第4節「白い兎亭」
静かな夕方の道を、一人で歩いてみる。
この辺りはこの時間になってくると、ただでさえ寒かった気温が一気に寒くなるようでした。
気休め程度に腕をさすって暖を取りながら、明りのない道を進んで行きました。
人気のない道を進んで行くと、すぐに明かりのついている大きい看板が掛けられた建物を見つけることができました。
看板の文字はかろうじて「兎」とだけ読み取ることができました。
おそらく、ここが彼の言っていた白い兎亭なのでしょう。
そっと扉を開けて中をのぞくと、そこには一階の酒場を利用する大勢の客でにぎわっっていました。
この時間に騒いでいる、というのはなかなかに新鮮な経験です。
しかも、中には人間と亜人が肩を組みあっている場所もありました。
とても仲がよさそうに、互いに談笑をしているようです。
それほどまでに人間と亜人の仲がいい光景は、帝国では決して見ることはありませんでした。
テーブル以外に視線を移してみると、従業員らしき女性の亜人がテーブルを行きかっていました。ということはこの村では噂通り、亜人が働ける場所があるということです。
亜人のほとんどが、貧民街で座り込んでいる光景を見ていた私にとって、信じられない光景でした。
恐るおそる奥まで歩いてみても、私に視線を向けられることもほとんどありません。すぐにカウンターの近くまで来ることができました。
カウンターの中には、そこで働いているラパンプルジール、と呼ばれる兎型亜人の女性に声をかけてみましょう。
「あの、すいません。そこのラパンプルジールのかた!」
「ああ! 待っててくれ魔族の人――っと、はいよ。用事は何だい?」
「えっと、私ブラン、って言うんですけど、今日初めてこの村につきまして、ここの宿のご主人はどこにいらっしゃいますか?」
「それならあたしだよ、ブランさん。私はシュクラ。この村の唯一の酒場兼宿屋であるこの白い兎亭の女主人さ」
そんな自己紹介をされて、驚いてしまいました。
酒場の主人が女の――しかも亜人が人間の村で宿屋の主人をしているなんて思わなかったのです。
「シュクラちゃあん! またお酒ついでよぉ!」
「うっさいよおじさん。今お客さんの相手をしてるんだ、あんまりうるさいと酒を取り上げちまうよ!」
ちぇーと、笑いながらしゃべってるおじさんたちをシュクラさんが慣れたようにいなしていた。
「ああ、ごめんよ。いつものことだからね。この辺りじゃあ数少ない娯楽で、皆暇してるのさ」
「いえ、あのずいぶん親しまれてるみたいですごいなって。失礼だとは思うんですけど、いつからこの村に?」
「大丈夫だよ。そうだねぇ、もうこの村に来て二十年近くになるかな。元々、人に近い外見だったから村の人も接しやすかったみたいでね」
「ずいぶん長くいるんですね……。文化の違いがここまであるとは思っていませんでしたからびっくりです」
「そんな意外かい? ああとそうだ、何か用があるんだったね」
「あ、はい。今日この村についたばっかりで、それで――」
荷物の中に入れていた、木彫りの人形を取り出してみます。
あいつに言われたものだから意味は分からないが、これを出された真意を探るためにも出してみるのです。
シュクラさんに渡して、反応をうかがってみる。
木彫りの人形を出した瞬間にシュクラさんの鼻が動き、この人形の匂いに感づいたようでした。
「あら、これって」
「なんか、森の入り口に住んでる人に、これを出せって言われたんですけど」
「ああ、リオのことね。へぇ、珍しいこともあるものねぇ」
「はぁ、あの人リオって名前なんですか」
「ふはっ、あいつは名前も言わなかったのかい?」
「ええ、案内してくれた後もぶっきらぼうに薬とこれを渡してそのまま」
そういうと、シュクラさんは豪快に噴き出して笑いました。
な、なにか変なことを言ってしまったのでしょうか。
私が驚いてしまっていると、シュクラさんは「悪いね」と言って笑顔に戻りました。
「ぶっきらぼうに言ったってことは間違いなくリオだろうね。いいよ、ちょっとカウンターまでおいで。今日はこの宿の空いてる部屋に泊まらせてあげるから。お金があるなら、だけど」
「え! いいんですか?」
「もちろんさ、さすがに質のいい部屋を今からは用意はできないけど、困ってるんだろう?」
「そりゃ、困ってますけど……でも、どうしてわかったんですか?」
「あんたが出したこの人形さ」
「その人形で、ですか? どこにでもある人形だと思うんですけど……」
「この村で旅人が困ってたりする時や、助けられた時に村に案内をしてこれを渡すんだ。そうすれば誰かが助けられたか助けたかわかるだろう?」
「それって悪用されたりもしそうですね」
「それは大丈夫さ。この村で取れる木材を使って彫られてるんだ。不思議な香りがするだろう。それで本物かどうかを判別するのさ。そうじゃなくても鼻のいい亜人なら、持ってた人の匂いが分かるしね」
なるほど、と納得する。
それなら確かに村人の中で連携がとれるし、なにより分かりやすい。
連携をとるのと同時に複製品をこの村以外で用意して、村人を騙すという手段の対策にもなっているらしいです。
シュクラさんがカウンターの中にある日誌のような物を取り出すと、そこに何かを記入をしていく。
文字をかけることに驚いていると、シュクラさんがこっちに気が付いて、笑うのが見えてしまいました。
「驚いてるだろ」
「あ、い、いえ」
「いいさ。長年生きてると、こういうこともできるようになる。まぁ本当は領主様に頼まれたんだけどね。あんたの国でも珍しかったかい?」
「はい。文字をかけることも、教養もあることも珍しかっです」
「そうかい」
シュクラさんそれだけを答えると黙々と手元の日誌のような物に書き込んでいきました。
覗いては見たが、何が書かれているかまでは分かりませんでした。
「っと、出来たよ。銅貨だと二枚だけど、御代は持ってるかい? さすがに、文無しを止めるわけにもいかないんでね、先払いさ」
「あ、はい。大丈夫です」
慌てて荷物の中から銅貨を取り出すと、シュクラさんが銅貨を確認してうなずいてくれる。
「よし、じゃあこっちだよ。って言っても一番奥の部屋だから案内するもないけどさ」
そのまま二階に上がっていっていく彼女の後を追いかけて、一応確認しなければならないことを思い出しました。
帝国ではそれが禁止されていたので、ここでそれが禁止されているかの確認はしなければいけません。
「あ、あのシュクラさんちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「なんだい、ブランさん。旦那をくれって言う相談以外なら聞くよ?」
「旦那さんはいいです――それより魔法を部屋で使っても大丈夫ですか?」
* * *
シュクラさんに案内された部屋に入ってまだ仕事があると言っていたシュクラさんを見送った私はベッドに横たわりました。
宿の部屋は広めに作られていて、体の大きめの種族が寝られるようにと大きめのベッドとテーブル。それに、亜人用でしょう、魔法を使って突けるランプも置かれていました。
命が助かったことに満足しつつも、脱力してしまっていた体にぐっと力を込めて体を起こす。
大丈夫だったとはいえ、人間換算では貴重な時間を脱力に割くわけにはいきません。
まずこの宿に魔力的な何かがないか集中し魔力の流れを探していく。
いくら優しくしてくれているとはいえ、私は旅人です、見ず知らずの宿に泊まって警戒をしないわけにはいきません。
まあ、お金は払っているので、そこはトントンだと思いますけど。
「んー、亜人種の平均的な魔力量がちらほら。不審な魔力の流れはないみたいですね。うん、それじゃあとは……」
とりあえず大丈夫そうなので、次はあの騎士風の人に手渡された薬をバッグから取り出します。
指先にさわり心地の良い木製の箱を開けると、一般的な薬草を蜜蠟で固めた傷薬の青臭さが漂ってきます。
魔力の流れもありませんし、皮膚の活性化を促す程度の代物でした。
「特に異常はなし……。本当にただの傷薬じゃないですかこれ」
何の下心もなくて、逆にむっとしてしまいました。親切に異性の命を助けて傷の心配までして村に連れてきて、薬と宿の場所まで教える。
親切心の塊みたいで、疑ってかかっている私の方が馬鹿にされている気分になり、なんとなくむかついたので、箱が壊れない程度に加減して薬をベッドにたたきつけてやりました。
「ていっ!」
薬の箱がベッドの上で何度か跳ねて動きが止まる。理不尽な私のふるまいに怒る動作も見せません。
「反抗もしないんですか、この薬は!」
するわけありません。
むしゃくしゃした思いを宿部屋にぶつけるわけにもいかず、バッグを握りしめってベッドにだいぶしてやります。
首都から遠いにしては質の良いシーツに出迎えられ、いいベッドだなと憎らしく思うとともに、ため息が喉奥からこみ上げてきました。
これなら、この村というか町というかは住んでみてもいいかもしれません。
でもでも、私は魔族であるし、亜人種の姿もちらほらあったということは翼魔族はやっぱり怖いものかもしれませんし、それに――。
「ああ、もう! 考えるだけ無駄ムダ無駄なんです!」
言葉にして自分の思考を吹き飛ばそうと試みる。
とりあえず考えるだけ無駄です! 無駄なのです!
そのまま、ふと視線を上にあげてみるとすぐ目の前には、例の薬瓶が転がっていました。
ぼーっとそれを見つめて、私は足の傷に視線を移します。
そこには――自分で言うのも何ですが――、綺麗な足が伸びていました。
一ヵ所、あの兎を逃がした時にかかった罠の傷以外には。
何を捕まえるつもりだったかはわかりませんが、大きな獣を捕まえるために仕掛けたのでしょう。
翼魔族の魔力を使っても防ぎきれなかったようです。
魔族にとって、何の問題もない程度の傷なのは間違いありません。
それと、目の前にある傷薬。
疑心と感謝の念が入り交じり、何とも言えないもやもやとした思いが、私の胸のあたりに残ってしまいました。
「ま、まあ。せっかく渡されたものを使わないって言うのも、もったいない話ですよね。結構量もありますし」
そんな風に言ってみて、薬瓶に手を伸ばすのでした。