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第8節「この村は」


 私がこの村に住んでから、早三日が立とうとしていました。

 不思議なことに、村の人たちは暖かくて、新参者であるはずの私にとても優しくしてくれていました。

 とは言っても、数人と会って話をしただけなので、みんなに歓迎されている。とは言い難いのですが。



 住むところを提供したあの男の人に関しては、


『好きにしろ』


 というだけで特に何もないようでしたので、放っておくことにしました。



 私はよその人ですし、帝国人の下に着く、ということで村の人たちからは多少なりともきつい立場になることを身構えていただけに、拍子抜けもいい所でした。

 先ほどまで村を見て回っていたので、居候している家の近くで休憩をとることにして、私は丘の上に数本ある木陰のひとつに腰を下ろすことにしました。

 場所はリオさんの家よりは領主様――アレシアさんの館の方に近いでしょうか。どちらかと言えば村の端っこに近い場所で、村が見える反対側は崖のようになっていて、山の方から流れてくる冷たい川を下に見ることが出来ました。

 木陰のおかげで日にあたらず、地面に生えた草が湿っているわけでもない。風も通るので、休憩にはもってこいの場所です。

 ちょっとお気に入りにしてもいいかもしれません。

 場所が少しだけ高い丘になっているおかげで、ここからでも村の畑の様子はよく見ることも出来るので、村の様子が手に取るようにわかるのもいいポイントです。

 休憩がてら畑の方に視線を向ければ、農家の人たちと思われる人の姿をみることが出来ました。

 ぼーっとその光景を見つめていると、私は自然と、この村についてかんがえごとをしてしまっていました。

 村自体は川の近くに作られていて、入り口が二つ。畑の方と村の建物が密集している場所に一つずつ。片方は私がリオさんに背負われて来た方で、そっちの方向には転々とある農家や、畑。それに、衛兵さんたちの宿場や、リオさんの家もこちらの方面にありました。

 もう片方の入り口は、シュクラさんの宿や、村人たちが住んでいる居住区の方に作られていて、大通り――と言っても馬車が通れるほどの道――の先は小高い丘。つまり、私が休憩をしている場所になっていました。アレシアさんの館は丘の上を慣らして立てているようで、川を背にして立っているのを見ると川からの侵略や入り口から攻めてきたときのことも考えてあるようです。この国が平和だから、何も対策をしていない、というわけでもなさそうでした。

 村の建物自体は、全体的に石と木材を積み上げてできた一般的な建物で、基本的な作りはどうやらリオさんの家と変わらない部分も多いみたいでした。強いて言うのなら、雪が頻繁に降る地方だからでしょうか、屋根が大通りの方に斜めっているのが特徴的な家でした。

 そんな村に、私が抱いた感想は、思っていたよりも人間ではない種族があふれている、という感想でした。

 川の近くにある農場や果樹園を覗けば、シュクラさんと同じラパンプルジール。兎型の亜人の人たちが多く住んで居て、市場に向かえば人間やこの村に来た別の種族の方を見かける機会も多いので、帝国ではあまり見られない姿で少し驚いてしまいました。

 亜人種と人間種が同時に存在して、誰も争うことなく平和に暮らしている村。

 もちろん、帝国に行けば人間と亜人が居る姿自体は珍しくありません。

 ただ、あくまで珍しくないだけで、この村の様に対等、というわけではありませんでしたけど。

 亜人は人間よりも劣る物。それが帝国での常識でした。亜人や亜種族の人たちは、日々暮らすお金どころか、一食分の食費すらも危うい人がとても多かったのです。

 帝国の領地のほとんどは、亜人の人たちが無血で差し出した土地か、侵略によって拓かれてしまった土地です。調子に乗った帝国人が亜人を奴隷にするのは、言うまでもありません。

 だから、帝国では貧民街で寝そべっている亜人のほうが多い……というかそれしか居ませんでした。もちろん、人間の奴隷がいなかったか、と言われれば帝国は侵略で大きくなった国です。居ないわけがありません。ですけど、亜人が貧民街から上に上がる生活なんて、それこそ奴隷としてしかありませんでした。

 それがこの世界の真実で、誰もが見慣れている光景。

 そう、そのはずでした。

 帝国で暮らしてしまっていた魔族の私にとってもそれが常識だったはずなのに……。私が知っている世界と、穏やかな時が進んでいる、このレユラルはどこか違いました。

 私のような魔族でも仕事を斡旋してくれて、亜人と人間の中も良くて――。それどころか、私の目には亜人と人間が仲良く暮らしているようにも見えました。

 希少種族と言われる魔族の私が言うのもなんですが、まるで幻想の世界のようにも感じてしまいます。

 この村が特殊なだけ、なのかもしれません。もしかしたら、私の見てきた吐き気のするような世界のほうが正しいのかもしれません。

 それでも……。

 今住まわせてもらっているこの村の光景は、どこか眩しいものに見えてしまうんです。

 それが、私にはとても遠くの景色に見えてしまって――、


「やっぱり、私は歓迎されてないのですかね」


 私を取り巻く世界の精霊様が、そう言っているようにしか思えませんでした。

 帝国で暮らしていた時から自分の中にあった疎外感が、むくむくと大きくなっていくのが分かります。人間と暮らすことの難しさと、亜人と人間がいがみ合ってる光景が交互に浮かんで、自分の中でぐちゃぐちゃになっていく。

 その中には、自分の姿なんてありません。

 だって、言葉通り、魔族は住む世界が違うのですから。

 どれくらい、そうやって畑の方を見てしまっていたでしょうか。

 気が付くと、近くに誰かが立っていて、私の視界をふさぐように仁王立ちされてしまっていました。


「おい。そんなところで呆けて、どうかしたか」


 そんなぶっきらぼうにかけられた声に視線を向けると、私に好きにしろと言った家主が麻でできたシャツにズボンというラフな出で立ちで立っていました。

 何をしに来たか聞こうと思い、すぐにやめました。

 どうせ、前に聞いた時と同じようにはぐらかされるだけでしょうから。


「別に……。何でもないですよ」

「そうか」


 彼はそっけなくそう答えると、声が届くか届かないかくらいの位置にある木に背中を預けてしまいました。

 本当に、何をしに来たのでしょうか。

 わざわざこちらから声をかける必要もないかな、とそう思い畑の方をジーっと見ていると、「おい」とリオさんの方から声がかかりました。


「元気がないな。俺に絡んできたときの元気はどうした」

「は? 別にいいじゃないですか。私だって、落ち込むときは落ち込みます」

「俺から声をかけてやったのにずいぶんな言い草だな」

「酷い言い草なのはどっちですか、もう……」


 あまりの対応の酷さに、帝国に居た頃を思い出して少しげんなりとしてしまいます。

 本当にひどい人だと思います。最初にあった時にイケメンだと思ったのを撤回してやりたいくらいです。

 しかし、このまま黙っているとまた同じような問答になってしまいそうだったので、からかいには乗ることにしてあげます。


「別に……。この村はとっても平和だなって思ってただけです」

「……そうだな。お前の言う通り、この村は確かに平和だ。帝国に比べれば物資も豊かで、農業ができない地域でもない。良い場所だ」


 彼の返答はちょっと……、いいえ。だいぶ意外でした。

 帝国人である彼が――帝国人であった彼が帝国と比較して、それでいて帝国よりもいい場所だなんて、そんな他国を褒めるような言うと思いませんでしたから。

 私が彼の方を見てしまうと、彼も私の方を見ているのが見えて、すぐに視線をそらされてしまいました。


「いい場所過ぎるんだ。帝国が悪い国だったとは今も思えない。だが、それでもこの場所は住みやすい。俺の故郷なんて農奴としての生活もやっとだったのに、ここでは農奴なんてものはなく、皆が自分の意思で働いている」

「農奴……リオさんの生まれ故郷は農家だったんですか」

「そうだな。何の変哲もない農家だったよ。兵が足りなくなって、俺が兵士として志願するまで、暮らすのもやっとだったくらいには何もなかった」


 この村に来て初めて、彼のことを聞きました。

 しかし、彼が元々農奴の家系だったという事には素直に驚きました。

 彼は元帝国騎士だったはずで、帝国騎士は爵位持ちです。

 農奴だったのに騎士になったということは、彼は相応の英雄だったのではないでしょうか。生半可な実績で、農奴だった人間が騎士になれるはずがありませんので。

 少し彼のことに興味が湧いて、もう少し話を聞こうと思いました。


「それで騎士になったんですから、すごいじゃないですか」


 私がそう言い返すと、彼は意外そうな顔で私の方を見ました。


「知ってたのか、俺が騎士だったと」

「私と会った時、覚えてます?」

「……ああ」

「あなたは帝国の制服を着てたんです。あんな豪華な服を着てるのは帝国のお偉い様だけですよ、騎士様」

「なるほど……頭は回るのか」

「喧嘩売ってるんですか? なんであんな場所であれを?」

「ん、国を出た時、お世話になった隊長から唯一持って行けと言われたものだ。あの見た目に反してずいぶんと頑丈でな。外に出るときはいつも使わせてもらってる」


 それでこんなところであんな服装をしていたんだなと理解はしましたが、同時に彼がだいぶずぼらなのではないだろうか。

 まあ、あの亜人戦争が起きた後だったので、帝国の人間がどこにいてもおかしくはないのですけど、それでもずいぶんと不用心だと思います。

 そんなことを考えていると、ふと、彼の表情がどこか遠いものを見つめるように畑の方を見ました。


「それからはこの村にようやく流れ着いては来たが……。なんというかな。この村には俺の居場所がない。そんな気がしてしょうがないんだ。あの時――帝国に仕えていた時よりも、ずっと……」

 帝国の服をしていれば当然ではないかと思いましたが、そんな雰囲気ではありませんでしたし、なにより彼がどこか本音を口にしているような気がして、黙り込みました。

 村の人たちの対応が、というよりも、自分自身、つまりはこの村にいる自分がどこかふさわしくないんじゃないか、と言った感じでしょうか。

 その姿は……どこか、人の世界に住んでいる私にも似たように見えてしまって、不覚にも――そう、不覚にも人間の彼に親近感を覚えてしまいました。



「あなたも、なんですか?」



「なに?」


 彼に返答されてしまって、ハッとして口元に手を当てる。

 つい気が緩んで、彼に届くほどの声で言葉にしてしまっていました。

 言葉にして言ってしまったのならもう、隠すことでもあるまい。そう開き直り、膝を抱えるようにして座り直しました。


「自分には合わない場所だ、なんて。人間のあなたからそんな感想が出てくるなんて思いませんでした。帝国人のあなたらしくないですよ。リオさん」

「こっちもまさか魔族なんかに同意されるとは思わなかったよ。だが、そうだな……。帝国人だったからこそ、かもしれん。それぐらいこのミユネーヌは幸福に見える」

「幸福……」


 なるほど、そうなのかもしれません。

 私……いいえ、私と彼の居た帝国では、めったにこんな景色を見ることはできないののは事実です。

 畑のある家々は焼かれ、残っている家もほとんどなく、国境付近にあるはずの村々はどこかへと消え去っていったと聞きます。

 それでも帝国に残る人は数多くいて……。あそこ意外に家を知らない人も居るというのも現実でした。

 そんな私もつい先日まであそこの一員だったのです。

 よくよく考えてみれば、私がこの村にまだ馴染めない、というのも仕方のない事なのかもしれません。


 ――なんか、悔しいですね。


 人間の彼に、そんなことを諭されてしまうなんて、思いもしませんでした。

 むしゃくしゃしていると、また彼の方から「なあ」という声が聞こえました。

 何かと彼の方を再び向くと、今度は私の事をしっかりと見返していました。


「魔族。お前はあの人形娘――アレシアについてどう思う」

「アレシアさんですか? どうって言われても……」

「なんでもいい。お前が感じたことだ。違和感とか、見た目とかだ」


 彼の問いに答えようと彼女のことを思い出してみる。

 あの人はどこか人間離れをしていて、あの若さで村の人たちからも慕われている立派な領主様。そこだけを抜き取れば、きっと聡明な人物なのではないか、というのは想像に難くありません。

 ですが、なんといったらよいのでしょうか。

 どこか、魔族である私に対して、警戒心を持っている、という節を感じました。

 もちろん、人間で“魔族の約束”を知っているほど魔族に詳しいのなら、私の様に翼魔族を警戒するのも正しいと思うのですけど、それとは別の……なんでしょうか。触れなければいけないけれど、触れたくない、そんな感じの印象を受けました。


「彼女は――」


 それを答えようとして、彼女の顔を思い出して、開きかけていた口を閉じました。

 私が出した印象よりも、もっと気になるところがあったので、そっちを答えることにしました。


「笑いませんでしたね、あの人」

「……それが感じたことか?」

「おかしいですか?」

「いや、そうか。笑わない、がお前の印象か」

「印象って意味なら間違いなく笑わないですね。まったくと言っていいほど。お仕事だったからなのかもしれませんけど……。なんというか、必死にやりすぎて硬くなってしまっている。そんな感じかもしれません」

「……確かに、あの年で領主を務めてるんだ。周りの協力があったとしても硬くなるのは仕方ないかもしれん。……だが、それが見て取れたのか、お前は」

「ん、いえ、そんな難しいことはあんまり……。ただ、単純な話ですよ。笑ったらきっとかわいい人だな、って思っただけですから」

「そこまでして笑わせたかったのか?」

「笑わせたい……。そう、ですね。それなのにあの人は全然笑わないんですもん。なんか、笑わせたくなりませんか? そういう人って」

「なるほどな。実はもう一つお前にもう一つ聞きたいことがあったんだが……」

「もう一つ? この不肖魔族に何か聞きたい事でもおありになりましたか?」

「いや、だが……」


 皮肉を言ったつもりだったのに、急に黙り始めてしまったので、不思議に思って彼の方を見てみる。

 すると、迷うようなそぶりを見せたり額に手を当ててみたりと落ち着かない様子でいるのが見えて、疑問はさらに深まりました。

 なんというか、彼の態度に違和感を感じざるを得ませんでした。初めて会った時よりもぎくしゃくしている、と言いますか。無理をして演技をしているといった印象でしょうか。

 しばらくそうやって迷っていましたけど、答えは出たのか「なあ」と口を開きました。


「お前は……」


 またそこまで言葉にして間を開けてしまいました。時間はあるとはいえ、ここまで長く考えられると少し呆れてしまいそうなので、茶々を入れることにしました。


「はい、お前です」

「茶化すな……。お前はどうしてここに来た。俺のように仕方なく出てきたというわけではない……と思う。それなら、どうしてお前はここに来たのか、そう思ってな」

「どうしてここに。ですか?」


 長い時間をかけて彼の口から出たのは、そんな質問でした。

 質問の意味は分かりませんけれど、無視するのも何か違うなと思い、ここに来た理由を答えるために少し前の事を思い出すことにしました。

 私が、あの帝国からこの村に来た理由。

 それを思い出すと、少しだけ辛い気持ちになってしまいます。

 普通に考えれば、まあ仕方のないことだった……、と思います。ですが、私は魔族だから、でしょうか。あの時の事を思い出すと、胸のあたりが酷く痛むのです。

 なんだか寂しくなってしまって、そっと膝を抱え込んで足と体の間に頭を突っ込んでみます。

 気休め程度には、温かいと感じることが出来ました。


「私は……、私は帝国から逃げてやったんです」

「逃げた?」

「ええ、逃げたんですよ」

「お前は自分で逃げることができたのか、あの国から。誰かに、追い出されたわけでもなく追い出されたわけでもなく」

「自分でっていうとちょっと違いますね。まあ、あんなところずっと居てやるものですかって思いはありましたけど」

「それで、例の戦争を機に出てきたと」

「ええ、まあ。お世話になった孤児院には一宿一飯の恩は返しましたし、帝国に居たのもずっと気まぐれでしたから。私としてはあの亜人戦争はとても良い機会だったんです」


 私が出たのはつい先日の事でしたけど、あの亜人戦争がきっかけになったのは間違いありません。

 亜人戦争――、中立だったはずの間の国が、帝国との間で起こした小さな事件を発端として起きた戦争、少なくとも私はそう聞いています。私があの国を出た後、ほぼ無血開城に近い状態で城を帝国側が明け渡したされたため、帝国内部ではそれほど大事にはなっていないと聞きましたが、住んでいる場所が戦火に巻き込まれると分かっていて、あの国に居座っている人はほとんどいないと思います。

 あの戦争は帝国にとって――そして、北にある人間の宗教国にとって痛手を受けた、と風の噂では耳にしています。

 そう聞いた彼は腕を組んで木の幹に体重を預けるのが見えました。


「ふん、帝国市民にしてはずいぶんと行動派だ」

「皮肉ですか、それ。私たち魔族はそもそも帝国市民になった覚えはありませんよ? ――でも、結局のところ、私が逃げられたのはあの国に逃がしてくれた人が居たからかもしれません」

「逃がしてくれただと? ……そんな奇特なやつが帝国にもいたとは思わなかったな」

「あの人を馬鹿にしたらダメです! 私が許しません! ……まあ、実際変な人でした。戦争が起きる、だから関係のない君は逃げてくれ。そう言ったあの人のおかげで、この村にたどり着くことが出来てますから」

「自分だけが生き延びてまで、か?」

「あはは、とっても痛い一言ですね、それ。実際は無事だと思いますけれど……。置いてきたのは確かです。私もできればその人を助けてあげたかった。でも……あの人は、それを望んでいませんでしたから」

「お前は、望まなければお前は助けないのか」

「いいえ。違いますよ。だから言ったじゃないですか、できれば助けたかった、って。その人は私にちゃんと望んだんですよ。私に助けられないことを」


 断られたことを頭の中に思い浮かべると、胸が痛みが激しくなる。

 それが、魔族にとってどれほどつらい選択をしなければならなかったのか。きっと人間の彼にはわからないでしょう。

 きっと、人間には……。他種族の方には、理解できない考えかもしれません。


「私が助けないで、逃げることを望まれてしまったんです。そうしたら、私は――魔族はもう、その望みを受け入れないわけにはいきません」


 あの時、私を逃がしてくれた人は私の助けを拒否しました。

 魔族の代価は等価交換、とはよく言ったものです。私があの人の言葉を無視して、彼らを助けようとするには、あまりにも私の中で彼への感謝が大き過ぎました。

 お金を貯めて見に行った演劇よりも、逃がしてくれたあの時の言葉は安っぽい物でしたけど……。それでも、私は断ることが出来なかったのですから。

 私の答えがお気に召したのか、彼は「あー」と言って首筋を撫でていました。


「確かに俺は帝国人だ。だが、いくら悪名高い帝国人だろうが察しはするさ。……魔族ってやつも難儀だな、ブラン」

「あはっ、そうですね。でも、それでも私は魔族だってことを誇りに思ってますよ」

「誇りに、か」

「ええ。だって、魔族の約束と代価の概念は基本は人のための考え方ですから。自分の利益のためにって利用する魔族も、もちろん居ますけど……、私はその人のために動く方が好きですから」

「人のために……」

「人のためです」

「お前はそれでいいのか」

「どういうことですか?」

「だから、その……。人のために動いてってことに。もし、そいつのために動いていたのに、そいつに裏切られることもある。そうしたら、お前は相手のことを許してやるのか。何も言わずに、何も聞かずに」


 彼はどこか、憤ったような口調でそう言いました。もしかしたら、彼にはそういう経緯があってここに居るのかもしれません。あんまり茶化して答えることじゃないと察して真面目に考えて見ます。


 ――もし、私が裏切られたら、か。


 もし仮にご主人様がいたと仮定して、裏切られることを想像してみる。大切にしていて、ずっと見守っていて……、裏切られる。

 信頼していた相手に見限られてしまう。確かに、耐えようのない苦痛になるかもしれません。どちらかと言えば恐怖よりも、寂しさの感情の方が強い、でしょうか。

 幸い、私はまだそんな人はいませんでしたけど……。

 でも、どんな種族も私たち魔族に比べればきっととても弱くて、はかない存在です。

 裏切られたら、どうなるのでしょうか。

 私は――、


「……私は、構いませんよ」

「構わない?」

「ええ。構いません」

「どうしてだ。怒り狂ったり、復讐したいとは思いはしないのか」

「あはは、そうですね。そういう意味ではちょっとは怒るかもしれません。でも、私が、翼魔族が仕えるということは、それも含めてその人のために動くという事です。人間には理解しがたいかもしれませんが、翼魔族にとって――私にとって他人に使えるというのはそれほどおもーい気持ちですから」

「たとえ、相手の真意を知れなくても、か?」

「知れなくても……、しかたないかなって、思っちゃいます。だって、相手も伝えられないことはあると思いますから。できれば知りたいとは思いますけど、私はそんな駄々っ子のように相手に当たるなんてことその人にしたくないですもん」

「駄々っ子か」


 リオさんはそうつぶやくと、何が面白かったのか噴き出すように笑いました。

 それが馬鹿にされたような雰囲気な怒るところだったのですが、そう言う雰囲気ではなかったので、黙っていることにしました。

 どれほど間を開けたのでしょうか。

 たっぷりの時間を開けてから、彼はつぶやくように、


「……そうか。お前のような亜人もこの世にはいたのか」


 とだけ言葉にしました。

 ちらりと彼の横顔を覗くと、そこにはどこか遠くの方を見つめるリオさんが居ました。なんとなく……なんとなくですけど、彼がそんな表情をする理由は見当をつけることはできます。

 たぶん、彼は亜人は亜人でも、私のような魔族ではなく、帝国で娼婦や奴隷として扱われている亜人と同じ認識だったのだと思います。

 実際、帝国には数多くの種族が住んでいます。上流階級になれば人間と奴隷しか見たことが無いかもしれませんが、下層階級になれば、強盗で生計を立てている亜人だっています。

 ああいう類の亜人ばかりを目にしていれば、種族差別に発展するのはそう難しくはありません。

 単純に劣っているからではなく、お互いがお互いの認識の齟齬を直そうとしませんから、いがみ合うのは当然でした。

 彼はその様子を知っているのでしょう。私たち魔族の様に、人間も亜人も一緒くたに均一他種族、という認識を種族単位でしているのは珍しいのです。

 彼は良くも悪くも帝国人だった。そういう事なのでしょう。


 ――ああ、そっか。私もか


 彼が帝国人らしい思考をしていると答えが出て、私も私で疎外感の理由自分で作っていたのかもしれないと思うと、私の疎外感にも合点がいきます。

 結局のところ、私が馴染もうとしていなかっただけなのかもしれません。


 ――ふふ、これはすっきりしましたね。リオさんには感謝しませんと。


 ほんの少し悩みが吹っ切れたような気がして、ふと、なにか違和感に気が付いて思考を止める。そういえば、話の途中でふらりと、誰かの名前が飛び出したような気がしたからです。

 たしか、ぶらん、と口にしていました。


「……って、あれ。私の名前」


 そういえば、彼は私の名前を呼んだのはこれが初めてだと気が付きました。今まで散々お前お前と言って来たのに、いったいどんな心境の変化だったのでしょうか。


「そうだな……なあ、ブラン。仕事をするつもりはないか」

「あはっ、今更お仕事をくれるんですか?」

「そう言うな。邪険にしたのは謝る。だが、俺も俺でお前とどう接していいかわからなかったんだ」

「今は、接してくれるんですか?」

「人並みには」

「本当に帝国人らしくないですね。悪いものでも食べたんですか?」

「そうだな……しいて言えば、この村の食べ物か」


 彼の返答に私は噴き出しました。


「悪い物って例えは酷いですけど。まあ、いいですよ。村も見て回ってしまったので、やることがなかったんです。この村にいるときは、あなたのお手伝いくらいはしてあげます」

「ふん、そのうちお前の方から仕事をせがんてくることになる」

「それはないです」


 彼の答えにそう返しながら、私は少しだけこの村での違和感が楽になっていたことに気が付きました。

 なんででしょうか。

 深く考えない方が、きっと誰にとっても幸せなのだろう。私はそういう風に楽観することにしました。



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