第65話 幸子の限界
第3ラウンド前のインターバル―
「さっちゃん!凄いよ!!!」
こーちゃんが驚きと喜びの混じった表情で私をイスに座らせる。
「さっちゃん!よくやった!快挙だよ!歴史が動いたよ!!!」
会長も満面の笑みだった。
でも…
「まだ終わってない…」
私の言葉に二人共頷いた。
「そうだね。最後の雰囲気、間違いなくハンティングモードに入ってるよ。」
「俺は嫌な予感がしている。」
突然会長が呟く。
「何を言ってるんだい!さっちゃんは、あのチャンピオンからダウンを取ったんだ!誰も出来なかったことを…」
興奮するこーちゃんの言葉を会長は遮った。
「だからこそ不安なんだ。」
私は気になって会長の言葉を待つ。
「………。あいつの計算は既に狂っていた。そこへダウンだ。もう相田の中では、勝つための試合運びなんか飛んでしまっているはず。それなのにハンティングモードだと?神様でも化物でもなく…、鬼神を呼び起こしてしまったかもしれん。」
「親父、大袈裟だよ。」
私も何か引っ掛かっている。
「大袈裟じゃないかも。相田さん、起き上がってニヤリと笑ったんだよ…」
「マジで…?」
コクリと頷く。
「さっちゃん…」
会長は神妙な顔つきだった。
「もしも相田が暴走したと直感したら、ダウンするんだ。そのまま起きなくていい。」
「親父!」
「あいつの技術を持ってすれば、1人のボクサーを再起不能に追いやることも、無理ではない。」
「ちょっと待てよ!」
こーちゃんが大きな声で会話と止めた。
「逆に考えれば、これは一生に一度あるかないかのチャンスだろ!それだけ混乱したチャンピオンなんか、もう二度と無いかもしれないだろ!」
二人は私の顔を覗き込んできた。
「会長の助言は胸に仕舞っておきます。もしもの時は…」
「さっちゃん!」
こーちゃんが慌てた。
「でも、今はこーちゃんの言うように攻めたいの。相田さんがニヤついた時、私もニヤついちゃったの。私じゃない誰かが、戦えって囁くの…」
こーちゃんと会長が顔を見合わせた。
そして会長が告げた。
「さっちゃん、それはさっちゃんの中に隠れていた、闘争本能だよ。」
「闘争本能?」
「そう。さっちゃんが本来持っている、戦うって意思。その気持に従って…」
「セコンドアウッ!」
会長がイスを降ろし、こーちゃんが慌ててリングを降りる。
「兎に角、これはチャンスなんだ!夢を…、叶えてこい!!!」
「はいっ!」
カーンッ
第3ラウンドが始まった。
前ラウンドと同様に、相田さんはギラギラしながら突っ込んでくる。
ただし、前のように我武者羅に突っ込んでくる訳ではない。
鋭くコンパクトなパンチを、上下に打ち分けながら翻弄してくる。
全然撃ち返せない…
隙がまったくないよ…
怖いぐらいに完璧…
少しずつガードが間に合わなくなってくる…
反撃しなくちゃ!
ズバンッ!
くっ…
無理に逝けば、いいの貰っちゃう…
どうすれば…
相田さんは、まだ私を解析しきってないはず…
だから…
今まで見せたことの無い攻撃で…
そう考えたけれど、簡単に見つかる訳もなく、ただただ必死に防御しながら反撃のチャンスを狙う。
バンッ!ズバンッ!!
だけれど被弾がどんどん増えていく。
こうしている間にも、チャンピオンは私の癖や思考を解析していっている。
こうした混乱から抜け出すには…
スマッシュが…
あっ…
これは絶対に狙っているはず。
散々やられてきたじゃない。
なら、こっちも細かいパンチで…
強引かつ突然のショートスマッシュを放つ!
シュッ…
!?
ズバンッ!!!
耳がキーンとする…
モロにカウンター貰っちゃった…
!!!
体が発した危険信号に、無意識に反応する。
突然ダッキングすると、頭上を勢い良くストレートが通り過ぎていく。
バタバタバタッともつれそうになりながら距離を取った。
ハァ…、ハァ…
相田さんは休ませてくれない。
短期決戦。
チャンピオンからは明確な意思が突きつけられている。
凌ぎきれば勝機がある?
ダメダメ…
今まで対戦した、どの人よりも鋭く容赦がなく、確実にKOに導くパンチが飛んできているんだから。
逃げちゃ駄目…
立ち向かわないと…
ズバンッ!ズバンッ!!
手を出せば確実に反撃されるような状況。
頭がクラクラしてきた…
こっちも防御からの反撃を狙うしかない!
!!!
パ、パリィ!!!
ズドンッッッ!!!
強烈なストレートが顔面を襲った。
ガクガクッと左足が膝が笑いそうになる。
両手で無理やり抑え込んで、直ぐに回避する。
そこにはトドメを刺そうと、相田さんが勢い良く突っ込んできていたから。
カーンッ
第3ラウンドが終了した。
ハァ…、ハァ…、ハァ…
息をするのも辛い…
フラつきながらも、何とかコーナーに戻ってきた。
珍しく会長が先に話しかけてきた。
「さっちゃん…、相田はどんどん戦闘マシーンになっている。ここで棄権する勇気も必要だぞ。」
「私…、そんなに…、ボロボロ…?」
二人は黙っていた。
「俺はさっちゃんの戦いを見守る。俺はさっちゃんから逃げないから。だからさっちゃんが逃げても、俺はそれも受け入れる。」
あぁ…、やっぱりボロボロなんだ…
二人が心配するほどに…
「私は…、倒れるまで…、戦いたい…」
「さっちゃん…」
「だから…、もう少しだけ…、元気を頂戴…」
私は両手を少し浮き上がらせて、目の前にいたこーちゃんをゆっくりと抱きしめた。
あぁ…、こーちゃんの匂いがする…
「こーちゃん…、私…、まだやれることあるかな…?」
「あるよ!」
根拠のない彼の言葉なのは理解しているつもり。
けれどね…
元気が湧いてくるの…
冷静になっていくのが分かる。
ギューッと抱きしめて、ガバッと体を離した。
「わかった。やってみる!」
「………。よしっ!やれること、全部やってこい!!!」
そう言った時のこーちゃんは、いつもの顔をしていた。
「さっちゃんの拳は、まだ死んでないぞ!」
「はいっ!!!」
カーンッ
第4ラウンド―
相田さんは確実にKOを狙いにきている。
いつもの自分でいつものように。
だから混乱を誘うような攻撃が出来れば…
一瞬、雪ちゃんの顔を思い出した。
あっ、そうだ…
『なんと!フライ級を代表するインファイターである鈴音選手が、アウトボクシングでチャンピオンに遅いかかる!!!』
インファイトを宣言した相田さんに対してのアウトボクシング。
少しでいい、混乱してくれれば…
そう願った瞬間―――
相田さんが距離を取るか、懐に飛び込むか、一瞬だけ迷って飛び出そうとした足を止めた―――
私は迷わず飛び込んだ!!!
『アサルトランス!!!』
ドフッッッ!!!
綺麗に決まった!
かーらーのー!!!
『シューティングスター!!!!』
ズドンッ!!!
今度はモロに入った!
これでトドメ…
ブオンッ!!!
!?!?
『あぁーーーーーっと!!!チャンピオン2度目のダウン!!!こんな事が…、神とまで呼ばれたチャンピオンが一晩で2度のダウンです!!!』
ハァ…、ハァ…
もう息をするのも苦しい…
お願い…
もう立ってこないで…
手足の感覚が、ほとんど無いよ…
『鈴音選手のフィニッシュブローは、どれもこれも1級品であります!しかし、1撃で沈められず、2発入れたところでダウン!3発目のジャベリンまで入っていればKO確実だったかも知れませんが…、チャンピオン…、静かに立ち上がってきます!!!』
なんて人なの…
心が折れそうになる…
思わず天を仰いだ―――――
(幸子…、強くなりなさい―――)
お母さん―――――
そこから見ていて―――――
相田さんは再び立ち上がってきた。
その目は…
ギラギラしていなくて…
怖いぐらい穏やかだった…
私達はお互いが近寄っていき…
手の届く距離でピタリと止まった…
そして…、同時に腕を振り上げた!
ズバンッ!
!?!?
私は何が起きたのか理解出来なかった。
相田さんは、いつものスタイルで左ジャブを撃ってくるだけなのに…
前に出ようとしても止められる。
後ろに逃げようとしても詰められて撃たれる。
カウンターを狙っても、撃たせないよう牽制される。
強引に撃とうとしても、まるで分かっているかのように牽制のジャブが…
左ジャブだけで…
私の動きが封じ込まれていく―――
『神の左手…』
完全に身動きが取れなくなった時―――――
神の右手が容赦なく降り注いだ―――――
『これはもう一方的だ!!!まさしく神モード!!!ボクサーとしての理想形が、今、このリングで再現されていく!!!』
は…、反撃出来ない…
膝が…、崩れちゃう…
まだ…、戦えるのに…
バンッ!!!ズバンッ!!!
『チャンピオンのワンツー!!!あぁーっと!!!これは!!!!ライトニングボルトだぁぁぁああああああ!!!!!』
ガードも出来なくなった、ぼやける視界の向こうで、相田さんからのオーラが一段と強まった時、まるで電撃のような感覚が体を貫き…
私は全ての感覚から切り離されてしまった…
真っ暗な視界。
音も何も聞こえない。
手足の感覚もなくて、立っているのか寝ているのかも分からない。
ここは…、どこなの…?
(幸子、強くなる約束…。諦めちゃうの?)
お母さん―
(あなたは今、1人じゃないでしょ?)
でも…
(あなたが恩返しをしたい人達の心を感じなさい―――)
私は…
会長に認められて、ボクサー人生が始まった。
ベルトはもう少し後になっちゃうけれど、恩返ししたい大切な…
お父さんのような人だった―――
「さっちゃん!倒れちゃ駄目だ!」
突然会長の声が耳元で聞こえた。
あんなに倒れたっていい、逃げてもいいって言ってくれてたのに。
つまり…
今倒れたら、二度と立てないってことだよね。
でも手どころか足の感覚がないの。
まだ立っているかも…、わからないの…
ギュッ…
!?
突如右足の足の裏の感覚を感じた。
あっ…
私…、まだ立ってる!
直ぐに左足の感覚も戻ってきた。
すばやく右足を引き、倒れそうになっている体を支える準備をした。
でも…、体に力が入らない…
「さっちゃーーーん!!!」
ボロボロと泣きながら、必死になって観客席から応援するお母さんの姿が頭をよぎる。
太陽でもあり、満月のようでもある、私を根本から救ってくれたお母さん。
私もあの人のようになりたい。
なりたい!!!
ドクンッ!
大きな鼓動が鳴り響くと、連続して脈を打っていく。
みるみる力が溜まっていくのが分かる。
「幸子!まだチャンスはあるぞ!!!」
レオさん…
先輩には、沢山の大切なことを教わりました。
生きるって大変だけど、自由なんだって。
いつも自然体なのに格好良くて…
命とも言えるジャベリンを私に託してくれて…
それなのに…、まだ私は相田さんを倒していない!
心臓から送られた血液が勢い良く全身に広がっていき、体の感覚が戻っていきながら力がみなぎっていく。
「さっちゃん!今こそスマッシュだよ!!!」
雪ちゃん…
ライバルだけど親友で、殻から抜け出した生まれたてで幼稚な私を色んな所に連れていってくれた。
初めての友達―――
また戦うって約束した!
ギュッゥゥゥ!!!
拳の感覚!!!
これで!これで最後の力を振り絞ってスマッシュを撃つんだ!!!
でも…
目が…、何も見えないの…
真っ暗なの…
「さっちゃん!いけぇぇぇえええええええ!!!!」
こーちゃん…
こーちゃん…
こーちゃん…
私を導いて…
こーちゃん!!!
刹那―――
突然視界に映った相田さんに向かって―――
拳に宿る全ての想いを握りしめて―――
迷うこと無く天に向かって突き出した―――――――




