開始の鐘
2007 8 14
時刻は十一時を回った頃。僕は事務所にいた。特にすることは無く、ただ時間だけが過ぎていった。
探偵事務所なのに人が来ない、給料をもらっている身なので不安になった。たぶん僕の記憶の限りお客の来たのは、六月が最後だと思う。
僕がぼーっと考えていると、玄関が開き日向さんが来た。少し遅めの出勤だ、何かあったのか聞いてみた、すると彼女は、
「友達とあってたの、久しぶりで盛り上がちゃって」
だそうだ。彼女の友達には会ったことはないが、彼女曰く「ガサツな人」らしい。友達がいない僕としては羨ましい限りだ。
まあ、友達ができなかったんじゃなく、作らなかったんだけど。すべて僕の事情の責任だ。
「真平君は何してたの、さっきからぼーっとしてたし」
「僕は何もしてなかったよ、僕の仕事はほとんどないしね」
本当に何もない、雑用と言ってもコーヒーを作るくらいだ。しかも、今日は特に。
「道草さんもいないし」
そうこれが僕の暇な理由だった、時は朝に巻き戻る。
朝、僕が来ると、道草さんは出かける準備をしていた。道草さんが言うには、「私の副業だ」と言っていた。そして僕に道草さんが帰ってくるまでずっと居ろと、言い残し出て行った。
だから僕は帰るわけにはいかず、ずっとぼーっとしていたのだ。
「―――――――そういうことがあって」
長々と説明した。
「ふーん、そうなんだ、じゃあ今日はずっとここに居るの?」
「うん、まあ僕はいつも暇だしね、別に苦じゃないよ」
と言ってみたものの、暇なのは変わりない。
「じゃあさ、もうそろそろお昼だし、二人で食べに行かない?」
そう言って、彼女はペットボトルの水を飲んだ。確かにいい考えだ、時刻は十一時、お腹もすいてきた頃だ。ここで昼食を食べに行くのもいいかもしれない。
「いいね、僕もお腹すいてきたし、どっか食べに行こう」
「じゃあ少し待ってて」
そう言って、彼女は洗面所に行った。財布の中を確認する、入ってたのはと少しの小銭だけだった。
「僕の財布、こんなしか入ってないのか…」
自分にがっかりした、せっかく日向さんが一緒に昼食を食べようと言ってくれたののに、大していいとこいけないじゃないか。そう自分に失望していると、支度が終わったのか彼女が出てきた。
「お待たせ、じゃあ行こうか真平君」
ニコッと笑った。そんな彼女の笑みにお金がないとは言えなかった。
結局、僕のお金がないので近場の松屋にに行くことになった。
「ごめん、僕のお金がないせいで」
「いいよ別に、私牛丼大好きだし」
話しながら歩いていると、松屋が見えてきた、そのまま僕たちは松屋に入った。
お店の中は人でいっぱいだった。作業着を着ているから、たぶん仕事のお昼休みに来ているのだろう。そのせいでクーラーが効いているのにもかかわらず、店内にはねっとりとした暑さに包まれていた。もう汗が止まらない。僕はとなりの彼女に、お店を変えるか確認した。彼女は、
「ここでいいよ」
と言ってくれた。とりあえず食券を買う。彼女は並盛りでいいと言ったので、並盛りを二枚買った。僕の財布から百円以上の硬貨が消えた。
とりあえず食券も買ったので、席に座って店員に食券を渡した。店員は確認をして厨房に入って行った。
「楽しみだね、私牛丼食べるの久しぶりなんだ」
「僕は別にそうでもないよ、いつも来てるから」
そう言って、水を一口飲んだ。僕はそんなにお金がないので、必然的に安い松屋へ来ることになる、だからもう常連みたいなものだ。たぶん週に三日は来てるんじゃないだろうか。まあ、どうでもいいことだがあの店員とはもう顔なじみだ。
「ふーん、じゃあ今度私が作ってあげるよ」
「ほ、本当に、是非お願いするよ」
思わず声が裏返りそうになった。日向さんの手料理、是非食べてみたい。
「わかった、今度作ってあげるよ」
そう言って、彼女はニコッと笑った。そしてそうこう話してるうちに牛丼が来た。それを見て彼女は目をキラキラさせた、子供みたいだ。
「いただきます」
僕はそう言って食べ始めた。彼女も「いただきます」と言って、食べ始めた。
僕は十分くらいで食べ終わった。彼女は少し食べづらいのか、少しずつ食べている。そんな彼女を眺めていると、店員に話しかけられた、もう顔なじみの店員、たぶん四十代後半くらいの男性、名前は森野さんというらしい。
「何、この子真平くんの彼女さんかい」
森野さんはからかったような口調で聞いてきた。顔が熱くなった。
「ついに真平くんにも春が来たか、かっか、それはいいねぇ」
「違いますよ、僕たちはそういう関係じゃありません」
「そうなのかい、そこのお嬢さんとは何もないのか、あーあ、面白そうなの見つけたと思ったのになぁ、残念残念、おじさんの勘違いか」
そう言って、奥へ向かって行った。熱くなった顔が収まっていく。いつもあの人は僕をからかってくる、どうにかならないのか、と思いながら水を一口飲む。少し気分が落ち着いた。
もう食べ終わったかと、彼女を見る。すると彼女は顔を真っ赤にしていた。なにか喉に詰まったのかと聞いてみると、彼女は顔を真っ赤にして、
「な、なんでもないよ、別に」
と声を裏返りさせながら言った。まあ大丈夫ならいいのだが。
それから三分くらいすると彼女は食べ終わったようで、
「御馳走様でした」
と言って箸を置いた。丼ぶりにはお米一粒残さずきれいに食べてあった。相変わらず彼女はきれいにご飯を食べる、中学生の時から変わらない。
「そろそろ行こうか」
僕はそう言って立ち上がった。彼女も「うん、行こうか」と言って立ち上がる。
僕たちは小さな声でご馳走様とつぶやきお店を出た。
外に出ると、店内のねっとりとした暑さはなくなったが、その代わりジリジリと肌を焼くような暑さが襲いかかって来る。どうやら夏の昼にはどこにも逃げ場はないらしい。
「暑いね、日向さんは大丈夫?」
と、となりの彼女に確認をする。それに彼女は、
「大丈夫だよ、暑さには強いんだ」
と、笑いながら言った。確かに汗をかいているようには見えない。僕には羨ましい限りだ。
「じゃあ、戻ろっか」
と言って僕の手を引いて歩き出す。すると彼女は思い出したように、
「デザート買って帰ろうよコンビニで、事務所に帰って食べたいから」
「うんいいね、じゃあ行こうか」
「うん」
と言って、彼女は鼻歌をしながら進んでいく。財布にお金がないことに気がついた、キャッシュカード使えるかなとため息をつく、まあ大丈夫か彼女が元気ならそれでいい。たぶん僕が止めたところで聞かないだろう。少し前にいる彼女は僕に「早くー」と手を振りながら言ってきた。僕も「わかった」と言って歩き出す。たまにはこうも悪くない。
結局コンビニに行った後、時間があったのでいろいろなとこを回って来た。その頃には疲れてしまい帰って来た。
事務所に入ると僕たちは一緒にソファーにぐでーっと座り込んだ。普段動かないので少しの運動がかなり辛い。となりの彼女もそうなようで「疲れたー」と言いながらアイスが溶けたようになっている。彼女に、「大丈夫?」と言ってみると。
「うん、でもちょっと疲れっちゃったかな」
はははなんて笑いながら言った。そう言ってる僕も疲れてしまって、もう動きたくない。
すると彼女は思い出したように、
「アイス、しまわなきゃ」
と言ってふらっとたちキッチンへ向かって行った。僕が行くのにと言おうとしたけど、遅かった。
窓の外へ視線を向ける。空はほんのり赤くなっていて、カラスの鳴き声が聞こえる。カラスの鳴き声はどんどん大きくなっていった。気になったので、立ち上がって外をよく見ると、カラスは電柱の上でこの窓をじっと見ていた。その目は真っ黒で吸い込まれそうな目だった。
怖くて後ろに下がった。下がったところにリモコンがあったようで、踏んでしまいテレビがついた。
『今日のニュースです――――――――』
夕方のニュースが始まったようだ。
『T市のマンションで住民が倒れているのが発見されました、倒れたのは一人ではなく複数人に及んでいるようで、警察は何らかの集団的事件ではないかと調べを進めています』
アナウンサーが淡々と読んでいく。
『続いては、あの―――――――――』
事件のニュースは終わったようだ。気味の悪い事件だ、あの時に少し似ていた。
そう考えていると日向さんがやって来た。
「あれどうしたの、暗い顔して?」
「いや、なんでもない、ちょっと思い出してて」
彼女は「そうなんだ」と言って、ソファーに座った。彼女は眠いようで、欠伸をした。
嫌な予感がした、なにかいけないことが起きそうな。あの時と同じように、大事な人がいなくなってしまうような嫌なことが。
その開始の合図のように、パンザマストが鳴り響く。
相変わらずカラスはうるさく鳴いていた。