第5節「領主様って」
翌日の朝。
まだ眠かったのですが、準備を終えて階下に降りると、シュクラさんはすでに起きてすでに仕込みか何かの準備をしているようでした。
足音ですぐに気が付いたのか、下の階に顔を出すとにこやかに挨拶をしてくれました。
「ああ、おはよう。魔族の嬢ちゃん。昨晩はよく眠れたかい?」
「えへへ~ベッドとかもふかふかで超気持ちが良かったですよ~」
「喜ぶと羽が動くんだねぇ魔族って」
「え? ああ、動いてました? でも猫型亜人のリャーディコーシカ――リャートだってイライラするときは尻尾を振ったりしますし、あれと同じです」
「ああ、夜の兎男が人間と同じなのもそれね――はい、朝のサービス」
シュクラさんが割と最低なジョークを言って自分で苦笑しながらもカウンターに何かが入った木星のグラスを置きました。
夜の兎男も――性欲の強いという意味で――そうだったのかと、謎の知識が増えました。
「ありがとうございます。やっぱりこっちでも魔族って珍しいんです?」
「割と、ね。そもそも魔族って自分たちの土地から出てこないって有名じゃないか。探そうと思わない限り覚えてないもんだよ」
そんなものか、と思いながら出されたものに口をつける。
木製のグラスに入っていたらしきものが口に中に入った瞬間、独特の苦みと鼻腔の奥に広がる味で思わず咳込んでしまいました。
おかげで脳が冴えわたりましたけど。
「えほっ、うわ、口の中がにがすっぱい。いったい何を入れたんですか!」
「お酒」
「馬鹿じゃないんですか!」
文句を言いながらまた咳込むと、間髪を入れずに別のグラスが出される。
慌ててそちらを飲むと、今度はすっきりとしたもので口の中に香草を突っ込んだかのような状態になりました。
脳は冴えるが気分が良くないですこれ。
「こ、こんどは香草みたいな口の中……」
「ブランさん相当寝ぼけてるでしょ。普通臭いで気が付くって」
「うぐ……」
「まぁでも、眠そうだったからね。エールの後に雪リンゴの飲み物を飲むと香草の風味なるから目が覚めるのさ。効くだろう?」
にやにやとした笑いで、シュクラさんは私にそう言いました。
シュクラさんの朝のドッキリにげんなりとしてしまう。
魔族の私でもきつかったのに、感覚が鋭いはずの亜人の人たちはこの風位は大丈夫なのでしょうか。
そのままシュクラさんとそのままお話を続けていると、ちらほらと村の方からも声が聞こえ始めました。
どうやらこの村の朝はそれなりに早いみたいです。
――っと、この村に来た本題を忘れる所でした。
「あ、そうでした。あの、シュクラさん。この村に住むためにはどうしたらいいんでしょうか」
「住むって……魔族のあんたがかい?」
「ええ、そうですけど。なにかまずいことを聞いちゃいましたか?」
意外そう、と言いますか。少し難しい顔をしてシュクラさんがそう言ったので、私は不安になってしまいました。
難しい顔をしたということは、やはり何か問題があるのでしょうか。
この村に来てから人間とラパンプルジールの方しかまだ見ていませんし、やはり種族的な問題なのかもしれません。
考えが顔に出てしまっていたのか、シュクラさんが慌てて否定をする。
「あ、ああ! 気を悪くしないでくれ。魔族のブランさんがまさかこの村に住みたいなんて言うなんて思わなくてね」
「そこまで意外なんですか?」
「あ、ああ。まぁ……。だって、ここに住みたいって言うのはもともと住んでいたラパンプルジールとかだけだからね。氷竜種はとっくの昔に別の場所に消えていったって聞いてるし」
「ひょ、氷竜種までいたんですか!」
シュクラさんの言葉に、思わずカウンターに手をついて立ち上がってしまいました。
氷竜種というは竜種の中でも私と同じ水を使う竜種です。
同じ系統の魔法を使える竜種は珍しいので、私も機会があれば見てみたい以前から思っていましたから。
「ずいぶん昔の話さ。私が生まれる前の、ね。でも、人間が統治するって感づいて、あっという間に奥の山のほうに引っ込んでいったって話は聞いてるよ」
シュクラさんは苦笑すると私にそう言いました。
残念だ、と思うと同時に自分の言動が少し恥ずかしくなって椅子に座り直しいました。
「そうですか……」
「まぁ、気を落とさなくてもいいさ。ここに住んでれば、そのうち会う機会もあるだろうからね。そうだねえ、ちょっと立ち寄るって言うんじゃなくて、定住したいって言うのなら領主のミユネーヌ様に聞くといいよ」
「ミユネーヌさん、ですか」
シュクラさんの紹介を聞いて、少し頭を巡らせる。
ミユネーヌ、名前にはうっすらと聞き覚えがあるような気がしました。
このコアコ地方の村に来る時に聞いた気がするのですが、いったいどこで聞いたのでしょうか。
そう思っていると、シュクラさんの次の一言で疑問が解決しました。
「ああ、この地方の領主様でね。若いのに頑張っている方なのさ。村のはずれの丘の上に屋敷があるから、直接行くといいよ」
「い、いきなり領主様と話すんですか! あの、でも村外の人が来ても追い返されるだけなんじゃ」
「ああ、大丈夫だよ。今の時期の移民なら領主様は会ってくれるはずだから」
「それはずいぶん。なんというか、その……」
「不用心、かい?」
「い、いえそこまでは!」
そう思わずにはいられなかったとはさすがに言えません。
実際、亜人と呼ばれる種族ならいざ知らず、どこの馬の骨とも知らない人に人間の領主が直接会うなんて、帝国で言ったら正気を疑われてしまいます。
シュクラさんは豪快に笑うと私の隣まで歩いてきて、カウンターの前にどっかと腰を下ろしました。
「大丈夫だよ。そこまで領主様も弱いお方ではないから。それに、それを承知で民の声を聴いてくださってるんだ。良いお方だよ」
へぇ、と私は手の中でグラスを弄びながら、思わず感嘆の声を漏らしてしまいました。
お偉い様といえば、自分の屋敷に引きこもって誰ともお会いになられないのが世の定石というものです。コアコ地方の方は、亜人戦争前から家の中で肥えていた帝国のお偉い様とはずいぶんと心構えが違います。
それとも、ここの方が特殊なのでしょうか。
「とりあえず、移民届なら領主様に合うのが一番さ。本当は案内してあげたいんだけど、私は朝の荷物を受け取るためにここに居なきゃいけないからね」
「シュクラさんはついて行ってくれないんですか……。分かりました。それは残念ですけど、行ってみます」
「あはは、悪いね。私も仕事があるんだ。屋敷は村の出口――リオの家とは逆側に向かう道を行けば、赤い屋根の白い屋敷を見つけられるから」
「赤い屋根、ですか?」
「ああ。他の所じゃ知らないが、この村で赤い屋根は領主様の証拠なのさ」
なるほど、と思いながら私は天井を見つめる。
帝国で言う領主邸のマークのような物なのだと納得しました。
一度、領内に間違えて入ってしまって死にかけたことがあるので領主というのはトラウマになっているのだが、大丈夫なのでしょうか。
「はぁ……それにしても――」
「それにしても?」
「い、いえ! なんでもないです」
本当に、私が行っても大丈夫なんでしょうか。
シュクラさんの言葉に曖昧にうなずきながらも、そう思わずにはいられませんでした。
ここが人間の統治している国で、ここの領主もまた人間だということは、住んでいなくてもわかる。
その人間が、果たして私のような魔族を受け入れるのでしょうか。
のどまで出かかっていた不安をぬぐうために、私は慌てて手に持っていたグラスを傾けました。
「うわ、口の中がすっきりする……」
「ブランさん本当に疲れてるんじゃない?」
また飲んでしまいました。
* * *
私がシュクラさんに教えられたとおりに道を進んでいると、言われたとおりに赤い屋根のお屋敷が見えてきました。
なんだかこの村についてから人に教えられてばっかりな気がします。
丘の上に立つ白い壁のお屋敷は、村の人たちの民家とは違って屋敷というよりもお城に近い印象を受けました。
屋敷に向かう途中、私はまた私の種族についてのことを考えてしました。
魔族は人間に良い印象を持っているわけがない。それはこの村まで連れてきてくれたあのリオという人間の態度を見れば明白なことです。
そんな魔族を、この村の領主様が受け入れてくれるのでしょうか。
割と長い丘を登って屋敷の前まで来ると、衛兵らしき人が数人扉の前で談笑をしていました。
仕事中ではないのでしょうか。
近くまで歩いていくと、ようやく私に気が付いたのか、一人だけ私のほうへと向かってきました。
「おう、そこで止まってくれ。いや悪いな、仕事なんだ。ここはミユネーヌ様の館だ。君は村じゃなくて領主様にご用があるのかい?」
私にそう言って声をかけてきたのは快活な方で、朗らかに対応をしてくれました。
普通に話しかけてきた彼に驚いて彼の後ろのほうを見ると、残りの人がこちらを見てひそひそと会話をしていました。
何を話しているいるのでしょうか。
――は、聞かなくてもわかります。
私は視線を戻し、目の前にいる彼に感謝をしました。
「はい、この村に定住したくて、その相談を」
「あーこの時期、ってことは帝国からの移民か。種族と名前は、きいてもだいじょうぶかい? 一応見てわかるんだけど、規則だからね。」
「あ、はい。魔族のブランといいます」
「魔族、と……やっぱり戦争直後は色んな人が来るな。ちょっと待っててくれ、今ミユネーヌ様に聞いてみるよ」
あっさりと申し出が通り、彼は屋敷の中へと消えていく。数分も待つと彼はすぐに戻ってきて私に見覚えのある人形を渡してきました。
「ほれ、これが通行証みたいなもんだ。入って右の突き当りにミユネーヌ様の部屋があるから、そこでミユネーヌ様に直接渡してくれ」
「通ってもいい、んですか?」
やけにあっさりとした審査のようなもので、拍子抜けもいい所でした。
場所が場所なら私が魔族だという事で拒否されてもおかしくはなかったはずなのに、です。
不思議な話でした。
「もちろんさ、ただあんまり館の中ではしゃがないでくれよ。俺たちの仕事が増えるからな。それだけは勘弁してもらいたい」
「ふふ、それは補償いたします」
私が冗談めかしてそういうと、彼はそのまま道を開けてくれました。
「ようこそ、ミユネーヌ様の館へ」
兵士さんの歓迎を背中で聞きながらも、玄関扉を開け、私はすぐに一階右の奥の部屋の前へと歩いていく。
なかには数人のメイドを見えて、ラパンプルジールだけでなく、人間のメイドの姿も見えたからです。
そこには白く塗装された大きな扉があり、廊下からの光を受けて、さらに白く輝いているように見えました。
私は深呼吸をして、二度ドアを叩く。
「どーぞ」
やけに棒読みに聞こえる口調で、中からの返事がきました。
緊張しながらも、部屋に入ります。部屋の中はそれなりに広く、アンティーク系の暗い茶色の家具と真っ赤な絨毯が敷かれた部屋に出迎えられます。正面の窓から光を受けている執務机に、窓をはさむように置かれている本棚。右手前には来客用と思われるソファが二つとローテーブル。
そして、声の主は執務机の前。そこに人形のように美しい女の人が立っていました。
腰まで伸びた金髪に、黄色い瞳に細いのにしっかりとした頬を見ると食べ物に苦労しない、上級階級の肩だとすぐに分かる顔立ちです。
肩口までのぞかせた胸元、行儀よく重ねられた手にまでかかりそうなフリルのついた袖口。まるで、社交界に出るようなドレスを思わせる服であるのに、腰には騎士を思わせる装飾の施された細身の剣が下がっています。
剣を抜くために支障がないように、でしょうか。短めのスカートが申し訳程度にフリルで広がっていました。
ちょっときれいすぎて特徴はありませんでしたが、強いて言うなら綺麗な顔立ちで無表情でこちらを見てくること、でしょうか。ちょっと怖いです。
それとも一人。これまた人間にしては美しいと言える顔立ちの青年が控えています。
彼女と同じ金髪で、優しそうに固められた青い瞳は、まるでどこかの国の王子様を思わせる顔立ち。こちらも、来賓用の服なのか、豪華に飾り立てられた肩に白い手袋。金の刺繍が入った白い上着とズボン。と、手の込んだ服を着こんでいます。
男性のほうが先に頭を下げました。
「すいません。先に人形を見せてもらってもよろしいでしょうか?」
「あ、はい! これですね」
そう言って、私は衛兵の方に渡してもらった人形を見せる。
人形を確認して、男のほうがもう一度深々と頭を下げました。
「ありがとうございます。申し遅れました、私、クレイと申します。こちらはアレシア・ド・ラ・ミユネーヌ様。私の主人であり、この地域の領主を担っておられる方です」
「よろしく」
「あ、よ、よろしくお願いします。ブランと言います」
いきなり紹介されてしまい驚いて固まってしまったので、慌てて頭を下げました。
まさかいきなり領主様が待っているとは思いませんでしたし、目の前の少女が領主だとも思いませんでしたから。
顔を上げてから、気が付いたら私は少女のほうを見つめてしまっていました。
おそらくこの人がシュクラさんの言っていたミユネーヌ様、という事なのでしょうか。アレシアさん、と呼ばれていた少女が首を傾ける。
「どうかした?」
「い、いえ! 思っていたよりもきれいな方だったのでつい……」
「あなたもそうお思いになられますか!」
アレシアさんが反応するよりも早く、大きな声を上げて彼女の後から男性クレイと名乗った青年が、身を乗り出すように迫ってきました。
ちょっと怖かったです。
「アレシア様の美しさを分かっていただける方だなんて、なんて素敵な方なんでしょう。今度、また会う機会がございましたら、ぜひその時は、私とアレシア様の美しさについて語り合いませんか?」
「あーえっと」
「クレイ」
「申し訳ありません。ついつい、興奮してしまいました」
アレシアさんが注意するように名前を呼ぶと、クレイさんは後へとさがる。
今の言動で私は全てを察しました。
ああ、この人は変な人だ。
とりあえず、そう納得することにしました。
「何のご用?」
「あ、えっと、この村が亜人と人間が暮らせる村だと、遠くで聞き及んで、この村で暮らせないかな、と」
「定住希望の人?」
「はい、そうです」
「魔族?」
「おっしゃる通り、私は翼魔族です。なにか、いけないことがあったのでしょうか……?」
ここに住みたいからと言っても、深い事情まで、話す必要はない。
アレシアさんは少し考えるように目を伏せて、私の足元から頭の先まで視線を巡らせました。
ゆっくりと動いていく視線が、私の腰の羽と頭の羽で止まるのが分かりました。そうしてから、彼女はゆっくりと頷きました。
なんだか考えを読まれているような気がして、苦手意識が芽生えてしまいます。
「ん、わかった」
そう言うと、彼女は黙ったまま私の横を抜け、ソファとテーブルが置かれている一角へと移動した。
「魔族のお嬢さんも、彼女の反対側へどうぞ」
呆気に取られてその光景を眺めていると、後ろに立っていたはずの青年が、すぐそばに立っていて、そう言いました。
彼女たちの態度に驚きながらも、少女の対面へと腰を下ろします。
それを確認してから、アレシアさんは深くうなずいて口を開きました。
「じゃあ、お話」
背筋を伸ばして座る彼女は、やっぱり人形みたいだなと、場違いにもそう思ったのでした