第17話 会長とコロッケ
ピロピロピロピロ…
ん?スマホが鳴ってる?
土曜日の夕方。
今日はレオが休みだし、練習生もそろそろ終わりにしようかと片付けを始めた時間だ。
画面を見ると、朋ちゃんからだった。
なんだろ?
彼女の家に雪ちゃんが遊びに来ている日のはず。
あの2人なら問題が起きたとは思えないけど…
「もしもし?」
『お疲れ様。』
「どーも。」
『突然だけど、夕飯うちに食べにこない?』
お、久々に朋ちゃんの手料理かぁ…、いいね。
幸一も喜ぶだろうな。
「是非に。」
『良かった。作るのはさっちゃんと雪ちゃんだけどね。』
おっと。
あの2人が作るのか。
「まぁ、そういうのもいいかもね。」
『フフフ…。何時頃来られそう?』
「んー…」
うちのジムでは、男子は階級5位の選手がいるし、女子ではレオが頑張っている。
そのお陰もあって少しずつ注目されているかな。
なので、色々と調整事項もあるのだけれど…
まっ、いっか。
「19時頃、幸一と行くよ。」
『分かった。その時間に合わせて料理するから、遅れそうなら早目に連絡頂戴ね。』
「あぁ、分かった。いつもありがとうね。」
『いいのよ。お安い御用よ。』
通話を終わらせると、幸一にも知らせておく。
「分かったー」
と軽く返事をしながら、ジムの片付けやら掃除やらやっていた。
あいつのお陰で、ジムの運営はかなり楽になった。
結果を出す選手が増えるほど忙しくなっていったからなぁ。
ジムの照明を切って、朋ちゃんの家に向かう。
「正月以来かな?」
「そうだったかもね。ついでだから報告しちゃう?」
「そうだな。」
玄関を徐ろに開けて「ちーっす」とか声をかけながら上がっていく。
「あっ、三森さんとお兄ちゃん来たよ!」
お皿や茶碗を運んでいたナナちゃんと遭遇。
どうやら準備の真っ最中らしい。
女手が足りている時は、下手に手を出さない方がよい。
これは個人的な経験則だ。
絶対に手を出すな、という訳ではないが、気心知れた朋ちゃんの家では尚更無用だ。
幸一が手伝った方が良いのかどうかとソワソワしていたが、「御呼ばれされたんだ。じっとしてろ。」と言うと、大人しく座る。
次々と料理や食器が運ばれた。
「おぉー!今日はコロッケだね。」
自分の担当が終わったらしいマー君に聞いてみた。
「そうだよ!お姉ちゃんと雪さんが作ってくれたんだ!」
「マー君はコロッケ好きかい?」
「うん!大好き!10倍デカいの食べたいって言ったけど駄目って言われちゃった…」
「そりゃぁ、残念だったねぇ…」
何気無い会話から、あの2人が作ったのは間違いないことがわかった。
雪ちゃんの方は知らないが、さっちゃんは家事を手伝っていると聞いているし、楽しみにしておこう。
その前に、幸一でも料理してみるかぁ。
「幸一、さっちゃんの手料理、楽しみだな。」
「なっ!?何を言ってるんだ…」
「楽しみじゃない?あっそう…」
「そういう事じゃなくて、何でそんなこと聞くんだよ。」
「特に意味はないけど?幸一こそ、何を気にしているんだい?」
わざとニヤニヤしてみる。
「クソ親父め…」
ちょっと赤面しながら認めているようだ。
まぁ、さっちゃんに対する指導を見ていれば、彼女のことが気になっているんだろうなーぐらいはわかる。
最近はトレーニング方法について、物凄く勉強しているのを知っている。
さっちゃんには幸一がトレーナーだと甘えだとか出ると言ったけれど、本当は違う。
2人はそんな甘っちょろい関係じゃない。
ひまわり荘にさっちゃんが来て、俺が初めて会った時は、正直絶望しか感じられなかった。
そのぐらい酷い状況だった。
そこから1年かけて、朋ちゃんが初めて会話出来たと聞いた。
更に3年ぐらいかけて、変わりたいと言ってくれたと聞いた。
嗚咽を漏らしながら話してくれた朋ちゃんの姿が忘れられない。
努力という二文字で終わらせられるような内容じゃなかったことを知っている。
そして、そんな2人を間近で見てきた幸一。
彼もさっちゃんを守ろうとしているのは、兄としてか、同級生としてか、お母さんである朋ちゃんを見ていたからか、男だからなのかは分からない。
もしかしたら全部かもしれない。
そんな幸一が真剣に、本当に真剣にさっちゃんをボクサーとして育てようとしている。
これが悪い結果になるもんか。
試合の結果はともかく、2人にとっては重要な時間を過ごしているに違いない。
それに…
今のところ二人共良い方向にすすんでいる。
さっちゃんの成長は目覚ましいし、それをサポートする幸一自体も成長している。
うんうん。
後は結果が伴ってくれれば最高なんだけど…
デビュー戦が强烈過ぎて、前途多難かもなぁ…
そんな考えにふけっていたら、テーブルには沢山のコロッケと白米、赤だしの味噌汁にサラダが並んでいた。
「あっ、熊さん会長、こんばんわ。」
雪ちゃんの挨拶。
「どうも、こんばんわ。豚さん会長じゃなくてホッとしたよぉ~」
「あははははははっ」
テーブルを笑顔が囲む。
「「「いただきまーす!」」」
子供達の元気な声を皮切りに、テーブルは戦場と化した。
ある程度食が進んだところで、ちょっと誂ってみたくなってきた。
これは悪い癖ではなく、俺の日課だ。
「幸一、美味いか?」
「ブッ…、な、何なんだよ…」
「さっちゃんと、雪ちゃんの手料理だよ。」
「お…、美味しいよ…」
直ぐにさっちゃんと雪ちゃんを見る。
「素直に美味しいって言われると、何だか嬉しいね。」
雪ちゃんは素直に喜んでいた。
「…………………」
さっちゃんは、今まで見たことないぐらい照れていた。
ほぉ、ほぉ。
耳まで真っ赤だ。
「二人共、良いお嫁さんになれるよ。」
「お…、お嫁さん…」
頭からプシューと聞こえてきそうなぐらい照れていた。
幸一はというと、食べようとしていたコロッケを落としそうになるほど照れていた。
グフフ…、楽しい…
「あらあら、豚さんが人の言葉を喋っているわね。後できつーく躾けしておかないとね。」
朋ちゃんから厳しい眼差しが飛ぶ。
誂うなと言いたいようだ。
彼女、怒らせると怖いからなぁ…
今日のところはこの辺にしておこう。
でも、雪ちゃんだけは、さっちゃんと幸一の反応を楽しんでいるようだった。
さてさて。
夕食を食べ終わり、食後のお茶をいただいたところで相談しておこうかな。
「さっちゃん。」
「?」
小首を傾げている。
「実は、試合の申し込みがあった。」
「!!」
まぁ、驚くよね。
デビュー戦が終わったばかりだし、正直、対戦相手は色々と探さないと駄目かもなぁって思っていた。
「やるとすれば4月か5月ごろになるかなぁ。どう?やりたい?」
「対戦相手が気になりますけど…、気持ちとしては試合したいです。」
おぉ…
悔しいって気持ちが理解出来たことによって、凄く前向きに考えるようになったかも。
これは紛れもなく雪ちゃんのお陰。
本当に助かったと思ったのも事実だよ。
だって、控室に戻ってきても泣きじゃくるさっちゃんに、声を掛けても泣き止んでくれなかったし、ぶっちゃけどうして良いか検討も付いていなかったから。
最悪、ここから立ち直らせられないかもって考えていたほど。
「対戦相手はね、1勝0敗の元アマチュアチャンピオンの山崎 来夢さん。年齢は…、確か24歳だったかな。大学時代にアマの日本チャンピオンになったんだね。」
「どんなボクシングスタイルなのですか?」
雪ちゃんが聞いてきた。
所属が違う彼女に対して、他のジムの人間だからと情報を隠したりするつもりはないよ。
それは勿論、彼女が僕らにとって特別な存在だと認めているからね。
「んー、敢えて簡素にまとめるなら、正統派かな。」
「正統派…」
雪ちゃんは直ぐにピンッときたみたいだけど、さっちゃんは良く分からなかったみたいだね。
「アマチュアのボクシングはね、有効打で1ポイントもらえるというポイント制なんだ。ダウンとっても有効打1点と同じ。だから、ダウン2回とってもポイントで負けることもあるんだよ。」
「………」
「そんな世界でフライ級の日本アマチュアチャンピオンになった山崎選手だけれど、アマに対戦相手がいなくなっちゃってプロに転向したって話し。一応映像見てみたけど、派手さはないけど、正確でスピード感もあって、兎に角手数が凄かった。」
「なんとなくですけど、分かりました。そんな試合経験豊富な人と、試合をしてみたいです。」
さっちゃんの言葉に、朋ちゃんが嬉しそうに頷いていた。
前向きな考え方が自然に出来ているからね。
見守っている側からすれば、万歳三唱だ。
「まぁ、経験と言ってもアマの話しだしね。プロでは同じ土俵だよ。」
「そ、そんなものでしょうか…?」
「そんなもんだよ。」
「あの、会長…」
「ん?」
「変な考えだったらハッキリ言ってくださいね。」
何だ何だ?取り敢えず頷いておくか。
「私は、クリスマスバトルを1つの区切りとして、そこで勝てるよう努力したいのです。」
「つまり、今は負けてもいいから、色んなことを吸収したいと?」
「はい…」
彼女の目は真剣だった。
そっかー、あくまでもクリスマスバトルが目標なんだ。
朋ちゃんの話だと、チャンピオンとレオの試合を見て、ボクシングに興味を持ったみたいらしいけれど、思い入れがあるのかな?
強すぎる思い入れは悪影響も出るかも知れないけれど、まぁ、目標としては良いんじゃないかな。
いきなりチャンピオンと当たったりすると不完全燃焼になっちゃうかもなぁ…
「取り敢えず、さっちゃんが言いたい事はわかった。だけどね、この申込みはラッキーだと思っているよ。」
ビックリした表情のさっちゃんと、隣で深く大きく頷く雪ちゃん。
「ら、らっきー?」
「さっちゃんなら優位に試合を運べるからさ。」
「そんな…。私はまだまだだし、もっと上手くなれるって感じています。もっと頭と体を動かせるはずだって…」
この子は自分の限界を、物凄く高く設定している。
本来ならばやんわり否定するところだ。
だけど…、恐れを知らない彼女なら…
一流から超一流へと、限界突破するかも知れない…
「まぁ、取り敢えず受けちゃおうか。そして確かめるといいよ。」
「確かめる?」
「自分の強さをね。」
ちょっとションボリするさっちゃん。
あぁ…、僕とは反対の意味で受け取ったかな?
もしくは誂われたと思ったかな?
まぁ、やればわかるよ、さっちゃん。
「多分だけど、この申し出を断ったら、雪ちゃんの方に申込みがあるかもね。」
「あぁ、うちの会長も色々言ってました。」
「だよねぇ。あんな派手なデビュー戦飾っちゃったら、他の選手から嫌でも注目を浴びちゃう。良いことではあるけれど、望まない相手まで呼び込んじゃうかもね。」
ピンッときた様子の雪ちゃん。
雷鳴館でもそう思っていると理解した。
「そうらしいです。大阪の堺ボクシングジムにガラの悪い選手がいて、新人潰しが得意だとか…」
「そうなんだよ。反則スレスレのボクシングするみたいだしね。いずれ2人にも果し状がくるだろうね。」
「返り討ちにしてやりますよ!ねっ!さっちゃん!」
「相手は誰だって構いません。私が成長出来るなら、どんどん試合組んでください。」
彼女の言葉に、雪ちゃんの表情が真剣になっていく。
ライバル…、いいねぇ、そういうの。
ただし、まさかあんな激しいデビュー戦をしちゃうとは思ってなかったなぁ。
2人は気付いてないけれど、業界では注目されているよ?
良い意味でも、悪い意味でもね。
女子ボクシングが少しでも盛り上がるならと喜ぶ人達と、ふざけんじゃねーぞと反発してくる人達。
そうでなくても僕の周囲には色んなことを抱えている人が多いのに、これは忙しくなっていくぞ。
えっ?忙しくなさそうだって?
レオのタイトル戦もやりたいし、ナナちゃんの病気のこと、マー君のことも、幸一のことも気にかけているし、ライバルの雪ちゃんのことや、勿論さっちゃんのこれからのこと、男子の方も気になっているし、ジムの運営や将来像も考えなきゃならないし、そもそも女子ボクシングの未来も…
そして、朋ちゃんのことも…、考えている。
まっ、全部いっぺんに解決出来る方法なんて存在しない。
だから、一段づつ昇っていこうか。
確実に、一段づつ、一段づつ。
さーって、今年は勝負の年になるぞ!
美味しかったコロッケに感謝して、明日から本気だすかぁ…




