第22話 幸子からの挑戦状
あああぁぁぁぁぁ…
会場中から溜息が聞こえてくる…
一体何が起きたの…
ざわつき始めた会場の中、アナウンサーの解説だけが聞こえてきた。
『どうやら池田選手、運悪く口元に肘が当ってしまったようですね…』
その言葉に、我慢していた会場中の人達が爆発した。
怒号、罵声が飛び交い、パニック状態になっている。
こんなんんじゃ駄目だよ…
私の大好きなボクシングの試合じゃないよ…
それに…
一番怒っているのは…
間違いなく…
私なんだから!!!
ムクッと立ち上がると、ヅカヅカと通路を進んでいき、ブーイングの中でも悠々と右手を上げる大里選手の近くへと向かっていく。
「大里さん!!!!」
目一杯大声をあげる。
会場は一瞬で静かになった。
(どうぞ!)
いつ持ってきたのか分からないほど、迅速にマイクを渡される。
構わず掴んだそのマイクに向かって叫んだ。
「あなたが新人キラーとして私にも挑戦状を渡そうとしていたことは知っています!」
「だったら、何だっていうんだ?」
「敢えて言わせてもらいます!私から大里さんに挑戦状を叩きつけます!!」
ワァァァァァァァァァアアアアアアアア!!!
会場は大盛り上がりだった。
「上等だ。遅かれ早かれぶっつぶしてやるつもりだったからよ!」
「私はあなたを絶対に許さない!」
「偶然のアクシデントに対して怒ってるのか?それとも友情ごっこか!ギャハハハハ…」
「「「ごっこじゃない!!!」」」
ハウリングを起こすほどの大きな叫びに、会場が静まり返った。
「私の…、私の親友を傷付けたあなたを絶対に許さない!親友を理不尽に傷付けられて黙っていられるような人になりたくない!!私はボクシングであなたをKOしてやるんだからぁ!!!」
「ピーピー五月蝿い奴だなー。そうだ、クリスマスバトルに出たいって言っていただろ?そこでやってやるよ。俺もエントリーしてやる。おい!運営!いるんだろ!?俺らの試合、1試合目で組んどけ!!」
私は自分を制御出来ていなかった。
きっと鋭い目付きで睨みつけてる。
「ん?いっちょ前に殺気だってるじゃねーか。何なら今ここでやるか?あぁん?」
カチンっときた!
「いいですよ!やって(やるっ!!!)」
突然後ろから口を塞がれた。
(鈴音さん!挑発に乗っちゃ駄目!ここは下がって!)
耳元で小声でそう伝えられる。
振り向くと、クラスメイトの委員長さんだった。
(委員長さん…?)
コクリと小さく頷かれた。
(ほらっ、行くよ。)
強引に連れていかれる。
そこでようやく冷静になれた。
会場は大騒ぎで、私に対しては「よく言った!」とか「応援するぞ!」なんて声がかかり、大里さんに対しては「マットに沈んでしまえ!」「調子に乗った小娘を返り討ちにしろ!」などと怒号罵声が飛んでいた。
私達はそのまま会場出口から通路へと移動した。
「委員長さんも見に来ていたの?」
そう聞いてみた。
「そうよ。ずっと真後ろにいたじゃない。」
「えっ!?」
彼女の隣にいた見知らぬ女性が、ニヤニヤしながら聞いてきた。
「シノシホさん、委員長とかやっているんだ。意外~」
「もう!鈴音さん、リアルな事はこれ以上言わないで。面倒だから。」
「あっ…、ごめんなさい…」
ペコリと頭をさげる。
見知らぬ女性を紹介してもらうと、委員長さんがネットを通じて知り合った格闘技ファンの人で、「ナシノ」さんという変わった名前だった。
話を聞いていると、委員長さんが参加する格闘技ファンが集まるコミュニティ内のルールで、名前の一部をハンドルネームにするみたい。
委員長さんは、星野 志穂で頭文字の「ホ」だけ抜いて「シノシホ」と名乗っているんだね。
色んなつながりや、つながるための色んなルールがあるんだなぁ。
「へぇー。本当にリング外では大人しい人なんだね、鈴音さんって。でもマイクパフォーマンスには驚いたよ!」
そう言われた。
そう…、なんだけど…
私自身が驚いている訳で…
「私だって驚きだよ。鈴音さんがあんなに熱くなるなんて、想像もつかなかったもん。」
「私…、友達いなかったから…。雪ちゃんが初めての友達で親友だから…。だから友達傷付けられて…、頭にきちゃったというか…、そういうの初めてで…、どうしたら良いかわからなくって…、熱くなっちゃったみたいで…」
二人は顔を見合わせて、驚きながらも笑顔だった。
「あんなに怒る事が出来るなんて、本当の親友なんだね。」
「うん。だから、これから控室行きたいの。」
「池田選手の?」
「うん…」
「分かった。行っておいで。私達はこの後の試合も観る予定だから。」
そうだった…
相田チャンピオンの防衛戦だった…
でも…
「私、行ってくる。」
二人は手を振って見送ってくれた。
急いで雪ちゃんの控室に向かう。
コンコン…
ノックをしたけれど、反応は無かった。
もしかして…、会わせて貰えないかも…
あんな試合の後だし…
あっ…
私が勝手に挑発しちゃったから怒っているのかも…
どうしよう…
待って…
会長やこーちゃんに何て言えば…
あわわわわわ…
どうしよう…、どうしよう…
もしかしてとんでもない事を言ってしまったのでは…
カチャリ…
不意に扉が小さく開く。
覗き込むようにしているトレーナーの小林さんが見えた。
部屋の中に向かって「鈴音さん来たけど?」と聞いてくれた。
小さな声で雪ちゃんらしき声が聞こえて、扉が開かれた。
彼女は額に包帯を巻き、口元はタオルで冷やしていた。
シャツには沢山の血痕…
ゆっくりと近づくと、そのままそっとギュッと抱きしめる。
「私あの人を許せない…」
「うん…。さっちゃんが怒ってくれたの、聞いてた。」
「ご…、ごめんね…、勝手にあんな事言っちゃって…」
「んーん。嬉しかった。」
「ほんと?」
「うん、嬉しかった。あんなに本気で怒ってくれる友達なんて、今まで居なかったから…。本当に嬉しくて…」
雪ちゃんは私の肩に顔を埋めて、泣いていた。
「私が勝手にライバルだとか親友だとか言っているだけかもって不安はあったの…。さんざん言っておきながら笑っちゃうよね…。だから謝るのは私の方だよ…」
「私も初めての友達だから…。本当は何が正解か分からなくて…。」
「さっちゃんからは沢山勇気を貰ってる。さっきの試合だって、ファンクラブの人が罵声とか飛ばしていたのに、途中でさっちゃんが何か言ってくれたら、いつも通りの応援に変わって…。勇気をいっぱい貰えた。だから調子よくやれたのに…。悔しいよぉ…」
肩は涙でいっぱい濡れていた。
「雪ちゃんをがっかりさせるような試合は、絶対にしないから。」
「ありがとぅ…。でも…、また反則使ってきたら…。今度はさっちゃんが怪我しちゃう。それに…。いつ使ってくるか分からないし、痛いし、怖いし…。私途中で恐怖で体が動かなくなって…」
彼女の体が小刻みに震えていた。
私は更にギュッと抱きしめた。
「大丈夫。私は…、殺されそうになったこともある…。それに、感情が無くなって毎日虐められた。暴力…、意地悪…、暴言…。」
「さっちゃん…」
「毎日…、毎日…」
「……………」
「それに比べたら怖くなんかないよ。例えナイフを持ち出してきても私は戦う。それよりも、親友を怪我させて、怖がらせるような人に負ける事の方が嫌。そんな自分には絶対ならないよう、私…、死ぬ気で頑張るから!!!」
「さっちゃん…、さっちゃん…」
雪ちゃんも力強く抱きつく。
「ありがとう…」
その言葉に、私の頬にも涙が零れた。
初めて友達に言われたから…
嬉しくて…、暖かくて…
「さっちゃん、私も頑張る。あんな奴に負けないよう、もっと強くなる!」
雪ちゃんの力強い言葉に、私の心はどんどん熱くなっていく。
「私も…、有言実行しなくっちゃ。これで負けたら、本当に笑われちゃう。」
「もう、他人事みたいに言わないの。」
「何だか変だね。でも…、会長なんて言うかな…」
その時、私達のやりとりをジッと見ていた見知らぬおじさんが話しかけてきた。
「その件については、俺から三森に話しておこう。」
「会長!」
雪ちゃんが叫ぶ。
ということは…、雷鳴館の…、会長さん…?
「!?」
あわわわわ。
あ、挨拶しなくっちゃ。
「あっ、あの…、挨拶が遅れました…。三森ボクシングジムの…」
「あぁ、知っておる。顔を合わすのは初めてだったかな。いつも映像で見ているから、どうも初めてな気がしなくてな。こちらこそすまん。雷鳴館会長、轟木 隆之介だ。よろしく。」
うちの会長とは違って、威厳があり厳格な雰囲気が漂っていた。
もちろん…、お腹は出ていない…
「は…、初めまして…」
「うむ。俺は三森に借りがある。」
うそっ!?
あの熊さん会長が、雷鳴館会長に借りを作るほどのことをしたの!?
「だから、鈴音君の気持ちを優先しよう。三森にも言っておく。それに、クリスマスバトルの件も、やれる限りのことは協力しよう。悪いようにはされないだろう。」
「あ…、ありがとうございます!」
「なぁに、さっきまでワンワン泣いていた池田を立ち直らせてくれたんだ。それに三森の顔も立ててやれるだろうしな。一石二鳥でお安い御用だ。」
泣いてたの…?
雪ちゃんの顔を見たら、彼女は直ぐにそっぽを向いた。
そっと顔を包み込む。
「辛い時、私も雪ちゃんのところで泣いていい?」
「当たり前じゃない。親友なんだもん。」
「ありがとう。」
「どいういたしまして。」
雪ちゃんは涙目で最高の笑顔をしていた。
次の日―
日曜日なのでアルバイトはお休み。
朝から恐る恐るジムに顔を出す。
「さっちゃん!」
直ぐに腕組みをしているこーちゃんに見つかる。
なんだか怒っているようにも見えた。
「か…、勝手なことをして…、ごめんなさい!」
「……………」
あぁ…、やっぱり怒っている…
「さっちゃん!」
「は、はい!」
「よく言った!!!」
「えっ!?」
「ネット配信で見ていたよ。いやー、スカッとした。遅かれ早かれ戦うことにはなったんだ。日付が確定した方がトレーニングの予定も組みやすいしね。さっ、やること沢山あるよ!」
「う、うん!」
「勝つんだろ!?」
「絶対に!」
「よーし、わかった!俺も全力を出すから!」
「えっと…、か、会長はなんて…?」
「問い合わせが結構あって、注目浴びてるって喜んでいたよ。でもね、怪我だけはしないように気を付けないと。クリスマスバトル、いけるところまでいくんだろ?それが怪我で不戦敗じゃ残念過ぎるからね。」
私は胸の前でギューっと両手を握った。
顔が火照っていくのがわかる。
だって…、だって…
こーちゃんは私の望む道を、いつも照らしてくれているから。
「まぁ、現実的には大里選手との戦いの前に、いくつか試合するのが当面の目標かな。」
「探すの大変?」
「とんでもない。沢山挑戦状届いているよ。選り取り見取り。その中でも、さっちゃんの成長を助けるような試合を組みたいんだ。」
「どんな人とやったらいいの?」
「親父と色々話し合ったのだけれど、アウトボクシングはレオさんや雪ちゃんといった人と対戦していて、それなりに対応策も出来たと思うんだ。まぁ、まだ未完成ではあるけれど…、だからまずは長所を伸ばす為にインファイターとやる。」
そう言えば対戦してないかも。
「そもそもさっちゃんがインファイターなんだけど、うちには男子も含めてコテコテのインファイターっていないからね。負けるつもりは無いけど、負けてもいい。その代り、インファイトの闘い方をその試合で全部吸収するんだ。それは絶対にさっちゃんの為になるから。」
「はいっ!」
それからの練習メニューは、今までとガラリと変わった。
徹底的に走り込んで、心肺能力の強化もする。
「ほらほら!無呼吸で連続攻撃!まだまだまだまだ!」
「左!左!左!!もう疲れたの!?そんな余裕ないよ!相手が同じように左を使ってきた時の対処方法まで考えて撃つんだ!時間無いよ!!」
「よし!ランニング行くよ!!」
厳しいトレーニングだけれど、彼はちゃんと私の疲労具合を見ていてくれる。
疲れが酷い時はしっかりと休憩もしてくれるし、水分補給のタイミングも考えてくれている。
1秒も無駄に出来ない。
そんな緊張感が高まっていくなか、私の3試合目を迎えようとしていた。




