第63話 幸子の原点
目の前には大きなドア。
この扉が開いた時、いよいよチャンピオン相田さんとの戦いが始まる。
心臓が頭のてっぺんまで登ってきて、さっきから煩く鼓動が響く。
緊張してるから?
んーん、今すぐ戦いたいほど興奮してる。
だって…
新しい青いグローブ、白地に青のラインが入ったシューズ…
そして、格好良い青のボクサーパンツ!
シャツを着ているから見せられないけど、ボクサーパンツとおそろいのスポーツブラ…
全部こーちゃんがデザインしてくれた、オーダーメイド!
つまり…
世界に一つだけしかないってこと!
こんなに嬉しいプレゼントが貰えるなんて思ってもみなかった。
こーちゃんが一瞬驚いた表情をしている。
「どうしたの?」
「あっ…、ちょっと驚いちゃって。初めて見たから。」
「ん?」
「さっちゃんが…、にやけてるから…」
!?
どうやらにやけていたみたい。
でも…、笑い方は思い出せない…
不意に肩にこーちゃんの手が乗る。
「大丈夫。俺を信じて。」
「うんっ!」
係の人がそろそろだと伝えてくれる。
ドアの向こう、リングの方からアナウンサーの声が聞こえる。
まるで妖怪かモノノ怪が登場しそうな紹介だったよ。
そんなの、もう慣れっこなんだけどね。
バタンッ!
真っ暗なホール。
私だけ浴びているスポットライト。
フード付きスケルトンマントで光を遮る。
ドライアイスが足元を漂い、まるで雲の上を歩いている気分。
間一髪入れて、エレキギターが激しく鳴り響き、ドラムの音が体を震わせる。
ドコドコドコドコ『ハイッ!』 ドコドコドコドコ『ハイッ!』 ………
薄っすら見えるホールには、沢山のスケルトンさん達が、合いの手に合わせて拳を突き上げる。
私も同じように右拳を突き上げる!
前に居るこーちゃんも、黒光りする大きな鎌を突き上げる。
後ろの会長は、完成したばかりのスケルトンの旗を高々と持ち上げた。
ゥワワワァァァァァアアアアアァァァアアアアアアア………
ホールを揺るがすほどの大歓声と、大きく激しくなっていく合いの手。
1年前はパソコンの画面で見ていた、クリスマスバトル決勝戦。
夢のようだった…
こーちゃんがゆっくりと進むのに合わせて、私も歩みを始める。
花道の両脇からは、見知った沢山の顔が声を掛けてくれた。
どんどん勇気ゲージが上がっていく。
皆の声に支えられながら、ゆっくりとリングに上がった。
そして直ぐに両手を勢い良く突き上げた!
ワァァァァァァアアアアアアアア!!!
ゆっくりと1回転し、ホール全体を見渡す。
本当に沢山のスケルトンさん達が、何かに向かって叫んでいる。
あっ…、私に向かって叫んでいるんだ…
私に期待しているんだ…
2、3週間前の私なら、うずくまって動けなくなるほどの重圧。
こんなに強いプレッシャーを受けたことがなかったから。
これだけの期待を掛けられる今日の舞台は、夢にまで見た決勝戦。
そして私は、どうしてここに立っているのかを思い出した。
私は変わりたかった―――
私は強くなりたかった―――
私を助けてくれた人、全員に恩返ししたかった―――
それが―――
私がリングの中で探す幸せだったから―――
そして運営の女性からマイクを渡される。
「……………」
ここで話すことを考えていたはずなのに、頭の中が真っ白で何も思い浮かばない。
だったら…
今、感じていることを伝えよう。
「皆さん、こんばんわ!」
『こんばんわー!!!』
大勢の人が挨拶を返してくれる。
予想外の反応に、ちょっと焦ったけれど、とても不思議な気分…
「今日は、私達の試合を観に来てくれてありがとうございます!」
ワァァァアアアアアア…
何かを伝える度に、大きな歓声があがっていく…
「1年前は自宅で観戦していた決勝戦というリングに立てたことは、今でも現実味がなく不思議な気分です。」
「だけど…、これから行われる試合は、今まで自分が経験したことがないほど過酷なものになると思っています。」
ホールの空気が一変して、静かになっていく。
「リングに逃げ場はない、よく言われた言葉にあるように、どこにも出口はありません。だけれど…」
スゥー
大きく息を吸い込んだ。
「私は逃げません!だって!今!戦いたくてワクワクしてるのだから!!」
ワァァァァァァアアアアアアアア!!!
「何故かと言うと!見てください!自慢しちゃいます!今日のユニフォーム新しいでしょ?大好きな人が作ってくれた世界で一つしかない!私しかもってないんだから!!!いいでしょーーーー!!!!」
可愛いとか格好良いとか羨ましいなんて叫びが聞こえてきた。
「この大切なユニフォームを着て、私は、今日、ここで!私が願う幸せを叶えたいと思います!」
ワァァァァァァアアアアアアアア…
『最後まで応援するよー!』
『叶える瞬間を見届けるからー!』
沢山の温かい声援に…
込み上げる想いが溢れてくる…
カァーッと体が熱くなり…
胸の前でギューッとグローブの上から拳を握った―――
「会長が言っていました…。私の小さな拳には沢山の人の想いが宿っているって…。そして、その拳で大きな夢を掴むんだって!!!それを信じてここまでやってきました…」
涙ぐむほど感情が高ぶっていく―――
「そして私は、立っていられる限り戦えると信じてきました!だから!!!」
そして想いが弾けた―――
「立っている限り応援してください!どんなにフラついても!弱々しいパンチしか撃てなくても!倒れるその瞬間まで!どうか!皆さんの声援で背中を押してください!私は!その声援が聞こえる限り!!戦い続けてみせます!!!最後まで諦めずに戦ってみせます!!!そして!チャンピオンを倒してやるんだから!!!」
勢い良くマイクを持ち上げてマットに叩きつけ…
あっ…、ちょっと待って…
マイク壊しちゃったらどうしよう…
あっ…
なんだかオロオロ、キョロキョロしちゃって…
こんな事を考えてしまった事に、急に恥ずかしくなって…
顔が真っ赤になっているのが分かる…
どうしようどうしよう…
もういいや!
ええーい!!
ポンッ
恥ずかしがりながらポイッとマイクを叩きつけた!
ワァァァァァァアアアアアアアア!!!!!
何故か可愛いと色んなところから叫ばれて、もっと恥ずかしくなっちゃった…
両拳を胸で抱えながら慌ててコーナーに戻ってきた。
こーちゃんも会長も大笑いしている…
「凄くいい感じのマイクパフォーマンスだったよ。」
会長がフォローしてくれた。
「これで…」
「これで?」
「グッズの売上倍増間違いなし!」
「もう!」
「決勝戦が決まって、いっぱい売れたからね。今度は大鎌のキーホールダー売るから!」
「す、好きにしてください!」
「商売の話は後にしよう、親父。」
「こーちゃん…」
「さっちゃんが幸せを叶えるって言った時、俺も腹をくくったよ。」
「………」
「やってやろうじゃん!神様退治!」
グッと拳を突き出したので、私もグローブで軽く合わせた。
徐々にホールが暗くなり、赤コーナー側の花道にスポットライトが当たった。
今日も入場曲はないみたい。
静かに扉が開いていく…
ワァァァァァァアアアアアアアア!!!!!
私の時と、負けず劣らずの歓声が響く。
そしてファンの人達は、チャンピオン相田さんへの思いの丈をぶつけていく。
『世間知らずの小娘に厳しさを教えてやれ!』
『1ラウンドKOを見に来たぞ!』
『伝説は終わらない!!!』
『完璧で美しいお前のボクシングを見に来た!』
彼女にかけられる言葉は、どれもこれも私なんかじゃ達成出来ないほどのオーダーばかりだった。
経験…
私には無く、相田さんだからこそ積み上げてこられた貴重なもの。
戦う前から実力の差を感じてしまう。
「さっちゃんには勢いがあるから。それは相田さんにはもう無いもの。経験だけで勝てるなら、100歳のおばあちゃんの方が強いことになっちゃうよ。」
こーちゃんの冗談混じりの言葉は、少しでも私の不安を取り除いてくれる。
そうだよね。
始まる前から負ける必要はないよ。
威風堂々。
そんな言葉が似合う仕草でリングに上がってきたチャンピオン。
14年間負け無し―
その間ノーダウン―
凄まじい記録を引っさげて、今日も1勝をもぎ取るだめだけに登場したかのようだった。
マイクを渡される相田さん。
「今日はいつも以上の声援、ありがとう。」
ワァァァァァァアアアアアアアア!!!
「今日の対戦相手は、今までにいないタイプかも知れない。けれど、男子相手にしっかりと対策を練ってきた。」
ゆっくりとホールを見渡す。
「後は…、自分との戦いだけ…」
やはり相田さんは、私のことなんか眼中にないみたい。
「宣言しよう!今日はインファイトで戦うことを!!!」
ワァァァアアアアアア!!!
大きな歓声が上がった。
相手の土俵で戦うチャンピオンの姿に、酔いしれるファンの人達…
けれど私は知っている。
公平公正な試合内容で、負けたいと願っていることを…
それは普通の人なら奢りだと思われるかも知れない…
でも彼女は…
地上に降り立った、ボクシングの神様―――
「では皆さん!ゆっくりと楽しんでいってください!!!」
ワァァァアアアアアア!!!
大きく揺れるホールは、異常なほどの熱気を帯びていった。
観客の興奮が伝わってくる。
その空気は、私も相田さんも感じ取っている。
レフリーに呼ばれ、私達はリング中央に歩み寄る。
「反則には十分注意して…」
注意事項を言われている間も、私達は見つめ合っていた。
レフリーが話し終えるのと同時に相田さんがグローブを差し出してくる。
私も合わせて、軽くタッチさせた。
「今日の試合、楽しみにしていた。お互い全力を尽くそうじゃないか。」
王者らしい言葉だった。
「はいっ!でも私は相田さんに、ボクシングで伝えたいことがあります。」
「ほぉ?」
「あなたは神様なんかじゃない、普通の人間なんだって。」
「フフフ…。面白い事を言う。元から私は人間だ。」
「果たして、そうでしょうか?」
グローブを離し、相田さんの言葉を待つこと無くコーナーへ戻っていった。
「今日の作戦は、兎に角スタートダッシュが肝心だよ!」
「はいっ!」
「本気モードになる前に一発轟沈を狙う!」
「はいっ!!」
「夢を…、叶えるぞ!!!」
「はいっ!!!」
カーンッ
いよいよ始まる―――
私の旅の終点に向かって―――
夢を掴む戦いが―――




