第2節「美青年に押し倒されて」
そこには、人間の美青年が居ました。
まさかこんな途中の道で人間に出会うとは思っていなかったので、思わず身構えてしまう。
人間が仕掛けたであろう罠を外した場面をその人間が目にしたら、拘束されて売り飛ばされても自己責任なのです。
一度、本当に売り飛ばされそうになったから、と言うのは口が裂けても言えませんが。
そんなことを考えていると、目の前の彼が私の種族に気が付いたのか、明らかに困惑した顔を見せながら私と距離を取りました。
「その羽と尻尾。お前、魔族か」
「この背中の羽と頭の羽耳が飾りに見えないのでしたら」
「減らず口を……。魔族がどうしてこんなところに居るんだ」
「あはは、いえーちょっと。コアコの村は見たことが無かったなーって」
私の前に居る彼の反応は、お世辞にも友好的、とは言えませんでした。
どうやら、亜人に寛容なコアコ地方と言えど、そこに住む人間にとって魔族は心の許せる存在ではないらしい。
ちらりと彼の容姿を観察する。
元々の顔つきは幼いのだろうか、黒竜を思わせる黒い色の髪を後ろに流し、彼の顔つきを大人びた物へと変えていました。幼い顔つきとは言っても、人間にしては年齢を重ねているようで、二〇代後半から三十代前半、と言ったところでしょうか。
元々は相当な美形だったのでしょう。しかし、眉間にしわが寄ってしまい幸の薄そうな人相になっていて、こちらを困ったように見据える姿は、
肌の色は帝国に多いはずの黄色。服装は寒い地方でもなお暑そう、と思えるほどに着こまれた帝国の礼服だった。白を基調とし、金の刺繍が施されたデザインの裾長コートに、黒いホースをはいていた。コートの中にはこれまたふちに金色の刺繍のされた赤いベストを着こんでいた。靴こそ革張りの厚いブーツをはいていたが、その格好に――なによりも彼の就けている勲章に、私は見覚えがあった。ドラゴンと剣を象ったそれは帝国、と呼ばれる私がもともと住んでいた場所で騎士としての身分を表す勲章をつけていたのです.
少なくとも私が見慣れた身なりからして、このコアコ地方に居るような人間ではないのは確かです。
もとより、私は帝国に住んで居た魔族。
帝国の人間に、良い印象なんてあるはずがない。
「帝国人、ですか。まさかまた皇帝陛下の策略かなにかでこんな美波のほうまでお越しになったんですか?」
「俺を帝国人なんかと一緒にするな!」
いきなり怒鳴られて、私は呆然としてしまった。
からかってやろう、と言う思いはあったもののここまで過剰に反応されるのは予想外だったからだ。
私が驚いてしまっていると、彼は自分で怒鳴ってしまったことに冷静になったのか、額に手を当てて頭を振った。
「いや、すまない。俺は……その、この近くの村に拾われたんだ。今は、そこで世話になっているだけで、今の帝国とは、関係はない」
「は、はぁ。そう、でしたか」
彼の態度に違和感を覚えつつも、私はそう返した。
違和感、と言っても些細なもので、帝国人らしくないと言った方が正しいだろうか。帝国兵士たちにあったような高圧的なそれではないのだ。
もちろん、今の言動でも十分だと思いますが。
ふと、彼の制服が一般騎士のそれではなく、城に出入りをしている人間の礼服であると思い出した。
同時に皇帝の城で事件があったらしい、という噂も。
帝国でお世話になっていた孤児院の紳使――教会の信奉者たちが口にしていたことだったのだが、彼らの間で城で何か事件が起きたと話題になっていたのだ。
私は孤児たちの世話をしながら住んでいたので、興味の欠片もなかったのだが……。もしかすると、帝国のお偉方の中で派閥争いでも起きたのかもしれない。
実際、その後すぐに当時の皇帝――女性皇帝だったあの人は戦争の余波に巻き込まれて亡くなったとも聞いた。
私は、その混乱に乗じて帝国を抜け出した身なので、ありがたいと言えばありがたいのだが。
彼も城の関係者なら、そのことに関係していたのかもしれない。
「ん、お前その足の罠」
彼の視線が、私の足元に注がれていた。どうやら、青年が私の足にかかっている罠に気が付いたらしい。
「あ、あはは。もしかして、私捕まっちゃったりしてます?」
「かかっていたはずの兎はどうした」
「えっと、逃がしちゃいました」
「逃がした? お前がか」
まずいことになりました。兎のことを知っているとなると、どうやらこの人間が仕掛けた罠だったらしい。
どうやってこの場を逃げ出そうか。
そんなことを考えていると、近くで何かが羽ばたく音が聞こえ始めた。
また近くを竜車でも通るのだろうかと思っていると、青年が慌てた様子で私のほうへと駆け寄ってくる。
「お前! 口をふさげ! 音を出すな!」
「はい? 突然何を言って――んー!」
いきなり、そう声をかけられたかと思ったら口元を大きな手で覆い隠されてしまった。
払いのけようとしてが、意外と人間の力が強く、足も罠にかかったままだったので押し返すこともできずに草むらの中へと押し倒されてしまう。
「んっ――」
背中と地面の間に羽が下敷きになってしまい、付け根に痛みが走る。
しかし、痛みの声は抑えられている手によって出ることはなく、ごつごつとした男性らしい手が、私の頬を通して感触を伝えていた。
羽には草のこそばゆい感覚とむき出しの土の荒々しい感触と、罠にかかったままの痛み。
そして、目の前には私を押し倒した男の顔があった。
魔族の服装は、とても露出が多い。それ故に出ている体のあちこちに、この男に触れている感触が伝わり、背筋がぞっとする。
まさかこんな野原の横にある森の中。それもものすごく寒い外の草むらで、男に押し倒されるなんて夢にも思わなかった。
いくら私が叫んだところで、人の耳に届くことなんてないであろう。
私が、抗議の目を向けても、彼は真剣な面持ちのままにこっちを見返す。
見ているこちらが、怖いと思ってしまうほどの、真剣な顔。
顔が、その距離が、短くなる。
魔族とて、興味のない男にそんなことをされたら恐怖心は増す。
ぎゅっと目を閉じてしまい、顔の横に別の人間の体温を感じて――
「いいから、黙ってろ」
耳元で、そんな声を出されてしまった。
思っていたよりもずっと近い距離。そして低い声に思わず私も思わず体を固くしてしまう。
すぐに視線が自分のほうに向いてないと分かり、ふつふつと意味の分からない怒りが戻って来る。
――いったい、この人は何を考えているんですか! いきなり人を押し倒しておいて黙ってろってなんですか!
こんな人の居ない所で、魔族とはいえいきなり異性を押し倒すなんて普通では考えられません。
そもそも、この地方で魔族と帝国人が出会う方が普通ではないのですが。
そんな思考の邪魔をするように、周りの木々の葉音が大きくなった。
同時に、何かが羽ばたくような音が大きくなり、やがてそれがすぐそばを飛んでいるのだと察しがつくまでになった。
いったい何の音なのだろう、と彼の手と体の隙間から見えるはずの空を覗いて音の正体を探す。
その先には、先ほどと同じ木々の葉とどこで見ても変わらない空の色。
音の正体はすぐに見つけることができた。
自然と、体が彼の押さえつけに抵抗をすることをやめて、その光景から目が離せなくなってしまった。
澄み渡った空に、大きな竜が飛んでいたからだ。
先ほども見た竜と同じシルエット、であるのに数倍ほどある大きさ。
それは大きな翼を羽ばたかせ、私の場所からでも見えるほどに大きな鱗に覆われ、地上で最も強いと言われている生物――ドラゴンがすぐ上の空を飛んでいたのだ。
竜車の竜とはわけが違う。彼らは魔族と同じくらい長寿で、魔力も力も蓄えた竜種で、種によっては運命とすらも戦える。
それ故に体躯の大きいドラゴンはめったに人に姿を見せることはない。
彼ら自身も、強大な知識を他言するものではないと人里から離れて暮らしている種も多いと聞く。
しかし、それはあくまで知性があるドラゴンの場合、だ。
今、目の前にいるのは、知性を失った獣――フォーヴとして野生化した獣と言っても過言ではない。
フォーヴと化した竜が人里の近くに降りてきて何をするのか。
答えは考えるまでもないほどに簡単だ。
生物を食らう。
それは人間が魔法を使えないのと、同じぐらい知らない者はいない。
竜が近くの雪原に、足を下した。
よほど集中しているのか、私の口をふさいでいる手にも力がこもる。
息がしにくくて、少し苦しかった。
目を閉じて、羽ばたく音が遠ざかるのを待つ。
どれくらい、時間がたったのだろうか。
羽ばたきが聞こえなくなったあたりで、ようやく私の上に乗りかかっていた男が体をどけた。
同時に抑えられていた手もどけられ、新鮮な空気が肺の中に取り込まれる。
「えほっ、げほ。あぁ、空気がおいしい……さすが山岳の空気」
「その、悪かった。お前の足にかかってる罠は、あのドラゴンを捕まえるための罠だったんだ」
「足」
「ん?」
「悪かったって思うのなら、足の罠はずしていただけると、嬉しいです」
「ああ。そうだな、待ってろ」
「…………」
素直に従う人間に思わず不信感がわきだしてしまう。
人間の手際におかしい所がないかと、つい疑ってしまう。
それでも、彼は何の文句も言わずに罠の細工を外しているようだった。
「これでいい。近くに俺が住んでる村がある。そこまで歩けるか?」
言葉をかけられて慌てて、立とうとしてみる。
体に力が入らず、脱力してしまっていた。どうやら、腰をに貸してしまったらしい。
無理に起き上がろうとしてふらっと前につんのめってしまう。
「わ、わわ!」
「おっと……」
そのまま、抱きとめられてしまったようだった。
無様にこけた言い訳も思いつかずに頬が熱くなる。
「歩けない、か。よし――」
「よ、よしってあなた何を、ってきゃああ!」
青年の腕が私の足と背中に回され、バランスを整えるかのようにちょっと上下に揺らされる。思っていたよりも顔が近くにあり、体には特有の浮遊感が広がった。
いわゆる、お姫様だっこと言う形で持ち上げられてしまったようだった。
――きゃー! お姫様だっことか、初めてされちゃいました。
ちがう、そうではない。
つい初めてのことでテンションが上がってしまいました。
「な、何をするんですか!」
「うるさい、黙って運ばれろ、魔族。幸い、村はそれほど遠くない」
ある意味村に近いから問題なのである。
慌てて誰もいないのを確認するために視線を回すと、荷物に置き去りになっている自分の荷物を見つける。
「ちょ、荷物! 荷物も拾ってください! 私の全財産!」
「ああ、悪い。忘れる所だった」
「酷いです!」
荷物も抱えてもらい、その姿勢のまま村があるらしい方向へと歩き出す。
まだ納得はいかなかったが、体が動かなかったから文句も言えない。
そんな私を見て笑ったのか、こいつはまたにやにやと頬を緩めていました。
私はそれにむっとして返してやる。
「なんですか」
「いや。まさか、魔族が罠にかかるなんて思わなかったよ」
「ドジで悪かったですね」
「はっ、違うさ」
「では何で笑ったんですか?」
「あの罠は兎があの場所からいなくならないと作動しない。それこそ、食われるか、誰かが助けでもしない限りはな」
「そ、そう、だったんですか」
「村の人にも伝えていたから、助けるとしたら旅人だとは思っていたが……、まさか魔族に兎を助ける奴がいるなんて思わなかった」
「私も、帝国人が私みたいな魔族を助けるなんて思いませんでした――。失礼、元帝国人でしたね」
「そうだな、俺も魔族を助けることになるとは思わなかった」
「……どうして」
「ああ?」
「どうして、あの時私にドラゴンが来たことを教えたんですか」
「それを教える必要があるのか?」
「ええ、だって教えないと目の前の魔族ががおーって噛みつきますよ」
「それは怖い」
おどけたようにして話をそらされてしまった。
しつこく質問をして困らせようか、そんな風に彼の表情をうかがうと、何か悩んでるかのようにまっすぐ前を見ていました。
無理強いをするのは、個人的には好きでないので黙ることにしました。
仕方なく空を眺めていると「いや」と口を開いた。
「とある人……あの村の人間に、人であるのならば、助けるべきだと教えられた。それだけだ」
そう、言いました。
恥ずかしがるようなその言い草に、少しだけドキッとして――。
仕方なく、私は黙ってそいつに抱えられてやることにしました。
……仕方なく、ですよ?