第59話 朋美の大丈夫
スマホの画面には、和ちゃんからの長い長いメッセージが映し出されている。
あらあら…
さっちゃんの不安を超える、希望を与えて欲しいって…
これまた無理難題を持ってきたわね。
けれど、大丈夫。
和ちゃんと、さっちゃんの友達の星野さんがキッチリ問題点を洗い出してくれたからね。
これでも和ちゃんが現役の時は、散々励ましたり、檄を飛ばしたり、ケツを叩いたり蹴飛ばしたりと、色々とメンタルケアしてきたものよ。
その経験が生かせそうね。
要は、さっちゃんが進むべき本来の道へ、ちょこっとだけつま先を向けてあげればいいの。
後は勝手に正しい方へ歩いていけるように。
でも時間がないわね。
確実に軌道修正してあげないと…
そろそろ帰ってくる頃かしら?
メッセージを見てから、夕食の準備を止めているの。
台所は二人で色んな会話をしてきた、大切な場所。
今日も活用させていただくわ。
ガラガラ…
帰ってきたわね。
玄関のドアを開ける音からも、元気がないことが分かる。
勢いがなく、弱々しい。
相当やられちゃってるわね…
「ただいま…」
小さな声でさっちゃんの声が聞こえてきた。
よしっ!
各員戦闘準備!
一人しかいないけど!
………
いざ!戦闘開始!
「さっちゃーん!ちょっと台所手伝ってぇ~」
「はーぃ…」
いつもは荷物を二階の自分の部屋に置いてから台所に来るのに、今日は居間に放り投げてきた。
いつもの自分じゃなくなっている。
見失っているってこと。
対象を目視で補足!
あれま…
随分と落ち込んでいるのね。
これは相当深いわ。
まずは意識をボクシングから一旦外す。
「今日はね、肉じゃがと、ほうれん草のおひたし、お味噌汁と…、後、アジを焼きましょ。安かったのよ。」
「うん…」
いつもよりメニューを多くして、兎に角料理の方へ気を逸らせることにする。
「ほら、お出し取って…。ほらほら、肉じゃが煮詰まっちゃうよ!あっ!アジが焦げちゃう!」
わざと色々と振って、料理に集中させる。
一旦ボクシングの事から離れてもらわないと、話にならないわ。
あたふたと料理をすすめるさっちゃん。
段々と集中してきたみたい。
気が付けば、いつもの調子で料理をこなしていく。
うんうん。
やっとリラックスしてきたみたいね。
そろそろ頃合いかな?
「さっちゃん、元気ないわね。」
「う…、うん…」
「もしかして、幸一に嫌われるようなことしちゃったとか?」
「えっ!?ち、違う………、でも…、もしかして…、嫌われちゃうかも…」
そう言うと、ポロポロと泣き始まっちゃった。
「ほら、泣かないの。何があったの?」
さっちゃんは、詰まりながらも、少しずつ思いの内を吐き出していく。
「私ね…、ぐずっ…、怖いの…」
「怖い?どうして?」
「負けちゃったら…って思うと…」
なるほどね。
「さっちゃん。それはね、プレッシャーって言うの。」
「………」
「誰もが通る道よ。さっちゃんだけじゃない。レオちゃんだって雪ちゃんだって、相田さんだって通っている道なの。」
「でも…」
「大丈夫。誰だって大切な試合前は不安になって、色んな事がプレッシャーになっちゃうの。応援してもらったり、指導してもらったり、色々してくれた人達を裏切っちゃうんじゃないか、負けたら今までの自分が無くなっちゃうんじゃないか、見放されちゃうんじゃないか…。色んな事を考えちゃうよね。」
さっちゃんは俯いて泣き続けている。
「そんな時、最後に何にすがればいいと思う?」
彼女はゆっくり首を振る。
「自分なの。どれだけ練習を積んできたか、どれだけ指導を信じられるか、どれだけファンの気持ちに答えようとするか…。さっちゃんは自分を信じられる?」
細かく震える姿からは、到底信じられないといった雰囲気だった。
そうよね。
今までボクシング以外は全部逃げてきたから。
結果を出すような事を避け、結果を出せる時にも避けてきた。
その積み重ねから、成功という体験に実感がなかったのかもね。
でも、大丈夫よ。
思い出させてあげる!
「じゃぁ、ゆっくり振り返ってみようか。まずは勇気を出して三森ジムに入門しにいったよね。」
「うん…」
「そこでスマッシュを撃てて、幸一も賛成してくれて、和ちゃんが認めてくれてボクシングを始めた。」
「うん…」
それから私は、運命のプロテスト、雪ちゃんとの壮絶なデビュー線、山崎元選手との1ラウンドKO勝利、愛野さんとのインファイト対決、常磐さんとの逆転KO勝ち、ファン選手との苦しかったエキシビジョンマッチ、大里さんのアンフェアーな戦いに真っ向勝負したこと、そして雪ちゃんとの二回目の戦いと、今までのことを振り返っていく。
さっちゃんはいつの間にか泣き止んで、ゆっくりと自分が辿って来た道を確認していった。
「そしてもう直ぐ相田さんとの決勝戦ね。勝利する為に色んな技も身に付けたよね。スマッシュ、アサルトダッシュ、シューティングスター、アサルトランス…。どうやって身に付けたか、覚えている?」
小さく頷くさっちゃん。
「どうだった?自分は頑張ってきたと思う?」
それでも不安そうな表情を見せていた。
あらあら、随分と自分を貶めちゃったわね。
ここで負けちゃだめよ、朋美!
ここが踏ん張りどころだよ!
「さっちゃんは決勝戦、勝ちたい?」
この言葉には、即答で「うん…」と答えた。
そこは譲れないんだ。
だから負けた事を考えちゃって…
「今までプレッシャーなんて感じてこなかった。だから気が付いたら試合が始まっていて、無我夢中でボクシングをしてきた。けれど…、今度の相手はボクシングの神様とまで言われる相田さん。50連勝を超えているし、チャンピオンになってからはダウンしたこともない。本当に凄い人。」
私の言葉に小さく震えている…
「もしも負けちゃったら…。どうなると思う?」
クイッと頭を上げるさっちゃん。
その瞳は、絶対にそんな事は許されないと訴えていた。
「特に何も起きないのよ。」
「そ、それじゃぁ、ダメなの!」
「どうして?」
「誰も幸せになれないから…」
「そんなことない。負けちゃったレオちゃんや、雪ちゃんや、常磐さん、愛野さん…、幸せじゃないように見えた?」
「そ、そうじゃなくて…」
ん?
優勝に特別な思い入れがあるみたいね。
でも、この想いは大切にしなくちゃいけない気がする。
「わかった。絶対に勝ちたい気持ち、ちゃーんと伝わった。そうだよね、今までその為に頑張ってきたんだもんね。」
コクリと頷いた。
「じゃぁ、そんなさっちゃんの為に、和ちゃんはどんな事をしてくれた?」
「ボクシングを教えてくれた。」
「レオちゃんは?」
「ボクシングの楽しさを教えてくれた。」
「雪ちゃんは?」
「ライバルで親友で、何も分からない私の手を引いて、色んな事を教えてくれた。」
「それだけ?」
「んーん!世間知らずの私に、いっぱい色んな事を話してくれたし、ボクシングって最高なんだよって教えてくれたし!それにね、えーと、えーと…」
ムキになる程、大切な友達、いえ、親友なんだね。
「そんな雪ちゃんは、前の戦いが終わってなんて言っていたのかな?」
「………」
ドバッと涙が落ちていく…
敢えて彼女の言葉を待った。
「うっ…、グズっ…、次は負けないよって…、相田さんを倒してって…」
「その気持に答えないとね。」
ウンウンと涙を零しながら答えてくれた。
ライバル…、最高だわ…
「じゃぁ、相田さんとエキシビジョンで戦った愛野さんの戦いを見て、どうだったの?」
その言葉にさっちゃんは、激しく反応した。
「私の為に…、私なんかの為に…」
「あの子は、さっちゃんの為に犠牲になったんじゃないよ。自分の戦いが、少しでもさっちゃんの為になるならばって限界を超えようとしたの。」
「あっ…、あぁ…」
「格好良かったよね。お母さんも感動しちゃった。」
「うん…」
「雪ちゃんとの約束、愛野さんの勇気、大切に受け継がないとね。」
「受け継ぐ?」
「そうよ。さっちゃんの想いも受け継いでる人がいるよ。」
???
不思議そうな顔をするさっちゃん。
本当に周りが見えてないわね。
「それはね、ナナちゃんよ。」
!!!
「ナナちゃん言ってた。凄い試合を乗り越えたお姉ちゃんに、いっぱい勇気をもらえたって。今度は自分が頑張るんだって言って手術を受けたの。」
まだ入院中だけれど、経過は順調で、このままだともう少しで一旦退院出来そうなの。
それもこれも、本人が積極的になってくれたから。
「勇気をもらえたナナちゃんはね、直ぐに手術を受けてくれたから、今は順調に回復に向かっている。もしも怖くって少しでも手術が遅れたら…、ちょっと危なかったかも知れないの。」
!!!!!
「さっちゃん。お姉ちゃんとして凄く頑張ってくれて、妹に勇気を与えてくれて、本当にありがとう。」
「わ、私なんか…」
「私なんかってどういう意味かな?」
「………」
「さっちゃんが、ナナちゃんの病気を克服する手伝いをしてくれたのは、誰が何と言おうと本当のことなの。だって、ナナちゃん本人がそう思っているんだから。さっちゃんがどんなに否定してもダメよ。」
「………」
「ほらね、さっちゃんの拳は、和ちゃん、幸一、レオちゃん、雪ちゃん、愛野さん、ナナちゃん、それに商店街の人達や、学校のクラスメイト、勿論マー君や私も含めた皆で、大切に大切に育てて、守って…、時にはぶつかり合いながら、色んな事を経験して乗り越えてここまで来たの。その拳を持って、さっちゃんは念願のクリスマスバトルの決勝戦まで来たの。迷うことなんて何にもないのよ。」
「うん…、うん…!」
「もしも負けちゃったら…、私のところで思いっきり泣きなさい。一人で泣かなくていいのよ。」
「それじゃ、ダメなのだけれど…」
「もしも勝てたなら、その時も私のところで思いっきり泣きなさい。」
!!!
「私はどこにもいかないし、ずっとさっちゃんと一緒にいるよ。だって、お母さんなんだから。」
「お母さん………、お母さん!!!」
ガバッと抱きついてきたさっちゃんは、少し震えていた。
何かに立ち向かおうと必死になって勇気を振り絞っているように見えた。
頑張るのよ。
生まれて初めて受けたとてつもなく大きなプレッシャーだけれど、絶対に負けちゃダメ!
頑張って乗り越えて…
どんな結果になっても見守ってあげたいの。
だって、私の大好きな娘なんだから…
「おかあさーん、ご飯出来たらお手伝いするよー?」
ナイスタイミング!
「マー君、丁度出来たから、持って行ってー」
「はーい。」
「ほら、マー君くるよ。今日のお料理の隠し味は、さっちゃんの少しの涙と勇気だね。」
そうウィンクすると、彼女は「もう!」と言いながら照れていた。
直ぐにマー君がやってきて、盛り付けたお皿を持っていってくれた。
私達家族は―
どんなに離れていても―
どんなに近くにいても―
いつでも一緒―
大丈夫、一人じゃないよ―――
今こそ、大きく羽ばたく時なんだよ―――
頑張れ、さっちゃん―――




