第19話 幸子の自信
「会長…、またスケルトンフードのマントなの…?」
控室に仰々しく飾られているフードを恨めしそうに見つめた。
「ん?もちのろんだよ!まぁ、そんな事を気にする余裕があるなら大丈夫かな。」
「………。」
むぅー
会長は緊張をほぐしてくれているのか、誂っているのか…
でも、緊張はあんまりないかな。
菅原さんからも色々とアドバイスもらって、今回は不安要素が少ないかも。
雪ちゃんとの試合とは違う感じで、早くやりたいって思ってる。
「油断は禁物だけど、一つ一つこなしていけば大丈夫だよ。」
こーちゃんの言う通りだよね。
油断や慢心が一番駄目。
集中…、集中…
コンッ、コンッ
扉がノックされる。
誰だろう?
こーちゃんが扉を開けた瞬間、何かが突撃してきた。
「さっちゃーーーん!」
直ぐに気が付いた。
「雪ちゃん!」
彼女にガッツリとハグされる。
「今日は観客席から応援するからね!」
「うん!」
「それに、聞いた?対戦相手の山崎さんのコメント!」
「んー、聞いたかも知れないけれど、覚えてない。」
「えー!?すんごいバカにされているよ、あたい達!」
「そうだっけ?」
正直なところ、誰に何を言われようとも興味がなかったかも。
これは対戦相手をなめている訳ではない。
ずっと陰口を言われ続けたから、相手の皮肉や挑発が全然気にならないの。
「1ラウンドKO宣言までしているんだから!」
「凄いね。」
「もう!他人事じゃないよ!」
「うん、わかってる。」
「あたい達を小娘呼ばわりした挙げ句、3分立っていられたら褒めてやるとか、あんな大振りパンチ当たるわけがないだとか、基礎から教えてやるとか、いちいち上から目線でムカつくと言うか…」
山崎さんの煽り文句を、興奮気味に並べていく雪ちゃん。
マシンガントークのように言うだけ言うと、何だか疲れているようだった。
私が無反応な事に気が付き、雪ちゃんが少し冷静になると、優しい表情で小さく溜息をした。
「ふーぅ。それだけ冷静なら、心配いらなかったみたいだね。ガツンとかましちゃえ!」
「うん!見ててね!」
「じゃぁ、また後で!」
手を振りながら退室していく雪ちゃん。
「相変わらず賑やかな人だ。」
会長の言葉に納得。
緊張や嫌なことすら吹っ飛んじゃうほど、元気で明るいの。
私もあんな風になれたら良いなぁ…
『さぁ、今日は女子ボクシングオンリーの日程となっております!先程までアトム級、ミニ・フライ級の試合が行われておりました。次はフライ級4回戦、注目のアマチュアチャンピオンに君臨し続けた山崎 来夢選手、24歳のプロ2戦目と、同じく2戦目の鈴音 幸子選手の試合となります。この次の試合は、本日のメインイベント、フェザー級のタイトルマッチとなります。そんな熱気に包まれた会場からお送りしています…』
ホールに向かう扉の向こうでは、いつものアナウンサーが会場とネット配信に向けてアナウンスを続けている。
スケルトンフードを目深に被る。
先に山崎選手が呼ばれ入場している。
大きな歓声がここにも聞こえてきた。
ちょっと緊張してきたかも…
『青コーナー、三森ボクシングジム所属ぅー、鈴音 さちーこー!』
重低音のドラムに派手なエレキギターが爆音を轟かせる。
うぅ…、やっぱりはずかしい…
「さっちゃーーーーん!!!」
扉の向こうから名前を呼ばれた。
雪ちゃんと家族達の声援も一緒に聞こえてきた。
ハッと顔を上げた途端、扉が開く。
眩しいスポットライトから逃げる様に視線を落とす。
ワァァァァァァァァァアアアアアアアア…
聞いたこともないような歓声に包まれた。
花道のリングに一番近い席に、お母さんとナナちゃんとマー君、そして雪ちゃんがいる。
雪ちゃんは目一杯右手拳を突き出していた。
その拳に軽くグローブでタッチしてからリングに上がる。
既に上がっていた山崎選手と視線が合う。
凄く怖い形相…
でも、負けてられない!
レフリーに呼ばれる。
「ローブロー(トランクスのベルト部分より下への攻撃)、サミング(グローブの親指で目を突く行為)は厳しくとっていくから…」
注意事項の説明を受けている間も、山崎さんの睨みつけるような視線は私に向けられていた。
説明が終わると、普通はグローブをタッチすると教えられていた。
彼女がフッと手を上げてきたので、合わせて私も手を持ち上げた途端…
バンッ!!!
激しく上からはたき落とされた。
呆気にとられていると…
「精々頑張りな。噛ませ犬さん…」
思わずポカーンとしてしまった。
「コーナーへ!」
レフリーの声で我に返る。
何に…
一体『何に』怯えているんだろう…?
青コーナーに戻ると、直ぐにこーちゃんが声を掛けてくる。
「何か言われた?」
「私、噛ませ犬だって…」
「さーて、本当にそうなのかどうか、教えてあげようか!」
「はいっ!」
「作戦忘れないように!」
「はいっ!」
こーちゃんの言葉は、迷いを消して嫌な空気を吹き飛ばしてくれる。
カーン
ゴングと共に、直ぐに近くへ寄っていく。
向こうもガードを固めながら一気に近寄ってきた。
予想通り、左ジャブを積極的に撃ってくる。
ウェービングやスウェーで頭を振って交わしていく。
しつこく左ジャブが飛んでくるけれど、ほとんど当たらない。
当たってもガードで確実に防いでいく。
山崎さんが少しずつ焦ってきている…
もう少し…
焦りが苛立ちに変わってくる…
もう少し…
まるでこちらに撃たせないように必死に左ジャブを出している感じ…
彼女の目に力が入る!
来たっ!
ガードを崩すための重いストレート!
今までより鋭いウェービングで右下に潜り込みながら体を捻り込み…
右ボディ!!
ズドンッ!!
深々と突き刺さった拳の感触を確かめる間もなく、今度は左拳を後方へ捻り上げていく。
くの字に折れた山崎選手の顔面は、丁度位良い高さに落ちてきた!
ズドンッ!!
左フック!!
右へ吹っ飛ぶ彼女の位置を確かめながら、今度は右拳を後方へ捻り上げていく。
極限まで縮められたバネが弾けるように、一気に右拳を振り上げた!
ズドンッッッ!!!!!
右スマッシュ!!!!!
左へ派手に吹っ飛ぶ。
それと同時にマウスピースも飛んでいった。
その光景に、追い打ちをかけようとして止める。
ダンッ…
派手に倒れた山崎さん。
「ダウンッ!」
レフリーの声で、ニュートラルコーナーへ向かう。
「ワン…、ツー…、スリー…」
数えられていくカウント。
同時に鼓動が高なっていく。
ダウンを取った…
私が…
殻に閉じこもって何も出来なかった私が…
「フォー…、ファイブ…、シックス…」
ダウンを取った…
観客席からもカウントが聞こえてくる。
「セブン…、エイト…、ナイン…」
ワァァァァアアアア…
「テンッ!!」
直ぐにレフリーが近寄ってくると、高々と右手を掲げられた。
カンカンカンカンッ!!!
ワァァァァァァァァァアアアアアアアア!!!!!
体を震わせるほどの大歓声に包まれる。
凄い…
凄いよ…
「さっちゃーーーん!!!」
「おめでとーーーー!!!」
暖かい声援に、涙が零れてマットを濡らす。
右手を降ろされると同時に、ギュッと抱きしめられた。
「おめでとう!さっちゃん!!」
こーちゃんだった。
「勝負を挑んで勝つって、最高でしょ?」
「うん…」
「さっちゃんが成し遂げたんだよ。」
「うん…、うん…」
「本当におめでとう!」
「ありがとう…、こーちゃん…」
彼も薄っすらと涙を浮かべていた。
涙が止まらなくなって、彼の肩に顔を埋めて泣いた。
嬉しくて、嬉しくて…
こーちゃんは優しく頭を撫でてくれる。
心が熱くなって、更に涙の量が増えちゃった。
『さぁ、改めて大きな拍手をお願いします!』
いつの間にかアナウンサーがリングに上がってきていた。
ワァァァァァァァァァアアアアアアアア!!!
大歓声と共に沢山の拍手がリングごと包んでいるようだった。
不思議な感覚だった。
『1ラウンド2分12秒KO勝ち!もう私達は認めるしかありません!フライ級に鈴音選手アリと!』
アナウンサーの大袈裟な言葉に、観客からは沢山の声援が飛び交っていた。
『凄い試合でした。最初から狙っていましたか?』
一歩離れたこーちゃんに催促されて、質問に答える。
「作戦の第一段階でした。」
『まだまだ色んな作戦が控えていたと?』
「はい。」
『しかし山崎選手は耐えられなかった。いえ、あれほどの強烈な連続攻撃をまともに喰らえば、立っているのは至難の技でしょう!』
「あ、ありがとうございます…」
褒められているような、そうじゃないような…
『次の目標はありますか?』
「兎に角挑戦し続けたいです。そして、クリスマスバトルに出たいです!」
『それは楽しみです!では最後に、ファンに向かって一言!』
「私は…、こんなに沢山の人から応援されるような事がなくって…、だから…、その…、皆さんの応援から沢山の勇気を貰って頑張ることが出来ます…。これからも!応援していただけるような試合をしたいと思っています!よろしくお願いします!!」
ワァァァァァァァァァアアアアアアアア!!!
花道を引き上げようとすると、お母さん達と雪ちゃんが待っていた。
「さっちゃーーーん!」
お母さんは口元を抑えながら手を大きく振っていた。
ナナちゃんとマー君は興奮状態で叫んでいた。
雪ちゃんはボロボロと泣きながら右手を突き出してきたので、軽くグローブを当てて答えた。
控室に戻ると、歓声はほとんど聞こえなくなり、夢から帰ってきたかのような感覚だった。
「どんな気分?」
こーちゃんがタオルを渡しながら聞いてきた。
「何だかくすぐったいような感じ…。でも…、もっと試合したいって思ってる。」
「それはきっと、「自信」って感情なんだよ。」
「でも…」
「そうやって否定しないの。言ったでしょ。ボクシングを続ける為に必要なことを教えてあげるって。俺からは自信を持つことも大切だってことを伝えたかったんだ。」
私は何をやっても駄目だったし、注目されるような事も成功させたことがなかった。
挑戦しないことが普通。
挑戦したとしても失敗が前提。
そんな考え方が見についてしまっていたのかも。
「勝てるっていう自信だけじゃないよ。今まで誰にも負けない努力をしてきた自信、困難を乗り越えてきた自信、色んな自信があると思うんだ。苦しくて苦しくて倒れそうになった時に、きっとその自信達がさっちゃんを助けてくれるはず。自信って漢字はさ、自分を信じるって書くだろ?そういうことも大切だって伝えたかったんだ。」
自分を…、信じる…
自信―――
雪ちゃんには「悔しさ」を教えてもらった。
こーちゃんには「自信」を教えてもらった。
どっちも私がボクシングを続ける為には、とても大切なことだと思う。
だって、両方とも私が一度も感じたことがない感情だったから。
また一つ、成長出来たと思える1日になった。




