第57話 幸子の誓い
第2ラウンドが始まった直後―
クリスさんがリング中央で勝負に出た。
ニューマシンガン!!!
クリスさんの連打が止まらない。
けれど、不規則な回数で一瞬止まる。
1発しか撃たなかったと思えば、5連打したり。
流石に読みきれないと思うし、そもそも連打そのものの威力が高く、反撃しようにも手が出し辛いよ。
これがチャンピオン以外の選手なら、かなりの有効打だと思う。
インファイトが得意でパワーのあるクリスさんとの相性も良いと思う。
けれど相手は14年間無敗、ノーダウンの生ける神様。
何発かもらってはいるものの、決定的なダメージは与えられないでいた。
少しずつ追い込んでいくけれど…
パリィ!!!
連打の途中で、いきなり仕掛けてきた相田さん。
このタイミングは辛い…
自分だったと思うとゾットする…
そもそも、あの連打の中の何処に反撃するチャンスがあったのか…
自分には分からなかった…
1ラウンド目の終了間近と同じく、二人のパンチが交錯しようとした瞬間―
ズバンッ!!!
クロスカウンター気味に―
強烈な右フックがクリスさんを襲った―
顎に入ったのか、ガクガクッと膝が震えたクリスさんは―
耐えきれず片膝を付いてしまった―
『愛野選手ダウンだぁー!!!パリィの後の反撃の応酬は、チャンピオン相田選手に軍配が上がったァーーーー!!!』
「パリィ後にカウンターを入れてくると分かっていれば、相田さんから見れば、もうそれはカウンターじゃなくて普通のパンチになっちゃうのか…」
「そういうこと。勿論これはあたいだって考えたことだよ。」
こーちゃんの感想に雪ちゃんが答えた。
レオさんとの合宿の時にも、雪ちゃんが見せていたよね。
クリスさんだって見ていたはずなのに…
苦しそうに肩で息をしながらも、ゆっくりと立ち上がろうとしていたクリスさん。
その口元は一瞬ニヤリと笑った気がした…
何かを狙っている?
私の指摘に二人は画面を見つめる。
「まさか…。わざと喰らったんじゃ…」
「マジ!?」
「………」
こーちゃんの指摘に、言葉が出なかった。
そうか…
本気モードにさせないために…
もし、それが本当なら、クリスさんは何かを狙っているはず…
カウントを取られたものの、ゆっくりと立ち上がりファイティングポーズを取る。
当然相田さんは距離を詰め、ここで仕留めるとばかりに攻めてきた。
チャンピオンの猛攻は、連打とは言えないものの、速いパンチを主体に、相手を観察しながら確実に決めてくる。
しかも上下の撃ち分けも巧い…
これでは…
けれど…
「クリスさんの目が…、死んでいない…」
思わず呟いた瞬間―
ズバンッッッ!!!
「相打ち!!!」
そう、相打ち覚悟で強烈なストレートを顔面に叩き込んだクリスさん。
チャンピオンのジャブも決まっていたけれど、威力は段違いで、思わず相田さんが後ずさりしてしまった。
勿論、そんな好機を見逃すはずがない。
『愛野選手の逆襲だぁぁぁあああああ!!!手を止めることなく、どんどん追い込んで行くー!!!あぁーっと!コーナーに追い詰められたチャンピオン!流石にこれは苦しいかぁ!?』
「チャンスだぞ!」
こーちゃんが腰を浮かせて叫んだ!
「次の先輩の反撃を交わせるかどうかが勝負!」
雪ちゃんも叫んだ!
「クリスさん…」
私は祈った…
!!!!!
「ダッキング!」
チャンピオンの起死回生の右フックを、まるで分かっていたかのように瞬時にしゃがみ込み交わした!
立ち上がりながら強烈なボディを放つ!
ズドンッ!!!
「……………」
深く刺さったボディブロー
次の瞬間―
ズバンッ!!!
「っ………」
誰かが何かを言おうとして…
言えなかった―
相田さんが―
あの状態から強烈なアッパーを撃ち込んだから―
「嘘だろ…」
クリスさんのパンチは、対戦してきた誰よりも重かったはず。
それなのに、彼女の渾身のボディを耐えて、なお全力アッパーを撃ち込めるとは、思えなかった。
頭が跳ね上がったクリスさんに向けて、強烈な左フックが叩き込まれた…
ズバンッ!!!
その威力から、体が反転しつつ倒れたクリスさん…
会場からは歓声と悲鳴が飛び交う。
呆気に取られながら、こーちゃんがゆっくりと腰を据えた。
「どんだけ鍛えてるんだよ…。あんなボディ喰らって、あれだけ反撃出来るとか…」
大きくため息を付く雪ちゃん。
「確かに筋トレは人一倍やっているけれど…。あたいもアレを耐えられるとは思わなかった…」
私には…
一瞬だけ本気モードになったのが…
見えていた…
背筋が凍る程のオーラが…
見えていた…
誰もが諦めていたかも知れない。
けれどクリスさんは…
立ち上がろうとしていた…
『愛野選手が立ち上がってきました!まだ諦めていない!まさしく執念!恐るべし執念で…、今…、立ち上がったぁぁぁあああああ!!!!』
「………」
二人は複雑な表情でクリスさんを見つめている。
立ち上がっても反撃は苦しい…
さっきのボディが絶好のチャンスだった…
あの時ダウンを取れなかった時点で…
勝負が決まってしまっていたと―――
それでもクリスさんは立ち上がった。
膝が震えるほど足元がおぼつかない。
この後の惨劇を予見してしまうと、思わず視線を外しそになったけど、しっかりと見届けないといけないと感じ、再びモニターを注視した。
目に焼き付けるんだ。
クリスさんの生き様を―――
辛うじてファイティングポーズを取ったクリスさん。
レフリーは試合を止めようか迷っているようにも見えた。
けれどクリスさんが一言何かを言うと、「ボックス!」と叫び、試合を続行させた。
相田さんは迷うことなく距離を詰め―
弱々しいクリスさんのパンチを難なく交わしながら―
ドッドンッ!!!
綺麗にワンツーを叩き込む―
動きが止まったクリスさん―
フワッと反撃のフックを空振りながら―
ゆっくりと倒れてしまった―
その瞬間―
レフリーが両手を頭上で交差させて―
試合は終了した―
「くっ…」
こーちゃんは思わず画面から視線を外した。
クリスさんの最後まで戦うんだという意思が、ビリビリと伝わってきていた私は、思わず涙が溢れていた。
雪ちゃんがそっと抱きしめてくれる。
だって…
クリスさんが最後の1撃まで反撃したのは…
決勝で少しでも私に有利になる為だけだから…
タンカーで運ばれるクリスさんへ、レオさんが駆け寄って声を掛けていた。
何かを必死に叫んでいた。
画面に映っていたレオさんも…
泣いていた…
惜しみない拍手が会場を包み込む。
試合前に言っていた彼女の生き様は…
多くの人に感動を与えていたから…
リング上では、勝利者インタビューが行われる。
『今日のエキシビジョンマッチの感想などありましたらお願いします!』
マイクを向けられたチャンピオン。
『最後まで戦う姿には、私も共感しました。けれど、パワーだけでは私は倒せない。決勝での手応えも感じましたし、クリスマスバトル4連覇を目指して頑張ります。』
ちょっと待って…
それって私に言っているの…?
ガタッ!
こーちゃんが勢い良く立ち上がる。
口を開いたけれど、直ぐに閉じる。
何か言い返そうとして止めたみたい。
けれど、その拳は…、震えていた。
「まぁ、先輩らしいコメントだね。クリスさんがさっちゃんが戦った時の参考になればと思ったように、先輩もさっちゃんとの戦いを想定して試合をこなしたかもね。だから当然強烈なボディも予想し、徹底的に鍛えてきたってことかも。」
そう言うことなの…?
だから自信満々に4連覇なんて言えちゃうの?
私は…
「……………」
上手く言葉に出来ない…
けれど…
「さっちゃん、言いたい事があるならあたいが聞いてあげる。親友でライバルのあたいが聞いてあげる。」
雪ちゃん…
そうだね…
言葉にしなくっちゃいけない気がする。
「私は、クリスさんの想いも…、拳に宿して戦う。そして!」
大きく息を吸いこむ。
「絶対に勝つんだからぁ!!!」
「私を救ってくれた人!支えてくれた人!応援してくれた人に!私は強くなったって証明したい!!!天国のお母さんにも伝えたい!!!」
「勝つぞ…」
こーちゃんの感情を押し殺したような声…
「俺も全身全霊をかけてさっちゃんをサポートする。だから…、勝つぞ!」
「うんっ!!!」
「あたいも出来る限りフォローする!」
「ありがと…」
今度は私が雪ちゃんを抱きしめた。
彼女も優しく抱きしめ返してくれる。
「私、クリスさんの控室に行ってきます。」
「俺も行こうか?」
「んーん。あんな試合の後だし、会えないかもしれないから、私だけで行ってくる。」
「分かった。」
私は雪ちゃんと離れ見つめ合うと、そっと離れてクリスさんの控室に向かう。
扉の前にはレオさんがいた。
「幸子…。精一杯頑張った愛野に、一言言ってやれ。」
「ハイッ!」
部屋の中にはすんなり入れてくれた。
クリスさんはベッドで横たわっていた。
「クリスさん…」
彼女のボロボロの姿に…、どう声を掛けて良いかわからない。
「さっちゃん…。あっしの負けっぷり…、どうだった?」
「格好良かったです!」
「そんなことないさ…。もうちょっと出来ると思ったけどなぁ…」
「最高に格好良かったです!私!感動しましたから!」
「さっちゃん…、泣かないで…。あっしまで…」
クリスさんは悔しそうだった。
相田さんの本気モードすら引っ張り出せなかったと思っているのかも知れない。
そんな事ないよ。
あの人は一瞬でも本気モードになっていたから。
そうじゃないと勝てないって思っていたはずだから。
私はクリスさんの手をそっと両手で包み込んだ。
「私がクリスさんの想いも、決勝のリングへ持っていきます。だから、一緒に戦ってください。その拳で、絶対に勝ってきますから!」
「さっちゃん…、お願いする…、ごめんね…」
「………」
「鈴音さん…」
背後から男性の声で呼ばれた。
涙を拭いて振り返ると、帝都ボクシングジムの会長さんがいた。
「あっ、すみません…、挨拶もしなくて…」
「いや、いいんだ。三森ジムの人達にはお世話になった。愛野がこれだけ頑張れたのも、君達のお陰だよ。ありがとう。」
「いえ…、そんな…」
「愛野はここ一ヶ月で一気に成長した。なぁ?愛野。」
「うすっ!」
「まぁ、チャンピオンには及ばなかったが、いい経験にもなった。今後、鈴音さんを脅かす存在になるかもよ?」
私は真剣な表情で答えた。
「望むところです!」
会長さんは一瞬驚いた後、短くため息をつく。
「眩しいなぁ…」
「?」
「眩しいほど輝いているよ。鈴音さんは。」
輝いている…?
「来月の決勝、愛野と応援しに行くからね。練習相手が欲しければ、いつでもジムに遊びにおいで。三森さんにも言っとくから。」
「ありがとうございます!」
クリスさんはマッサージを受け始めたので、部屋を出る。
外に出た瞬間、レオさんが抱きしめてくれた―
私はボロボロと泣いていたから―
悔しくて悔しくて―
部屋を出た瞬間、その想いが溢れちゃったから―
けれど―――
気が付かないうちに『何か』に襲われていることに―――
この時は気が付いていなかった―――




