第61話 レオが託したもの
リングの中では、見えない何かと必死に戦う幸子の姿がある。
お袋さんや池田のお陰で、何とか立ち直りつつある。
それでもいまいち乗り切れてない。
プレッシャーか…
俺様とは無縁だったな。
まだまだ不安定な印象だが…
まぁ、でも、頃合いだな。
というか、時間がない。
俺は今夜幸子に、大切な事を伝えることにする。
まぁ、これをどう使うのか、それとも使わないのかは、あいつ次第だ。
とは言え、こいつは俺様にとっても大切なもんだ。
くれてやってもいいが、せめてもう少し覚悟ってもんが見たいもんだ。
「いっちょスパーでもやるか?」
そう声をかけると、真っ直ぐな眼差しで「お願いします!」と言ってきた。
随分とやる気オーラが戻ってきてやがる。
しかし…
拳を交えれば直ぐにわかる。
こいつが怯えていることに…
一体何に怯えてやがる?
1年生ルーキーがここまでやれただけでも、十二分にすげーことだぜ?
流石の俺様にも無理だったかも知れない。
日本女子ボクシングに、男子のような階級別の公式なランキングはない。
相田がチャンピオンだが、成績から考えればランキング1位は俺かサウスポーの山中辺りになるだろう。
そっから下は興味ないが、常磐辺りが入ってくるだろうし、その下には愛野もくるだろう。
大里辺りも、まぁ、実績としてはランキング入りしていてもおかしくない。
その名だたる面子を、このルーキーはほとんど倒しちまったんだぜ?
勢いだけなら、チャンピオンに挑戦したって全然おかしくねー。
周りの奴らは幸子の事を、凄い新人ぐれーにしか見てねーが、俺や会長は違う。
とんでもねぇもん拾っちまったってな。
普段のこいつからはまったく想像出来ねーが、闘争本能も高いし、戦う為のセンスもいいもん持ってやがる。
まぁ、今回のようにメンタルには不安があるが、それもこれも経験がカバーすることになるだろう。
過去には色んな不幸が重なったが、結果的に見れば、こいつはその不幸を克服しようとする過程で、自分自身を大きく成長させる結果になった。
これは一体なんなんだ。
あってはならない事が起きている。
その張本人が、一体何を恐れるのだろう?
俺様だったら、悩む前に世界を目指すだろう。
そのぐらいの事が起きている。
そんな奴が何に恐怖するのか、個人的には興味もある。
「幸子!」
「は、はいっ!」
「そんなに怖いか?」
「………」
「何なら、俺様が変わってやろうか?」
「あっ…、いえ…。自分でやります!」
ふーん。
いっちょ前にやる気だけはあるんだな。
まぁ、それを聞いて少し安心した。
スパーは一進一退の体で、2ラウンド目に入る。
頑張ってはいるし気合も十分だが、やはりどこかぎこちない。
空回りしている感は否めない。
心と体のギヤが、全然噛み合っていないな。
いつも見え隠れする、恐ろしい程の芯の強さが、今は見えない。
これが原因だろうな。
何かに怯え、自分の長所が何だったか忘れてしまっている。
幸子のお袋さんの助言から、回復方向に向かっているのは間違いない。
まぁ、あの満月みてーな人に照らされたら、どんな奴でも癒やされてしまうだろう。
それと、池田の気分転換ってのも良く効いてやがる。
不安は一気に小さくなったように見える。
カラオケ行っただけだと聞いたが、同年代だからこその理解もあって、上手くリードしてくれたのは間違いない。
それでも尚、怯えてやがる。
流石に腹立たしいが、誰しも歩くペースってもんがある。
こいつを無視してはいけない。
無謀なペースで無理やりすすんだ為に、本来のペースを取り戻せなくなってしまうことも、時々聞く話しの一つだろう。
この辺は、想像以上にデリケートな部分だ。
何せ、目に見えないからな。
自分のやったことが良かったの悪かったのか、結果が出た時には、大概後の祭りだ。
取り敢えず、幸子の現状は把握出来た。
スパーを終わらせる事にする。
あからさまなフェイントから、ガード上等と言わんばかりに、強引に撃ち込んでいく!
ズドンッ!!!
鈍く強烈な感触が体内を駆け巡る。
絶好調のこいつなら、スウェーで交わして反撃してきたかもしれねーな。
ヨロヨロッとしたが、真っ直ぐな瞳で俺様を睨み返してくる。
本当に怖い奴だ。
普通なら戦意が落ちるだろうに…
カーンッ
丁度タイミング良くラウンドが終了する。
「今回はここまでだ。」
「えっ?でも…」
「もっとやりたいのは、何となくだが伝わっている。だがな、拳がなまくらじゃぁ、いくらやっても同じだ。」
「すみません…、不甲斐ないばかりに…」
「ふんっ!何を言ってやがる。いいか、お前はもう相田と戦うための、十分な能力を持っている。不甲斐ないとか言うな。」
「………。はい………」
「少し想像してみろ。そんな弱気発言していると、愛野や常磐や池田が悲しむぞ。お前はそいつらに勝ったことを忘れるな。」
「はいっ!」
「明日から相田対策の特訓をする。心の準備だけはしておけ。」
「ありがとうございます!」
律儀にペコリとお辞儀をしてきた。
可愛い後輩の頭を撫でて、今日の俺様はトレーニングを終えることにする。
怪我はほぼ治ったけどな。
念の為というか、万全を期す為というか、極力痛めた足を労っているつもりだ。
本格的な練習再開は来月の1月からになるだろう。
そうなったら、ガンガン鍛えるからな。
そうなると、暫く遊ぶ時間はなくなるな。
クリスマスバトルが終わったら、食事会でもやってやるか。
その場が残念会になるか祝賀会になるかは、こいつ次第ってことになる。
負けても特に変化はないだろうが、もしも勝ったならば、ボクシング会がひっくり返るほどの衝撃が各地を走ることになるだろう。
ニヤリ…
思わず不敵な笑みが溢れる。
なかなかおもしれー事になってきたよな。
これが俺様自身の手でやれないのが残念だがな。
縄跳びや筋トレをしている幸子にが休憩に入るようだ。
ここぞとばかりに更衣室へ連れ込んだ。
「今夜、練習が終わったら少し付き合え。」
「わかりました!」
「1人で来いよ。」
「はいっ!」
何も詮索したり、疑ったりしないで懐かれると、何というか信頼されているのだろうけど、変な気持ちになるな。
つか、多少は疑えよな…
良い人過ぎて、詐欺みたいな奴らにコロッと騙されるパターンだぞ。
………
まぁ、周りの奴らがほっとかないか。
幸子はそういう星を持っているようだ。
まったく…
羨ましいばかりだぜ。
練習が終了し、ジムの中には俺と幸子だけが残った。
幸一は夕飯の準備でいない。
会長は、会長室に引っ込んでいる。
お互い練習着にグローブも装着している。
「お前が池田と戦う前に、勝ったらプレゼントをやると言ったこと、覚えているか?」
「あっ…、そう言えば…」
こいつ…
パニくって忘れてやがったな?
「まぁ、いい。さっそくそれをお前にやる。使うか使わないかは好きにしろ。」
「はい…」
一体何の話しなのか見えてない顔をしているな。
「こっちに来い。」
サンドバックの前に連れていく。
「ちょっとフックを撃ってみろ。」
「左右どっちのですか?」
「どっちでもいい。いや、右でやってみろ。」
「はい!」
直ぐにリズムを取り、構える幸子。
1年前にこいつが来た時は、まさかこんな事になるとは思わなかったな。
ほんと、大した奴だ。
テンポ良く、右フックを入れていく幸子。
汗が飛び散り、叩かれたサンドバックが小さく揺れる。
「どうですか?」
「全然駄目だ。」
「えっ!?」
「もっと腰のひねりを入れろ。ちょっと大袈裟なぐらいがいい。ほれ、やってみろ。」
「は、はい!」
ズバンッ!
ズバンッッ!!
「なかなかいいぞ。だがな、これでも駄目だ。いいか、体のひねりよりも後にパンチも繰り出せ。鞭のようにしならせろ。」
「でも、それじゃぁ、撃った後に隙が出来ます。」
「そうだな。だが、これはそれでいい。犠牲にしても得るものがある。まぁ、やってみろ。」
ドスンッッッ!!!
「ほぉ、やっぱり幸子が撃つと違うな。よしっ、もう少し手を加える。ある程度体に馴染む程度には撃っていくぞ。」
「はい!」
それからどのぐらいサンドバックを撃ち続けただろうか。
俺は幸子が放つ右フックに、少しずつ改良を重ねていき、完成形を目指していく。
兎に角この右フックは、ひねってからの反動を利用している。
色んな箇所を同時にひねり、開放していく必要がある。
慣れないと、どこかを忘れてしまう場合もある。
だから、体が覚えるまでやらせた。
「よし、仕上げだ。今までの全部をしっかり頭に叩き込んで、思いっきり撃ってみろ!」
「……………」
幸子はサンドバックを前に、うつむいてしまう。
「どうした!撃ってみろ!」
ガバッ!!!
!!!!!
こいつは泣いていた―
豪快に泣いていた―
「撃てません!これは…、このパンチは…、レオさん自身で…、レオさんの代名詞で…、レオさんがレオさんたるパンチじゃないですか!」
「そんな大袈裟なもんじゃねーよ。ただの右フックだ。」
「嫌です!これを撃っちゃったら、レオさんがレオさんじゃなくなって…」
「馬鹿野郎!」
「………」
「これは会長にも許可を得てある。それに、俺様の意思だ。だから頼む…」
「………?」
「こいつを持って、相田の野郎をぶっ倒してこい…」
「でも…」
「相田は時間とも戦っている。もう試合しないかもしれねぇ。そうなったらよ、もう二度とジャベリン撃ち込んでやれない可能性もある。だから…」
幸子は情けないほど豪快に泣いていた…
「俺様の想いも、お前の拳に乗せてくれないか?相乗りで構わない。リングに持っていって欲しいんだ…」
「レオさん………」
「嫌か?」
「レオさん!!!」
「最初に言った通り、使うのか使わないのかはお前に任せる…」
「見ていてください!!!」
ドッッッ―――
静かなジムの空間を切り裂くように放たれた、幸子によるジャベリンは―――
ありえないほどの破壊力を持って、サンドバックを大きく揺らしていた―――
そして―――
真剣な表情で俺を見る幸子は―――
「絶対に!ジャベリンでチャンピオンをマットに沈めてみせます!!!」
そう言って―――
涙を撒き散らしながら―――
俺に抱きついてきた―――
「楽しみにしておくぜ。」
「はいっ!!!」
返事は一人前だったが、その後は大泣きする幸子。
バカだなぁ…、そんな大袈裟なもんじゃないだろ…
けどな、すげぇ嬉しいぜ―――
あぁ…、こんなに嬉しいことはないぜ―――




