第52話 幸子の上京
雪ちゃんとの試合まで5日―――
今日は1泊2日で、東京に行くことになったの。
隣にはこーちゃん、後ろの席にはレオさんと菅原さんがいる。
「フフフ…。俺様の指導で、あの野郎もかなりマシになったと思うぜ。」
レオさんはそう豪語するけれど…
あの野郎ことクリスさんからは、トレーニングがハード過ぎて、試合前にKOされそう!助けて!とダイレクトメールが届いていた…
すっかり元気になったレオさん。
けれど念の為と、1本だけ松葉杖を持ってきている。
ここまできたらしっかりと完治させておきたいみたい。
後々になって、後遺症とか出たら後悔するしね。
文字通り完璧に治して、そしたら直ぐに試合したいって言っているよ。
東京駅でクリスさんが迎えに来てくれるはずなのだけれど…
「………………」
私は、初めての首都東京に、只々圧倒されていた。
大きなビル群に、兎にも角にも、人、人、人の波…
虫や鳥の鳴き声も、自然な風の流れすら感じない。
思わずこーちゃんの腕に掴まっていた。
「いやぁ、スマホのナビがなかったら駅からも出られないよ…」
彼は、ここに来るだけで疲れているようだった。
レオさんの怪我を悪化させないようにと付き添いを申し出てくれた菅原さんだけれど、本当は何かトラブらないようにする監視役だったり…
そんな彼がいなければ、我儘全開のレオさんの相手までさせられて、こーちゃんはクリスさんの所属するジムに辿り着く前に倒れていたかも…
「レオさん!さっちゃん!」
クリスさんの声だ。
彼女の声を聞いた途端、凄く安堵していることに気が付いた。
「クリスさーん!」
はぁ、無事合流出来た…
「押忍!レオさん!最終調整、よろしくお願いします!」
「オーケー!任せとけ!」
「教祖様もよろしく!」
「はい!でも、教祖様は遠慮しますぅ!」
「いやいやいや、もう逃げられないから。」
「えっ?」
「まぁ、兎に角あっしのジムに向かいましょ。」
レオさんの足を気遣ってくれたみたいで、ワゴン車で迎えにきてくれていたの。
道路は混んでて、どの路地にも沢山の人がいて、閑散としているキラキラ商店街とは大違いだった。
それに…、どうしようもなく…、煩くて、埃っぽくて…、ちょっと馴れないかも。
沢山のビルに囲まれて気が付かなかったけれど、山が無いの!
どこを見ても山がなくて…、落ち着かない…
「どうしたの?さっちゃん。」
「ん?んーん、何でもないよ。」
「???」
こ、こんな事は、いくらこーちゃんでも恥ずかしくて言えない。
山がないから落ち着かないなんて…
そうこうしているうちに、クリスさんが所属する「帝都ボクシングジム」に到着する。
誰でも聞いた事があるような有名な選手を何人も輩出し、名実ともに日本トップクラスなジム。
ただし、女子は最近力を入れているみたいで、日本チャンピオンはまだいない。
そう、文字通りまだいないだけで、いつ誕生してもおかしくないって噂されている。
ジムも大きくて、地下2階、地上5階建ての全てのフロアにリングがいくつもあって…
うちなんか、このビルの1フロア分ぐらいしかないよ…
不安そうな表情をしていたからか、こーちゃんがそっと耳打ちしてくれた。
「ジムの大きさは、ボクシングの強さに関係ないから。」
そ、そうだよね…
試合するのはジムじゃなくて選手だもんね。
そう意気込んで中に入ったら…
あちらこちらから聞こえる、活気あふれる声と、沢山の選手が躍動する熱気に包まれる。
すすす…、凄い…
この空間には、ボクシング以外なんにもない。
そう思わせるほどの迫力があった。
「ささ、女子のフロアは3階だから。」
クリスさんに案内されて、エレベーターで3階へあがる。
扉が開いて廊下を進み、まずは練習場へと足を進めた。
そこには、見たこともないほどの、沢山の女性ボクサーが練習をしていた。
私達を見つけると、半分ぐらいの人が駆け寄ってきた。
「レオさん!足の怪我大丈夫ですか?」
「復帰はいつですか?」
「いつも応援しています!」
大勢の人がレオさんを囲んでいた。
予想をしていなかった展開に、レオさん本人は困惑しながらも、まんざらではないみたい。
「気持ちは嬉しいが…、俺はまだ相田を倒しちゃいねー。俺様がベルトを撒いたら、耳にタコが出来るぐれー褒め称えてくれな。」
レオさんと話したことがない人なら意外とも取れる言葉に、応援してくれている人達から黄色い歓声があがっていた。
だけれど…
「本当はクリスに、褒め殺してトレーニング軽くしたいんだ、なんて言われていたけれど、そんなこと関係なくレオさんを応援します!」
と、ボロが出ていた…
「あーいーのーーーーー!!!!」
「ひぃぃぃぃぃいいいいいい!!!!!」
こーちゃんと菅原さんが苦笑いしていた。
ということで、早速クリスさんのトレーニングが始まった。
その壮絶な練習風景は、誰もがドン引きするほど激しく過酷だと感じさせた。
「だけど愛野さんもしっかり付いていってるね。」
こーちゃんの指摘通り、クリスさんはしっかりとレオさんのシゴキとも言えるトレーニングをこなしていった。
「よぉぉおおおし!スタミナは問題ねーな!よく頑張ったな!」
「はぁ…、はぁ…、レオさん…」
褒められたクリスさんは、辛そうな表情から、嬉しそうな表情へと変えた。
「じゃ、次いくぞ!」
「えっ?」
「幸子!相手してやれ!」
「は、はいっ!」
「ちょっとだけ休ませてくださいよー」
「ちっ…、仕方ねーな…」
肩で息をしながら、私の隣に座るクリスさん。
「大丈夫ですか?」
「心配してくれてありがと。だけど、あっしのボクシングが一段落強化されたって実感もあるっす!頑張って乗り越えて見せるっす!」
「クリスさん…」
「皆の試合を見て燃えたってのもあるかも。それに…」
「それに?」
「皆でチャンピオン打倒に向けて頑張っていて、それに1枚噛めるなら、喜んで試合出たいって思ったっす…。今度の試合、あっしは負けると思う。だけど、せめて一太刀入れたいっす…。決勝で対戦する、さっちゃんや雪ちゃんの為に…」
「クリスさん…」
彼女の強い決意に、心が震えたような気がした。
「私…、クリスさんの想いも拳に宿して戦います!」
「ありがとう…」
優しい笑顔だった。
「レオさんにもお世話になっちゃったね。」
「もう大変だったんですよ。」
「だろうね。あんな棄権のしかただと、相当荒れたっしょ?」
「そうなんですよ…」
「まっ、今はあっしに構ってくれて、気が逸れてるって感じっすね。ところで…」
クリスさんがレオさんの方に視線を向けた。
「あのレオさんの付添の人、トレーナーさんっすか?」
「あぁ、彼は菅原さんって言って、うちのジムのライトフライ級の選手です。」
「そうなんだぁ。随分と仲が良さそうっすね。」
「そりゃぁ、二人はお付き合いしていますから。」
「へ?」
突然クリスさんが驚く。
あれ?
私、何か変な事を言ったかな?
「お、お付き合いって…。恋人同士ってことっすか?」
「えっと…、そうですけど…?」
「いやいやいや、冗談きついっすよ~」
「嘘じゃないです。見ている方が恥ずかしくなるぐらいラブラブですよ。」
「マジか………」
「?」
何故かクリスさんはガッカリしている。
「レオさんとあっしだけは、孤高の戦士だと思っていたけれど…」
「きっとクリスさんにも、素敵な人が見つかります!」
「さっちゃんに言われると、何だか元気もらえるなぁ。さーて、スパーやりますか!」
二人でリングに上がると、レオさんはクリスさんのセコンドについた。
そして、リングの周囲には数人の練習生が囲んでいる。
「見学かな?」
私のセコンドに付くこーちゃんが教えてくれた。
「今度雪ちゃんと対戦する選手だからね。雑誌でも取り上げられているし、注目しているのかも。でも、気にすることはないよ。」
彼の言葉で緊張を和らげていく。
「よしっ!準備はいいな!4ラウンドでいくぞ。」
レオさんの号令で、スパーリングが開始される。
カーンッ
ゴングと共に、私達はリング中央へ歩み寄り、グローブを軽くタッチさせた。
こーちゃんからは、1ラウンド目は様子見をしようと提案されているの。
前に戦った時と、どのぐらいの変化があるか見極めてから作戦を立てたいみたい。
私は直ぐにシャドウアサルトを仕掛ける振りをする。
クリスさんは左ジャブで突撃を牽制しつつも、右の追撃をいつでも出せるように準備していた。
冷静に見極めてから距離を置く。
やっぱりシャドウアサルトは研究されつつあるみたい。
でも、問題はないよ。
前回の試合の時のように、使い方を変えればいいの!
一歩遠い所からのシャドウアサルトで、懐一歩手前まで一気に近づく。
慌てて追撃しようとしたクリスさんだけれど、微妙に遠くて中途半端なパンチを出してしまった。
それをスウェーで交わしながら懐に入り込んだ!
ズドンッ!!
右のボディが深々と突き刺さる。
ズバンッ!!
けれど、直ぐに打ち下ろしのパンチが飛んできて喰らってしまう。
しかも重いパンチ。
距離を取ろうとするけれど…
「愛野!ニューマシンガンだぁぁあああ!!!」
レオさんからの激に、クリスさんの視線が熱くなった。
体が警告してくる。
これは危険な状態だと…
ドッドンッ!!
ドッドンッ!!
ドッドンッ!!
ワンツーを連続で叩き込んでくる!
必死にスウェーで交わしても、ワンツーとワンツーの僅かな瞬間で軌道修正をしてくる。
逃げられない!!!
次々にガード上から被弾していく。
これじゃ、いつまともに被弾してもいかしくないよ…
どうしよう…、どうしよう…
しかも、ワンツーとワンツーの合間に呼吸はしているけれど、回数がランダムで予想しずらい。
混乱しかけたその時!
「リセット!リセット!!」
こーちゃんの声が耳に届いた!
ワンツーの1発目を左腕でガードし、2発目をスウェーで辛うじて交わす。
右下に潜り込みながら体を捻り上げていき…
驚くクリスさんの顎を目掛けて…
全力スマッシュだぁぁぁああああ!!!
ドンッッッ!!!!!
咄嗟にガードした腕に、偶然とも言えるほどのタイミングでヒットした。
よろめくクリスさん…
追い打ちをかけようとしたけれど、私も左腕がビリビリと痺れて反撃出来なかった。
カーンッ
長く感じた1ラウンド目が終了する。
こーちゃんの元に戻ると、いつも以上に疲れ切った体だと気が付いた。
「愛野さん、強烈な武器を手に入れてきたね。」
「うん…。前のマシンガンよりスキがないよ…」
「大丈夫、さっちゃんならニューマシンガンを攻略する方法を持っている。俺に任せて。」
そう言ったこーちゃんの顔は、凄く楽しそうで頼もしかった。
そして、第2ラウンドが始まった―
彼の作戦を内に秘めて―




