第一話 紫色のくノ一
そこは日本という国での、とある町の中での出来事。
道はコンクリートと塗り固められて、多くの白線が描かれている。道の脇には歩道と自動車道を区別するガードレールや、三色の光を放つ信号、そして電気を流す線を支える電柱が何本も立っている。
町の各地にある建物は、大きさも形も様々で、木材・石材・鉄鋼材など、いくつもの素材が組み合わさって出来ており、中に高さ数十メートルという巨大な物もある。
そんな機械文明によって作られた、ごく普通の、現代の日本の地方都市・・・・・・の筈であった。
だが今この街は、科学時代のこの世界には似つかわしくない、あまりに奇異な物で満ちあふれていた。
その街の一カ所、とあるデパートの屋外駐車場で、その奇異な存在達が睨み合っている。
車がまばらに駐車されていて、他の所と比べると開けた空間が広がっているその場で、二つの謎の生命体が睨み合っている。正確には一方が片一方を、一方的に敵視しているのだが……
「新種の人妖か? だがこの程度なら、俺にも討ち取れそうだな! 食えるかどうかは、判らねえけど・・・・・・よしっ、覚悟しろ!」
元気いっぱいの声を放つそれは、一人の少女であった。身長は百五十センチ程度。一見人間のように見えるが、よく見るとそうではない。
彼女の両足の下腿部は素足になっており、その肌が外に露出している。その脚が明らかに人間ではない。黄色い鱗で覆われたほっそりした脚で、人間とは異なり後ろ向きに折れ曲がった逆間接である。
そして彼女は靴を履いておらず、素足で地面に経っているのだが、足背がない等しく、巨大な指が前に三本、後ろに短く一本生えている。指先には黒くて鋭い獣の爪が生えている。まるで鳥類の足を巨大化させたような姿である。
これはどう見ても、仮装用のストッキングではない。それだと足が逆に曲がっていることに説明がつかないし、異形の三本指も少し動いている。
だがその少女の姿で、最も異彩を放つのは、その人外を示す身体的特徴ではなかった。現代人の目から見て、異彩なのは彼女の衣装。
少女はカラフルな目立つ色彩の、紫色の服を着ていた。服の構造は和服に似ているが、まるでジャージのように全身を動きやすいように細く纏っている。
頭には頭部の大部分を覆う、同色の頭巾を被っている。そして口元を布で巻いて覆っている。これのおかげで少女の容貌ははっきりとは判らない。だが背丈や声からして、十代であると思われる。
そして背中には、一本の小太刀が帯刀されていた。
現代人がこの姿を見たら、日本人・外国人関係なく、誰もがこう思うだろう。少女が忍者のコスプレをしていると……
「俺はさくら山忍者のアデルだ! 言葉が通じる人妖か知らないけど、とりあえず名乗ってやるぜ!」
背中の刀を抜き放ち、その忍者少女=アデルが、この場にいるもう一方の相手に、敵意を向けて鋒を向けた。
一方のその敵意を向けられた、アデルの目線数十メートル先にいる、もう片方の相手は、困惑しきっていた。
(何から突っ込めばいいんだ? そんな目立つ色の服で、どうやって忍ぶんだ?とか。そもそも昼間から忍び装束で、街を歩いている忍者なんていねえよ、とか。そもそも忍者は、背中に刀を差さない、とか。まあこっちは些細な問題か…… 忍ぶどころか暴れるヒーローじゃあるまいし、何だよこいつ?)
その相手は、アデルの間違いまくりの忍者像に、頭の中で突っ込みまくった。だが彼は、ある理由でそれを言葉にして伝えることは出来なかったが……
「とりゃあっ!」
先にアデルが仕掛けた。刀を構えて、一気に踏み込み、その相手に突っ込む。その走行速度はかなり速い。この世界の短距離走ならば、世界記録を競えそうなレベルではないだろうか?
そしてそれに対し、相手の方はどう戦うのかと思ったら、まず戦わなかった。即座にアデルに背を向けて、四本の足で、即座に逃げに入る。
「待て!」
アデルも足を止めずに、そいつを追いかける。先程世界記録を競えそうと説明したアデルの走力であるが、相手の方はもっと速かった。
駐車場の中で、邪魔な障害物である、駐車された車を、カモシカのように軽々と飛び越えて、駐車場の入り口前の道路へと飛び出す。
そして道路の右方向をまっすぐと走り出した。アデルもそれを追う。
普通に考えれば、こんな風に急に道路に飛び出せば、交通事故になりかねない。だがこの場ではそういった心配は一切なかった。
と言うのも、この街で現在、動いている車は一台もいないのだ。自動車は道路のあちこちにあるが、どれも停まっている。
その多くが段差やガードレールに激突して停まっていた。そしてその車の中に、運転手は乗っていなかった。
道路を何度も曲がりながら追いかけっこを続ける両者。あるときにアデルが、懐から何かを取りだした。
それは手裏剣だった。フィクションなどでよく出てくる、卍型の手裏剣だ。しかもそれは玩具ではなく、金属製の刃物である。
「とりゃあっ!」
アデルはその手裏剣を、逃げる相手に向かって投げつけた。その手裏剣は、通常の投擲ではあり得ないほどの速度で、プロペラのように回転しながら、逃げる相手に向かって飛んでいく。
しかも一つではなく、何枚も続けて投げ続ける。
(こんな手裏剣が、マジで飛ぶわけないだろ!?)
後ろに目を向けた相手が、そう突っ込んだが、実際に飛んでいるのだからどうしようもない。あの形状ではあり得ない、物理的な法則を無視した形で、相手に向かって飛んでいく手裏剣達。
彼はそれを、ジグザグに走りながら、それを見事回避する。敵に当たらず、空を切った複数の手裏剣達。それは一定の距離を飛ぶと、まるでブーメランのように旋回して、アデルの元へと戻っていく。一体どういう原理なのか不明だ。
アデルは自分に向かって戻ってくる手裏剣を、全てキャッチしようと手を伸ばす。
ザク!ザク!ザク!ザク!
だがアデルは、それを一つも受け取ることが出来なかった。持ち主の元へと戻ってきた手裏剣は、全て持ち主に襲いかかる凶刃と化した。
受け取ろうと伸ばした手に、手裏剣が次々と突き刺さった。
「ぎゃぁあああああああっ!?」
アデルの足は止まり、前向きに転がった。彼女の腕には、四本の手裏剣が、グッサリと刺さっている。
それは忍者装束の袖布を突き破り、皮膚と肉に食いこんで、大量の血を噴き出させ、紫の忍者装束を真っ赤に染めている。
(おいおいおい……)
今まで逃げ回っていた相手も、状況に気づいて足を止めた。鮮血が吹き出す右腕を抱えながら、道路の上でのたうち回っているアデルを、遠くから呆れながら見ている。
一頻り呻きまくると、アデルは苦しげに立ち上がる。そして忌々しく、相手を睨み付けた。
「お前、中々やるな! ここは一旦退くぜ!」
そう言って、彼女はまた懐から何かを取りだした。右腕は使い物にならないので、今回は左手で懐に手を突っ込む。それは金属製の、小さな筒状の物体だった。上部にピンがついている。
この形に例えをするならば、アメリカ軍のMK3手榴弾に似ている。アデルは指でピンを外し、それを自分の足下に投げつけた。
(煙幕弾か!?)
相手はただのコスプレ少女ではない。本物の凶器となる手裏剣を投げたのだから、煙幕で逃走することもかのかも知れない。
彼は爆発と共に煙が吹き出て、その後アデルの姿がその場から消える展開を想像した。いや想像と言うより、これは期待というのかもしれない。
ボムッ!
だが起きた爆発は、彼の想像と大分違っていた。起きた爆発は煙を起こす物ではない。いや煙も少し起きているのだが、それ以上に、真っ赤な火と爆風が印象的な爆発だった。
一体どういうことかというと、彼女が取りだした弾は、手榴弾のような、という比喩ではなく、本物の手榴弾であったのだ。
「ほげっ!?」
道路の上で爆発する手榴弾。その爆発の衝撃を至近距離から受けてしまったアデル。
彼女の小さな身体は、上へ数メートル空を飛んだ。身体をクルクル回転させながら、ボールのように舞い上がり、そのまま後方のコンクリートの地面に墜落する。そしてそのまま動かなくなる。
今まで逃げていた相手が、やや心配そうにその場に近寄ってみる。アデルは失神していた。
忍者装束の一部が焼け焦げて、身体の右腕以外の部位からも、少しだが血が流れている。常人ならば、あんな爆発を受けたら失神どころではすまない。まず即死であろう。
そう考えれば、彼女の身体強度は相当なものだ。
「グガァ! グガァ! グウウウウ……(おおい、大丈夫か!? ……ていうかどうすればいいんだよこれ?)」
彼は足下で倒れている彼女を、変な唸り声を上げて、そう声をかける。
今まで描写しなかったが、実はもう片方の人物も普通ではなかった。しかもアデルと違って、彼は人の形すらしていない。
それは完全なるモンスターの姿。馬や鹿と似た四足歩行の体型。全身を覆う魚のような鱗。そして頭は、東洋の竜のような、いかつい顔をしている。これは中国や日本に伝わる幻獣の、麒麟に酷似した姿であった。
大きさは中型犬ほどで、その異形の姿とは対照的に、結構小さい。そして右前足の下腿部には、銀色のリストバンド型の腕輪がはめられている。
メタリックな外観のその腕輪には“ヤキソバ”という文字が書かれていた。
(そもそも、どうしてこうなったんだ? 俺も世界も……)
麒麟は現状に対して、判らないことだらけで、首を捻る。思い悩む彼は、自分の今までの記憶を振り返った。