第29話 レオの合宿
いつの間にか梅雨が過ぎ、夏本番を迎えていた。
ここは田舎のど真ん中だ。
昼は蝉達が、夜は蛙達の大合唱が続く。
そんな中、相田《化物》とのタイトルマッチが近づいてきた。
すっかり体調が戻り、体力を持て余している幸子は、ハードな練習の相手をしてくれている。
「おらぁっ!!!」
俺が喧嘩三昧だった頃からフィニッシュブローだった右フック。
それを会長と試行錯誤して、改良し完成した通称「ジャベリン」をぶちこむ。
それをしっかりスウェーで交わし、シャドウアサルトで一気に前に出てきやがった。
「甘いわぁ!!!」
ドンッ!!!
鋭く強烈なアッパーで襲いかかり、モロに入ったぜ。
グラグラッとよろめきロープを背にする幸子。
まだ心が折れてないな。
カーンッ
ゴングに邪魔をされる。
「さっちゃん!不用意に飛び出し過ぎだ。シャドウアサルトはレオさんに散々練習させてもらったからタイミングよまれているよ。」
「ハァ…、ハァ…。う、うん…」
幸一は、相変わらず防御が甘い幸子を注意していた。
今日は疲れが見えてきたな。
「ちょっと休憩するぞ。」
幸子もヘッドギアとグローブを外し、並んでベンチに腰掛ける。
「レオさん…」
「んあ?」
「私じゃ練習相手にならないですか?」
「そんなことねーよ。」
何をバカなことを言ってんだ。
お前のお陰で、俺がどれだけ成長出来たことか。
「でも…、私じゃ引き出しが少ないというか…」
「だから男どもにも練習付き合ってもらっている。」
「………」
幸子は悩んでいるように見える。
まぁ、ぶっちゃけ見知った相手ばかりじゃ物足りなさを感じる時はあるな。
それは仕方のねーことだし、誰だって同じ条件だ。
「練習に誰か誘ってみますか?常磐さんとか…」
「化物退治に付き合うと言ったらしいが、社交辞令だろ。」
俺の心配より、自分の心配しとけっつーの。
まっ、こうやって気にかけてれると、後輩っつーのも悪くはねけどな。
そんな事を考えていると、あいつは会長にも相談しに走っていった。
「そうだねぇ…。確かに色んな選手との練習は無駄にはならないね。」
会長の視線が俺に飛んでくる。
クイッと顎を会長に向けて合図を送る。
つまり、お前に任せた、と。
「で、ですよね!」
「じゃぁ、合宿しちゃう?」
「が…、合宿…?」
「そうそう。誰を誘ってもいいよ。お任せするね。」
「ちょ、ちょっと待ってください!それって会長の仕事じゃぁ…」
「俺は場所を探すのと、費用を捻出しないとねー。あー、忙しいなー。」
「か、会長ー!」
大きな腹を揺らしながら、奴は部屋へと戻っていってしまった。
あの野郎…
面倒なことを幸子に押し付けたな。
不安そうな顔で俺の所に戻ってくる。
「合宿かぁ。それもいいかもな。どいつを誘ってもいいが、別に俺は、お前さえ来てくれれば問題ないぞ。」
それだとこいつの不安は解消はされないけどな。
意を決したような顔をして、今度は幸一の所へ向かっていく。
「なるほど。それはいいかもね。でも、他のジムの選手が気軽に来られるような状況ではないよね…」
普通に考えればそうだな。
「まぁ、一応声を掛けてみたらどうかな。常磐さんは結構本気っぽかったよね。」
「だよね!だよね!」
「その常磐さんは嫌がったけど、愛野さんとかもね。」
「うん!うん!」
「でも雪ちゃんは流石に駄目だよ。チャンピオンと同じジムだし。」
「あっ………」
こいつ…
素で呼ぼうとしていたようだな。
本当に残念そうな表情をしてやがる。
「そう落ち込まないの。」
「だってぇ…」
「一応言っておくけれど、遊びじゃないからね。」
「それは分かっているよ…。だけれど、パリィやカウンターの練習には雪ちゃんが一番だと思っただけ…」
ちょっとふくれっ面をして、上目遣いで見上げた幸子の前には、爽やかに笑う幸一がいた。
「わかったよ。各ジムとの調整は俺がやるから、自由に声をかけてみて。」
奴《幸一》が笑っていたから色んな奴らに声を掛けたと言っていた幸子の努力の成果は…
そんな訳で、合宿当日の午後一番。
ちなみに合宿のスケジュールは二泊三日の予定だ。
合宿所に近い駅に着くなり、見慣れた二人が騒いでやがる。
「なんでお前が居るんだよ!」
「教祖様に呼ばれちゃぁ、来るしかないっしょ。それくらい予想出来たでしょ?常磐っち。」
「その呼び方やめろ!」
「じゃぁ、ひかりん。」
「それも却下だ!」
「うるせーなー」
二人は俺に気付くなり口論を辞めて挨拶してきた。
「レオさん!本当に誘ってもらって、ありがとうございます!」
常磐の野郎、本気だったんだな。
「ちっす!今日はよろしくっす!」
愛野の野郎も二つ返事で受けてくれたそうだ。
思えば色んな奴らと拳を交えたな。
あのままなら、生涯孤独でもおかしくねー俺様が、こうやって仲間と呼べるような奴らと一緒にいるとはな。
ちょっと感慨深いぜ…
その時、聞き慣れた声が背後より聞こえてきた。
「お、お疲れ様ですっ」
「皆さん、今日はよろしくお願いします!案内は僕がしますね。」
幸子と幸一も来たな。
一緒の電車だったか?
まぁ、二人の邪魔はしないさ。
合宿所は狭くて古臭い場所だったが、周囲に海しかなくて練習に打ち込める環境とも言える。
こりゃーいーわ。
早速ランニングから始め…
「おい。」
「ん?どうかしましたか?レオさん。」
「どうかしたかじゃねーだろ。何だその格好。」
「合宿と言えば海じゃないですか!」
「常磐!俺様の化物退治の総仕上げだっつーのに、おもしれー冗談言えるようになったじゃねーか!」
「ひぃいぃぃぃぃ~」
「レオさん、落ち着いて。」
「何だ、幸一。まさか、お前水着姿が見たくて…」
「そ、そうじゃないですよ。厳しい練習が続いたから、リフレッシュしておくのも良いかなって、皆さんが考えてくれたみたいなんです。」
俺様が全員の顔を見渡すと、常磐と愛野は視線を逸らしやがった。
だけど一人だけ、幸子が真剣な表情でウンウンと頷くのが見えた。
チッ…
「しゃーねーな。2時間だけな。」
まっ、俺様も一応水着は持ってはきたんだがな。
一応な…
一応だぞ?
ということで、5人で海に向かう。
テキパキとパラソルを立て浮き輪やビーチボールを膨らます幸一。
こいつは段取りとか上手いよな。
次に何をやれば良いかしっかりイメージ出来ている。
こういうのがボクシングをやれば…
いやいや、これはあいつには酷な話だったな。
どれどれ、全員がビキニだな…
どいつもこいつも腹筋が割れてやがる。
こんな女どもに声を掛けてくるバカな男もいないだろ。
ん?
そう言えば幸子もビキニか!?
シャツは着ているが、随分頑張っ…、あっ、そうか…
直ぐに幸一を見ると…、なんつーか、青春だねぇ。
顔が赤いぞ。
そうだ。
貴重な練習時間を削って、海で遊ぶのを許可してやったんだ。
会長じゃねーが、ここはいっちょ楽しませてもらおうじゃねーか。
「幸子!水着似合っているぞ!ついでだからシャツも脱げ!」
「は、恥ずかしいですぅ…」
「愛野!脱がしてしまえ!」
「あらほらさっさ!」
キャーキャーと可愛らしい悲鳴が静まると、そこには両手で必至に胸を隠し、恥ずかしくてうずくまる幸子と、どう反応して良いか分からない幸一と、二人を見てニヤニヤする4人の姿があった。
ん?4人?
俺様と、愛野と、常磐と…
「おい!池田ぁ!」
「てへっ☆来ちゃいました♡」
「敵情視察かぁ!?いい度胸じゃねーか!」
「そんなんじゃないですぅー。私もレオさんを応援に来たんですぅー」
「いいのかよ?偉大なる大先輩だろ?」
「レオさんはご存知でしょ?相田さんが、神様になった理由。」
ふん…
くだらねぇ…
だが、その理由を知ってここに来たのなら、拒む理由はないな。
「勿論だ。だったら、好きにすればいい。ついでに徹底的にぶちのめしてやるから、覚悟しておけ。」
「はーい!改めまして、池田 雪です。よろしくお願いします!」
「実物は写真より可愛いな!」
愛野が食いつきやがった。
つか…
「お前は来る気満々だっただろ。」
「勿論ですっ!」
なんせ、純白の水着だしな。
まったく、どいつもこいつも…
「ねぇ、ねぇ、こーちゃん!あたいの水着、可愛い?」
内股のそれぞれの膝に手を乗せて、屈んで胸を強調しながら幸一に詰め寄る池田。
直ぐにプイッと目を逸しながら「か、可愛いよ」と答えたあいつを見た幸子が立ち上がる。
「こここ、こーちゃん!わ…、私は…?」
顔を真っ赤にして顔を背けながらチラチラと幸一を見る幸子。
あいつ…
いっちょ前に嫉妬してやがるな。
まっ、悪いことじゃねーな。
「さっちゃんは、いつも可愛いよ…」
「ごちそうさまでーす!」
常磐の言葉に笑いが起きた。
俺も久々に大声で笑った。
バカな奴らばかりだけど、なんつーか…
笑顔を貰える…
勇気を貰える…
しかたねーな。
いっちょ、本物の神様退治を見せてやろうじゃねーか。
メラメラと闘争心が湧いてくる。
散々海で遊んだ後の、日が落ちかけてきた夕方。
浜辺でダッシュを交えたランニングに始まり、筋トレやシャドウとかの個人練習をこなしていく。
途中幸子と池田と幸一で買い出しに出掛け、幸一だけ練習場に戻ってくる。
どうやらあいつら二人で料理を作ってくれるようだ。
豚ヒレの蒸し焼きと、鮭のホイル焼き、野菜とスープと豪華だった。
味の仕上げは幸子がやったと池田から説明があった。
あいつの料理好きは、どうやら本物のようだな。
ちなみに俺様が包丁を持ったのは喧嘩の時だけだ。
「豚ヒレはビタミンB1を多く含んでいて疲労回復に効果があるし、鮭も筋肉維持には良いと言われているよね。さっちゃんは食べ物にも気を付けているんだね。しかも高価な食材に頼らない主婦の鏡みたいな料理だし…」
常磐の料理に対する説明が続く。
何だか知らねーが、幸子は俺の食いもんにまで気を使ってくれたのかよ。
まったく…
どんだけ期待されてんだ?俺は…
食休み後、筋トレで仕上げて今日の練習は終わることにした。
明日はスパーを中心にしたメニューの予定だな。
俺様は狭いが個室、他の女子は雑魚寝、幸一は練習場を挟んだ入り口に近い管理室みたいな部屋でソファーで寝ることになった。
シャワーも浴び、窓を開けて涼んでいる。
網戸の外は、静かで虫の鳴き声と波の音ぐれーしか聞こえない。
真っ黒な海と、綺麗な月が大きく見えている。
コンコン…
静かにドアをノックされた。
誰だ?
『あ、あの…、レオさん起きていますか?』
幸子の小さな声が聞こえてきた。
「あぁ…。何か用事なら入ってこいよ。」
そっとドアが開き、静かに閉まる。
何か不安そうな、それでいて少しの好奇心も感じる。
どうしても知っておきたい事があるように見えた。
その時点で、こいつが何を聞きたいのかも察した。
「あ、あの…」
「相田が神様になった理由…、だな?」
コクリと頷く幸子。
「隠すことでも無いし、一部の人は知っているから教えてもいいが、当事者や関係者には言うなよ。それが条件だ。」
「はい…。わかりました…」
俺は他の奴らの耳に入らないよう窓を閉めてエアコンの電源を入れる。
「まずこの話には会長が関わっている。」
「会長が?」
今度は俺が小さく頷く。
「会長の引退の理由を知ってっか?」
幸子は首を振った。
「あいつはタイトルマッチをすっぽかしたんだ。」
「!?」
「どうして…、と思うわな。ボクサーにっとってタイトルマッチは最高の晴れ舞台だ。だがな、その日あいつは事故に巻き込まれた。というか事故に巻き込まれそうな奴を助けた。」
「まさか…」
「そうだ、相田の野郎だ。あいつもタイトルマッチだった。会場近くで車に轢かれそうになったところを会長が助けた。だが…、会長は…、両足骨折に加え、腰にもダメージを負った。」
「!!」
「相田は試合に出たが事故の動揺で力が発揮出来ず敗北。会長は誤解の記事だったんだが、タイトルマッチをすっぽかしたとあらゆる所からバッシングを受け、怪我も酷く引退した。」
「………」
「そんな二人を再度引き合わせたのが、雷鳴館会長の轟木だ。轟木は会長にトレーナーとして再出発を勧め指導もし、そして相田を育てさせた。相田の野郎も事故から救ってくれた恩とボクサー人生を絶ってしまったという後悔から復帰に向けて身を削るように努力していった。それも、考えられないほどの究極の努力をな。」
「………」
「だがな、二人の意志は交わらなかった。それこそ全てを捨ててボクシングだけにのめり込む相田と、元々あんなキャラの会長だ。交わる訳もないし、会長は恩返し自体を嫌ったようだな。そもそも、そんな理由でリングに上がって欲しくないと思ったみてーだ。」
幸子は真剣な表情で俺の話を聞き入っていた。
「そして袂を分けた。会長は轟木のおっさんの力も借りて自分のジムを作った。相田はチャンピオンになったが、同時に神様にもなってしまった。いや、ボクシングの化物になった。」
「………」
「あいつは言っていた。相田を神様にしてしまった責任は自分にあると。だから俺があいつを止めてやらないと、彼女は普通の生活を送ることすら出来なくなってしまったと…」
幸子は泣いていた…
「悲しいです…」
「この話をどう受取るかは、個人の自由だ。俺は会長の手助けをしてやろうって思った。だから、相田を神様の座から引き釣り降ろす理由の一つになった。」
「私は神様なんて…、いないと思っています…。グスン…。だから、相田さんは一人の人間なんだよって伝えたい…。そして…、グスン…、そして、純粋にボクシングを楽しいで欲しいと思いました。その為の条件が倒すことであるのならば、私じゃなくていい…、今、一番神様に近いレオさんに倒してもらいたいです!」
涙目で真剣な眼差しを向けた幸子を、そっと抱きしめてやった。
俺の腕の中で震えるこいつが、愛おしいと思った。
こんなに純粋にリングに上がっている奴なんて、他には居ないと感じたからよ…
なぁ、ボクシングの神様とやらよ。
人の心まで失っちまって寂しいだろ?
俺様が取り戻してやるから、心配しないで全部捨ててリングに上がってこい。
人の世界も案外いいもんだと、俺が教えてやる―




