第二十六話 再生と祭り
その時から数日ほどして。相変わらず日本にある、かつてヤキソバとアデル達が過ごした地方都市・弘後市にて。現在この街は、ある大きな転換点を迎えていた。
弘後市の市街の外れにある、広大な田園地帯。もう田畑の手入れをする者はおらず、草原と化して、鹿や猪の繁殖地帯となっていた場所である。
だが今回その場所は、一夜明けた途端、その全ての風景を一変させていた。草木は全て除草され、獣たちの姿は全くない。その代わり、それとは別の者が、その大地を埋め尽くしていた。それは人である。老若男女実に大勢の人間が、その大地に横たわっているのだ。
服装は現代の日本人のものであり、彼らは間違いなくこの弘後市の住人達だ。石眼達によって、世界中の人間が石化した。勿論この弘後市の住人達もそうだ。だがその彼らが、灰色の石の身体ではなく、色のついた生身の姿で、全員無事な姿で倒れているのだ。
彼らは皆、街から取り寄せたものと思われる、様々な布の上で、仰向けに寝かされていた。赤ん坊や病人など、身体の弱い者には、ベットやベビーカーなどが用意されていた。
彼らは皆目を閉じており、全く動く気配がない。だが死んではいない。彼らは皆、ちゃんと息をしている。
そんな彼らが、上空から眺めると長方形に綺麗に並べられている。その長方形の側面の一つに、何か大がかりな荷物がコンテナ船のように、大量に積まれていた。
それは何千万個あるかも判らない、大量の缶詰であった。黒い大型の缶詰が、見事なアートとして綺麗に積まれて、大きな平面長方形の山を作っているのだ。
やがて朝日が高く昇り、仰向けに寝かされた彼らの顔に、日の光が照らされると、次第に彼らに動きが現れ始めた。
「うう~~さみいな……うん?」
1人が目を覚まし身体を起き上げると、他の者達も次々と目覚め始める。彼らには身体に傷などはなく、体力の低下なども見られない。
石化前以上に、その身体に力が漲っていた。彼らは最初寝ぼけ目で、しばらく呆然としていた。だが次第に意識が覚醒していくと、自分たちの居場所の異常性に気がつき始める。
「何だよここ……? お前ら誰だよ!」
「ちょっとちょっと! 何なのよこれ!? さっきまで私は……」
「ママ! ママはどこ!?」
「あれ? さっきの蛇は?」
「うわぁああああっ!? 何てことだ! 俺たちは皆、宇宙人に誘拐されたのか!?」
凄まじいどよめきの声に、静かだった田園地帯は、実に大きな喧騒に包まれる。十数万人もの弘後市市民が、ある場所に密集した、声高々に叫ぶ光景。
国際試合の客席にも似たような光景があるが、こちらで上がるのは歓声ではなく、混乱と怒りの声である。
何故自分たちがここにいるのか? そしてここはどこなのか? そして自分たちに何が起こったのか? 全ては誰にも判らないのだ。
いち早く落ち着きを取り戻した者は、自分たちの家族や知り合いを探して歩き始めている。徐々に落ち着きが全体に広がり始めたのは、自分たちのいる田園のすぐ近くに、見慣れた街があることが、知れ始めたときだ。
この街の外れにある建築物に覚えのある者は、すぐにそこが弘後市であることに気づく。
「街だ! てことは、別の星に行ったわけじゃないんだな!」
「おいおい! 俺の家は!?」
その話しが人垣の向こう側まで、どんどん広がっていく。それを聞いた者達が、何千人と大慌てで、その街まで走って行った。
「何なんだよ? じゃあここは、あの田んぼか?」
「ところで今何日だ? もしかして時間飛んでね?」
「向こうに大きな山があるんだけど……あそこにあんな建物あったっけ?」
街の存在の次に、人々が気づくのは、自分たちの人垣のすぐ隣にある、巨大な缶詰の山である。最初は爆弾でもあるのかと、人々が騒ぎ出し、近くにいた者達が、一斉にその山から距離をとる。
皆がこの異物に、異様な雰囲気を覚えて怯えている中、数人の勇気ある者達が、その山に恐る恐る足を進めた。その円柱型の金属の入れ物が詰め込まれた、その巨大な山を間近で見てみる。
そしてその缶詰の、側面に何かの文字と絵が描かれていたことが判る。
「……ヌートリア?」
そこには【おいしいヌートリアの肉】と書かれた達筆な文字と、デフォルメされた外来生物のヌートリアの絵が描かれていた。
これ以外にも、鹿・猪・猿などの、様々な動物が描かれた缶詰が、各地にここに置かれていた。そしてその山の近くには、大きな張り紙が貼られた板が立て掛けられている。そこには……
【市民の皆さんの為に用意した食糧です。復興のまでの間に、是非お使いください】
と書かれていた。……なおその缶詰の中身の肉には、以前新城に送り付けられた、余り物のヌートリア肉もあったとか。
世界の全人類が石化するという、大災害から数年。突然どういうわけか、その永遠の石化の呪いが、急速に解け始めた。
この現象が最初に確認されたのは、日本の地方都市の弘後市。その次にその周辺の市街から、次々と石化した人間が復活している。
目覚めた人々は、一体何が起こっているのかも判らず、ただ困惑するだけ。幸い当時の政府や警察も、全員五体満足であるため、すぐに人々の統制がとれ始めた。
石化の解除は、最初に弘後市の市民が復活してから、数年たった今でもなお続いている。最初の二年程で、日本の全人口が開放された。
そしてその次に、海外の諸国でその石化解除現象は、未だに継続している。この現象が、世界全人類を解放するまで続くと仮定した場合、それが全て終わるのは百年以上先になると考えられる。
混乱は収まっても、人々はすぐに元の生活に戻れるわけではない。謎の人物から提供された謎の缶詰は、弘後市以外からもどこからか提供されている。
復活当時は、他に食糧がない状態で、人々は止むえず、その胡散臭い食糧を口にしていた。結果それは、味も栄養学的にも、食糧としても何の問題もないものであった。
またその食糧の素材は、世界石化中に、大繁殖した野生動物(外来種含む)であることも判った。
その明らかに自然に生まれたものではない、人為的に与えられたその食糧の提供者を探す動きもあった。その石化の解除も食糧提供も、人々の気づかぬうちに、いつの間に起きているのだ。
それが起きた現場を目撃した者や、監視カメラの映像などは、現時点一度も確認されいていない。人々がその謎の協力者を探ろうとするのは必然である。
だがほとんどの人々は、それ以外の事が大変で、そちらにあまり大きく手を出せていない。自発的な食糧生産を初めとした、産業・商業の復興。そして未だ石化が解けていないと思われる、海外の国々の調査等々、やることは沢山だ。
他国が凍結状態なのをいいことに、漁業で領海侵犯が頻繁に行われ、他国の都市では物品の略奪も大規模に行われた。
中には国家的機密情報を、日本政府が各国から盗み出しているという噂もある。世界に何が起こったのか、何も理解できないうちに、政府は先に呪いが解けたのを利用して、今後の国際的な立場を有利にする作戦に没頭中だ。
一方の市民の間では、石化を解いている何者かに関して、多くの物議をかわしている。一部では、これは世界に降臨した新たな神の力だと、新興宗教も発生していた。
そんなこんなで、一時はどうなるかと思われた、石眼の起こした世界の石化は、ゆっくりとだが確実に、呪いが解け始めていった。
最初に石化が解けてから十年、弘後市にて。街はすっかり、当時の賑わいを取り戻していた。
街の道路や歩道には、多くの人々や車が行き交い、多くの食堂や店には、お客が石構えと変わらず、出入りしている。
かつて鷹丸達が気にしていた、続刊が停止した漫画やライトノベルも、次々と復活していた。外国との貿易が、まだ復活していないので、経済が完全に復興したとは言い難い。だがそこには、確実に平和の再生が垣間見える。
ちなみにかつてアデル達が拠点にしていたデパート・さくら山は、今は政府の調査対象として、現場保存されている。
石化事件から数年経っているのに、デパート内の大型水槽の魚が生きていたこと。そして店内に、明らかに人の手が加えられた痕跡があるためだ。
かつてアデル達が寝床にしていたプレハブを含め、さくら山内にあった様々な者は、あの日から全て撤去されている。
だがそれで証拠が無くなったわけではない。まるで機械工場のように改造された立体駐車場や、各地に僅かに残された生活ゴミなど、多くの謎の痕跡が、そこから次々と発見されたのだ。
現在そこはデパートして復活することはなく、警察官達の監視の下、立ち入り禁止区域になっている。さくら山だけでなく、ガストン達がいたホテル・ニューキャッスルもだ。
他に日本全国の各地で、似たような奇妙な痕跡が発見されており、そこも同様に調査対象となっている。
それ以外にも日本中で、夜間になるとある者が頻繁に目撃されるようになった。そしてその者達の証言で、世界に何が起きたのか、その概要の一部が知られ始めている。そちらの調査に政府も大忙しだ。
江戸時代から残る城史跡が残る弘後公園。冬が終わりを告げ、草が芽吹いていく季節。弘後市の名物である、公園内の数千本の桜の木も、花を咲かす蕾を、着々と実らせている。
まだ時期でないために、この日に公園内を歩く者は、かなりまばらだ。県外からの観光客も少ないために、石化事件前よりも、平均的な人の往来は少ないかもしれない。
そんな中を、二人の子供と一匹の犬が歩いていた。見た目は小学校高学年ぐらい。現代の日本では目立つ和装の若者の姿は、たまにすれ違う人々の目を引いていた。
連れている犬は、紐もつけられずに、自由な姿で二人の足下を歩いている。これはかなり危険な散歩であるが、この犬が二人から離れたり、人に吠える様子もない。
それは足が長いのか、犬としては少し背が高い。そして何故か、フードのような布で、全身を覆って姿が見えず、どんな犬種なのかも判らない。
そして少女の方の背中には、竹刀袋を背負っている。剣道部の部活帰りにしては、この時間帯には変だ。そもそも学校が完全に再開されている今、子供が平日のこの時間にいるは不自然である。
率直に真実を言えば、彼らは子供ではない。その二人は、あの翔子と鷹丸であった。そして背負っている袋の中には、竹刀ではなく真剣が入っている。
世界が回復していく中、当然銃刀法も再生しているために、袋で隠しているのだ。ちなみに翔子は、尻尾は隠しているが、頭の角はそのままである。何も知らなければ、少し変わったアクセサリーに見えるだろう。
「久しぶりだな~~何年ぶり? でも桜祭りはまだだよね?」
「当たり前だろ……思いつきで休みをとって。ちゃんと時期を見ろよ」
『少し見回ったら、さっさと街へ行こうぜ。この時期に公園にいても、あんま見るもんないし』
「お前は喋るな! 誰かに聞かれたらどうする!」
途中で口を挟んだのは、彼らと一緒にいる犬……ではなく、犬の振りして姿を隠しているヤキソバである。
彼らは石眼との決着後に、実に大きな仕事を、ひたすら繰り返していた。人々の石化を解くことは、ヤキソバの力があればさほど難しくない。その気になれば、1日に数千万人を復活させることもできた。
だがそれでは、人々は何年も文明が機能停止した世界で野垂れ死んでしまう。そのため事前に都市の機能の修復や、農地が使いやすいよう整備、彼らが暮らしていくための食糧の用意、等々様々なことをする必要があった。
勿論そのようなこと、ヤキソバ一人でできるわけがない。これはこの世界に移住していた、各国のレグン達や、向こうの世界からこの世界に帰還した、鷹丸達の仲間の緑人=六年二組のクラスメイト達の尽力があってのことだ。
そして今日、仕事続きで疲れていた彼らは、久しぶりに休暇をとって、この故郷である街に帰ってきたのである。
やがて二人は、公園内の内堀の橋を渡ったところで、ある者を見つけて声を上げた。
『お~~~い。白鳥!』
「だから声を上げるなって……」
ヤキソバが声を上げたのは、濠の岸辺で休んでいる一羽の白鳥であった。冬鳥である白鳥は、大概渡りを終えているが、この白鳥だけは残り続けている。
それはかつてヤキソバがこの公園に止まったときに出会った、あの妖怪白鳥であった。
『お久しぶりですなヤキソバ殿。まさかまたお会いになられるとは……』
『そんな言い方するなよ……別に俺は神様じゃないんだし。正直今の姿で会える、この街の知り合いなんて、お前ぐらいしかいないしな』
内堀の岸辺で、フードを被った犬と、白鳥が顔を見合わせて立っている姿は、傍から見ればかなり滑稽である。
『ヤキソバ殿が力を示されてから、この世界もすっかり変わりましたな。いや変わった世界が、元に戻り始めたというか……』
『戻らなかったもんもあるけどな……まあ、あれはあれで面白いし』
『亡霊達ですか? 確かに……』
世界中で、夜間や暗いところに現れるようになった、あの亡霊達。はっきりしたことは不明だが、恐らくは人妖が原因である彼らの出現は、人妖が滅び、人々が元に戻っても、なくなることはなかった。
復活した人々が、夜に彼らの姿を見たときのパニックを見たとき、ヤキソバ達は失礼にも面白いと思ってしまった。
『世界が完全に元通りとはいかないでしょうな……』
『それはそれで面白いじゃん。幽霊とかが出てくる漫画じゃ、内容が少し変わってたりするし……』
今でも幽霊達は、世界各地で夜間や暗所に姿を現す。時間が流れるにつれて、人々も少しずつ馴れてきており、幽霊が多く集まる場所では、観光産業を始めようとしているところもあるという。
ただ重大なのは、その幽霊達の証言で、石化中に世界中に姿を現した人妖達、そして無人化した世界に住み着いたレグン族。彼らの存在が、人々に知られてしまったことだ。
これは結構重大な事だ。石化を解いている謎の存在と、レグン族を結びつけられるのも、そう遠くないだろう。当初レグン族は、しばし様子を見てから、ヤキソバに不老を解いてもらい、この世界の住人に紛れ込もうと考えていた。
だが予想外の幽霊からの情報漏洩が元で、この計画に危機感を感じ始めている。現在も議論が続いているが、次第にこの世界を離れようという意見が強くなっている。
『そうですか……この世界を救った恩人でもあるのに……何とも残念な話しです』
『しょうがないだろ……警察の方では、今度レグンに懸賞金をかけるなんて言ってるし……。まあ、元々世界を渡るのは馴れてるから、案外気楽な感じだったぜ』
『しかし……石化が全て解けるのは百年後という話しですが……それまで隠れられますかね?』
『そこまでかからねえよ。ある程度人が増えて、国の体勢が整ったら、食糧支援とか全部そいつらにやらせる。もちろん解く人数のペースも上げるしな』
それでも相当な年月がかかるはず。それにここが終わったら、今度は向こうの世界に行かなければならないのだ。彼らの仕事が終わるのはいつになるのか、全く見当もつかない。
『とりあえずあいつらは、向こうの世界に移り住むとか言ってるぜ。あそこは元々、魔法とか獣人とかいる世界だし、こっちの世界よりも受け入れられやすいかもしんねえからな』
そんな話をしている中、鷹丸と翔子は、不審に思われないよう、濠の垣根から出ずに、遠目から彼らを見ていた。だが途中で、彼らの耳に、ある言葉が聞こえてきた。
「おい……あの犬喋ってねえか?」
「そう? 気のせいじゃない?」
その声が聞こえた瞬間、翔子の反応は素早かった。
「ヤキソバ! もう終わりよ! 行きましょう!」
その言葉を聞き、ヤキソバは即座に、後ろに回ってその場から走り出そうとする。その直前に、首を後ろに曲げて白鳥に最後の言葉をかける。
『じゃあ、俺は行くわ! お前も頑張って長生きしろよ!』
『ええ……ヤキソバ様』
『ん?』
『この世界を救って頂きありがとうございます。この命尽きる前に、人々の営みを再び見れて、私は幸せです……』
白鳥は長い首を下に曲げて、人間風の礼のポーズを取る。これにヤキソバが照れくさそうに答えた。
『ああ……一方的に巻き込まれて、押しつけれて……何度も切れたがな……こういうのも案外悪くないかもな……』
ヤキソバが鷹丸達の元に駆け寄り、一緒に逃げていく。それを頭を下げたまま、見送る白鳥。その珍妙な光景を、不思議に思ってみる通行人達。
長きにわたった、全次元の者達と人妖の戦いは終わりを告げ、ここに誰にも知られぬうちに、全次元の新たな時代が、ゆっくりと始まった。




