第25話 幸子と愛のクスリ
『池田選手 完全復活!』
月刊ボクサーの女子ボクシングのページには、沢山のスペースを割いて雪ちゃんの勝利の様子が掲載されていた。
良かった、完全に立ち直ったみたい。
あの状態だと、体にも心にもダメージを負っていたと思う。
そこから立ち直り、しかも、アマチュア最強と言われた山崎選手を2ラウンド1分10秒のKO勝ち。
フィニッシュはカウンター。
というか、実質カウンターの1発で沈めちゃった。
気になって映像も見てみたの。
鳥肌が立った。
速度、威力、タイミング…
全てが完璧だったから。
山崎選手は並の選手じゃない。
手を合わせたからこそわかる。
私の分も含めて2連敗してしまったけれど、そもそも連敗するようなボクサーじゃないし、このままで終わるはずもないし、きっと勝ち上がってくる。
元々、何連勝するのか?みたいな期待をかけられていた人なんだ。
そんな選手を1撃で…
雪ちゃんと再戦する時は、今まで以上に気を引き締めないと…
その前に…
次の対戦相手が決まった。
インファイターの次は、生粋のアウトボクサーとやるんだって。
定番のあだ名とも言える、スピードスターと呼ばれる彼女は、常磐 日花梨選手、23歳。
プロ5年目で、成績は12勝4敗3KO。
映像で見る限り、スピードと手数で勝負してくるタイプで、レオさんや雪ちゃんよりもアウトボクシングを徹底している。
KO率は低いけれど要注意だと言われた。
数字に騙されちゃ駄目だって。
アウトボクシングでダメージを蓄積させ、なかなか当たらないパンチに精神的に追い詰められると、一気に懐に飛び込んできてくると説明される。
KOを奪ったフィニッシュブローは、全てアッパーなんだって。
そして何より、インファイター対策として、通称「防空網」と呼ばれるコンビネーション連打で、接近戦すらさせてもらえない。
その防空網に掴まったら最後…
常磐さんの距離で良いように撃ち落とされるらしい…
「パンチスピードも速いから、死角から放たれるアッパーカットは強烈だ。」
こーちゃんは、そう言いつつかなり警戒していた。
と言うことで、今回はレオさんに相手をしてもらっているの。
先輩も試合が近いよ。
念願のタイトルマッチ!
チャンピオンを想定した練習相手を探すのは無理だと誰もが言う。
あんな人はこの世に二人と居ない。
居てもらっても困るレベル。
なので、チャンピオン対策と言っても…、何をどうしたら良いやら…
レオさんと会長は何度も打ち合わせをしていたけれど、明確な答えは出なかったみたい。
だからと言うわけではないけど、兎に角やれることは全部やる、そう結論付いた。
これはクリスマスバトルで対戦する可能性のある、私にも言えること。
チャンピオン対策が思いつくのが先か、チャンピオンが引退するのが先か…、もうそんなレベルの話しかな。
アウトボクシングもインファイトすらも、誰も近づけないレベルでこなしてしまうチャンピオンだからという訳ではないけれど、インファイトに長けた愛野選手と対戦し、今度は生粋のアウトボクサーである常磐選手と組んでもらった。
まだまだ私の知名度は低い。
本来なら愛野選手も常磐選手も対戦してもらえないカードだったかもしれない。
どうやら雷鳴館会長の轟木さんが一枚噛んているみたいなんだよね。
いったい会長はどんな人脈持っているんだろう…?
リングでは、レオさんとスパーリングしている。
「おらおら!そんなんじゃ俺には一発も当たらないぜ?お前なりの突破口を見つけるんだ!」
スキを突いては頭を低くして突撃するけれど、左ジャブで止められ右を刺されている。
同じく足を使っても振り切られ、焦って大振りになると面白いようにアッパーやカウンターをくらっていた。
「おいおい…。これじゃぁ次の試合負けちまうぜ。まぁ、考えてみれば池田も俺もアウトボクシングはほどほどに、撃ち合いにいくからな。お前はそこで自分の本領を発揮出来る。だけどな、あの常磐は違う。」
「………」
「ガン待ちで撃ってきたところを迎え撃つ方法もあるが…。それだと主導権は完全に相手が持つことになる。判定で逃げられちまうかもな。常磐とお前じゃ、経験の差もでかいしな。」
私はこの前の愛野さんとの試合を思い出した。
「レオさんがやられて嫌なことはありますか?」
「ん?」
両拳を腰に当てて考えるレオさん。
「そうだなぁ、アウトボクシングで戦って居る時に、同じ突っ込んでくるにしても一瞬で間を詰められると嫌だな。距離を取り続けるか、それとも迎え撃つかで一瞬でも迷うしな。」
「その瞬間だけ、主導権を取られる感じですか?」
「だな。」
私達の会話を聞いていたこーちゃんが考えをまとめた。
「さっちゃんが気付いたところで攻めてみよう。」
「………?」
「つまり、強引に主導権を奪う作戦。懐に飛び込んで一気に畳み掛ける。」
「でも、でも…」
「そうだね、普通に突っ込んでは対応されちゃう。だから、対応されないぐらい素早く飛び込む。取り敢えず、この練習をしてみよう。選択肢がない状況だしね。」
「はいっ!」
そんな練習をしていたある日。
予想外の人が訪ねてきた。
「こんちわーっす!」
短髪で金髪、ガッチリ体型で鋭い目付きが特徴の、愛野 クリスさんだ。
「やぁやぁ、愛野さん。東京から遠路遥々《えんろはるばる》ありがとうね。」
「いえ、見学したいっつたのは、あっしの方ですから。」
会長と愛野さんが挨拶を交わしている。
彼女がキョロキョロし、私を見つけると猛ダッシュしてきた。
「ひぃぃぃぃぃいいいいい!!!」
思わず逃げてしまう。
「待って!」
「た、食べないでくださーい!」
「た、食べないよぉ!!!」
可愛らしく愛野さんがそう言った瞬間、ジムが一瞬で静まり返った。
だって、彼女の風貌から、そんな言葉が出るとは思わなかったから…
不意に腕を掴まれて、近くのベンチに腰掛けさせられる。
「い…、今のは忘れてくれ…」
「は、はい…」
照れながらポリポリと頭を掻いている。
「あ、あのな、あっしは可愛い物が好きでな…。さっきのセリフは可愛いキャラクターが出てくるアニメのセリフなんだ。」
ア、アニメ?
愛野さんからは想像も付かない。
あぁ、でも、見かけで判断しちゃ駄目だよね。
散々やられてきたのに…
「好きなことをするのに、見た目だけでから誂われたりすると嫌ですよね。」
「ま、まぁな。」
「でも言わせておけば良いと思います。きっと、好きなことをやって楽しむって事を、知らない人なんですよ。」
「そうとも言えるかもな。でも、まあ、こんな見た目だから…」
「私も…、感情がなくて表情もないから…。歩く仏像とかって虐められていたから、よくわかります。辛いですよね…」
「鈴音さん…」
「でも今は大丈夫です。私にはボクシングがありますから。楽しいって感情を見つけられたから、だから、ボクシングでとやかく言われても気にならないと思います。だって、楽しいですもん!それにボクシング始めてから、楽しい以外にも沢山の感情や表情を見つけることも出来ました。」
「そうか…。やっぱり鈴音さんは芯の強い人なんだな。」
「そ、そんなことないです…。いっつも逃げて隠れて守られて…。そんな自分を変えたくてボクシングを始めました。」
「誰だってきっかけが掴めるまでは逃げたいさ。特に鈴音さんのような場合はね。」
真剣な表情で私を見つめる愛野さん。
単なる同情じゃなく、私のことを思って言ってくれていると伝わる。
「ありがとうございます。」
「ふふふ。何だか励ましにきちゃったように見えちゃうね。まぁ、半分はそうなんだけど、きっとアウトボクシング対策というか、防空網対策に苦労しているじゃないかと思ってね。あっしみたいなので良ければアドバイス出来たらなぁって…」
「ほ、本当ですか?嬉しいです!あっ、すみません…、嬉しそうな顔出来なくて…」
「いやいや、ブログ読ませてもらっているよ。だから気にしないで。それよりも、鈴音さんはインファイターの期待の星でもあるんだ。今の時代、神の左手だか何だかしらねーけど、おでこくっつけて殴り合うのなんて古臭いだとかダサいだとか言いやがって…。そんなんじゃねーだろって。貫きたいボクシングをやって何が悪いってさ、いっつも思っていて…。そんな時に鈴音さんがデビューしてくれた。試合を見たら、もう感動しちゃって。コレだよ!これがボクシングなんだよって!」
熱く語る愛野さん。
ボクシングが好きなんだとビンビン伝わってくる。
「あっ、すまん…。つい熱くなっちまった。」
「いえ、ボクシングの話を出来る人も少ないので、楽しいです。」
「そう言ってくれると助かる。それと、あっしは趣味でタロット占いしているのだけれど、鈴音さんの今度の試合、試しに占ったらあまり良い結果が出なかったから。ちょっと心配になってね。」
最近占いは見てなかったかな…
「れ…、恋愛の占いもやっている。結構当たるんだ。後でやってあげようか?」
「恋愛!?」
考えたこともなかった。
異性に好かれるってことがなかったから…、あっ…
つい反射的にこーちゃんの姿を追っていた。
彼はレオさんとダッシュ力強化のトレーニング方法について話し合っていた。
真剣な表情で…
私の為にしているのだと思うと…
胸が高まる…
キュンッとする…
「やっぱり彼のことが気になっているんだね。試合後に頭を撫でてもらっていて、ちょっと羨ましかった。」
愛野さんにそう言われ、ドキッとした。
顔が熱くなっていく…
「えっと…、私…、恋愛って感情も落としてきたみたいで…」
「そっか。まだ分からないんだね。」
「は、はい…」
「じゃぁ、後でこっそり占ってあげる。これでもネットでは「愛のクスリ」って名前で占ってあげていて、良く当たるって評判なんだ。」
『愛野 クリス』さんだから『愛のクスリ』さん…
絶妙なハンドルネームだ…
「まぁ、それは後で。さて、まずは防空網対策を伝授しようか。」
「はいっ!お願いします!」
「更衣室借りる」と言いつつ着替えてきた。
「レオさん!お久しぶりです!」
「おぉ!愛野か。どうした?俺様に復讐しにきたか?ギャハハハハハ!」
「まだ勝てないっすよ。」
「『まだ』と言いやがったな。一生勝てねーって思うぐらいやっちまうぜ?」
「それはもう少し後でお願いします。今日は鈴音さんにアドバイスしにきたっす。」
ニヤリと笑うレオさん。
「お前も鈴音ワールドに取り込まれたか。」
す、鈴音ワールド?
「こいつのボクシングの虜になっちまったってこった。まあ、わからなくもねーな。だって、見てて面白れーし。」
楽しいってことかな?
「そんなに面白いですか?」
質問してみた。
「あぁ、最高に面白いね。どんなに追い込まれても1発で引っくり返しちまう。こんな面白いボクシングをやるのは、お前ぐらいだ。」
そ、そうなの…かな…?
「まっ、自覚がねーのも面白さを倍増させてるわな。」
「それ分かります!」
愛野さんまで納得していた。
「それで?スパーやるか?」
「うすっ!お手柔らかに!」
「何がお手柔らかにだ。油断したらもっていかれるのは俺様だっちゅーの。ほれ、幸一。ゴング。」
「えっ?あっ…。」
何が何だか分からないうちに、レオさんと愛野さんのスパーが始まる。
カーンッ
お互いヘッドギアを付けて対峙している。
愛野さんはガッツリと防御態勢をとっている。
そこへ、軽やかなステップで彼女の周囲を移動しながら不意にパンチを入れてくるレオさん。
まさしくインファイター対アウトボクシングの試合展開だ。
愛野さんに自分の姿を重ねると、つい拳に力がはいっちゃう。
そして、愛野さんが動いた時、今までやってきたボクシングが間違いじゃないと確信した。
これだ…
これならいける…
隣で見ていたこーちゃんもニヤリと笑った。
更に拳に力が入った。
試してみたい…
こんな感情も初めてだったかもしれない―




