第23話 幸子のインファイト
「いや~、さっちゃんのお陰で注目度上がってるよぉ~」
この前の大里さんへの挑戦状の件は、会長も気にしてないみたい。
どうやら格闘技界では、こういったことは盛り上がる要素だったみたいで、ジムの人達も、レオさんも喜んでいたの。
盛り上がること自体は良いのだけれど…、私は純粋に単純にボクシングをやりたい訳で…
あまり目立つのは…、やっぱり恥ずかしい…
「それに、雪ちゃんと大里さんの試合は無効になって良かったじゃん。」
そう、会長が言うようにあの試合は無効試合となった。
本当に良かった。
大里さんには厳重注意と一ヶ月のボクシング禁止令がくだされた。
でも私にはわかる。
彼女のビックマウスが、口先だけか、自信に裏付けられたものなのか…
一ヶ月ジムに来られなくても、虎視眈々と牙を研いている。
そういう人だ。
そして私はというと、予定通りインファイターで有名な、愛野 クリスさんとの対戦が決まった。
名前は凄く可愛らしいのだけれど、体格はごっついし、短髪で金髪で鋭い眼が印象的な人。
正直、ちょっと怖い…
フライ級どころか、他の階級を見渡しても彼女ほどのインファイターは少ないらしい。
ガッツリ懐に飛び込んできて、踵を付けて派手に撃ち合うスタイルは、まさしく殴り合い。
成績は7勝2敗で、その2敗は判定によるもの。
つまりはKO負けが無い。
打たれ強さやタフさ、スタミナもとんでもない人。
無呼吸からの連打攻撃は、シューティングスターと呼ばれ恐れられている。
この攻撃で怯んだら最後、トドメの1撃が豪快に飛んでくる。
どう戦うかという作戦については、何度試合映像を見てもよく分からなかった。
でもこーちゃんは、迷わず言ったの。
「さっちゃんが撃ち負ける訳ないじゃないか。堂々と打ち合えばいい。」
えーと、えーと…
今回ばかりは作戦が無いのかと思った。
なので、ひたすら繰り返される心肺能力の強化に励んできた。
そして今日、4試合行われる内の、2試合目という日程で試合が始まる。
そう言えば昨日の会見では記者さんが3人も来てくれた。
その中には、月刊ボクサーの小次郎さんの姿があった。
豊富を聞かれたクリスさんは、自分のボクシングを貫ければ、勝利が手に入ると言い切った。
私は相変わらずオドオドしちゃって…
勉強させてもらいますっ!と答えちゃった。
最後に握手をしたよ。
パラパラと写真が撮られる中、何故か力一杯握手してくるクリスさん。
ボクサーの握手はこういう風にやるんだなぁと思って、グッと力を入れた。
慌てて手を離す彼女は、去り際には鋭い視線を向けてきた。
いったい何だったんだろう?
控室でそんな話をして会長とこーちゃんに、理由は分からないけれど笑われていたら、1試合目が最終ラウンドに入ったと連絡がきた。
ふと壁に視線を移す。
スケルトンフード…
そうだ、委員長さんが言っていたことが本当かどうか聞いてみよう。
「会長。」
「ん?なんだい?」
「このスケルトンフードなんですけど…」
「気に入ってくれた?」
「そ、そうじゃなくて…、私とのギャップみたいなのを狙っているの?」
「んー、ちょっと違うかな。」
ニヤッとする会長。
「…………」
嫌な予感がする…
「さっちゃんはさ、自分が思っているより派手なハードパンチャーなんだよね。1撃必殺、みたいな。それは相手から見たらどう思われていると思う?」
「その1撃だけ交わせば勝てる…、とかですか?」
「いやいや。そんな勇気を持っている人なんて極少数だよ。その1撃が怖いって思っているさ。魂ごと刈り取られる、みたいなね。」
「むぅー。また誂ってますよね?」
「本当だってば。そういう印象を入場曲とスケルトンフードに込めたんだ。テーマは死神《Death》かな。大きな鎌とか作っちゃう?」
「い、いらないです!!」
どこまでが本音で、どこからが冗談なのかわからないよ…
こーちゃんはクスクス笑っているし。
「でもね、さっちゃん。会長が言いたかったのは、そういった恐怖心を煽って、少しでも試合を有利に運びたいってことなんだ。格好良く言えば心理戦かな。」
心理戦…、そんなことしなくったって…
「その顔は、そんなことしなくても勝てるようになりたいって思ったでしょ。」
こーちゃんの指摘に小さくうなずく。
「その気持はわかるし、心構えだとしても大切だよ。でもね、ボクシングは激しいスポーツだから、たった1発のパンチで、どう試合が転ぶか分からない。例え1%でも勝率が上がるなら、俺はどんな手段も使っていきたいんだ。だから会長の案を止めなかった。」
そっか…
こーちゃんは止めようと思えば止められたんだ。
でもそうしなかった。
私のことを、私以上に知っているはずなのに止めなかった。
きっと…、いえ、絶対に私の為になるって思ったんだよね。
分かった。
それならば、存分に活用しなくっちゃ。
いつもは恥ずかしがっていたけれど、今日は堂々と花道を歩こう。
「そろそろ準備してください!」
運営の人の言葉で、リングに上がる準備をする。
スケルトンフードを羽織り、花道に出る扉の前に立った。
まずはクリスさんの入場だ。
壮大なクラシック音楽でオーケストラによる演奏が入場曲。
彼女こそギャップ萌えを狙っていると思う。
あの荒々しいボクシングスタイルに、この優雅な音楽は正反対とも言えるから。
そして私の名前が呼ばれると同時に、激しいメタルが流れる。
バタンッ
フードを目深に被りながら、胸を張って堂々と進む。
そして直ぐに異変に気が付いた。
メタルの音楽に会わせてツインバスが鳴り響くのだけど、その合間合間で合いの手が入っていた。
ドコドコドコドコ 「ハィッ!」 ドコドコドコドコ 「ハイッ!」
最初は2、3人の若い女性の声だけだったけれど、回数を重ねる度に増えていく。
会場中が何かの期待を込めるかのように熱気を帯びていく。
前を進むこーちゃんも、合いの手に会わせて右手を振り上げる。
まるで観客を煽っているかのようだった。
私の気持ちも高ぶっていくのが分かる。
メタル…、いいかも…
リングに上がると同時にスケルトンフードを派手に脱ぎ捨てた。
ワァァァァァァァァァアアアアアアアア!!!
「さっちゃぁぁぁぁぁあああああん!!!」
名前を叫ばれて気合が入る。
観客席には家族や雪ちゃんの顔が見えた。
藤竹おばさんや、委員長さんも見えた。
私を応援してくれている人がいる。
その人の期待に応えるんだ!
『本日第二試合はフライ級4回戦、愛野 クリス選手と、鈴音 幸子選手の、夢の重戦車対決となります!お互い放つパンチは大口径一撃必殺!激しい撃ち合いになるのは必至です!!』
いつもの大袈裟な紹介から試合が始まる。
カーンッ
クリスさんはグローブを顎の前でガッツリ固めつつ、低い体勢で突っ込んできた。
勿論私も飛び込んでいく!
ドドンッ!!!
派手な相打ち!
怯むな!撃ち合え!!
ドドンッ!!!
またもや相打ち!
今度はお互い少しだけ距離を置く。
何だろう…
凄くワクワクする…
楽しい…?
うん、正直、楽しい!
いつもは当たらないパンチが当たり、相手も撃ち返してくる。
純粋な殴り合い。
単純な殴り合い。
お互い軽やかなステップはない。
踵を落とし、後半歩前に出れば射程範囲に入る距離。
リーチもほとんど変わらないことはお互い理解していると思う。
なのに…
頭から飛び込みたくなる!
至近距離でクリスさんの顔を覗き込んだ。
彼女も楽しそうに、ニヤリと笑う。
これこそ私が夢見たボクシングの試合なんだと言いたげだった。
1ラウンド目は、良くも悪くも派手に撃ち合っただけで終わってしまう。
「どうしたの!?もっと撃ち込んでいけ!」
「はいっ!」
「それにパンチをもらいすぎだ。もっとしっかりガードして!」
「はいっ!」
「………。何だか楽しそうだね。」
「うん!楽しい!」
「でも、その先には地獄しかないよ。向こうも、そう助言されているはず。貰ったパンチはどんどんダメージを蓄積していくから。だからガード忘れずに。後、シューティングスターが来たら、正面突破!怖がらずに向かい撃て!絶対に逃げるな!」
「はいっっっ!!!」
カーンッ
2ラウンド目の開始のゴングと同時に、二人は中央で衝突する。
こーちゃんのアドバイス通り、クリスさんもガードを軸にウェービングなどの防御もしっかりこなしてきた。
私も同じ様に防御を強く意識していく。
でも…
お互い攻撃が最大の防御とばかりに、派手に撃ち合っていく。
こうなって初めて冷静にクリスさんを観察した。
1撃の重さは今までに体験したことがないほど重い。
それと、パンチを繰り出す回転率も凄い。
休む間もなくどんどん撃ち込んでくる。
何度か良い感じのパンチを当てているけれど、耐えられていた。
足を使った撹乱や退避はない。
ペッタンペッタンと地に足を付けての闘い。
こんな相手に私が取るべき作戦は…
こーちゃんからのアドバイスは、とことん撃ち合えだっけ。
でも、まともに撃ち合ったらきっと手数で私の被弾が増えちゃう。
あっ…
そう言えばインファイターと戦う話をしていた時に…
今回の戦いの目的を話し合っていたはず…
おでこがくっつきそうな距離での撃ち合い。
直ぐに行動に移した。
撃ち抜かないショートアッパーを2連打し意識を下に向けたと同時に…
ズパンッ!!!
豪快な右フックが炸裂する。
ワァァァァァァァァァアアアアアアアア!!!
フラフラッとするクリスさん。
再び距離を詰めて休ませない。
ズドンッ!!
ボディをもらってしまった。
けれど、引かない!
引いちゃ駄目だ!
ズバンッ!!!
脇の下からガードの隙間をスマッシュで応戦する。
不意打ち気味にはいったパンチで、クリスさんがヨロヨロッとしてロープに背を預けた。
いける!
カーン…
2ラウンド終了のゴングが鳴った。
会場からは溜息がもれている。
今畳み掛ければ、かなり相手を弱らせることが出来たはず。
惜しかった…
「良い戦いだった!」
こーちゃんは私の顔を覗き込みながら言ってきた。
その瞳は真剣だ。
コクリとうなずく。
「今みたいに、相手の嫌がることを仕掛けていくんだ。精神的に追い込んでとどめを刺せ!」
「ハイッ!」
そう、インファイターとしての戦い方を確立するのが、今回の試合の目的だった。
左で相手を封じ、右で倒す。
嫌がる事を探って、徹底的にそこを突く。
そんな練習をしてきた。
よし!
カーンッ
3ラウンド開始のゴングが鳴る。
三度至近距離まで近づく二人だったけれど、今回は一歩手前で足が止まる。
派手で単純な撃ち合いが続いた試合だけれど、何かが起きると感じさせる緊張感が、急速に高まっていく。
それは二人だけじゃなく、セコンドや観客にも伝染し、会場のボルテージが1段階上がっていくのが肌から伝わってきていた。




