第9節「初めてのお使い」
「お前、村の市場へ買い物へ行ってこい」
朝も早く、干し肉を差し出しながらリオさんはそう言いました。
初めて会った時とは違う、ラフなシャツとズボンという姿で、私の目の前に立っていう不機嫌そうな顔をした彼の姿は何とも奇妙な光景で。
何事ですかこれは。
私が朝の準備を整えて部屋から出たら、キッチンの横にあるテーブルの置かれた部屋の真ん中で、軽い恰好のリオさんが立っている。そして、開口一番に「市場へ行ってこい」なんて言われたわけで……
どれを考えても、全く意味が分かりませんでした。
「はい? えっと、市場へ買い物ですか?」
自然と、私の返答はそんな言葉になっていました。
彼は気にした風もなく、保管部屋から数枚の薄い干し肉を持ってくる。
そして、「そっちに座れ」とだけ言って、私にその干し肉を渡して向かいの席へと腰を下ろしてしまいました。
思わず渡してきた干し肉を受け取ってしまいましたが、説明が足りないと思います。
とりあえず現時点で理解したのは、この人に任せておくとまともな朝食は今後取れないであろうということだけです。
仕方なく言われた通りに向かいに腰を下ろし、渡された干し肉をかじってみる。
思っていたよりも保存状態が良いらしく、美味しかった。
なぜか微妙に悔しくなりました。
「今日は、二軒先の畑を手伝うことになっているんだ。本当はそのうち買い物へ行こうと思っていたんだが、お前が居るのなら丁度いいと思ってな」
「はあ……」
「場所はわかるな? 村の通りをまっすぐ行ったところにある市場だ。迷うこともないだろうから、買い物へ出てこい」
「えっと、確認のためなんですけど、私がですか?」
「ああ。それ以外に誰かいるか?」
「えっと、他に誰かいたりするはず。きっと、たぶん」
「そうだな、居るのなら話は別だが。残念ながら、俺はこの近くで話せるやつはお前以外にはいない」
「微妙に残念なカミングアウトは聞かなかったことにして――えっと、部屋の確認のために昨日貯蔵室を見ましたけど、結構あった気がするんですが……」
なんだかんだでこの男の家に住むことになって、家の中の案内と確認は済んでいます。
ちなみに、私の部屋は急に宛がわれたというのに、埃をかぶっていただけで、良質なベッドとクローゼット、それにテーブルと食器棚という豪華な品ぞろえになっていました。好きに使えと言われましたが、こわくてどれもほとんど触れてません。
その時に案内された貯蔵室にはまだ十分な食料と蓄えはあったと思うのですが……。
「お前が来たから追加で買っておかなければいけなくなった。ついでに雪リンゴも買ってこい。この村の名産で安く手に入る」
「なんで私が」
「俺は用事がある」
「さっき聞きました」
「そうか、話が早い。さっそくだが買ってきてくれ」
あれ、話がループしてませんか、これ。
しかし、ここで負けるわけにはいきません。変な意地です。
「もう一度言いますけど、どうして私が行かなきゃいけないんですか」
嫌な顔も追加して同じ問いを返すと、彼は鬱陶しそうに目をそらした。
彼の性格なんでしょうか、なにか説明するという行為自体が、あまり好きじゃないように思えました。
私がじっと彼を見つめていると、小さく息を吐き出しました。
「仕事を頼むと言っただろ」
「ああ、昨日そんなことを。それが理由ですか?」
「……がう」
「はい?」
「ちがう。その……あれだけの啖呵を聞いておいて悪いが、お前に頼む仕事が今ないんだ。簡単な家の掃除もあるが、俺の部屋には触られたら困るものも多い。だから、これから足りなくなるであろう買い物へ行ってもらおうと思ったんだ。何もしていないよりはマシだろう」
「それってただ単純に頼むことが無かったんじゃ」
「そうともいう」
「えぇ……」
「そういう顔をするな、美人が廃る」
そう言われて頬に触ってみる。
どうやら知らず内にむっとしてしまったのが顔に出てしまったらしい。
人間とはいえ、イケメンにそう言うことを言われるのは悪い気はしませんが、騙されてはいけません。
「ナチュラルに口説いてきますね、ご趣味ですか?」
「世辞も通じないのか? 本気にするな。俺に魔族を口説く趣味は無いからな。あくまでもノーマルだ」
「ノーマルねぇ……それ、人間の神様に誓えますか?」
「そんなことまで主は監視したりせん。仮に見ていたとしても、俺に心当たりはない」
「……子供たちと遊んででにやにやしてたのに?」
「おいまて、いつの話だそれ」
「雪リンゴと備蓄でしたよね? わかりました、買ってきますね」
「おい! いつの話だ! 言え魔族!」
止める彼の言葉を無視して、私はそそくさと彼の家から通りに出る。
振り返って確認をしてみると、それ以上彼が制止してくる様子もないので、ゆっくりと市場に出るために坂を上っていきました。
* * *
村の中、と言ってもリオさんの家ははずれのほうです。
建物が並んでいるのは森を抜けた丘の上で、何かを買おうと思ったら村の反対の出口の方まで足を伸ばさなければいけません。
大きい村ではない、とってもそれなりに活気には溢れているので、荷物があると大変といえば大変です。
彼に渡された銅貨を指先で遊ばせながら歩いていると、丘の上に人が住んでいるであろう建物がいくつか見えてきました。
石造りの建物で屋根は角度が急な傾斜が付いており、積雪を落としやすくする工夫が施されているそうです。万年雪が降る地方のミユネーヌの特徴だと、この数日でクレイさんに教えていただきました。
回りに視線を移せば、息が白く染まりそうなほど寒い気候であるのにもかかわらず、葉が生い茂り、中にはいくつか実をつけている植物さえあるのが見えました。
どれもこれも、帝国の中では見ることが出来ないものです。
途中、民家と思わしき建物の近くを歩くと、中からラパンプルジールの女性が子供を連れて出てくるのが見えました。
第一村人発見です。
「どうも、魔族のお嬢さん」
一瞬呆けて見つめてしまっていると、向こうもこちらに気が付いたらしく、彼女に挨拶をされてしまいました。
まさか、村の人から挨拶をもらえるとは思わず、体が固まってしまう。
「あ、おお、おはようございます」
私が慌ててそう返すと、その人は笑顔で会釈をしてすぐそばにある川の方向へと歩いて行ってしまった。
見ると、彼女の近くには小さいお子さんもついて歩いていました。
子供が母親の後に笑ってついていく光景を見ていると、なんだか胸のあたりが温かくなるようでした。
そんな人に挨拶をされたのも、少しうれしい。
「えへへ、挨拶されちゃいました」
ちょっとだけ、この村の住人になれたような気がして、嬉しくなってしまいました。
足元も軽くなってしまいます。
いくらか建物のある方へと進むと、段々と民家が増えてきました。民家が並ぶ通りを抜ければ広場があって、そこで市場が広げられているはずなので、ここで買い物をするのだと教えられました。
浮かれた気分のまま市場のほうへと出てみると、道の石をコツコツと鳴らす蹄の音が聞こえてきました。つられて視線を動かすと、見たこともない大きさの馬車が止まっているようでした。
周りを見ても、まだ市場と言えるほどお店が立ち並んでいるわけでもなく、むしろ活気があるのはもっと奥の方でした。
仕入れの馬車にしても、そこで止まっているのはいささか疑問が残ります。
なんでこんなところに荷馬車が止まっているのでしょうか。
そんなことを考えながら足を止めて馬車を眺めていると、
「おや、ブランさんじゃないか」
と、後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきました。
聞こえた声に振り返ると、そこにはシュクラさんがリャートの女性と一緒に立っていて、私を見るなり駆けつけてきました。
リャートは猫と呼ばれる動物の亜人種族で、部族によっては本当に猫のような外見をしている人も多いと聞きます。帝国の貧民街でも娼婦として見かけたことはあったので、特段珍しいというわけではない種族のはずです。
「あーえっと、シュクラさん。この前はありがとうございます! それと……そちらのリャートの方は?」
「ああ、こっちのかい? こっちのは――」
「あら~。その子はだあれ? シュクラちゃんの隠し子? ――そんなわけないわねぇ、シュクラちゃんは兎さんだし、その人は魔族だし」
目の前のリャートの女性はとてもゆったりとした雰囲気の方で、シュクラさんとのやり取りを聞く限り、喋り方までどことなくゆっくりしている方でした。紫色の髪と黒のラインの縞模様の毛皮はとても温かみがあるのと同時に、不思議な感じを演出しています。
その……、個人的な感想を言うと、全体的にダイナマイトでした。
胸とか。胸とか。
悔しくなんてありません。これも個性です。
そんな感想を持っていると、シュクラさんが呆れたようにため息をつく声が聞こえました。
「なんで私の子って発想になったのか聞きたいわ……。あのね、この人はブランさんって言って、この前この村に来たばっかりの魔族の方なの。ほら、ブランちゃん紹介は?」
「え? あ、はい! ど、どうも、翼魔族のブランって言います」
「あははー、よろしくね。わたしはカリーナって言うの。このレユラル村を拠点に、近くの村や地方と行商をしていて、帝国や宗教国様にも足を運ぶことがあるの。これから是非贔屓にしてくださいな」
「行商。ってことは、品物も売ってたりしてるんですか?」
「えぇ、もちろんよ~。今日はそのためにこの村に来たんだもの」
「ブランちゃんもひいきにするといいわ。すごいのよカリーナは。彼女に頼めば村にないものを持ってきたりもしてくれる。おかげで、うちの宿では珍しいものを提供できるってわけ」
「うふふ、シュクラちゃんのお店はいつもいいお客さんですわぁ」
どうやら、彼女は名の知れた商売人であるらしい。しかも、シュクラさんの言葉を信じるのならば信用も高いみたいでした。
彼女なら雪リンゴを安く手に入る方法も知っているかもしれません。
「それじゃあ雪リンゴ、ってどこで売ってるかわかります?」
「おや、ブランさんはリオのおつかいか何かなのかい?」
「そうなんですよ。まったく、この辺のお店も知らない私にお使いさせて無駄使いでもしたらどうするのかって思ってる途中なのです」
実際には無駄遣いする場所も知らないのですが。
私がそういうと、シュクラさんが何が面白かったのかケラケラと笑った。
あの男のがさつな所が、そんなに面白いのでしょうか。
隣で話を聞いていたカリーナさんが、肉球をポンと合わせたので、つい視線がそちらに向いてしまった。
「それなら丁度いいわ。これから隣町に出荷に行こうと思ってた雪リンゴがあるから、それを安く分けてあげる。初回ですもの、サービスに次から買う場所も教えてあげるわ」
「本当ですか!」
「ちょ、ちょっとカリーナ。あんたそれお得意様に出荷する分って言ってたやつじゃあないのかい?」
「もちろん、商売上ちょっとした手数料ももらうけど……ふふ、だってこれからブランちゃんもお得意様になってくれるんでしょ?」
「え、えっとたぶん?」
この村に居るかぎり、きっと彼女のお世話にはなるかもしれません。
一応まだ居候という身分です。彼女にちゃんと答えるわけにはいきませんので、あいまいには答えますが。
「あはは、ならいいの。それならお客様にはサービスしないと。ブランちゃん可愛いし、わたしの肉球でもふもふさせてくれるのならお安くしちゃおっかな、って」
カリーナさんが、肉球のついた手でわしわしと握るようなしぐさを見せて、私の羽をじっと見つめていました。
もふもふとは、いったい何なのでしょうか。長年生きていた私でも、もふもふするという行為には想像がつきません。
カリーナさんのうしろでシュクラさんはああ、またかとでもいうかのように額に手をあてて首を振っていました。
背筋に悪寒が走る程度には嫌な予感がしました。
「カリーナの悪癖だから、気にしないでねブランさん」
「悪癖ですか。あの怪しい動きが」
「悪癖はそうだけど、あの動きはおまけよ――女の子を見るとところかまわず抱き着いて撫でたり触ったりするのよ。それはもういやらしい手つきで」
「うぇえ! ま、まさか、カリーナさんって……そういう趣味の御方ですか」
「それはさすがにわたしも傷ついちゃうわ~。わたしはちょっと異種族に興味があるだけで、わたし自身はノーマルなのに」
「私の覚えている限りあんたの手つきはノーマルのそれじゃないんだけど。天下のレユラル名うての商人であるカリーナ様はそれについて何か言い訳はあるかい? 十文字で」
「え~と『わたしはわるくないよ』?」
まるで長年の付き合いのように息があっている二人を見ると、ちょっとやましくなってしまう。
ところで、なぜシュクラさんは手つきについてわかるのでしょうか。気にはなる所ですが、それよりもお使いの方が優先的です。
「えっと、それで雪リンゴについてなんですけど……」
「ああ、そうだったわ~。危うくシュクラちゃんの言葉で忘れちゃうところだった。いくつ必要?」
シュクラさんの「私のせいにするなよ」という声を横で聞き流して、カリーナさんが箱の中の荷物を確認していました。
私はその光景を見ながら、人差し指を顎に当てて考えてみたが、リオさんは何をするとも言っていなかったので、いくつ必要かもわかりませんでした。
私が黙ってしまっていると、不思議そうな顔をしてカリーナさんが振り返って首をかしげた。
「あら、ブランちゃん? 何個必要か分かる?」




