第39話 雪の挑戦
「轟木会長!」
「んん?どうしたんだい?」
雷鳴館には沢山のボクサーがいる。
その中の、しかも女子ボクシングの新人であるあたいだけれど、会長さんはしっかりサポートしてくれる。
「近藤さんにも相談したのですけど、あたいがもう一段上のレベルに上がるには、何が必要だと思いますか?」
こんなとんでもない相談でも、真剣に考えてくれる人。
「ほほ~ぅ?さてはライバルに触発されたかな?」
うぅ…
何でもお見通しのようね。
「このままだと、さっちゃんが悲しむから。」
「悲しむ?普通は喜ぶだろ。」
「いいえ…。彼女はそんな人じゃありませんから。」
「あぁ、なるほどね…」
ニヤリと笑う会長。
「さて…。レベルアップしたいからと言われて、はいどーぞとマシンガンでも渡して済むのなら簡単な話しなのだが、なかなか難しいのぉ。」
「無理な相談なのは、重々承知しているつもりです!」
顎に手をやりながら、少しの間考え込んでいた会長だったけど、何かを思いついたように立ち上がる。
「鈴音の恐ろしいところはいくつかあるが、基本スペックとしてずば抜けたパワーの持ち主なのは、全員が知るところである。」
「はい。」
「それをあらゆる方法で活かすことによって、彼女は好成績を残してきた。」
「そう、思います。」
「ならば池田。お前も何か一点突破させてみてはどうだ?」
「………」
発想としては面白いと思った。
ただし、選択肢は多いけれど、あたいの得意なカウンターやパリィと絡めないと効果が薄くなってしまうことも考慮しないといけない。
非常に悩ましいかも。
でも…
それならば…
「スピードはどうでしょうか?」
「ふむ…。定番ではあるが、それは柔軟な対応がしやすいから選ばれている証でもあるな。」
「だと思います。」
「それに…。今取り組んでいる体力作りも活かせる。当てられたら終わりだが、当たらなければどうってことはない…、か…」
「何も逃げることだけに使う必要もないと思います。」
「と、言うと?」
「先手必勝…、さっちゃんのフィニッシュブローよりも先に当てればいいんです。それがカウンターなら更に効果は大きいはず。」
会長が顎を、左右にさすっている。
これはいつも楽しい時にする仕草だ。
「池田ならではの発想だな…。よし!先手必勝逃げるが勝ちでいくぞ!近藤!ちょっと来てくれ!」
トレーナーを呼んで、トレーニング方法をいくつか伝えているみたい。
近藤さんだけ戻ってきた。
「池田。地味なことから始めるが、覚悟はいいかい?」
「はいっ!」
それからというもの、ランニングや筋トレといった肉体改造から始まり、ひたすら基礎的な練習が続く。
「まずは体作りだ!鈴音に勝ちたいなら、弱音を吐いている時間はないぞ!」
「はいっ!」
体力作りは、後半まで足を活かせというレオさんのアドバイスからもきている。
スピードを維持するなら、体力は絶対条件だから。
実践トレーニングとしてはスパーリングでまかなう。
ただし、普通のスパーではないよ。
バシンッ!
「うわっ…」
練習相手の女の子が思わずよろける。
「今、どうなったの…?」
フフフッ…
ちょっとコツを掴んできたかも。
先手必勝…
結構いけるかも…
だけれど100%上手くいくとは限らない。
今も成功の確率としては3~4割ほどかな。
もっと精度を高めないと…
そんな私を、轟木会長と近藤トレーナーが見ていた。
「会長…、池田のセンスは本物ですね…」
「うむ。いわゆる戦う勘というのが優れている。アイドル家業を通じて仲間とアイコンタクトでステージを盛り上げ、ファンの反応で煽りを入れる、そんな空気を読む仕事が、ボクサーとしても働いているのかもな。」
「そもそもパリィだって、池田以外は誰も会得出来なかったのですから。」
「そうだな。カウンターなんかは教えなくても実践でいきなり撃ってきた娘だ。今度の鈴音との戦い…、面白くなるぞ…」
「個人的には…、相田との試合も見てみたいと思っています。」
「近藤…、それもいいな!」
「でしょ!もちろんレオ選手との試合も見てみたかった…」
「決勝まで残れは、どちらかの可能性があるな。」
「はい。その前に初戦をどう勝つか、それと、二戦目。鈴音にしろ大里にしろ、どちらも癖が強いですから…。今から頭が痛いところです。」
「あいつならやってくれるさ。」
そう、出場者決定後、直ぐにトーナメントが組まれたの。
女子フライ級に出場する選手は8人。
第1試合はさっちゃんvs大里 奈月、第2試合はあたいvs常磐 日花梨さん。
第3試合はレオさんvs山崎 来夢さん、第4試合は相田先輩vs山中 杏美さん。
山中さんはトーナメント参加についてのコメントで、『レオさんばかりに格好付けさせる訳にはいかない。私とどちらが神様に近いか、証明してみせる!』と意気込んだ選手。
確か成績は、28歳で成績は22勝9敗11KO。
まぁ、レオさんの成績が18勝2敗17KOだから、比べようもないけどね。
負けたのは全部デビューしたての判定だし…
ただし!
山中さんはサウスポーなの。
そこがやり辛い部分でもあるのだけれど…
残念ながら、相田先輩はサウスポーとの試合も沢山してる。
だから問題ないかな。
というか、相田先輩自体は、いつもの練習メニューで、いつもの自分をキープし続けようとしている。
つまり、いつも通りなら誰にも負けないって思ってる。
サウスポー対策とか、次に当たりそうなレオさんの対策とか、全然眼中にない。
淡々と、本当に淡々と、シンプルに自分を積み上げていく。
見ている方は、ゾッとするよ。
確かに相田先輩は神様なんかじゃない。
ボクシングという名の魔物に取り憑かれたボクサー……
あたいは、そう思っている―
先輩はさておき。
第1試合は、あたいと対戦して反則負けになった大里さんとさっちゃんの戦い。
さっちゃんの挑戦状を、そのまま運営サイドで組み入れた感じね。
まぁ、裏で轟木会長が動いたとか何とかって噂も…
大里さんは反則スレスレ行為以外にも、実は結構嫌らしいタイプのボクサーなのよね。
緩急の使い方が上手いし、リーチを活かしたジャブは、常磐さんとは違ったタイプの防空網と言えるかも。
さっちゃんが、いかに冷静に試合を運べるか、そこが大きなポイントかな。
第2試合は私と常磐さん。
あっ、ちなみにクリスさんは大会には申し込まなかったって。
『あっしは別の試合が10月に予定されているんで…』
とか何とか言ってた。
まぁ、それは仕方の無いことなのだけれど、皆の応援は必ずするからって約束してくれた。
そして常磐さん。
本当はレオさんとやりたかったみたい。
その為には決勝までお互い行かないといけない状況になっちゃった…
あたいら二人は、どちらもアウトボクシングが主体。
向こうも意識してくると思う。
常磐さんには近寄らせないための防空網戦術がある。
あたいには向かってきたらパリィやカウンターがある。
つまり、いかにあたいが常磐さんの懐に飛び込めるかが、勝敗に大きく関わってくると思うのよね。
逆に常磐さんは、あたいからのパリィやカウンターをいかに封じるか。
どっちかの利点を攻略した方が、断然優位に立てる、そんな試合になるんじゃないかな。
さっちゃんもあんなに苦しんでいたし、気合入れていかないと。
第3試合はレオさんと山崎さんの試合だけれど…
山崎さんには悪いけれど、レオさんを超えるのは難しいかもなぁ。
あたいもさっちゃんも、山崎さんには勝っているしね。
特にレオさんは、今凄く調子良いみたいだし、勝てば相田さんとの再戦がほぼ確実になるだけに、もの凄い気合でくると思う。
迎え撃つ山崎さんには、相当なプレッシャーだろうし、プロとしての経験、センス、どれもレオさんが上回ってる。
どこまで対抗出来るか、期待したいところかな。
第4試合は…
さっきも言ったけれど、サウスポーという利点が活かせない以上、山中さんの勝機は薄いかも。
相田先輩も、レオさんとの試合からは、平常を保ちながらも気合が入ったみたい。
淡々としながらも、気迫というか凄みというか、そういった圧倒的なオーラが感じられるの。
押してはいけないスイッチを入れてしまった感じ…
その先輩相手だもんなぁ…
ちょっと同情しちゃう。
クリスマスバトルの全容が見えたことで、あいたは常磐さんに勝つこと前提で、名実共にスピードスターの称号を取りにいくよ。
そしてライバルであるさっちゃんにも勝って、相田さんかレオさんと決勝で戦うんだ。
実現したら家族も呼んで、応援してもらうんだ。
ふんっ!
あいたも気合十分だよ!
さっちゃんとあいたいは10月のクリスマスバトル初戦まで試合はないの。
だから休日には会うようにしてる。
今日は彼女があたいの家に遊びにきているよ。
「さっちゃん、だいぶ髪伸びたよね。」
「うん?あっ、そうかも。切るの忘れてて…」
「切っちゃうの?」
「いつもの髪型にしようと思っていたけれど…?」
彼女はいわゆるショートボブにしていた。
けれど今は肩より少し長いくらいになっているね。
「首の後ろで縛るのはどう?ちっさいポニーテールみたいなの!」
「やったことないから…、わからないかも…」
ピキーン!
良いこと閃いた!
「というかぁ、こーちゃんの意見は聞いたの?」
「ここここーちゃんの意見?」
「そだよー。彼氏の意見も聞いておかないと!」
「かかかかか彼氏じゃないしぃ…」
プイッとそっぽを向く彼女は、耳まで真っ赤だ。
「でもぉ、彼の好きな髪型にしてあげるのも、いいと思うなー」
チラッ、チラッとこっちを見てる。
「前にね…」
おっ?聞いたことあるの?
「前にね、雑誌に出てたアイドル?が可愛いって言っていたから、どこが可愛いの?って聞いたことがあるの。」
「続けなさい。」
「そしたらね…、髪を縛ってるのがいいって…」
「つまり、ストレートやウェーブでは駄目ってことね。」
「駄目じゃないと思うけど…」
「まぁまぁ、これは好みの問題だから、必ずしもそうじゃなきゃ駄目ってことはわかってるよ。けれどね、好みだった場合は可愛さにブーストがかかる。」
「可愛いは、ブースト出来る?」
「フフフッ…、アハハハハハハハハッ!」
「もう!」
「『可愛いはブースト出来る!』って、凄くいいねー!」
さっちゃんはムスーッとした顔をする。
でも、頬を赤く染めて、興味ありそうな表情をしていた。
ちょっと縛ってみようか。
私は赤ヘアーブラシと赤色のヘアゴムを持ってくると、首の後ろで縛ってあげた。
鏡を覗き込む彼女は、照れくさそうに自分を見ていた。
「いいじゃん、いいじゃん。」
「そ、そうかな?」
「イメチェンってヤツだよね。」
「うん…、いいかも。」
「後はこーちゃんの反応次第だねー」
「………」
口を半開きにして真っ赤な顔をするさっちゃん。
「雪ちゃんはイメチェンしないの?」
彼女の唐突な質問に、なんで?と思ったけれど、イメチェン勧めたのあたいだっけ。
「うーん…、どうしよっかなー」
あたいは肩より少し上で切ってる。
ウェーブがかかってるけれど、これは癖っ毛なんだよね。
雨に濡れると大変なことになるのが玉にキズで…
だから縛ったりは…
「さっちゃんに勝ったら考える!」
「うん、わかった。いい勝負にしようね。」
「オッケー!でも、まずはお互い初戦勝たないとね。」
「うんっ!」
今年はさっちゃんに出会って、色んな事があった。
悩んでいたボクシングを選んで良かったと思えたこと―
ライバルとして、お互い切磋琢磨出来たこと―
色んな友達が増えたこと―
そして何より、さっちゃんという素敵な人と出会えた奇跡に感謝―




