序幕 船旅
――轟。
重たい鉄扉を開け放った瞬間、清々しい風を全身に感じた。
私は高さ四十メートル、幅十メートルに達する防壁の上にいた。地下都市の入口である鉄扉の目の前だ。
私は防壁の外側へ目を向けた。滅多に出られない地上である。その景色を網膜に焼き付け、地下都市を出たことのない友人に自慢したかったのである。
「すごい……」
唖然とした。
防壁の外側。旧世界の寂れた摩天楼は神の御業か。歴史の授業で習ったが、古代はあの中ぎっしりに人が住んでいたらしい。全くもって信じられない話である。
あの摩天楼群にぎっしりと人が住んでいたら、きっと食糧も資源も足りなくなっていた筈だ。いさかいの多い世界で、あんな立派な建物を仲良しこよしで築けるわけがない。きっとあの摩天楼は違う目的のために建てられたに違いない。
あとで歴史の先生に抗議しよう。そう決意した私は背後から押された。
履き慣れない踵の高い靴を選んでいたので、よろけるどころか前に数歩つんのめってしまった。
逞しい腕が防壁の外苑を囲む電流線に触れそうになった私を支える。
「あ、ありがとうございます」
情けないことに声が震えた。
「気をつけてください。電流線は奴ら専用です。人が触れれば――消し炭になりますよ」
防護仮面の奥、軍人の声は冷たい。
私は唾を飲んだ。そして、私の背中を押した相手を睨んだ。
「悪かった。おっかない顔すんなって。中々進まないお前をせっつけと言われたんだよ」
無精髭を生やした、残念な中年男がへらへらと笑う。何を隠そう、我が伯父にして雇用主。情報誌の会社社長をしている九十九げん造である。
彼の背景、入口からは続々と人が溢れ出て防壁の内側へ降りていく。確かに邪魔だったらしい。しかし、だ。
「笑わないでよ! この軍人さんがたすけてくれなかったら、私、消し炭になってたのよ!」
「慣れない靴を履くからだ。今からでもいい。俺のと交換しねえか?」
私は目線を伯父の足元に下げた。使い古した運動靴である。冗談ではない。
「冗談」思わず声に出していた。「今からミスランディアに行くのよ? 相手に侮られるわけにはいかないの。分かる?」
ミスランディアは太陽が爆裂した――人類史上最低最悪の日、太平洋の真ん中より東寄りにいつの間にか形成されたとされる大陸及び国家だ。偉大なる父母=ミスラが君臨する。君臨するが、統治しない。
地球の裏側辺りにあるイギリスという国も同じ方針を打ち立てているらしいが、きっとミスランディアを真似したのだろう。
ミスランディアが人類史上最低最悪の日に形成されたという論は最早、馬鹿げた話とされている。あの日、アメリカ大陸が滅んだとされているが、文献が間違っているのだと、偉い学者は言う。
実際には滅んでいなかったのだ。事実はこうだ。人類史上最低最悪の日、ミスランディア大陸は滅びず、アメリカ大陸が形成された。
私も大衆も後者の論を信じている、否、事実としている。
理由は二つ。
一つ、ミスランディアが形成された国家ならば、宇宙人が入植したと疑わずに入られないほど文明水準が発達していること。彼の国の文明水準は旧文明内でもトップクラスとされている。
二つ、アメリカ大陸が奴らの発祥地であること。
以上の二点を踏まえた上で、私はミスランディア大陸とアメリカ大陸を間違えちゃった説を信じているのである。
全く、今も古代も変わらない官僚や役所の人間の高慢ちきでいい加減な仕事具合にはほとほと嫌気が差してくる。この間だって横領が問題になったのだ。嫌味な質問をぶつけて言いたい放題書いてやった。いい気味だ。
「成るほどなあ。だからいつもと違う服装をしているわけだ。おまけに化粧までしちまって」
高速回転する私の思考を伯父の声が遮る。意識を向ければ、苦笑いの表情が映る。
「何よ。記者として侮られないための武装よ」
「武装というより仮装だろ」
そう言う伯父を睨み付けてやった。怖い怖いと、伯父が肩を竦める。
「だがな、かな子。ミスランディアに着くまで船で良くて二週間。悪くて倍は掛かるぞ。今から着飾らなくてもいいんじゃないかなあと、俺は思うんだが」
「甘い! 甘過ぎるわ、伯父さん! 今からこの服装に慣れておかなければ、いざ本番に恥をかいたらどうするのよ! 相手は海中ケーブルを引こうという大富豪よ! 失礼があったらいけないわ!」
「ルルは気にしないと思うんだがなあ」
伯父の呟きは聞き流した。
私はこれから船に乗って大洋に旅立つ。ミスランディアに取材にいく――のでなく、伯父の代わりにパーティーに出席するためである。