第五話 甘い肉
ふとアデルが、腰を曲げて背を低くし、少年=ヤキソバに向けて両手を差しのばしてきた。
(何だ? どういうジェスチャーだ?)
アデルの意図が判らず、首を傾げるヤキソバ。手を出されても、特に行動を起こさない彼に、アデルが少し残念そうだ。
「そう簡単に懐いてくれねえか。まあ、さっきこっちから襲いかかったばかりだしな」
腰を戻して立ち上がるアデル。今の発言で、彼女が自分を抱き上げようとしていた事に気づく。
アデルはさっき自分が入ってきた部屋のドアを、再び開ける。そしてアデルが、こちらに手招きしてきた。どうやら一緒に外に出ようと、言いたいらしい。
ここがどこなのか、元々気になっていたヤキソバは、それに応じて、一緒に部屋から出た。
部屋を出ると、そこはどこかの建物の中だった。
部屋があるんだから、建物の中なのは当然なのだが、どうも構造が特殊であった。天井まで数メートルの、やや高さがある大きな室内。そこは面積も広く、大型体育館並であった。
そしてその広い空間の中に、工事現場のプレハブのような、大きな長方形の部屋がいくつも置かれている。何個ものプレハブが、横にいくつも並べられており、それぞれの正面にドアが一個ずつついている。これらは全て、誰かの個室だったのだろうか?
床は白いタイルであり、彼にとっては見慣れた感じの、現代建築の床である。そのプレハブの列は、複数の列になっているようで、彼の出てきた部屋の前数メートルにも、その列の背中があった。
そのプレハブ列の狭間にある通路には、ときおり人の姿を見かけた。十~二十代の若い男女で、いずれも色彩は違うが、アデルと同じような和服を着ている。
そして彼らもアデラ同様に、鳥のような足・鶏のような鶏冠・鳥のような白い羽根、という普通の人間とは異なる身体的特徴を持っていた。
「おう、例の霊獣か? もう目を覚ましたのか?」
歩いていた数人の人々が、ヤキソバを珍しそうに見ながら、こちらに集まってきた。
(うわっ……)
普段から人との対話が苦手なヤキソバは、この注目に戸惑い、どう対応すればいいのか迷う。迷ったところで、今自分は人語を喋れないことに気づいた。
「ああ、見た感じ傷ももう治ってるっぽいぜ。ニーナが言うには、霊獣ならそのぐらい当たり前らしいけどな。半日も経たずに目覚めるだろうって言ったのに、実際は丸一日かかったけど」
人々とアデルが口にした“霊獣”という言葉に、ヤキソバは引っかかった。
(霊獣? こいつら今の俺が何者なのか、判ってるのか? というか、そもそもこいつら何者なんだ? 人間には見えねえけど……)
このままここに突っ立っていると、どんどん人が集まってきそうだ。彼は逃げるように、その場から駆けだした。
「おい、待てよ!」
慌ててアデラがヤキソバを追いかける。道行く人々の視線を無視して、自分の出た部屋から左横の廊下の奥にまで辿る。
するとそこにやはり行き止まりがあり、やはり両横への曲がり角があった。ただその行き止まりの壁に、スーパーマーケットにあるような、オープンショーケースのような横長の箱が張り付いているのが気になった。
ヤキソバはそのプレハブだらけの屋内をくまなく走り、やがてある場所に到達して、ここがどこなのか確信した。
屋内の中央部と思われるその場所に、巨大な水槽があった。上から見ると半円形のその大きな水槽には、砂利と飾り気ある石が置かれ、南国の海のイメージを作っている。そしてその水槽の中に、見覚えのある魚たちが、今も元気に泳いでいた。
(ここはさくら山の中だったのか……)
その水槽は、以前彼が入った、あのデパート・さくら山の水槽に違いなかった。よく似た別物とか、あそこから水槽を移動してきたとかではない。
大型水槽の両横にある、上下に行き来できるエスカレーター・水槽の前にあるテレビ・エスカレーターの側にあるアイスクリーム店、それが全て、当時のままである。
ただしアイスクリーム店はリニューアルしたのか、看板と写真は、アイスクリームではなく、饅頭店になっていた。
(位置的に見て……さっき俺が寝てた居住区が、以前の食品売り場だな。しかしデパートの中を、こんな風に改装するなんて。まるでレジスタンスのアジトだぜ)
ヤキソバが水槽の内側の壁に張り付いている、コバンザメの姿をじっと見ながら、色々と思案を巡らす。その様子を見て、自分を追いかけてきたアデルが、彼に話しかけてきた。
「これが珍しいか? この魚たち、俺らがここに来る前からあった奴らでさ。以前はこの世界の人間共に飼われてたみたいなんだ。そんで今は俺らの仲間が、こいつらの世話を引き継いでるわけだ」
(この世界の? 自分が異世界から来たみたいに言うな……。まあ確かに見た目も変だし、この前の傷が何故か既に治ってるし、色々納得できるけど……それじゃあ元々この世界にいた奴らはどこに行ったんだ?)
目の前の少女に、色々と聞きたいことができた。それで彼女に話しかけようとするが……
「ガァアアア! ガァ!」
「何だ? 腹減ったのか? そういや霊獣って、何食べんのか聞いてなかったな……」
だがヤキソバの言葉は、まともな言葉にならなかった。彼は鳴き声は、何かをねだるように聞こえたらしい。この様子だと、自分が人語を理解できることも知らないのかもしれない。
いきなりヤキソバの身体が、中へと浮き上がった。正確にはアデルが自分を無理矢理抱き上げて、持ち上げた。
急なことで驚いたが、ヤキソバは特に抵抗せずに、そのままアデルの胸に抱かれる。そしてアデルと共に、このすっかり変わり果てた、さくら山の中を歩き始めた。
店内のエスカレーターは、意外なことにまだ生きていた。アデルはエスカレーターの自動移動に頼り切らずに、自分の足でも歩いて移動速度を速めて、店内の二階へと向かう。
(そういやこの店の電灯もついてるな。あの水槽といい、ここの施設は、こいつらが完全に操作してるのか?)
二階には、一階とは異なった上面が正方形のプレハブが密集している。かつてこの階に広がっていた、靴・服店の面影は微塵もない。
アデルとヤキソバは、そのプレハブの一つ、ドアの横に赤十字のマークがついた、プレハブに入っていった。
「ニーナ! ちょっと聞きたいんだけど! こいつお腹が空いたみたいなんだ! 何か食わせればいい?」
その部屋の中に、意気揚々と入り込むアデルとヤキソバ。
その内部は、多くの本棚が設置された、大きな私室であった。ソファー・ベッド・台所などがあり、病院かと思ったら完全に個人の私室である。
そしてその部屋には一人の人物が、ソファーに座っていた。それは真っ白な和服を着た、ショートボブの少女である。背はアデルより低く、百四十ぐらい。容貌と背丈から、かなり幼く見える。
「呼び鈴押してください! いきなり出てこられると、驚くじゃないですか!」
確かにあまり行儀良くないアデルの来訪に、少女は少し怒っていた。それに対し、ヤキソバは少し困惑していた。
(何だ? 医者かと思ったら、随分と若いな? それとも人間とは年齢計算が違うのか?)
ヤキソバの困惑など知るよしもなく、二人は会話を進める。
「霊獣の食べ物ですか……別に普通でいいじゃないでしょうか? 神として祭られてる霊獣は、普通の人間の食べ物の、お供えを食べてたそうですし……」
「もっと詳しい話しとかないの? 前に猫にチョコ食べさせた時みたいになったら、やばいじゃねえか……」
「そんなこと言っても……霊獣のことなんて、僅かな資料しかないからしょうがないですよ。それに霊獣はそう簡単に死にませんよ。“タンタンメン”という麒麟は、飲まず食わずで何千年も寝て生息してるそうですし。もし嫌いな食べ物があるなら、自分から食べないだろうし、とりあえず色々上げてみたらどうです?」
繰り返される会話に、ヤキソバは少しホッとした。もし餌として、生肉を差し出されていたら、どうすべきであっただろうか?
「しかし意外とあっさりと懐きましたね? アデルさんが、自分の部屋に置くとか言ったときは、心配でしたが……」
「ニーナのやり方のほうが危ないんだよ。危ないかも知れないから、檻に閉じ込めようなんて、それだとかえって嫌われるんじゃないのか?」
「まあ……そうかもしれませんね。ところでさっき来た、新城の里からの返答ですが、その霊獣に関しては知らないそうですよ。飼っている者はおろか、それを見た者もいないそうです」
「そうか……じゃあこいつの飼い主って、誰なんだろう? 腕輪がついてるから、野生じゃないんだよな?」
アデルは自分の両腕に抱かれているヤキソバを見て、少女=ニーナと同様に困惑している。それはヤキソバ自身も聞きたいところだ。
誰かに飼われていたわけではないが、そもそもどうしてこんな姿になっているのか……
「飼い主が見つからないなら……そのままアデルのものにしちゃえばいいですよ。異世界から迷い込んできた可能性も、少しはありますし……もしかしたらあなた、とてつもない拾い物をしたのかもしれませんよ」
そう語るニーナの表情は、どこか欲深いものを、ヤキソバは感じ取っていた。
さくら山で、かつて飲食店として利用されていた場所は、今は食堂として利用されていた。
置かれている椅子と机も、その時の物がそのまま利用されている。厨房もそのまま使われており、数人の料理人がそこで働いているようだ。
その料理人達や、今ここに来ている客達も、全員あの鳥のような異形の姿をしている。そしてその机の一つに、アデルとヤキソバが、向かい合うように座っていた。
ヤキソバの方は、座るのではなく、椅子の上に立って机の上に顔を出している状態であるが。
ちなみにヤキソバの包帯は、今は全て取り除かれている。その身体にはやはり、傷一つ残っていない。重傷に思えたアデルの傷が、一日で消えていたのにも驚いたが、本人も普通ではないようだった。
「気に入ったみたいだな。本当に俺らの食べ物でもいいのか?」
机の上に出された皿には、たっぷりと唐揚げが載せられていた。ヤキソバはその皿に載った唐揚げを、モリモリと食べている。
この姿になって初めての食事だ。手を一切使わない後行儀の悪い犬食いであるが、この姿では仕方がない。
この店には唐揚げの他に、照り焼きやしょうが焼きなど、肉類が中心のメニューである。この場ではアデル達以外にも、客が来ている。
時間帯のせいなのか、元々の人口のせいかは判らないが、客は数人と、椅子の数に比べて少なめである。
(こいつら鶏みたいな姿なのに、平然と鶏肉食べるんだな。別にいいのか? そういうの……)
他の客が食べている姿を見て、ヤキソバがそんなことを考えている最中、その客がこっちを見て話しかけてきた。
「いい感じに懐いてるな。このまま小さいうちに、飼い慣らしていく算段か?」
「まあな。途中で飼い主が見つからなきゃ、そうするつもりだ」
そんな会話を本人の前でしているアデル達は、やはりヤキソバが人語を理解できることを知らないようだ。
(そういえばこいつら、年寄りが一人もいないな……)
今まで見てきた、この鶏人間達の姿は、いずれも十代から二十代前半ぐらいの、若者達ばかりであった。色々と疑問に思うところがあるし、聞いてみたいこともあるが、それはやめておいた。
喋ることもできなければ、蹄がついた足では筆談も出来ないし、意思疎通は極めて困難だ。
それにこのまま彼らには、自分は人語が判らないと、誤解させたままにしておく方が良いような気がしたのだ。理由はほとんど勘だが。
「しかしこいつ、今はまだできることとかねえのか? 霊獣なんだから、何かすごい力があるはずだろ?」
「さあな。そもそもこいつがその気になってくれなきゃな……」
(いやそれ以前に、自分が何ができるかなんてしらねえし……)
会話を聞いてヤキソバはそんなことを呆れ気味に思ったが、ふと疑問に思った。自分には本当に何も出来ないのかと?
(霊獣だか何だかしらねえが……何かチート級の力と手に入ってねえかな? そうでないと折り合いがつかねえし……)
自分がこんな理不尽な目に遭ったのだ。これだけ異常な状態になっているのだから自分に何か、特別な力があったりしないかと、ヤキソバは何となく期待を寄せた。
(どうすればいいんだろ? とりあえず格好つけて、気合いを入れてみるか?)
「ググググ~~~~~~!」
「うん?」
ヤキソバは本当に形だけの気合いを入れてみる。気合いというか、顔の筋肉を力んでいるだけだが。
その様子をアデル達が何事かと、向かい側のテーブルのヤキソバに注視した。
「おおおっ!?」
驚いたことに、その無意味に思えた行動で、本当に何かが起こった。ヤキソバの頭の角が、突然光り始めたのだ。
角全体が、一つの光の塊のような姿になり、仄かな橙色の光を、食堂を照らす。この自体に周りにいた客達に気づき、場が騒がしくなっていく。
この場で暴れられるのでは危惧した者が、武器を構えたり、上の方へと連絡しようと走り出したりする。
「何だ!? 何をする気だ!?」
アデルが期待と恐怖を入り交じった表情で、ヤキソバを見つめる。僅かに身構えながらも、彼女はヤキソバと机で向かい合ったままだ。
しばし時間が経ったが、特に何も起こらない。そもそもヤキソバ自身も、明確に何かを起こそうと思ったわけではないのだが。やがて角の謎の光も、燃え尽きた蝋燭のように、静かに消えていった。
「何したの今?」
報告を受けて駆けつけていたニーナは、その一連の行動と、結局何も起こらない現状に、不思議そうに首を傾げていた。それはその場にいた全員も同じだった。
「おいヤキソバ……お前どうしたんだよ?」
(どうしたって、俺が聞きてえよ……)
適当に力んでみたら、いきなり発光現象が起きて驚いたのは、ヤキソバも同じである。それで結局何も起こらなかったのに、がっかりしたことも。
ふとアデルは、机の大皿に盛った唐揚げに目に入った。
(そういやまだ食ってる途中だったな……)
何が起こるかと身構えた後の、緊張状態から一気に脱力したアデル。とりあえず気を取り直しがてら、その皿に盛ってある唐揚げをつまみ上げ、それを一口する。
「ぶへぇえええええええええええええっ~~~~~~~~!」
そしたらアデルが、まるで芸人のように派手なリアクションで飛び上がり、その唐揚げを一気に吹き出した。
多量の食いかけの唐揚げと涎が、クラッカーのようにヤキソバに降りかかる。
アデルの突言の奇行に、ニーナ達は先程の発光現象以上に驚いた。
「ちょっと!? どうしたのよ!?」
「あっま~~~~~~~~!」
泣きそうな顔で、舌を出して叫ぶアデル。
ヤキソバが起こした謎の発光現象では、特に物理的な何かは、全く起こらなかった。
だがそれが原因かどうかは知らないが、その食堂にあった食材全てが、砂糖の塊のような甘い味に変化するという、謎の現象が起こっていた。