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第二話 小さな麒麟

 地方都市・弘後市。人口十数万人の、都会と言うほどでもないが、田舎でもない中規模の都市である。その街の唯一の映画館に、一人の少年が向かっていた。

 厚手のTシャツの上に薄い銀色のジャンパーを着て、下はGパンというごく普通の服装である。短髪は背は少し高く175センチ程。灰色のバックを肩にかけて、街路樹に囲まれた歩道を歩き、駐車場を跨いで映画館に入る。

 この少年の目的は当然、映画を見ることである。目当ては『ガルゴ3』という、ここでは上映終了日が近い怪獣映画だ。


 彼は一旦中に入り、チケットを買ったが、予定より早めに来たせいで、しばらく待つことになった。

 映画館内には、ポップコーンなどの飲食店もあるが、特に買いたいものがない少年は、しばらく時間を潰す必要が出てきた。


(……しょうがない。少しあっちに入ってるか?)


 この映画館のすぐ近くには『さくら山』という名前のデパートが、道路を一つ跨いで存在している。

 ここにも特に買いたい物があるわけでも無いが、店内を適当に歩き回っていれば、時間を潰せるだろうと思った。


 一旦映画館を出て、デパートの間にある道路の横断歩道を渡る。この日は休日であることもあって、歩く人や車の数は多い。当然でデパートの中も、昼間だがそれなりに客もいるだろう。


(うん?)


 横断歩道を通り抜けた時、少年は近くの街路樹の根元に、偶然ある物を視界に入れた。それは灰色の石のような物体である。

 道路の真ん中ならば目立っただろうが、街路樹の根元など、普段に目に入れないので、中々気づきにくいだろう。

 現に彼以外に、それを見て何か言う者はいない。そしてその石は、どこにでもあるような、ただの石ころと違っていた。


(何かの置物か?)


 背筋を曲げて、それの形をよく見る。それは動物の模った、石の置物のように見える。大きさは掌で握れるほどだ。

 その動物は最初は龍かと思ったが、よく見ると龍のような長い胴体はない。それは地面に伏して寝そべった姿勢の、麒麟の石像であった。何かの落とし物だろうと、普段は気に留めないようなレベルの物であるが、少年は何となく気になって、それを拾い上げる。


(地味だが出来はいいんだな。すげえ精巧に彫られてる……)


 それはお土産屋で良くあるような置物などとは、明らかに違う。どこの匠が彫ったのか不明だが、その麒麟の姿は、角・足・鬚・鬣に至るまで、あまりに細かく精巧である。

 まるで今にも動き出しそうなほどの出来で、これで色がついていたならば本物の動物と間違えていたかも知れない。


(結構値打ち物だよな? やっぱり交番に届けるべきか? でもこっから交番だと遠いよな?)


 これから映画の時間は、ただ待っているだけだと長いが、わざわざ交番まで届けるというと、少し足りない気がする。じゃあこのまま放っておくのも、良くない気がした。


(映画見た後に届けよう……何だったら俺が貰っちまっても……)


 少し邪な考えを持つ少年。そして自分が、こんな道ばたに放られていた物に、何故か魅了されていることに、少し戸惑いも覚えていた。






 麒麟の石像をバックに突っ込み、少年はデパートさくら山の中に入る。自動ドアのすぐ目の前にある装飾店を通り過ぎ、彼は一階の中央にある、大型水槽に歩を進めた。

 このデパートには、観客への見世物なのか、かなり本格的な海水魚を飼育している水槽がある。上から見ると長円刑の水槽の周りには、ベンチなどが置かれており、人が自由に休むことが出来る。側にはアイスクリーム店と大型テレビが設置されていた。

 水槽の中にいるのは、色とりどりの海水魚で、中にはコバンザメなどもおり、水槽のガラス面に張り付いていたりする。


『世界中で勃発している、集団失踪及び石像出現事件は、今日も継続して発生しています。同時にまた白い蛇の目撃情報が……』


 大型テレビでは今昼のニュースをやっているらしい。報道されているのは、現在世界中を賑わしている怪奇事件だ。


 ある日から、世界中の町村で、住人が一斉に消え去る事件が起きた。その代わりに、何故か住人に酷似した石像が、そこに無造作に置かれているというのだ。

 その石像はどれも、恐ろしく精巧に出来ており、紙の一本一本や、服の僅かな糸くずまで、あまりに本物の人間に近く彫られている。これは一流の職人でも、完成させるには相当な時間がかかるだろう。


 そんな芸術品が、人がいなくなった街で、大量に出没しているのだ。もしこれが愉快犯の仕業だとしたら、そいつはどれだけの金をかけて、どれだけの人数の彫刻家を雇ったというのか?

 その辺が全くの謎である。これがフィクションならば、住人が石になったと即座に考えるだろうが、現実ではそうすぐに思う者は、当初政府にもマスコミにもいなかった。

 だがここまで事件が立て続けに起こると、そのファンタジーな現象が本当に起こっているのでは?と信じる者が続出している。


(またこの事件か……マジで人が石になってるのか? ファンタジーが現実になってるって、結構怖いな。……石像と言えばさっきのこれ。案外元の本物の、石化した麒麟だったりして)


 そんな妄想めいたことを軽く考えながら、少年はしばし三階の本屋で立ち読みして過ごし、やがて時間が近づいて映画館に向けて外へと出て行った。






 キイーーーーーーン……ドンッ!


 外に出ると変な音が聞こえた。それは花火や音楽のような、楽しめる音とは明らかに違う。おそらく音源は、今少年がいるデパートの出入り口とは、大分離れた所にあるのだろう。

 だがその音は、そんな距離からでも良く聞こえる。耳につく車のブレーキ音と、大きくて重い物体が、何かに衝突した音。交通事故発生の音であった。

 歩いていた人々も、この音に驚きざわめいている。一部その音が下方向に、行き先を変える者がいた。少年も一瞬驚いたが、すぐ興味を失い、映画館に足を向けようとした。その時に……


 シュルシュル……


(うん?)


 足下に変な気配を感じて、少年は立ち止まった。デパートから横断歩行へ向かう途中の歩道で、彼は変な者に出会う。

 足下に目を向けると、それはとても目立つ、珍しい小動物。それは全身が真っ白な鱗に覆われた、一匹の蛇であった。

 その白蛇は、自分を見下ろす少年に、目線を向けて見上げている。


(何だ? この……)


 この奇異な存在に、少年は細かく思考することが出来なかった。そうする前に、自分を見上げていた蛇の両目が、カメラのフラッシュのように一瞬発光したのだ。

 真っ赤に光る、怪しげな二つの光。それを網膜に焼き付けた瞬間、少年の意識はそこで途絶えた。







「グガッ……?」


 眠りについた少年の、目覚めの一言は、何ともおかしな声であった。別に眠気もなく、ただ普通に町の中を歩いていただけなのに、訳も判らないまま唐突に眠りについていた。

 いや、それが眠りと呼べる物なのかどうかも微妙だ。ただ、ベッドの上にいたわけもなく、頭を打ったわけでもないのに、一時期意識を失っていたのは確かだ。

 一体何故、そのようなことが起こったのか、全くの謎である。まだ少し、頭の中がぼんやりとしていた。少年は目をパチパチと盛んに瞬きをして、意識を少しずつ回復させる。


(何だっけ? 確かデパートに行って……そうだ、映画館に行かなきゃ……急がないと)


 まだ覚醒しきっていない思考で、彼は立ち上がる。どうやら四つん這いの姿勢で寝ていたらしい。

 何故このような体勢でいたのかも、良く判らないままに、自身の目的だけを思い出す。両手両足を真っ直ぐにして、立ち上がり、そのまま二本の足で立ち上がろうとするが……


「グガガッ!?(うわわっ!?)」


 何故か二本の足で立ち上がった瞬間に、身体の平衡感覚が大いに乱れた。身体のバランスが崩れ、うっかり後ろ向きに倒れそうになる。

 それを防ごうと頑張るが、結局方向が変わっただけで、彼は前に倒れ込んだ。その際に、頭と胴体が地面にぶつからないよう、両手を地面につけて、身体を支えた。彼は両手両足で立ち上がる姿勢に戻る。

 その際に、また彼の口から、変な声が聞こえたが、それを気にする余裕はなかった。彼はもう一度立ち上がろうとチャレンジするが、また失敗して、前に倒れ込む。


(何か変だな? 普通に立つよりも、両手を地面につけた方が、バランスがいいような? あれ、指の感覚が変だな?)


 色々と不思議に思う少年。そういう思考を持てるぐらいに、意識が覚醒していったとき、自身の体調と関係ない事象に、彼は絶句した。

 それは自分の周りを、さっきまでの虚ろな目ではなく、はっきりとした視線で見たからだ。


「ガガアッ!? ギィイイイイイッ!?(何だこれ!? そしてここどこだ!?)」


 彼の記憶では、自分はついさっきまで、デパートの入り口近くにいたはずだった。周りには、コンクリートの地面を歩く多くの人々・自動車・ガードレール・街路樹が、彼の視界にあるものだった。

 だがこの場には、そんなものがどこにもない。日の光が差しているが、上にはコンクリート製の天井があり、少なくとも外ではない。明らかに彼がいた、あのデパートの前とは違う。

 彼は即座に、ここがどこか判別できなかった。それを考えるよりも前に、あまりに奇怪な存在が、周囲に大量に置かれて、一帯を埋め尽くしていたからである。


(何だこの石像!?)


 彼の周りには、無数の人間の石像が、所狭しと置かれていたのだ。

 それはもうギッチリと、足の踏み場もないぐらいに密集して置かれている。それどころか石像同士が接触していたり、石像の上に被さるように別の石像が置かれていたりもしている。

 どれもカバーなどはされていない。美術館の保管庫でも、こんな雑な置き方はしないだろう。


 彼はその異様な石像の群れをよく見てみる。その姿は老若男女様々で、容姿や背丈も全て異なっていた。服装は外行きの服だったり、室内向けだったり、和服・寝間着・スーツ・作業服など、実に多様である。

 そして彼らの表情や姿勢は、眠っていたり、何かに逃げるような姿でいたり、ポカンと立ち尽くしていたりと、実に様々。どれ一つして、同じ姿の石像はない。

 しかもその一つ一つが、一級系芸術品と言えるぐらいに、あまりに精巧に出来ていた。明らかに型を取って作った、大量生産品ではない。

 しかもその大きさはかなりのもので。彼の体躯の何倍もあり、まるで巨人の像だ。


 そしてたった今気づいたのだが、少年が今眠っていたのは、この建物の床の上ではなかった。

 本物の床の上に、積み重なって置かれた、倒れた姿勢の石像の上に寝そべっていたのだ。やや高い位置で寝ていたため、この石像の大群を、かなり見晴らしよく見ることが出来たのだ。


(何なんだよこれ? 何でこんなのがあるんだよ?)


 少年は、今まで自分が寝ていた足下の石像を、指先で突っついてみた。だが実際に突っつけたのは、彼の意識に反して指ではなかった。というか、彼には指がなかった。

 別に指が切断されたというわけではない。彼の手の先っぽが、別のものに置き換わっていたのだ。


(何だよこれ……?)


 それは蹄だった。鹿のように二つに割れた、堅そうな蹄が、彼の手の先についていたのだ。

 おかしいのは指先だけではなく、彼の両腕全体だ。彼の両腕が焼けに細く、しかも魚のような銀色の鱗がビッシリと生えていた。


 少年は、現実に頭が追いついていかず、一瞬また意識が飛びかけた。自分は着ぐるみでも着させられているのかと一瞬思ったが、すぐにそれが違うと認識できた。

 何しろ今の自分には、指の感覚が全くない。そして彼の身体を覆う鱗の上からは、空気の流れを感じ取れる触覚があったのだ。即ちこの腕は、紛れもない自分の身体の一部なのだ。


 彼はふと、視界に入ったある物に注目した。自分の前方十メートルぐらいの距離の天井に、丸い円形の鏡があったのだ。

 彼がいるこの場所は、建物の中に違いないが、少しおかしな構造だった。全体にいくつもの柱が立っている。上り下りする場所は、階段ではなく、緩やかな坂になっている。

 その坂への道の天井付近に、あのおかしな鏡がぶら下がっているのだ。そして片側の壁には、何故か壁がない。窓もついてなく、外の光景が丸見えになっている。そこから外の青空がよく見える。


(もしかしてここ……立体駐車場か? だとしたら何で、車じゃなくて、石なんかが置いてあるんだ?)


 彼は今の自分の異変を確かめようと、曲がり角にある前方確認用ミラーへと走り出した。

 人間ならば、二本足で移動するのが当たり前なのだが、彼は動物のように四本足で走り出す。何故そんなことをしたのか? 何となくそのほうが走りやすい気がしたからだ。

 そして実際に、彼は四足歩行でバランス良く身体を支え、軽快に走り出す。まるで元から自分の身体が、そういう構造になっているかのように。


 彼はミラーの下へと到達する。それを見上げて、鏡に映る自分の姿を見た。


(俺………妖怪になっちゃった?)


 その姿を見たときの彼は、思いの外、冷静だった。

 鏡に映る自分の姿は、彼の元の姿とは全く違う。それどころか人間の形すらしていない。彼は今、人間ではなく、全身が銀色の鱗で覆われた、一匹の麒麟となっていた。


(これは夢か? 何が何だか、良く分からんわ……。とりあえず外出てみよう……)


 事態がさっぱり飲み込めないままに、彼は出口を探す。

 人間だったときのような二本足ではなく、馬や鹿のような四本足で、である。やはりこの歩き方の方が、身体のバランスがいい。まるでずっと前から、このような動きで生活していたかのように、その四足歩行は彼の身体に馴染んでいた。


 この立体駐車場と思われる場所は、大量の石像がギュウギュウ詰めに置かれていて、歩きやすい場所などどこにもない。

 だが彼は、四本の足を巧みに操り、石像の上を、軽快に移動する。時折足場が悪い場所では、ジャンプして飛び越えたりもした。これは明らかに、人間の動きではない。


(夢にしちゃあ……えらく感覚がリアルだ。それに……)


 彼は一つ大きな息を吸った。そして……


「グギャアッ! グガァ!」


 彼の頬のない龍の口から、まるで怪獣のような鳴き声が出てきた。これは彼が意図的に言ったのではない。適当に何か言葉を発しようとしたら、こんな声が出たのである。


(やっぱり人の言葉が話せなくなってやがる……)


 今の彼の身体は、人間の言語を話せる構造にはなっていないようだった。



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