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第58話 会長の憂鬱

この前の相田と愛野さんの試合は、さっちゃんには刺激が強かったのかな?

気合が空回りしちゃってるよ。

これは良くない。

非常に良くない。

前回の試合から1周間の休暇明けだと言うのに。


レオが相田に初めて挑戦した時に似ている。

まぁ、レオの場合は気負いすぎたというか、過去に囚われすぎたというか、そんな感じだったけれど、さっちゃんの場合はちょっと違うかな。

悪い方へ向かっているとすると、かなり良くない。

3週間後に向けて、少しずつ調整していかないとね。

メンタルの方を…


どうやら幸一は気付いていないようだ。

うーむ。

言うべきか、言わざるべきか。

と、言うのも、さっちゃんへの指導は極力幸一にやらせたいと考えている。

奴の為にもなるし、さっちゃんの為でもある。

二人で乗り越えていった障害が多ければ多いほど、今後のボクシング人生で助けになるだろうから。


とはいえ、時間がない…か…

「幸一!」

夢中になってさっちゃんの指導をしていた奴が振り返り、俺のところにやってくる。

「ちょっと来い。」

会長室へ連れ込んだ。

さっちゃんに聞かれない方が良いだろう。


「おまえ気が付いていないの?さっちゃんの異変に。」

「あっ…、いや…。」

あれ?歯切れが悪い?

「気が付かなかったのだけど、委員長に指摘されていて…」

あぁ、委員長ちゃんが助言したのか。

休暇中の学校でかな?

そうなると、私生活にも影響していることになる。


「なのに何にも手段を講じないの?」

「ここまで来たら、そんな事も忘れるくらい我武者羅に練習した方がいいのかなって…」

若いなぁ…、若い…

確かにそれもアリな場合もあるのだけれど…


「今のさっちゃんの場合は、それじゃぁ解決にならんよ。」

「うん…、そんな気がしていた。」

「遅かれ早かれ、本人が気が付く時がくる。その時の為に、心のケアを考えておくんだ。」

「一応考えてはあるのだけれど…。ちょっとギリギリになっちゃうかも。」

ほぉ、行動はしていたのか。

偉いぞ、幸一。

伊達に四六時中さっちゃんの事を考えていないな。

悪い癖を発動したい気持ちが沸々と湧いて来たけれど、今回はグッと堪えることにする。


「あまり酷くなるようなら、俺も手を下す。いいな?」

「………。お願いします…」

神妙な顔つきで頭を下げる幸一。

本当に心配なんだね。


次に、幸一よりも先に気が付いていた委員長ちゃんを呼んでみた。

何も言わなくても、何で呼ばれたのかを理解してた彼女は、本当にこのままうちに就職して欲しいぐらいだ。

「メンタルケアというのは、ちょっと自信がないのだけれど…」

流石に、専門的に勉強しているけではないし、ちょっとしたことで取り返しの付かない事になることを知っている彼女は、安易に意見を言わなかった。


「過去に乗り越えてきた、色んな格闘選手の話しから想像すると、不安そのものを取り除くか、不安以上の希望を与えるか…、結局そんなことしか出来ないわよね。」

悪くはない。

「うむ。では、さっちゃんの場合の希望とは、何だと思う?」

軽く握った右拳を口元に持ってきて、深く考える委員長ちゃん。

クイッと眼鏡を上げる。


「それが分かれば、私が助言しているわよ。」

「と、言うと?」

「一体彼女は、何の為にボクシングをしているのかしら?」

「……………」


言葉が出なかった。

普通と言っていいのかわからんが、例えばレオなら勝ちたいから、てっぺんを取りたいから、自分の強さを誇示したいから…、そんな理由が見えてくる。

他の選手だって、似たり寄ったりだろう。

勝負に拘り、勝利に向かって努力する。

ボクサーというより、スポーツ選手なら、皆そうなんじゃないかな。


でも…

さっちゃんは違う。

明らかに違うのだけれど、なのに彼女の目標が見えない。

「入門してきた時は、クリスマスバトルで勝ちたいと言っていた。けど…」

「そうね、それが本当ならば、もう達成されてしまっているわね。」

「本当だったらって…」

「建前だったってことかも。」


「うーむ。」

しかし彼女は、クリスマスバトルに固執していたようにも見える。

事あるごとに、この大会を想定していたし、口にも出していた。

その事は、当然委員長ちゃんも気が付いているはず。

「自分なりの見解があるなら、聞かせて欲しい。」


彼女は再びメガネをクイッとあげた。

「確証もないから、選択肢の一つとして聞いて頂戴。正直理由は分からない。けれど、もしも本当に勝利だけが目標だったならば、彼女は第2戦で負けていたはず。」

確かにそれは言える。

あの試合も際どかったからね。

「では、池田さんとの試合でも勝利に向かって進化し続けたのは、当然決勝に出たいってことになるわよね。」

確かにそうだ。


「ならば、逆に決勝を戦うという状況から逆算して考えてみるわ。」

ほぉほぉ。

「まず1つ目。相田選手と戦いたかった。2つ目、優勝したかった。けれど、どちらも状況が大きすぎて、鈴音さんの本心が見えない。更に細分化してみるわ。」

俺は取り敢えず小さく頷く。


「相田選手と、ただ戦ってみたい場合。これはチャンピオンに対しての尊敬や憧れ、選手としての目標としている場合が考えられるわ。けれど、これは違うと思う。彼女とはボクシングスタイルも似ていないし、参考にしている訳でもないし、むしろ倒す方法ばかり考えている。そうなると彼女に勝つということを考えていたはず。」

「なるほど…」

わからん…


「つまり、相田選手に勝利するか、優勝するかのどちらかを目指していたはずね。初戦でいきなり対戦する可能性もあった訳だから。勝利する方だと、彼女を乗り越える存在になる、もしくは…」

雄弁に語っていたはずの委員長ちゃんは、ちょっと言葉を濁した。

「過去の精算を自分の手でしたいのかもね。レオさんのように。」

「ちょ、ちょっと待って。まぁ、その事を知っていても別にいいのだけれど、そんな事の為に勝利だとか優勝って…」

現実的ではない…、そう思った。


「確かに大雑把過ぎるし、誰かの為に、あのチャンピオンに勝利することを目指すなんて無謀過ぎるわ。」

「だよね。」

「普通、ならばね。」

「さっちゃんは普通じゃない?」

「そうじゃない…。いや、そうかも。」

どっちだよ!

「選手としては普通でも、生い立ちは普通じゃないわ。いい?彼女はボクシングによって人生を変えられたの。ならば、ボクシングによって不器用な生き方を自ら課してしまった相田さんを救おうと思っても不思議じゃないわ。」


!!!


まさか…、そんな訳…


「そうなってくると、選択肢の一つでもあるね。」

「そういうことです。」

「他にはどうだろう?」

「優勝が目標だと、一気に選択肢が増えるの。自分を支えてくれた人達の為に~とかね。そうなってくると、ファンの為なのか、このジムの人達の為なのか、家族の為なのか…」

「まぁ、絞り込めないか。」

「そうね。でも、こっちの線も捨てきれないわ。彼女の場合は。」

「そうだね。もう、いつ笑ってもおかしくないほど、自分を取り戻していることは、本人が一番自覚しているだろうし、その感謝の気持ちは、性格的に人一倍強いでしょ。」

委員長ちゃんが真剣な表情で小さく力強く頷いた。


「では、こうしよう。『感謝』という気持ちを表現したいが為に、『優勝』したいとする。」

「大きくハズレてはいないと思うわ。」

「うむ。で、彼女が少しずつ感じている『不安』を対処するにはどうしたら良いだろう?」

「不安に思うということは、つまり達成出来なかったらどうしよう、という感情からだと思うのよね。」

「まぁ、そうだよね。」

「だったら、不安を取り除くか、不安以上の希望を与えるということに。つまりそれは最初の本題に戻ったわね。」


「不安を取り除くのは難しいかもなぁ。相手が悪すぎる。」

「まぁ…、確かに…」

よりによって、ボクシングの神様だもんなぁ。

「なので、希望を与える方向でいきたい。」

「そうね。」


そこで二人は考え込んでしまった…

極端なほど無欲なさっちゃんに対して、希望…?

突拍子もないことだと、強欲だと考えるような娘だよ?


「物欲的なものじゃダメかもね。」

委員長ちゃんの言葉は、十分納得出来るものだ。

「つまり、精神的なもの…、か…」

心を満足させるような、それでいて希望を持てるもの…


直ぐに思い当たるのは…

「幸一がキーになると?」

「そうね…。その線かもね…。ただ…」

「あぁ…」

二人共、再び考え込んでしまう。


だって、もう十分に距離が縮まり、友達以上、恋人未満みたいな関係だもんな。

名実共に恋人となったとして、彼氏となった幸一から何か言われた程度で、さっちゃんが抱える不安を取り除けるとは思えなかった。

まてよ…


「さっちゃんが抱える不安とは、具体的にはどんなことだと思う?」

委員長ちゃんに問いかけてみる。

「それはさっきも言ったでしょう。勝てなかったらどうしようという不安でしょ?」

「もっと具体的にってこと。」

「あっ…」

彼女は気付いて、思慮し始めた。


「そうね…。勝てないことにより、応援してくれた、支えてくれた人を裏切ってしまうこと。チャンピオンの過去との決別を、自分の手で出来なかったこと…、あれ?」

どうやら気が付いたようだね。

「ちょっと不自然じゃないかな?」

「確かに…。どちらも、鈴音さん本人に非はないわ。」

「そういうことだね。負けたとしても、これはスポーツなんだし、しかもエキシビジョンの大会だよ。それこそ勝ち負けよりも、普段対戦出来ない組み合わせを見に、お客さんも楽しみにしているはずだ。なので負けたとしても、それはそれで盛り上がるし、話題にもなる。それはさっちゃんだって、何となくでも理解しているはずだよね。それに、相田のことも、レオの手伝いとしての立場がある。もしも達成出来なくても、近い内にレオがやってくれると信じていれば、そこまで不安になることも無いはず…」


俺の分析に、委員長ちゃんは納得してくれた。

「だとしたら…、一体何に怯えているというの…?」

俺達は考え込んでしまった。

こうなると、直接聞かないと分からないけれど…、話してくれるかどうかは…


バタンッ!


そんな時だった。

勢い良く会長室の扉が開く。

「会長!大変だ!急いで練習場へ!」

慌てて呼びにきてくれた菅原。

あの冷静な彼が慌てるほどの事態となると…


委員長ちゃんと視線が合い、小さく頷くと、急いで練習場へと向かっていった。


そこで見た光景は―


最悪の事態が起きたと直感させるには―


十分だった―


必死になだめようとする幸一とレオ―


眼の前には―


ワンワンと泣き叫びながら―


不安に押しつぶされそうになっている―


さっちゃんの姿があったから―






あぁ…






何かが崩れ落ちる感覚がする…






憂鬱だ…






僕に対処出来るとは思えないから…






何とかしてあげたいと、こんなにも思っているのに…








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