも行かせてもらえず、手を出す前に牽制されて…
「完璧に動きを封じられて…、そこからライトニングボルトが…。あっ…」
レオさんも渋い表情をしていた。
「あれは、まさしく神の左手そのもの。チャンピオンが手に入れた、ハンティングモードの更に上位の状態。それはつまり、神モード…。あれをどう攻略するか…」
「チッ…、幸一は心配性だよなぁ。何とかなるっつーの。」
「本当にそう思ってます?」
「いや…、まぁ…」
流石のレオさんも、神モードの攻略は見えてないっぽい。
「大丈夫。絶対に倒せない人なんていない。また最初から頑張るよ!」
そう言って笑った私に、皆が見とれていて…、何だか急に恥ずかしくなって…
でも、伝わってるって感じる。
私の想いが、ちゃんと伝わってる。
そんな時だった。
雷鳴館の轟会長と、相田さんがやってきた。
いよいよ合同記者会見が始まった。
私の人生を左右するほどの会見になるとは―――
この時は思っていなかった―――
止まっていた歴史が―――
動き出す―――




