第51話 幸子の忘れてはいけないこと
「1回戦突破!おめでとう!」
「凄い試合だったね!感動したよ!」
「次の試合ライバル対決だけど頑張って!」
1週間の休暇の後、ジムに顔を出すと、仲間から沢山の祝福を受けたよ。
何だか凄く照れくさかった。
でもこれって、私だけが努力したからじゃないよね。
ここにいる、全員が協力してくれたから。
そのことを伝えて深くお辞儀した。
「笑えなくてごめんなさい。だけど、とっても嬉しいです。」
私の言葉に、それこそ蜂の巣を突っついたような沢山の励ましの言葉を貰った。
自分でも気が付かないうちに、ボロボロと涙が溢れていた。
本当だ…
迷惑をかけて、かけられて生きていくんだ。
一人じゃ生きていけなかったんだ。
そして、次のライバル対決へ向けての特訓がスタートする。
いつものように、こーちゃんが対策の提案をしてくるよ。
「ここまで来たら、今まで積み上げてきたものを軸に戦うしかないと思うんだ。今更何かを大きく変えることも出来ないし、する必要もないと思ってる。」
コクリと頷く。
今は兎に角時間が無い中で、最強で最大のライバルとの戦いを迎えることになるよね。
「でも、今までに無い、新しい武器も一応考えておきたい。」
たった今、変える必要は無いっていったのに…、なぜ…?
「さっちゃんのボクシングは研究されつつあると思う。スマッシュにシューティングスター。シャドウアサルトもね。」
「………」
「だから、これらを有効に使える状況を作る必要はあると思うんだ。つまり、スマッシュをおもむろに撃っても当たらないけれど、当たる状況を作ってから撃つってことだね。」
「な、なるほど…」
難しそう…
「5秒でいいんだ。いや、1秒でもいい。」
「1秒?」
「相手の不意を付く時間。その1秒でスマッシュが撃てれば勝てる。」
「………」
「そこで提案なんだけど、お互いが一つずつ探してみない?」
「わ、私も提案するの?」
「そう。シューティングスターだって、さっちゃんからの提案だったじゃん?あのパンチの軌道は、凄くさっちゃんのボクシングに合っていると思うんだ。それこそ当てさえすればKO間違いなしのパンチ。自分の事は、自分が一番知ってるって感じ。」
私は少し考えてみた…
「だけど、そんな直ぐに思いつかないかも…」
彼は慌てた様子もなく爽やかに笑っていた。
「いいのいいの。最悪決勝までに思いついてくれればね。それまでは俺の案を採用してみて、それで雪ちゃんとの戦いに備えることにしよう。」
「でも…」
不安でいっぱいだった。
もしも雪ちゃんに勝てたとして、決勝という大舞台を目前に、新しい技を考えつくかな…
「自分の事は、自分が一番わからないよ…」
「大丈夫。そんな大げさな話じゃないんだよ。ゼロから新しいパンチを生み出すなんて出来ないさ。だけれど、自分の持っているものを少し改良することは出来るかもね。それでいいんだ。さっきも言ったでしょ?1秒騙さればいいって。」
慌てていた気持ちが、少し落ち着いた気がした。
「うん、分かった。やってみる。」
それに…
「雪ちゃんにも相田さんにも勝ちたいから!」
「そう!その意気だよ。」
彼は嬉しそうに、ニシシーっと笑っていた。
その顔をみたら、すっかり自分も落ち着いていたよ。
「よしっ!まずは俺の提案からだよ。」
私は少しの緊張をもって彼の言葉を待つ。
「さっちゃんもサウスポーやってみようか。」
「えっ!?」
でも…でも…
「雪ちゃん相手だとしても、通用しないんじゃ…」
相田さんに通用しないことは証明されている。
それに、相田さんがサウスポー対策をしてきたということは、雷鳴館ではサウスポーもいて、みっちり対策が出来る環境なんじゃないかな。
だから、今更私がやっても…
1秒も騙せないかも…
「フフッ。さっちゃんの考えはだいたい分かるよ。雪ちゃんは、いつでもサウスポーと対戦しても良いように、しっかり対策を練っているんじゃないかと思っているでしょ?」
「う、うん…」
「事実そうだと思うよ。」
「じゃぁ…」
「やってみればわかると思う。」
「?」
こーちゃんの意図が読めないよ…
「俺が期待しているのは、サウスポーじゃない。右ジャブなんだ。」
「???」
「まぁ、試してみようよ。」
彼の笑顔に騙されて、サウスポースタイルの練習をしてみる。
そこへ会長がやってきた。
「幸一。サウスポーは通用しないだろ。なんで練習しているんだ?」
練習については滅多に口出ししないのに、流石に気になったみたい。
私だって半信半疑だよ…
「まぁ、そうだね。納得して練習したいよね。俺が期待している部分がちゃんと現れるか確認しておきたいし、軽くスパーやってみようか。」
そこで菅原さんにお願いして、早速試してみることにした。
「よ、よろしくお願いします。」
「よろしくね。」
軽くグローブをタッチさせる。
彼はいつものように構えてきた。
私はサウスポースタイル、つまり右を前にする。
少しずつ距離が縮まり、右ジャブを撃ち出す。
ズドンッ!
!?
菅原さんが慌てて距離を置く。
あれ?いったい何が?
「さっちゃん!どんどん右ジャブで仕掛けて!」
小さく頷き、一気に懐に飛び込む。
ズバンッ!ズバンッ!
ガードした菅原さんが何故か辛そうだった。
左フックで揺さぶり、再び右ジャブ!
ズドンッ!!
思わずガードが崩れた!
チャンス!!
右ボディから、左アッパーも入れようとした時…
「ストーップ!」
こーちゃんからの声で我に返り、パンチを止めた。
その軌道は、確実に彼の顎を捉えていたと思うほどだった。
「どうでした?菅原さん。」
こーちゃんはニヤニヤしながら彼に尋ねた。
「あぁ…、幸一君の言いたい事は直ぐに理解出来た。」
「いったいどういうことなのでしょう?」
私は菅原さんが感じた手応えを聞きたかった。
「僕からみて女子のパンチは軽いと感じている。だけれど鈴音さんは別だ。そう警戒していたつもりだったけど、最初から右が来ると混乱するんだ。」
「混乱?」
「いつもの左ジャブならガードしきる自信がある。だけど最初から強烈な右ジャブが来ると…、さっきの様なんだよね。」
ちょっと苦笑いした菅原さん。
つまり…?
そこへこーちゃんが解説してくれた。
「つまり、さっちゃんの右は、普通の女子のパンチよりも段違いの威力がある。例えジャブだとしてもね。だから防げると頭で考えていても、実際のパンチは防げない。そこで一瞬混乱する。それに、左で追撃したとしても、他の女子ボクサーの右よりも強烈な左が飛んでくる。」
「な…、何だか私が化物みたい…」
「違う違う。これはさっちゃんだけが持っている、唯一絶対の武器なんだよ。だから、大いに活用しなくっちゃ。だって、他の誰もが持っていないものなんだから。」
その話を聞いていた会長も助言をくれたよ。
「なるほどねぇ~。だけれど、これは何回も通用しない。だから、使い所を考えておかないとね。」
私もそう思う。
雪ちゃんは、試合の最中にも進化し続けるタイプ。
トラブルにも臨機応変に対応出来ちゃう。
唯一対応出来なかったのは…
大里さんのエルボーぐらい。
私もやられたけれど…
あんなことしなくても、十分強いのに…
スネークアローを交わすのだって…
私はシャドウアサルトで近づいたり、逃げたりしたシーンを思い出していた。
ん?
何かが引っ掛かっている…
何かを見落としている…
あっ…
私は手を上下にブンブンと振っって、こーちゃんにアピールした。
「ど、どうしたの?」
「私…、私…、思いついた!雪ちゃんを倒すための必殺技を!」
「マジで?」
「マジでーーー!!!」
それからは、サウスポースタイルと、新必殺技の研究に明け暮れる。
動画を撮ってレオさんにも見てもらった。
『なかなか面白れーこと考えたじゃねーか』
そのコメントは、私達を勇気づけてくれた。
何もかもが順調だった。
つい、夢中でボクシングに打ち込んだ。
きっとそれは、悪いことじゃなかったと思う。
だけれど忘れちゃいけないことが沢山あった。
私はそれらを忘れていたと思う。
雪ちゃんとの試合間近―
連絡を受けた私は、直ぐに病院へ走った。
慌てながら部屋の場所を聞いて中に飛び込む。
「ナナちゃん!」
部屋には4つのベッドがあり、その内の一つにナナちゃんが寝て、傍にはお母さんとマー君がいた。
「シーッ!」
思わず口を塞いで、ゆっくり近づく。
「ごめんね…、お姉ちゃん…」
「どうして謝るの?ナナちゃんは何も悪くないよ。」
「だって…、だって…。試合近いのに…。余計な心配かけちゃって…」
私はベッドの近くに寄り、ナナちゃんの手を握った。
「前にね、私も同じこと言われたからナナちゃんにも教えてあげる。」
「?」
「ナナちゃんはね、何も悪くないんだよ。ちょっと病気なだけ。何も悪くないの。」
「お姉ちゃん…」
私達の会話を聞いて、マー君が質問してきた。
「じゃぁ、誰が悪いの?」
私は思いついたことを伝えた。
「神様かな。」
「神様が悪いことするわけないじゃん。」
「きっと神様は、ナナちゃんがこの病気を克服出来る試練だって言うよ。だけどね、そんな分かりきった事を改めてやってくる神様が悪いの。」
マー君はポカーンとしながら私の答えを聞いていた。
「でも、そうね。さっちゃんの言う通りだよ。ナナちゃんならちゃーんと治せる。」
お母さんが同調してくれた。
そこへ会長とこーちゃんもやってきた。
珍しく慌てている会長。
「ナナちゃん!コロッケの食べ過ぎで入院って本当?」
「三森さん!そんなんじゃないです!」
ナナちゃんが必死に否定する。
「七海お姉ちゃん!コロッケなら僕が代わりに食べるから!」
「ちーがーう!」
そんな会話で少し部屋の空気が和んだ。
本当に会長は空気を読むのが上手いよ…
看護婦さんに呼ばれて、お母さんと私がお医者さんの話しを聞くことにした。
「1週間後には、手術しましょう。」
その言葉は、病状が良くない事を意味していると理解する。
お母さんが即答した。
「わかりました。お願いします。」
私も頭を下げた。
「お願いします!」
入院と手術に向けて、同意書などの書類にサインをするお母さん。
私は病室に戻って、ナナちゃんに手術になると伝える。
「手術…」
ナナちゃんは不安そうだった。
私は彼女をそっとハグする。
「大丈夫。私も試合中は怖いって、いつも思っているの。けれど、頑張れた。それはね、ナナちゃんやお母さんやマー君が応援してくれたから。今度は皆でナナちゃんを応援するよ。」
「お姉ちゃん…」
「私の拳にはね、皆の想いが詰まってるって教えてもらった。勿論ナナちゃんの想いも…。私も頑張るから、ナナちゃんも頑張ろう?ね?」
笑顔で応援したかった…
「うん…。お姉ちゃんが一生懸命応援してくれてるって伝わったよ。」
良かった。
「今度の試合、手術前に見られるね。絶対に勝つから、ナナちゃんも応援してね。試合終わったら、今度は私がナナちゃんを応援しにくるから。」
「お姉ちゃん…」
ぎゅーっと握られた手からは、頑張ろうって気持ちを奮い立たせるナナちゃんの気持ちが伝わってきた。
そんな時、会長が戻ってきたお母さんに呼ばれ廊下に出た。
私は二人の会話が少しだけ聞こえてしまった―――
それは―――
気合を入れ直すには、十二分な内容だった―――
最新医療で行う手術費用が―――
300万だったから―――




