第10節「どうしてここへ?」
「あぁ……疲れたあ」
そろそろ太陽が山の向こうに沈んで、空が茜色に染まり始めているころ合いで消化。体がスライムのようにぐでっとなってしまった私は、自室のベッドの上に倒れ込みました。
今日はアレシアさんの館へと出向いて、調査の中途報告という名の御茶会に付き合っていたからです。それ自体に問題はないですし、そもそも請け負った仕事なので気疲れしようもありませんが、いかんせん彼女はむっつりさんなのです。
仕事報告の合間に、少しくらい雑談をしてくれたっていいのではなかろうか。
「もうちょっと、アレシアさんのことを知れればいいんでしょうけど……。あの人、寡黙で美人さんですから何を考えてるか読み取り辛くてしょうがないんですよねえ」
私が綺麗に干した枕に頭を突っ込みながらもふもふと喋る。
お仕事という立場上、彼女の御茶会を断ることもできず、報告することもほとんどないので、雑談をせねばならなくなるのです。まさかビジネスの相手に呼び出されたお茶会なのに、何もしゃべらないというわけにはいかないじゃないですか。
まあ、クレイさんの淹れるお茶は美味しいのですけど。
「あ~、でも次の為に色々考えないとー。なにがいいんですかね。私こういうの得意じゃないんですけど……」
気が重くなりながらも次の報告会の為に情報を手に入れる方法を模索していると、玄関の方から誰かが入ってくる音が聞こえました。耳を澄ましていると、乱暴な足音ではなく、落ち着いて乱れのない足音だったので、きっと外に居たリオさんが帰って来たのでしょう。
ふと、彼が帰ってきてくれたおかげで天啓が下りました。報告することが無いのなら、作ればいいのではないかと。
もちろん嘘の情報を持っていくわけにはいきません。ちゃんとリオさんのお話を持っていければ、こんなに気苦労することもないんじゃないでしょうか。
「よし! だいぶ今更な気はしますが、善は急げです!」
ぴょんとベッドから飛び降りて、今日アレシアさんから頂いて机の上に置きっぱなしだったものをひっつかむと、目的を達成するためにキッチンへ向かいました。
* * *
「これで、完成。ですかね」
今回の紅茶はなかなかうまく淹れられたのではないでしょうか。
自信満々に紅茶の入ったポットをお盆にのせてリオさんがいるはずの書斎を目指し、物言わぬ気のドアに軽くノックしてから部屋を覗くと、その中には明かりが灯されておらず、蝋燭の明かりだけで何かを書いているようでした。
こんな暗い中で書き仕事なんて、この人は何をしているのでしょうか。
仕方なくお盆を持っていない右手を使って、部屋の隅にあるランプに魔力を注ぎ込む。すると、ランプに薄水色の光がともって、部屋の中を青空の下のように照らし出してくれました。
「何を、してるんだ」
「はぁ……。何をしてるも何も、魔力ランプの灯りをつけてあげたんですよ。どうして蝋燭で文書なんて書いてるんですか」
「忘れたのか? 俺は人間だ。いくら村の備品が亜人用の調度品だったところで、人間に魔力は使えない……。便利なのは知っているが、使いようがないんだ」
「ああ……。だから蝋燭で書き仕事をしていたんですね。人間は魔力がないんでしたっけ」
「そうだ」
つまらないことを聞くなとでも言うつもりだったのでしょうか。すぐに首を振りながらため息を吐き出して仏頂面に戻る。
そんな私の事を気にもかけていないリオさんの態度が、ちょっとだけ癇に障りました。
無意味な仕返しをしたくて、できるだけ文書の中を覗かないようにしながらも彼の机へカップを置いてやる。これで私を無視はできないでしょう。
「はい、アレシアさんからもらった茶葉で淹れた紅茶です。勉強中ですので味には何も言わないでくださいね」
「すまない。あとで飲ませてもらう」
そう言って、彼は書き仕事を続けるようでした。
書き仕事を眺めながら、この人はずっと何をしているのだろうという疑問が浮かび上がってくる。もちろん、仕事だからというのもありましたけど……。純粋に何をしているのか、気になるのです。
あの日、この人が私を助けた日から今日まで。私はリオさんが何をしているのかなんて聞こうと思いませんでした。
もちろん、今さら聞く気にもなれませんでしたし、リオさんの性格上聞いても答えないですから。
それでも彼のことを知らなければいけない。私も私なりのお仕事をしなければいけません。私は思い切ってあの事を聞いてみることにしました。
「あの、リオさん」
「なんだ」
「聞きたいことがあるんですけど、聞いても大丈夫ですか?」
「珍しいな、お前からそんなことを言うなんて」
「私だって、気になることたくさんありますもん。例えば……リオさんは、やっぱり帝国の騎士だったって聞きました。それもかなり上の方の」
相手は腐っても軍人さんでした。
探るというのであれば踏み込まなければいけません。
だいぶ危ない橋でしたけど、彼は書き仕事をしていた手を止めて、ゆっくりと私の方を見る。彼の緑色の瞳がしっかりと私を見据えられて緊張してしまう。
「……アレシアから聞いたのか」
「はい。申し訳ないなーって思いましたけど、リオさんはきっと話さないと思っていたので。アレシアさんからはとっても強い騎士様だったって聞きました」
嘘ではない。
彼を探ってほしいと言われた時の羊皮紙。あそこには皇帝という文字と、騎士という文字を読み取ることが出来ました。よほどの間抜けでもない限り、リオさんが皇帝付きの騎士をしていたということは簡単に予測がつくでしょう。
そう答えると、彼はため息をついてどっと椅子の背もたれに体重を預けました。
「それがどうした。アレシアに探れと頼まれたのか?」
いきなり核心を突かれて喉が渇いていく。
きっとこの人はその手のことに慣れているのでしょう。騎士様ですから当然です。でも、核心を突かれたからと言って簡単に下がるわけにはいきません。
私の穏便な安住の地探しのためにも。
「いえ、純粋に気になっちゃってます」
「気になる? 魔族の、お前が、ただの人間様の事情がか?」
「いけないですか? だって、気になるじゃないですか。私だって元々帝国に住んでいたんです。だから、帝国人がどういう人なのかも知ってます。帝国人は、帝国意外の人を――亜人も含めて、他国の人間を良く思っていないのは重々理解しているかと」
「強く否定はしない。あそこは力がすべての国だったからな。上も下もそう言う輩は間違いなく多い。ただの農奴だった俺が騎士になれたのもそのおかげだ」
「農奴だったんですか……。だから、どうして帝国人であるリオさんはここに居るのか。帝国人は基本的に外国に出ることはありませんから」
「……まあ、いい。簡単さ。亜人戦争になる前だ。即位したばかりの皇帝に捨てられた。それだけだ。面白い話は何もない」
「捨てられた? あの……、それは本当なんですか?」
「ああ、思い出したくもない真実だ。お前には反逆の疑いがかかっている。この帝国に密告者を招き入れた疑いだ。だからこの国から出て行け、とな。弁解をする暇も証拠を見つけ出す暇もなった」
「それは、いつのことですか? まさか、噂の女性皇帝が就任した――」
直後じゃありませんよね。
そう言葉にしようとして、さすがにそれはないはずと思って言葉を止めてしまう。
直前のはずがありません。だって、歴史的にその戦争のきっかけを作ったのは今私が口にした女性皇帝です。リオさんがどれほどの実力で騎士になったのかは知りませんが、反乱の疑いがあったとはいえ、戦争直前にわざわざ破門にする理由がありません。
少なくとも、身を亡ぼす以外の理由は。
リオさんは苦笑して筆をおくと、もう一度カップに手を伸ばした姿勢を崩して背もたれに体重を預けました。
「お前の言う通り、その直後だ。俺が帝国から出た時すぐあとにまたもめ事が起きたと聞いている。俺には……、もう関係の無くなった話だがな」
リオさんの肯定を聞いて耳を疑う。
騎士である彼を国外追放にした事実ではなく、女性皇帝がそれを行った、ということが信じられなかったからです。
私は一度、その女性皇帝を見たことがあったからでした。即位直前、それこそ国内が内乱が終わって、これから平和になっていくのかとみんなが浮足立っていた当時のことです。
とても遠い所から、一度だけ。私を見て驚いた表情と、笑いかけてくれた顔を見たことがありました。
帝国は亜人たちにとても厳しい――いいえ、差別しているとも言っていい国でした。私のように亜人を隠そうともしない人を見れば、眉間にしわを寄せ、虫でも払うかのように対応するのが当時の常識でした。国民ですら亜人に対していい感情は抱いていません。
ですけど、あの人は笑って、手まで振って……。
政策だったとしても、その直後に亜人を追い出すなんて無茶な政策を切り出して、また大きな争いを産んでいましたけど、どうしてもあの時向けてもらった笑顔に、嘘の色はありませんでした。
だから、彼女が無能だという話も嘘だと思っていて……。
「リオさんは、なにも聞かなかったんですか?」
「聞いたさ。だが、申し立てをする前に、俺の師匠から国を追い出された。何も聞く暇なんてなかったよ。それからはこの通り、ここまで流れてここに来たんだ」
あの人がそんなことをするなんて想像もできませんでした。
誰から見ても無能としか思えない行動、操り人形になってしまいそうだったとはいえ、あの帝国がそんな間の抜けた行動をする宰相がいるとも思えません。
ということは、そんな行動をあの皇帝本人が動かしていたことにほかなりません。
「俺があの国を出てから……うわさは耳にした。あの皇帝は馬鹿だった。何も考えていなかったんだとな。――無能皇帝。それがあの皇帝に就いた名前だ。ピッタリだと思わないか?」
思考をしていた矢先、リオさんがそんなことを言って、私は思わず反応してしまいそうになりました。
相手のことを何も考えないで、それなのに仕えていた相手を馬鹿にするような言葉を言うのが騎士だったなんて信じられませんでした。
彼の言っているそれはただの八つ当たりです。自分の知らない事を知れないままになった、子供のような我儘。
でも、私は首を振って言いかけていた言葉を喉の奥へと押し込みました。
私も人のことを言えませんから。
彼が私に聞いた言葉を思い出し、飲み込んだ言葉の代わりに、それを聞くことにしました。
心なしかそれを聞くことに不安を感じてしまったので、持っていたお茶出し用の盆をぎゅっと抱えて、心に蓋をしました。
「信じたく、なかったんですか。皇帝と、そのお師匠様を」
「それは――いや、いい。この話は聞かなかったことにしろブラン」
言えなかった言葉を飲み込むように、この人は何も言わないまま紅茶を口に運びました。お茶と一緒に、言葉も飲み込んでしまったのでしょう。口を離しても、文書にかかってその先を言うつもりは無いようでした。
聞きたくないと言えば嘘になり案すけど、今日の所は、ここまで聞ければいいかもしれません。
それに、初めて淹れた紅茶の味も気になりますから。
どんな感想を言うのかと見ていると、私がじっと見ていることに気が付いたのか、文書から目を離して私を見ました。
「この紅茶はお前が淹れたのか」
「残念なことに私は精霊様も生成魔力も水なので、火を起こしてもらった以外は私です」
「そうか……。香りが薄いな」
「薄い……?」
「おそらく、火加減が弱い。沸騰する前の水を使ったんだろう」
「そう、です。たぶん」
「沸騰する前のものを使うと茶葉が浮く。葉が沈み切っていないと香りが薄くなる。ただ、これなら途中まではできているようだからそこを気をつければ――」
その後もいくつか注意点を言われてしまう。
言ってることは確かに勉強になりますし、正しいのです。ですが、先ほどの事もあってむしゃくしゃした思いが胸の中に嫌悪感の塊になって浮かび上がってきてしまう。
「いいか、次から淹れるときは、井戸の水を汲んで、沸騰させてからポットに入れろ。それだけだ」
それだけだ、ですか。
自分の掌が痛くなって、自分が力いっぱいこぶしを握っていたことに気が付いてしまいました。それが何でもないはずなのに、悔しい思いがこみ上げてきてしまう。
これが八つ当たりなのは分かってます。分かってるはずなのに……。
先ほどの――あの人の事を相まって、止めようと思っても止まりませんでした。
私は、この人と何も変わりませんね。
「せっかく……」
「せっかく?」
「せっかく淹れてあげたのに、なんですか! 文句を言うだけ言って!」
「いや、俺はただ――」
「出ていけって言いたいのならさっさと言えばいいじゃないですか! それをねちねちねちねちと文句ばっかり! こんな家でてってやりますから!」
「まて、そんなことは言ってないぞ」
「止められたって、もう帰ってやりませんから! べーだ。意地悪なリオさんなんてもう知らないんですから!」
勢いに任せて扉を思いっきり閉めてやる。
私の耳に軋んで空いてしまう扉の音が聞こえてきましたが、足を止めずにリオさんの家を飛び出してきてやりました。




