視床出血
この場に来られている方々は、きっと脳出血を発症した親族の方がほとんどでしょう。
今は何が何か何が起きているのか分からなく大変な時とは思います。
私の家族も私の事で大変な心労を経験しました。
この、文章も1万回以上のアクセスがありました。
今、こんなにも苦しんでいる方がおられると痛感しました。
家族、親族の方々にはご苦労様ですと、頑張って下さいと言いたい。
今、命の境界をさまよっている患者はあなたたちが頼みの綱です。
心労も、限界かとは思いますが、もう少し頑張って下さい。お願い致します。
又、これを見ている患者本人様。
この病気は、あなたの日頃の不摂生がほとんどの原因です。
私も高血圧が解っていながら放置していた罰が当たったものです。
今は医療も発達し、よっぽどじゃなければ死ぬことは無いでしょう。
ですが。。障害は強弱あれど絶対に残ります。
非常に冷たい言い方ですが、その後の仕事には非常に不利になります。
私も就職は結局あきらめました。
障碍者手帳は、就職に何の助けにもなりません。
ですが、捨てる神あれば拾う神あり。
得意先等知り合いは大事にしてください。
倒れたからと一方的に断ることはやめましょう。
疎遠になると相手は助けたくても助けられません。
そして、素直になりましょう。
この病気の方は、私も含め割と頑固者が多いと思います。
家族には、素直にありがとうと感謝してください。
あなたの今後は家族で決まります。
私の場合、治ることしか考えていませんでしたが。
同時入院患者で、ほとんど同じ症状でも治る気が無い様にしか思えない方もいました。
私が杖を突いて退院した時に、まだ、車いすの方もいました。
治ってきてる自分を自慢するように障害者から抜け出ようとしていた私と正反対でしたが、
障害等級も5級になり、介護対象からも外れた後で考えてみると
どっちが正解か分かりません。
頑張らず、障害等級3級程度は車いすなら可能です。
介護からも外れることはないでしょう。
と、なると、障碍者保健対象は可能です。
年金対象になれば働かずとも介護を受けながら生きてゆけます。
こんな生き方もあることを後で知りました。
仕事が全然決まらないときは、
必死で治ろうとした自分がおかしいのかと思うこともありました。
ですが、私の場合、妻の一言が助けとなりました。
「まだ、頼ってるんよ。。がんばってや」
頼られるありがたさに感激し、絶対治ると確信しています。
この話は、ただただ、治る一心で生きてる男の馬鹿な話です。
今後の生き方の考え方の種の一つとして読んでいただければと思います。
厳しい言い方ですが、一から出直すつもりで頑張ってください。
それと、付き合いは切らないこと。
説明すればわかってもらえます。
拾う神は絶対います!あなたが諦めさえしなければ(^_-)-☆
視床出血
旦那さんは、右視床出血という状態で今、脳の中の視床と言う場所の血管が裂
けて出血し、もれ出た血液が脳を圧迫している状態です。
これを、水頭症と言います。
通常頭の中で脳は髄液と言う透明の液体の中にスーパーのパック豆腐のように
浮かんでいますが、この髄液は、常に入れ替わっています。
髄液は、血液からこしとられ頭の中に広がり、吸収されています。ご主人の場合
、脳中心部の血管が裂けたため、血液が流れ出し脳中央部を圧迫し障害が発生している状態です。
場所的に、手術のできるところではありませんので、脳室ドレナージと言う方法
で、出血した血液を出して処置致します。
処置は、特殊なチューブを脳に刺し入れ、圧力の調整をしながらもれ出た血液
を取出して脳圧を下げる脳内ドレナージと言う手当です。現状でも出血により
脳の中心部が圧迫され障害を起こしています。その上、術の方法上、脳を多少
傷つけますので、後遺症が残ります。処置は、全力を尽くしますが、良くて左半
身麻痺、悪くて寝たきりになるかもしれません。ご了承下さい。手当をしなけれ
ば確実に死亡します。
視床部はWikipediaによると、視床(ししょう、英: thalamus)は、脳の構造のうち、間脳の一部を占める部位。また、広義の脳幹の最吻側部に当たる。 嗅覚を除き、視覚、聴覚、体性感覚などの感覚入力を大脳新皮質へ中継する重要な役割を担う。
要は、頭の中心にほとんど全ての体感覚機能の神経経路が集まった小さな場
所があり、そこの血管が破れ、液が漏れ出し、局所を圧迫し信号の流れを遮断
していると、言う事。信号の種類は、見たり触ったり痛かったり等の感覚全ての
機能等、生きるのに必要不可欠な情報をつかさどる機能が停止、早期に手当
しなければ死に至る可能性が高い。というものらしい。
高血圧に起因する場合が非常に高く血圧の制御で予防できる可能性が非常に
高い。
つまりは、毎日体の調子を見て、医者に行けば発症しない病気のようである。
一日数粒の血圧の薬で簡単に予防できる”大病”です。
体は大事にしましょう。注意一秒・怪我一生です。
大事に使えば死ぬまで使える。。のである。
皆様、ご自愛のほどお願い致します。
*** あれ? ***
その日、私は新しく始めようとしている商売のための準備に自宅で考え事をして
いた。
考えてもあまりいい考えが思い浮かばず、今日は諦めることにした。
子供は会社と高校へ出て行った。嫁さんも仕事先に出て行った。
差し迫ってする事も無い。よし、映画を見よう
クーラーはもったいないので切って。。えーーと、何にしよう。。。
さんざん迷った挙句 シンドラーのリストにした。号泣できる名作である。
今は誰もいないから思いっきり泣けるな~わくわく
物語も佳境に入った頃。。。。うっ。。。。と、嗚咽がこみあげてきた
すべての私財と名誉を代償にユダヤ人を助けてきたドイツ人が落魄れた時、
自分の体に残っていたほんのわずかの装飾品を見てこれを使えばあと少しのユ
ダヤ人を助けられたのに。。。と、泣き崩れる場面、これこれ。。。。。。感動の瞬間である。おおー泣けるーーーその時である、体中に震えが来るほどの快感が
走った。
おおーーーすごい感動 すばらしいぃ。。。。。。。。。。。。。
これからは、これだなぁ。。。
感激していると異常に気がついた。
あれ、なんか変だぞ。。左手に力が入らない。。。
悪い予感・・・
ちょっとまて、もしかして脳内出血か?今のは脳内ホルモンの影響か?
高血圧は、いつも確認済である。とうとう来たか。。。。
インターネットで検索してみる。 高血圧 出血 応急処置
全然でない..
あたりまえか。。。。
やばい。。。。そうだ、冷却だ。。
でも、冷蔵庫まで足が動かない。。支えようとした左手も力が入らない
どうしよーーーーー。
ピンポーン。。おっ、娘が帰ってきた。。たすかった!
しかし、玄関まで行けない。。娘は鍵を持っていない。
おおおおおおおどうするっ????
どったんばったんもがくが、ほんの1Mでさえ移動できない。
携帯電話が鳴った! よかった!携帯はすぐそこにある。とりあえず右手は動く
ようだし。。
何とか話が出来そうだ。
嫁さんからの電話だった。
玄関のドアが開かない上に変な音が聞こえることを不審に思った娘が連絡を取ったらしい。
なんか変だ、調子が悪いと、伝えた
すぐに帰って来てくれた
救急に連絡するよと言われたが、言った本人錯乱して番号がわからない。
119!と、言うと、かけてから携帯を渡された。
「意識はありますか?」
あります。
「吐き気はないですか?吐いてはないですか?」
無いです。あ、今、吐き気が来てます。。。おえっ
「。。。。。ご本人様ですか?」
はい。そうです。
「。。。。。。。。」
「すぐに行きます。」
すぐに屈強な二人がきた。
よく訓練されていて、非常にあたりがいい。
部屋に入るときも汚れないように靴にカバーをしてなおかつ断りをしてから入っ
てくる。
その上緊急性を忘れていない。
その彼らが85キロの私を運ぶ...
エレベーターの無いマンション...2階とはいえ階段を私の乗った担架を持つ彼
らの腕はフルフルと震えていたらしい。
それを知らない私は回りの必死を無視して能天気に。。
すごいなー力もちですねーー来るのも早かったねーーッ
うだうだ言ってると、「はい、おとうさんだまって」と止められて救急車に運ばれた
救急車に乗ったのは初めてなので、テンションが上がってしまい。
救急車内でもしゃべっていたが、だんだんと意識が薄れて行く。
救急車の中なのか病院なのかも目がかすんでくる。。ああ、死ぬな。。
不思議に全然怖くも何ともなかった。
その後、後から聞いた話では、MRI撮影をしたらしい。
病院に着いて、しばらく様子見であったが、意識異常が起きそうなので、緊急手
術となったらしい。
意識あったのか。。。。。覚えていない。。
手術は、一般的な方法で行われたらしい。
その方法は、視床部は、脳でも深い部分のため手が出せないため、脳室ドレナージと言う手法であったらしい。
*** 気がついた ***
え?
生きてた。。とっくに死んでると思ってたのに。
突然目の前に広がる病室と言う現実に。
めんどくさ!と、思ってしまった。
まだ、生きて行かないといけないのか。。
今から考えれば罰当たりな事この上ない事である。
しかし、そのすぐ後、妻がいた事を思い出した。
私がこんなになってしまって妻は大丈夫だろうか?
妻は、私の状況に耐えられるのだろうか?
そう思い出すと心配で心配で耐えられない
泣いていたらどうしよう。
今すぐにでも飛んで行きたいけれどこの馬鹿な体がうんともすんとも。。。
じわじわと戻ってくる体の感覚は、最悪の状況だった
胴体、両手足をベッドに拘束され
右手はミトンをかぶせられて、気持ち悪いことこのうえない
あああああああッ。。。。気が狂いそうである。
自分の意思に関係なく叫んでいた。
「外してくれー」「この紐をほどいてぇー」「ミトンを取ってくれー」
ミトンの温かさが異常に気もち悪く我慢できない上に、身動きできないほど縛り
付けられていることに、イライラが止まらない。
矛盾した事に自分の事でいっぱいいっぱい。。
冷静な職員の声が聞こえてくる
「だめなんですよ」
「これを取ると頭をさわるから取れないよ」
「いいからとってくれー」「だいじょうぶやからぁ」
絶対に大丈夫じゃないことだけは確かである。
叫び続けて結局疲れ果て寝てしまう日々であった。
あとで聞くところによると、脳に入っているドレンチューブをさわるは、チューブ固
定用の金具を抜こうとするは、
点滴を引き抜こうとするは、血だらけの悲惨な行動は、看護士さんにもあきれら
れるほどのことであったらしい。
実際、頭蓋骨に打ったドレーンチューブ固定用金具はぐらぐらで使えなくなり、
再度打ち込んだ。
その時私は意識があり頭がい骨に入ってくる金具の針の感覚を覚えている。
担当医と看護師の会話も。。。
駄目ですかね。。
うーん、、、でも、こんなんなってたらしかたないよね。。
ここで、ぐーっと針が入って来た。
半透明の頭蓋骨に入ってくる金属の感じが見えるように想像できた。
今から考えるに結構冷静であった。
そうこうしてるうちに多少落ち着いてきた。。
ベッドでする事もなく茫然としていた。
ふと、右手で左手を持ってみる。
ぐにゃぐにやの肉袋。。
こりゃあ何もできないな。。と、思った時、今までの自分の努力と残された責任が
思い出された。。
色々あったなぁー、疲れたなぁー、もう。。いいかなぁ。。
あまりいい人生じゃなかったなぁー。まだ助かったと思っていない。。
完全に諦めモード。このまま身動きも取れないのはどうなんだろ。。と考え出し
た。
気が狂うかな。。。それより後々手がかかるなんて死んだほうが良かったかなぁ。
。。あまりの自虐ネタに笑いそうになった。
もう生きている価値はないなぁと、天井を眺めながら途方に暮れていた。。
と、気配を感じ、ふと右を見ると真剣な顔の嫁さんがいた。
おお・・彼女はあきらめていない。。
それより、思ってたよりしっかりしてる。よかった!もうこっちが泣きそうだ
そうだ!ここで私があきらめるわけにはゆかないなぁ。。
よし!、やれるだけやってみるか!
決心できたらもう命がけである。元々いらちのおっさんである。
いきなり真面目な患者になる。
人に迷惑はかけない・自分で出来ることは自分でやる。我が家の家訓である。
これを守る!絶対に守る。
大人しい患者が出来上がったと言われだした。。
言われだしたら自信となる。
ちょっと真面目に療養してみようと思いだした
言われたことは守る。必項である。
徐々に看護師さんの対応も優しくなってくる。
要注意人物から抜けられたかな??
だんだんみんなが優しくなってきた。
うれしい。。
何をしてもほめてくれる。
52歳のおっさんでも、ほめてくれると心から嬉しいものである。
それからは、褒め上手の看護婦さんの言葉に励まされ頑張る毎日にかわった。
*** うまい ***
あれ?
起こされた。
いつのまにか寝ていた。。
ご飯のようである。匂いが漂ってくる。。。。うまそうだぁ
人間は贅沢な生き物である。
こんなになっても腹は減る。。贅沢なものである。
ベッド上で食べさせてもらう。
最初に口に入ったのは、ほうじ茶である。
嫁さんが病院の給茶器から入れてくれた。
これが非常に香りよくうまい いや、おいしい
感激して二杯ほど飲ませてもらった。
病気になる前わたしは嗅覚障害であった。
原因は不明だったが今になって高血圧ではなかったのではないかと思われる
。
においが無くなった人、一度検診をお勧めする。
ともかく、嗅覚が戻ると人生が変わりますよ。病院へ行きましょう。
その次の食事がお粥である。
職員が食べさせてくれる。
お粥は自分でもよく作っていたので結構うるさい派なのだが、これが上手にでき
ている。
非常にうまい。。のである。。
だが、この時この病気の後遺障害が邪魔をする
後で聞いた話では、ただでさえおしゃべりなのに、病気でタガのはずれた状態
だったらしい。
最悪である。。。食べながらしゃべるもんだから口から洩れる。
その上食べさせてくれる人の方向を見ないからむせる、咳きこむ。手がつけられ
ない。
危険と判断され、とうとう中止になり、点滴にもどってしまった。
その後再度お粥に戻ったには戻ったが、大変だったらしい。
とにもかくにもお粥がうまいお茶がおいしい。。。
結構? いい生活??
*** なんだこれは?? ***
ご飯のお呼びで目が覚めた。。めしだめしだ。。飼われた小動物のようだが、腹
は減っている。
さて今日は、、、おいしいお粥を思い描いて前を見て驚いた。
目の前には、粘土のような色々な鈍い色のペースト。一気にげんなり。。。
2001年宇宙の旅であったなぁーペーストの食事。そう思うとちょっと興味がわいてきた。
こんなもん人間の食いもんじゃないなぁ。。でも、一応食ってみるか。。。
茶色のペースト おお!これは魚だ!ちゃんと魚の焼き香りがする。
赤いペースト これは。。。人参だ! 人参の煮物だ!あまくてうまい!
緑のペースト えーーーと ほうれん草だ! 味付けがしてある。うまい しかし
、どうやってるのか?
うまい どうやったらこんなにうまいのか?。。。何か方法があるのかなー
完食である。
完食すると、早速眠くなる。
起こされるまで爆睡。
まるで動物か、赤ん坊である。
*** ご迷惑をお掛け致しておりまする。***
52歳の赤んぼうは無理も言う。
食べると褒められる。うれしい こんな事でほめてくれる。
完食すると又ほめてくれる。
おいしいものを食べてほめてもらえるなんて、すごい事である!。
かあちゃん(嫁さん)もうれしそうだ。。私もうれしくなってくる。
こぼれてるよー たべたねー 子供もほめる うれしい おいしい たのしい
がんばろーーーと、思う
食は人間の原点であると言うが本当である。
いろいろあるけど生きがいにつながる。
何にしろ 楽しい それがいい 贅沢なものである
介護してる人は大変なようだが。。。
いやぁ ご迷惑をお掛け致しておりまする。。。すまんのー
*** やせた ***
病気の前は、85キロ やり方が悪いのか、減量しても全く減らなかった。
車いすに乗せられて重量計量機へ。。。86キロ。。???え?・
ああ、そうか。車いすが12キロだから引いて74キロ
74キロ おお!11キロ減
美味しいものを食って減量出来てる。。すごい(*^_^*)?
これは画期的だ。。
体験入院して痩せる人いないかなと言っていたら、いないでしょ!と、一捨されてしまった。
いやぁ、30日だけ入院10キロ減量:商売できそうである。
私にはおいしいご飯だが、一般受けはどうだろう?
いろんな患者さんに聞いては見るが評判はあまり良くない。。。。
「聞くこと自体おかしいのだが。。。」
なんでぇーーこんなにおいしいのに。。
私だけなのか???
そんな事は無いっ!
とにかく、メタボには痩せる事が体に良いのである。
腹が空けば何でも美味しい。。。。。。。ごほごほ。。。
慣れればOK慣れなさい!
痩せれるなら我慢である。
ただし、運動も必要だが。。。うーん
商売は無理かなぁ
まあいいや、私の感想だけでいこう。
だが、後で気がついた。
リハビリの時、腹筋とか筋肉に力が入らないのだ。
もしかして。。これは。。。。
そうだ!筋肉が減ったのだ。そりゃそうだ!じっとベットに横になって脂肪が減
るわけがないのだ!しかし、急激な減量である。リハビリがすぐにでも必要なのが実感できた。このままほっといたら身動きできなくなるのは当然のことである。
とにもかくにも運動して筋肉を増やさねばいけない!
** 咀嚼テスト ***
咀嚼テストを受けた。
ゼリー。。こんなもんごっくんである
だが、今回はかむのが大事、10回でいいかな?。。。
OKらしい。。。
厚揚げ? これは20回かな?
目の前にレントゲンが写っている。
おーーおれの頭蓋骨が食っとる。。。
食道を食物が流れて行く ほおおおこんなのひさびさにみるなぁ
なんて思っていると、パンが来た
おおーパンか。。。これは50回かな?
もぐもぐ50回 ありゃ時間かかるな~
先生方々じーーーと待っていてくれる。
おかげで、何の苦労もなくするっと流れて行った。
テスト終了。。。日頃食べれないものも食べられて、おいしかったなーー
なんちゅう感想だ。。。不真面目この上ない
*** ありがたい ***
食事が一口大になった。
先日のテストの結果である。
ペーストから卒業である
目視で何を食うのか事前に解るようになった。
妙な物はあった事は無いが、食ってみて素材を想像するのは意外と変な気持
になるものである
動物の感情が否定するのかもしれない。
いやあ、ありがたい事である。
切り刻んではいるが、わずかに食感がある。うれしい
*** 京都料亭の味 ***
食事が固形物になって本来の料理の味と食感が解ってきだした。
(本日の夕食)
おでん
キャベツのマヨネーズ和え
フルーツ(カットオレンジ)
おでんがすごくうまい.
なんつっても大根が一級品!きめが細かくて美味しい出汁が十分しみている。
感激のうまさである。
鶏つくねのてり煮が出た時も鶏の香りがほどほどに香って出汁がよく染み込ん
で非常にうまい。
スズキの煮付けに鮭のホイル焼き赤魚のねぎ味噌焼きビーフシチュー。。。
どれをとっても非常にうまい
確かに塩味は薄く、油は無い。。しかし、この薄味でこの旨さを出せるのはすご
い神業に思える。この病院の調理師は京都の料亭でも務まるんじゃないかと今、本気で思っている。
何にしろ食事が美味しいのは入院患者にとって励みにもなりありがたい事この
上ない。
最近は、後の食事が楽しみでリハビリにも力が入る。
メニューも結構豊富である。飽きが来ない。
ゆで豚ネギソース クリームシチュー 豆腐ステーキ きんぴらごぼう 玉ねぎと
鶏の炒め物 お好み焼き 豚シャブ ひじきの煮付け 鮭のちゃんちゃん焼き アジの南蛮漬け
豆腐チャンプルー三度豆の和物 春菊のおひたし ほうれん草の和物 蒸し
鶏 カレイの煮付け 白菜の中華和え
大根のツナカレー煮 タラのコンソメ煮 ロールキャベツ スズキの煮付け 豆腐
と野菜の味噌煮
鮭のムニエル ほうれん草のおかか和え アジの梅煮 筑前煮 すき焼き 焼き
うどん
焼き茄子 五目煮豆 カレイの煮付け 鮭寿司 蒸し鶏 まだまだある。。すごいと思いませんか?
全て、栄養士が調整したメニューにより作られた食事で、配膳の際は、看護師
さんと、当
番の療法士さんが、各個人の名前を呼びながら持ってきてくれる。持ってきてく
れたトレイ上には、各個人の体調等を元に設定された料理が並ぶ。至れり尽くせりである。
食事も終わりに近づくと、控えた看護婦さんが、それぞれの患者の食後の薬を確認しながら出した手のひらに袋から出して置いてくれる。
患者はそれを飲むだけ。
これこそ完全看護!しかし、行き届いているだけに結構厳しい。
各患者は、それぞれ個別に管理されているため、「食べ終わった時、食事量を
チェックされ、記録されている。」必要な処置とは思うが、好き嫌いは基本的に不可!アレルギー性の物はチェック済なので、例えばサバアレルギーの人にはサバは出ない。
鰆になる。
そこまでしているからそりゃぁ目標完食である。
欲しくないのもダメ!よっぽど食べれないのは言うと許してくれたりするが。。
パンの嫌いな人はご飯に、好きな人はパンに変えてくれたり、至れり尽せり。。
これ以上駄々をこねるとバチが当たりそうである。又、塩分、油分を控えなけれ
ばいけない分、出汁がよく効いている。
それこそ京都料亭の味である。
それこそ出汁で食べる高野豆腐などは高級品に見えてくる。
どの料理も食材の味がよく出ていてそのものの味を堪能できる。
素晴しいのである。
家庭での実現は不可能である。
味が薄いだの不平を言ってる患者もいるが自宅に帰ってご飯を食べてから言って欲しい。
こんなに良い出汁を使った料理は家庭では難しいと思うのだが。。
*** 戦友 ***
まあ、闘病生活は戦いである。
闘っているので戦友もいる。
私の場合は、fさん、治療病棟のHCUで、夜中一緒に叫んでいたお隣さんである。
年は二つ上の気のいいおっちゃんである。
部長さんだったらしい。。
部長さんでも結構おえらいさんだった様である。
お偉いさんでも、気持ちがわるいのは同じである。。。
昼夜問わず、二人で叫んでいた。これは覚えている。
ところが、夜中落ち着いてきたのはこちらが先だった
かあちゃん(嫁さん)様さまである。。何時も隣にいて教えてくれてたから。
彼は毎夜毎夜叫ぶ
私もこんなかったんだろうな~と思うと腹も立たないが、確かに迷惑ではある。
ナースコールをもって押すタイミングを待つ。
声の調子が変わって来ると、何時も何かしでかす。
そこで、聞いていて限界だ!と、思うとコール!看護師さんがやってくる。
今回は、おむつを外しておしっこもれもれ、点滴も外して血だらけ。。。
危険である。。
そうこうしていると、カーテンをひきちぎって、ベットを壊して転院されていった。
すごい感心するほど豪快である。
が、いなくなるとさみしいものである。早く改善して帰ってきて欲しい。
もうひとりやーさんもいた。
やーさんでも関係なくこの病気は襲ってくるようである。
こいつがひょうひょうとして私をいじめる。
もうお前はだめだとか、気迫がないとか。。
気迫がないから治らないそうである。
気迫って何だ?
俺は馬鹿だから解らん、絵に描いて教えてくれ!と、言ってやった
こっちの仕事とかいろいろ聞いてきてもうできんとかいじめる。
非常に腹が立つのである。
ところが、よく見るとこいつも腕を吊っている。
仕事を聞くとやーさんという。ちょっと待て!切った張ったが商売やないか!
そっちこそ体が動かんとあかん仕事やないかと、言ってやった。
もうやけくそ!
ところが、意外と相手は真面目な性格らしく落ち込んでいる。どうだ!ざまみろ
!
でも、落ち込み方が大きく見えて、ちょっとかわいそうになった。
今度会ったら声掛けくらいはしてやろう
*** 看護婦さんは白衣の天使 ***
ここの治療病棟の看護婦さんは天使ではない。白衣は白衣だが結構キビキビ動く。
しっかりした「怖い」人ばかりである。
そりゃ私も含めて頭をいじられた大勢のおっさんがいっぱいわがままを言っているから。。。
彼らを制御するのは非常に困難と思われる。現に私も含めて彼らが結構騒ぎを起こす。「しかし、私は、家族の献身的な介護で、おとなしくなるのが少々早かった。」
今、私のベッドの右足あたりと右におっさんが寝ている。
私よりわずかに年上のようである。
夜中に大声で不満を叫ぶのは当たり前でナースコールは鳴りっぱなし。
看護師さんは殆ど寝ずの番で世話を焼いてくれる。疲れが顔に出ている
自分で勝手におむつを脱ぐ者、点滴を勝手に抜く者、何が不満か、
大声で看護師を呼ぶ者
それを看護する彼女たちは、女性なのにすんごく怖い。。
そりゃそうである気が強くないと無理だと思う。
ある日、私の右のベッドでどすん!と、大きな音がした。
動かない体で恐る恐る見てみるととなりのおっさんが素っ裸でベッドから落ちている。
だいじょうぶかぁと言うと、聞こえているのかどうなのか、「しゃあない!」と言っている。
しゃあないやないやろ!と、ナースコールを押した。速攻看護師さんが来る。
はずが。。。
なかなか来ない。。しまった!押しすぎたか。。。
先程から鳴り止まないナースコールは殆ど私である。
自分用に押したことはほとんど無いが、多分私のベッド番号が表示されて。。
ああまたか。。などと、狼少年なるものになっているようである。
しかし、現実に右隣で素っ裸のおっさんが床に座っている。
どうしてでも来てもらわねば。。
再々度、来るまで押す。困った顔をした看護師さんが来たが、すかさず状況を
把握してとなりのおっさんに声をかける。
ここで何をしてるの?おむつとったらダメでしょ!
無茶苦茶である。
このおっさんはでかい。身長175センチ体重80キロつうところである。
女性では抱え上げるのは無理だと思った。
早速応援の看護師が何人か来たが、所詮女性である。
素っ裸のでっかいおっさんは扱いにくそうである。
その上、大抵のおっさんは女性を馬鹿にしている。
言うことをきかないのである。
こんなおっさんをベッドに戻すには絶対男である。
男の看護師もいる事は知っているので男を呼べと怒ってしまった。
残念なことにこの時もそれ以降も男は現れなかったが、
私がクレームをつけたためか、男の看護師が何名かあやまりに来た。
これも、彼らは悪くない。しかし、それ以降男の夜勤が始まったようである。
あたりまえだ!あまりに看護師さんがかわいそうである。
どんなにしっかりしていても「怖くても」、女性であることに変わりはないのである。
とにもかくにも、看護婦さんのごめんね、何回も呼んでくれたのに遅くなって。。。
と、男の謝罪で落ち着いた。何事もなかって良かったものである。
そんなこんなで、モンスターPatient化した私ともうひとりは治療病棟で有名人に
なったようである。
*** 指が動いた! ***
いつもどおり、ベッドでボーっとしていた。
いつも眠いのである。
ほとんど頭は使っていない。
ボケボケ寸前である。
仕事無理やなぁーー
何の気なくいつもどおり右手で左手を持ってぼーっと眺めていた。
あれ?
びっくりした。
ひとさし指がぴくっとした。
ぐぐっと力を入れてみる。
ああ、いつも通りだ何にも動かない。。。
と思ったら、人差指だけが五ミリほど動いた。
おーー動く!
いい気になってもう一度!。。。
動くぞ!
よし、人差指確保!
おお!1センチ動いた!
おお!伸びた。。まがった!!
なんか面白い!すごいっ!
人差し指が動いただけなのにすんごくうれしい
食事のとき自慢してやろーと意気揚々と出て行ったが。
普通に歩いている大量のおじーちゃんおばーちゃんを見てやめた。
これごときで舞い上がっている自分が恥ずかしくなったのである。
思えば家族のおかげである。
治療病棟で子供が諦めずにさわってくれていたからかなあ
ずーっと触ってくれてたから
自分でほぼ諦めてたから無駄なのになぁと思ってはいたが、
一分の望みを捨てない娘に感謝してさわってもらっていた。
同病の方もこれはすすめる。とにもかくにも刺激である。
それもあきらめないこと。これがコツだと思うのである。
とにかく確かに動いた
希望が出てきた
こいつをあのやくざに教えて自慢してやろう。
早速娘に車いすを押してもらって自慢しに行った。
あのやろー、まだ右手動いて無い様だし悔しがるだろーなーと、ニタニタ。
いざ、話しかけると、想像とは真逆の反応!
おーすごいやないか
こいつ、指動くようになったでー。
通りかかる職員を全員引き止め見せようとする。
おい、動かしてみろよ。
すごいやろー すごいでー
自分のことのように喜ぶ。。
おーこれが任侠か?
なぜかその世界に感激して涙が出そうになった。
うれしい限りである。
この日より、彼は私の中では友人になった。
勝手ではあるが。
***左手が無い***
激痛で目が覚めた。
いつの間にか寝ていたらしい
左肩が痛い、非常に痛い、ちぎられるみたいだ。
もちろん左手は感覚もないから右手で探す。
無い。右手の守備範囲には落ちてないようである。
だが、痛い。何とかしなくてはいけない。
ナースコールを押す。
看護婦さんが来てくれた。
左手の捜索を依頼すると右に寝返るように指示。
おお、又背中に敷いていたようである。
なんとなくそんな気はしていたが、解っていても自力救出は難しいのである。
仰向けのお腹の上に置いてもらう。
どこにいってたんだよ、左手くん 勝手に移動しちゃダメだよ。
*** リハビリ ***
この病院では、手術後の治療病棟と、ある程度体の落ち着いた患者用のリハビ
リ病棟がある。
頭をいじってすぐの患者は危険なため治療病棟で24時間態勢で見守っている
これが、毎日戦争のような日々である。
リハビリ病棟に移ると、急に患者がおとなしくなる。
というか、おとなしくなった患者が入ってくる。
それに伴って看護婦さんも本来の天使に戻るようである。
とにかく優しくなる。
リハビリ病棟の看護婦さんの優しいこと優しいこと本当に天使に思う。
リハビリテーションの語源はラテン語で、re(再び)+ habilis(適した)
すなわち「再び適した状態になること」「本来あるべき状態への回復」などの意
味を持つ
はい、行きますよー
娘くらいの年にしか見えない女の療法士さんがお迎えに来た。何処へ行くんだ?
寝返りさえまともに出来ない私を何処へ連れて行くんだ?
看護師4人内女3人男1人で持ち上げ、車椅子に移乗する。
リハビリは、
PT理学療法士 (physical therapist)
OT作業療法士(occupational therapist)
ST言語聴覚士(Speech-Language-Hearing Therapist (ST))
の、3人で行われるようである。
頭をいじられたおじさんには解りにくいので、
足のリハビリ=(PT理学療法士)
手のリハビリ=(OT作業療法士)
頭のリハビリ=(ST言語聴覚士)
と、言われている。
今回のお迎えは足である。
自力歩行を目的にこの肉袋サンドバッグを調教する。
年の頃なら20歳前半まだなって間がないような可愛い女の子がこの、むさいお
っさんを担いで歩行訓練を行う。
一歩々々が危険なほどに全く動作しない重い袋を担いで廊下を歩く、傷折れれば二次災害が起きそうである。
しかし、さすが療法士と言う国家資格を持つだけある。
この、85キロの肉袋を支え歩く。
こちらは、足がある事さえも忘れたオヤジである。
導かれるまま進む。
みーぎ、ひだーり、そうそう。。。。
どっかで見た光景だなー
娘がハイハイから歩き出した頃を想い出した。
そうか!一度忘れたことになってるのか。
歩行に関しては、一度リセットされたのだ。
それにしてもこんな若い女の子に担いでもらうのは気が引ける。
担がれた私の脇の下から
立ち上る異常な熱気に申し訳なく。。。
後に男に変わったときは、もっと行けーと酷使したが。。。
おっさんは男の子には非情なのである。
足が終わると手である。
手も同じ年頃の女の子だ。
手は足ほどの迷惑は掛けてないようだがそれでも車椅子からリハビリ用ベッド
への移乗な
どで、かなり迷惑をかける
おっさんのリハビリに若い女の子は良案である。
おっさんは若い女の子に抵抗できない。
特に私の様に同年代の娘を持つおっさんは完全に無抵抗反撃不能なのである。
少々しんどくても素直に従う。
しかし、娘を持ってないおっさんに対しては、単なる看護師となるようなのでこの
作戦は失敗である。
***歩行訓練らしきもの***
八月の灼熱の渡り廊下をラジエターのように熱気を放出しながら私を運ぶうら若
き女性の息音が私の左脇の下から聞こえる。
左手はもちろんのこと私の左足は全く動作しない。
おまけに腹筋も全く反応しないことから体重移動が全く出来ない。
まさしく肉袋、それも、85キロのサンドバック状の肉塊、いや、脂肪袋,油袋は、かよわき女性に支えられ、引きずられるように黙々と運ばれる。
左足らしきものは、促されるまま動かされ胴体はただ、ただ、予定の距離を移動
する。
どう見ても再起不能状態。先行きに希望は全く見えないのである。ある日、療法
士が男性に変わった。
私の素行が悪かったのか?とも思ったが、どうも違っていた。
男性は、やはり若くそれこそ息子みたいな年である。
男性と思うと申し訳ないという気持ちは吹き飛んだ。
仕事である。男の子はしんどくてなんぼである。。。もっとやってくれ。。
同じような荒息音と、熱気は左脇の下から上がっては来るが全く気にならない。
もうちょっと行こかー である。
女性が悪かったわけではないが、年はとっても男である。
うら若き女性に支えられ歩くと自尊心が傷ついてつらい。
その点、男性は気にならない。
もっと行けーもっと行けーである。
潰してやるなんて言い出した。
しんどさなんか全く無い。
そりゃそうである運ばれているだけなのだから。
しかし、これも目的は刺激であったようだ。
病院備品の装具を初めて付けられたとき、突然立つことができた。
立、担がれて足を動かされてその気になってる。歩くと言う事とはほど遠い事だ
が、とにかく移動している。
これも、学習か?継続は力なりである。
多少なりとも足さえ動けばこれは動いたという事実であり、それを継続反復する
ことにより刺激学習し、これが、習慣となり、無意識へとつながってゆくのか?
何にしても、人が歩くということは、無意識への意識的指示であり、その無意識
部分が過大な要素を持っている様である。
たとえば、麻痺足の左足から歩き始めるとして、まず、だらんと下がった足首を
上に上げる。
これは、足先が地面に引っかからないためで、引っかかることで転倒につな
がるからである。
同時に膝を曲げ、腰部の筋肉で前方に足を上げる。その時、右足は軽く蹴り出
す様に体を進ませる。
次に左足はかかとを最下部とし地面に降りる準備をする。
着地準備に膝を伸ばしきらずにわずかに曲げ、クッションの要素を持たす。
かかとから地面に降りた左足は足を上げる次の準備を始める。
右足は、同作業を行い地面に着地。
足を左右動かせて歩くという行動のなんと難しいことか。。
これを人は殆ど無意識に行っている。のである。
歩く動作で足を考えている人などいないと思う。
ただ、方向と終着点を考えているだけではないだろうか?
通常人は、右足と左足の動作を考えて歩いてはないと思うが貴方はどうだろうか?
特に、視床部なるものを病んだ者は、神経線維の大通りを一度遮断しているた
め再度接続を行うにしても経路がリセットされている。
連携を行うためのプログラミングを再度行わなくてはいけない。
上記の作業を毎時毎回複数回反復学習し脳に無意識レベルにまで覚え込ま
せるのである。
まどろっこしいことこの上ない。
非常にゆっくりとだが、徐々にだがしかし確実に左足は地面に引っかからなくな
り、転倒の確率が減ってくる。
それに同じて車椅子から杖へと変わってゆく。杖に変わって、歩く機会も多くな
りさらに学習が増える。
学習が増えるとさらに足が上がるようになりつまずきにくくなる。
その結果、病棟での移動は杖でのお許しが出た。
そうなるとついつい自主練習が増える。
自主練習は結構楽しい。病棟の廊下をひたすら歩く。
病棟の突き当りに食堂があり、その前に一ヶ月分のメニューが貼り出されている。本日のご飯を見に歩く。数時間後のご飯のメニューにお腹がなる。
今日も美味しそうである。
これを楽しみにリハビリにも力が入る。
自分で移動できるからお茶も飲み放題である。
看護師さんにいちいち頼まなくていい。
これだけでも嬉しい。
*** 足のリハビリ ***
とにもかくにも、人間、移動できないと何も始まらない。
ジッとすわっているだけでは、食事もままならない。
まずは、歩くことが最重要課題だ。
歩くには、自立できないといけない。
自立するには、ちゃんと座れないといけない。
これらは、理学療法と、作業療法士が連携でやってくれる。
まずは、ベッドに垂直に座る練習をする。
笑ってはいけない。。本当に座れないのだ。
垂直に体制を取れるようになるのに、ほぼ二週間。
毎日毎日、作業療法士さんが、車椅子でリハビリ室のベッドまで連れて行って
は、鏡を前に座る練習をする。
同時進行で、理学療法士の歩行練習が始まる。
歩くって言ったって立つことができないと無理である。
まずは、車椅子から立つ練習。
ぐらぐらの体を垂直に保つのは至難の業である。
高さ約90センチの水平の棒が二本並ぶ場所に車椅子は運ばれる。
理学療法士が左足の装具をもって来る。
この装具は、長下肢装具と言って、太ももとふくらはぎの部分を固定して足を補
助する物である。
病院備品のこの装具を初めて付けたとき、まさか、立てれるとは思えなかった。
感覚で解っていたのである。
さあ! 促されて体重を前に移す。
療法士さんが補助をしてくれて立つ。
すっくと立てれた。あまりに簡単に立てたものだから、すぐにでも歩けそうな気が
した。
すごいっ!と、装具の威力に感激したあまり、自分のものが欲しくなった。
ほしいーと、嫁さんにお願いする。まあ、何の問題もなく注文となった。
これが、結構なお値段で、個人で買うにはちょっとヨイショがいるほど。。
まあまあのノートパソコンが買えそうである。
3割負担での購入方法、支払いの調整方法など、ベストの方法を、
装具の制作会社と打ち合わせて、一番無理のない方法を取ってくれた。
まあ、貸出品だとリハビリ中しか使えないので皆さん購入している様である。
特注品だからで、フィットをしないといけない器具は当然なのである。
長下肢装具が手に入ると早速移動は装具を付けて杖をついて、看護師さんに
支えてもらいさえすれば、自分の意志で動ける様になった。
食事等も、迎えに来てくれた看護師さんと食堂へ歩いてゆく。
もちろん、杖をついてではあるが。
なんか、嬉しく感じる。これで又、目標が近づいた。
カチャカチャと病室に音が響く。
食事まで、後、15分。
15分すれば看護師さんが迎えに来る。それまでに自分で装具を着けるんだ。
思い立った頃の、自分のことは自分でやると言う決心は変わっていない。
やろうと思えば、不可能なこと以外は、結構なんとかなるもんである。
相変わらず自力では上がらない左足を、手を助けに”むん!”と、動かして装具
の上に乗せる。
足先の部分を注意して合わせる。
合わせたら、太ももの部分を合わせて、足先からマジックテープを締めてゆく。
充分固定できない体で少々苦しいが、慣れてくれば5分あれば着けれる様になる。
脱ぐのは、割と簡単である。コツは必用だが。。
これを、朝起きてから、何かの用事の度に繰り返す。
自分で立てるのも繰り返しで慣れてくる。
杖をついて、リハビリ棟まで歩く。
担当の療法士さんが迎えに来て付いて来てくれる。
いち、にー、さん。。。いち、にー、さん。。。三段階で歩く。
杖をつく、左足を前へ、右足を前へ、又杖をつく。。。順を追って繰り出し歩く。
自分の足であるいてるなぁーと、実感がわく!
相変わらず、介助はしてもらっているので、これを頑張って早く次のステップへと
進みたい。
長下肢装具での歩行に慣れてくると、太ももの部分を外して短下肢装具に変える。
装具のひざ下の位置に左右3個ずつ計6個のネジで合体されているのでこれを
外すと太ももの部分が外れて短くなる。
短下肢装具の役目は、足首の固定で、足先がだらりと下がり、何かにつまずい
て転倒するのを防ぐ事である。
これは、意識して努力すれば自力での動作が可能にはなるのだが、ついつい
意識から外れると非常に危ない。
無意識状態までたどり着くまでは、必要なものである。それと、意外な理由があ
る。
この頃になると、リハビリ時装具を着けずに歩く練習をするのだが、どうしても膝
がカクンと、なったり心もとない、ギクシャクした動きになる。
どうしたらいいのか悩むところであり、なかなか解決策が見つからない。
意外な所で、克服可能となった。それは、重さによる感覚刺激である。
足首のあたりに重りを付ける。すると、あらふしぎ。。スムースな動きが可能となる。
どうも、重くなって動かしにくくなる分、注意が行き届くためと思われる。
足先のつまずき防止と、左足の注意を促す。
これだけのために、こんなに重い装具を付ける。
まあ、どうせつけないと膝が定まらないから介護者がいないと立てれても歩けな
いのだが。。。
状態のレベルは、3段階ある。
*** 手を使うということ ***
人差し指がかろうじて作動した左手だが、その他は全く不可能な状態。
物を掴むという動作さえ難しい。
これができないと、仕事どころか、通常生活も不可能になる。
どうにかしなければ。。。
ところが、リハビリするにも肩が痛い。
回復期病棟にいた頃の、いつの間にか左手を背中に挟んでしまう悪行がどうも
肩甲骨の位置異常につながった様でどうにも肩が痛くて手が動かない。
自分でこれは甘えだと信じ込んで歯を食いしばって耐えていたら、
気がついた療法士さんに一言、痛いようだとやめておきましょう。。
と言われた。止められたらたまらない
うまーく、痛くないようにリハビリするにはどうしたらいいか。。
考えていたが、多少痛くないと体が気がつかないのでは?と、思い込むことに
した。
わずかに痛い・痛い・非常に痛い の、3段階に分け、非常に痛いときだけ我慢
しないで伝えることにした。
伝えるとしばらく肩をもんでくれる。これが眠たくなるほどに気持ちいい
以前から。作業療法室は、癒しの間で、いるだけでリラックスして眠たくなる。
その上マッサージ。これが気持ちいい。。
もんでくれる療法士さんは男に変わったが、変わらずリラックスできる。
どうも私は、若い女の子に興味が無い様であるので、少々力強くもんでもらえる
ほうが、逆にリラックスしやすいのかもしれない。
しかし、男が好きというわけではないことは、ここで言っておこう。
この病院でもそこここで言われた事なので、自己弁護しておく。
私の担当の作業療法士さんは、感心するほどリハビリ方法を思いつく。どう見て
も遊びにしか見えないが、結構左手を使うものばかりである。
折り紙、ちぎり絵、老人ホーム体験を想像するほどにたわいない作業だが、左
手の作業の多い事多い事。
掴む・抑える・固定する と言う左手の基本機能を使わなくては出来ない
作業ばかりで飽きが来ない。
彼が教えてくれるリハビリは、多少自分でも出来る物があり、それを部屋のベッドでもやりましょうと言われた。
家族が揃ったベッドでまでやりたくないものだから逃げていたら、
ある日、家族の前で言われてしまった。その日より、夜7時より、面会終了時間8時までがリハビリタイムに変わった。
迷惑至極なのだが、子供に頭の上がらない私はするしかない。
嫌がると甘えとみなされ叱られる。しかし、後で考えるに、この作業で肩の痛みはかなり軽減されたような気がする。
これは感謝するべきものなのかもしれない。
私の車椅子を押しながらリハビリ病棟より1階下の訓練室に私を連れてゆく
若き療法士さん。
そこには、大きなテーブルが二つ小さな机が3つ。。
その3つのうちの一つに連れて行かれる。
滑り止めのシートをしいてその上にアクリルのカップが高く積まれた台を置く
このカップを左手でつかみもう一方の置き場に置く。
肘と手首を持たれ、カップへ。掴むという動作を忘れた左手に掴む命令を出す
。
手の上から掴まれる。
適度に汗ばんだ指先が滑り止めとなりカップを持つ。
そのまま、手を隣の置き場所に移動さされ置く。
殆ど、なすがまま自分では何の作業もやっていない。
こんなんでリハビリになるの?不可解。
しかし。これが不思議なことに掴めだす。さすが療法士国家試験合格者である。
この、反復刺激は、しているときは、何の意味もないように見えるが、確実に改
善してゆく。
こんなんしても意味ないやん。。とか言ってはいけないのである。
何がしか意味があるのである。
何にしろ、反復動作は、確実に結果が出てきます。
私の場合、以前不運な事故で鎖骨が脱臼し、保存法で処置しているので
肩関節と鎖骨のあいだに何のつながりもありません。
今回の病気で肩甲骨の筋肉も作動不能となったため、肩甲骨の位置が少々ず
れてしまい、左腕の動かし方により、肩に激痛が走るようになってしまった。
これを訴えるもいつもの作業は終わらない。作業時は激痛ほどではないので我
慢できるほどであれば従うことにした。
これも、徐々に新しい方法が次々と現れ飽きない。
たたまれたタオルをテーブルの上で布巾で拭くように動かす。
これが意外と難しい。思うように左手が動かないのである。
これじゃあ家のテーブルを拭くこともできないなぁ。。。幻滅した。
しかし、これも繰り返し刺激であった。だんだん出来るようになるのである。
四角のボードに細く短い棒が100本取り付けられており、その棒に入る木のブロ
ックを一つ一つ左手で入れてゆく。
左手ですると、結構根気のいる仕事である。
作業中、左肩甲骨は、療法士さんの優しいマッサージを受ける。徐々に痛みも
取れ軽くなってくる。
どの作業も非常に単純で、それなのに、到底自分でできているようには思えな
いが、これこそ反復刺激の極意である。
いらちが来るほどゆっくりだが確実に戻ってくる。
さて、ある程度通常作業が終わると何か変わった事が始まる。
左手を見せると、グーをしろと言う。
グーは出来るのは解ってるから、グー!
では、パーをしろ
パーも確認済なので自慢げにパー
では、チョキをしろ
一瞬硬直。。。出来るのか?
全ての神経を集中してチョキ!
作業療法士さんが笑っている。
あれ?。。パーに近い。。チョキじゃない。。
指の動きは足ほどは回復が難しいらしく特に各指のバラバラの動きは難しいら
しい。
ここらから、娘の功労が見えてくる。
すでに諦めている本人をとにかく何とかしようとする。
自分の時間を殆ど使ってその間私が寝ていようとどうだろうとおかまいなく四六時中刺激を加える。
柔らかなちょっと冷たい指が左手を触る。
肘の動きを促すには、軽く手首を持ち、肘の関節部の少し手側を軽くトントント
ンと叩き刺激する。
すると、あら不思議。。腕が曲がってくる。
これを、延々と続ける。
又、空中に手を差し出し、そこを左手でさわれと言う。
心もとない動きでクレーンゲームのようにゆらゆらと手が動く。
非常に不安定だが、仰向けに寝た私の左手が確実に娘の出した手のひらに届
くようになる。
届きだしたら、突然何かを持たされる。
最初はひげ剃り。いつも何の気なく持っていた電動シェーバーがとてつもなく
重い。
持つと手が上がらないのである。こんなにも弱ってるのか。。。痛感した。
しかしこれも、毎夜毎夜続けられると徐々に徐々に持てるようになってきた。
その次は携帯である。携帯を持たされた時の重いこと重いこと。。こんなに重い
ものを操っていたのが信じられない。
持った手は、お腹の上に落ちてピクリともしない。
だが、それも徐々に動くようになってくる。これが不思議で面白い。
***恐怖の鏡***
リハビリ室には療法用のベッドが何台かある。
その一台に車椅子が押されてゆく。
いつもながら娘と同年代の女性に介助されベッドに移乗する。
腰掛けた状態で、彼女は畳一畳ほどの大きな縦型の鏡を持ってくる。
目の前で鏡に映った実物大の自分がいる。病んでいるためか肩が落ちてどこと
なく元気がない。
おい!しっかりせんかい!考えてみるが、こればっかりはいかんともしがたい。
さて、この鏡をどうするかというと、「見る」のである。
自分を見て垂直に座れているか確認し、倒れていれば垂直になるように微調
整を行うのである。
これには、お尻の筋肉を使う。
右のお尻をきゅっと力を入れると右が上がる左のお尻に力を入れると左が上が
る。
つまり、右に倒れそうになると右のお尻左に倒れそうになると左にお尻に力を入
れる。
すると、垂直になれるはずが。。。。ならない。。。。
釣り合いが取れない。。。のである。これも頭か?
非常に瞬時の微妙な切り替えが必要な様である。
現在の私の信号ケーブルは、一度切断され、今でも少々混乱しているので高
速通信には不向きのようで、じわーっと傾いてくる。
それも、タチが悪いことにもう一つ自覚がない。
療法士さんに言われて気がつく。。
もちろん、かなり傾けば自分でも解って来るが。。
療法士さんと隣り合わせに座って話をしているとじわーっと療法士さんの方に倒
れてゆく。。
多分、安心感のある方へ無意識に倒れて行っている様である。これを見た男の
療法士が私をからかう
うら若き女の子にもたれてゆくええ年のおっさんが下心あるように見えるようであ
る。
しっけいな!まあ、若い女性に興味がないと言ってしまえばそれはそれで別の意味の精神異常なのだろうが。
それにしても本人の意思に関係なく傾いてゆく自分の体を見るのは非常に疲れる。
倒れちゃいけないと頭は一応抵抗しようとしているらしく、とても疲れる。いや、
本当にしんどいのである。
頭はわかっているのである。。なのに体まで信号が行かない。
行かないもんだからそこでイレギュラーを処理できなくなるんだろう。
処理オーバーになって
オーバーフローの分疲れとなってフィードバックされるようである。
これより、毎回鏡が置かれるようになり、その度疲れ果てるため、鏡は私にとっ
て恐怖となった。
*** 頭のリハビリ ***
ST ST言語聴覚士
俗に、頭のリハビリと言ってはいるが、頭とは馬鹿にしている。
気がおかしいことはないのである。
普通に会話しているし、おかしいことは言っていないと思うのだが。。。
実際、何か症状があるかといえば、半側 空間無視と言う症状があることがわか
った。
とにかく、左が見えないのである。
言語聴覚士によると、見えてはいるが、文字通り無視しているらしい。
ご飯を食べていても、一番左に置いてあるオカズが意識にない。
絵を見ても左側が全く気にならない。
綺麗に食べ終わっているのに左の一品だけが手つかずのままとかである。
又、何度かリハビリを受けていると、数回ほど同時進行のテストを実施された。3
つの作業を同時に行うのは、とてもむつかしいことで、非常に疲れる。
疲れ切る。疲れる割には全く役に立たない治療に思えるのであるが、実は結構役に立ってたりする。
現に、初めて外歩きに連れて行ってもらった日、周りに気が取られすぎて何度
も倒れそうになった。
理学療法士さんが支えてくれていないと今頃は骨折で再入院であったろう。
歩くべき道を確認しながら、前から来る自転車に注意する。左右から歩いて攻
めてくるおばちゃんとおっちゃん。
走り回る危険な子供たち
世間では、3つ以上の同時進行が当たり前なのだ。
そんなことがあって、やっぱりひつようだねぇと、あやまると何をしに来てたんで
すかと叱られた。
不必要なリハビリは、ないのである。
彼らの仕事は、術後の調査とリハビリになる。
私の場合、担当者が術後すぐについた。
まず、食事の手助けが始まる。
ベッドの横から何かと世話を焼く一人の男性。
いつも横について話しかけてくる。
実際、私は意識がはっきりしていたが、ちょっとおかしかった。
これを、補正するため彼はかなりの苦労をしている。
なにしろ、ムチャクチャしか言わないのだ。
目の前を飛ぶ黒いモノリス状のものをさわれという。
Windows8並の画面が空中に見えていて、タッチ制御したくてたまらない。
目に入るすべての人に話しかける。
実際、はた迷惑なことばかりしていたから、彼の苦労は計り知れないものがあっ
たと思う。
今までの患者よりかなりひどかったらしく後々思い出しては、冗談交じりにから
かわれる事になる。
誰かが何かをしていたり、何かをされていたりすると、とにかく体験したい。
実際、となりのベッドの患者が、呼吸困難を起こし、吸引処置を受けていた。
これを見て、自分もしてほしくなり、してくれーと切願する。
必要ないからと言われても聞かない。
本当にしてもらいたいのだ。
”おえっ”て、なるからやめよ。。と言われてもしてくれーと言う。
自分でも変なことを言ってるのは解っているのだが、止められない。
諦めた彼は、看護師にやってあげてという。
看護師が吸引チューブを私の口に入れてくる。
喉に入ったとたんおえっ。。。吐き気が来る。
おお!やっぱし気持ちが悪い!
どう?もういっかいやるかい?彼が目の前でにやっと笑う
このやろ!と、思うこともなく、流石に素直に断ったらしい。。
これより、彼は私の世話係となり、一部始終管理した。
その後も、STとして何度かお世話になったが、やっぱり色々と大変なことを経験
しているせいか、年齢の割に妙に落ち着いている。
まあ、それが包容力にも思え、安心できる人として頼れるのだが、時として、この落ち着きに頼ってしまっている自分に腹が立つ特があった。
彼が一応責任者らしいのだが、別に女性もいる。
療法士は、それぞれ複数人いて、お互いをカバーしあっている。そして、毎日
頭を使う作業を与えてくる。
クロスワードパズル・間違い探しパソコンでのマウスを使っての一筆書き・四則
演算の暗算・それらをさせながらも話しかけてくる。
あーもう!気が散る!。。。でも、必要なリハビリだ!このリハビリは、高次機能
障害を回避するために必要なものなのだ。
、記憶障害、注意障害、遂行機能障害、社会的行動障害などの認知障害等、
脳障害を起こすと色々あるようだ。
昔受けたことのあるIQ検査らしきものもある。
それぞれのリハビリは、ゲーム性のものが多く楽しんでやっている患者が多いよ
うだが、私には一番しんどい。
しかし、パソコンでのリハビリは、点数制で毎日の経過がグラフで見れる。その
ため、目標ができて面白い。
結果がほしい私には最適のプログラムでがぜんやる気満々!結構いい点が取
れて喜んでいた。
まあ、なにがあろうと、総括として面白いので、合格である!
*** メンタル的障害 ***
これを障害とゆうものかどうなのか判らないが、排泄は、手術後、おむつに依存
する
おむつはするが、出ない。全く出ないのである。
そうこうしているうちに、良い方法を見つけた。
まず、どんどん水分を取る(お茶を飲む)
おむつをした状態でうつ伏せになり膀胱あたりを圧迫する。
これで、出るようになった。一安心である。
おむつを替えてくれる看護婦さんにも慣れてきた。
排尿したあと、ナースコールを押し、おむつを替えてもらう。これで安定してきて
いた。
ところが最初200CC弱で出ていたのだが、徐々に出る最小量が量が増え、60
0CCまで増えた。
この時点で、主治医の警告が出た。泌尿器科に相談することになった。
超音波エコーで、膀胱あたりを検査。おむつの中に小便をしてくださいと言われ
たが出来なかった。
押さえると少々小便がたまっているらしくはっていると言う。
でも、出ないものは出ないのである。
とうとう物理的手段が提案された。
導尿と言う方法である。
カテーテルと言われる、シリコンチューブをペニスの尿道口に差込むのである。
これが、なんとも気持ちが悪い。
看護婦さんがやってはくれるのだが、自分のペニスを他人に握られるのは、殆
ど無い体験の上、チューブを入れられることなど全く経験のないことである。
手術後の色々で、自分の恥を全てさらけ出した後なので恥ずかしさはほぼ消え
ているが、違和感は消えない。
気持ち悪いのである。潤滑と痛み止めに特殊なゼリーを尿道に塗るの
で傷みはないが、シリコンチューブが入ってくる感じがなんとも表現しにくいほど
気持ちが悪いのである。
ある程度入ってくると、急に尿が出だす。出してもいない尿が勝手に出る感じも
非常に違和感があるものである。
導尿はやらないと尿が溜まりすぎて膀胱がさける。
そうなると大事、大手術になる。
で、永遠に続くこの苦行に毎日が憂鬱である。
又、同時に排便障害も起こしてしまった。下剤を飲んで、座薬を入れても出ない
。
トイレで気張っても音沙汰なし。
とうとうお尻に指を入れてかき出すことになった。
これが、すごい体験!感覚である。身の毛もよだつとはこの事だろう。
全身が震えて右手が大きく震える。
抑えている嫁さんも悲痛な顔。
看護婦さんもかわいそうと思ってくれてはいたが、
やらない事にはいけないので力が入る。
うおーーーーと、声が出る。悲惨である。
だがしかし、ちょっと待てよ。
自分のことばかり思って苦しんでいたが、よく考えると看護師さんにとっては、
ものすごい事である。
見ず知らずの、ちょっとおかしいおっさんの肛門に指を入れ、便を掻きだす
のである。私が同じ立場なら我慢できるだろうか?
仕事とは言えすごいなぁーと感心したが、お世話になった看護師さんは、手術
用手袋をパチンパチンと鳴らし、やる気まんまん!ちょっと怖かった。
どちらも、事前にトイレに連れて行ってくれて、確認される。だが、出ない。で、こうなる。
しかし、そのうち、便が出るようになった。これは、便器に座らされて、ナースコ
ールで呼ぶようになってから、自由にきばれるようになって、出るようになった。
薬を飲んでいるとはいえ、大便が出るようになってホッとしていると、突然又、糞
詰りになった。
これが又大変な事である。指はもうこりごり。許して欲しいと切願したがやはり駄
目だった。
そうこうしているうちに、理学療法士さんが、トイレを自立にしてくれた。これで、車椅子で連れて行ってはもらうが、ナースコールで呼ぶまでしばらく放置してもらえるようになった。
これが続いて小便も出るようになってきた。
やっと、導尿卒業である。嬉しい!
排泄にこんなに困るとは思ってもいなかった。
本当に地獄であった。左が動かないより大変だった。なので、自力排泄できるよ
うになって何より嬉しい。ありがたいことである。
***精神的障害***
となりのオヤジが看護師に甘えている。
採尿器を持ってきて据え付けてくれ。陰部にかゆみ止めを塗ってくれ。。。となり
で聞いていても恥ずかしくなるほど、大きい声でしゃべる。
看護師はかいがいしく相手している。
たいへんである。
私より20歳は多く年をとったじじいに閉口している。
何にしろ声が大きいので近くのベッドのお父さんからクレームがついた。
でも、聞こえているはずだが反応がない。関係なく大声でしゃべっている。看護
師が気にしてたしなめる。。しかし、いっこうにおとなしくならない。。
とうとうクレームをつけたお父さん怒った!
看護師は平謝りに誤ってとなりのオヤジを別室へ。。。
おとうさん、これは障害なんですよ。困ったもんだね。。気持ちは解るけど
無理なんです。抑えがきかないんですよ。。。。
自分が異常だった時を思いだし、自分も少々苛立ってた事に恥ずかしくなる。
まあ、考え方の問題で、こう続くとこちらも睡眠不足に陥るわけで、病人でも集団
生活はおこなわなければいけないし、
病気だからといって人に迷惑かけっぱなしではいけないと思う。
今日このごろです。
ここで、黙って抑制を心がけるのも通常生活に戻るためのリハビリと思うのが正常ではないかと思うのです。
*** 外出 ***
病院では、家に帰るのでも、外出と言う。外出届けを出して受理されないと外出
できない。
そろそろ、家の状況を見に帰りますか?と言うお達しに私は驚いた。
病院生活が通常の生活になりつつあるので、自宅を忘れかけていた。
自宅。。。思い出すと長い月日であった4ヶ月強である。
いろいろ思い出すと急に帰りたくなってきた。
帰れるなら一泊したい。一泊したいと切願する。
理学療法士の人も、責任者のようだが、断りきれずに了解した。
作業療法士も同意し、看護師も方々も、帰れるねーと、一緒に喜んでくれる。
やった!帰れる!少々浮き足立った気持ちでいると、主治医の先生が来た
外泊だけどねー。。。気の乗らない喋り方。おお、、まずかったかな
「どうしても外泊しないといけない特別な理由があるの?」
この問に、真っ先にあきらめがついた。
考えてみれば、家の玄関まで15段の比較的急な階段があるし、家の中も何一
つシュミレーションしていない。危ないと思われても仕方がないか。
速攻理由はなく、単なる希望なので、言う事を聞くと返事した。
確かに、私を始まりに療法士二人と看護師数名のみで盛り上がって、一番責任
のある担当医が最後に聞かされるのは如何なものかと思う。
悪かった!私のわがままでみんなに迷惑をかけた。
すみませんでした。
担当医の先生も、外出は許可してくれたので良しとしよう。
外出はあっけなかった。
昼一時に病院を出て夕方帰って来る。
理学療法士・作業療法士・介護用品の業者の方、みんな自転車で来てくれた
。
その間、玄関までの階段の昇降検査、部屋に入って玄関の靴脱ぎ履きのテスト
トイレのテスト、お風呂の湯船に入れるかのテスト。部屋から部屋の移動テスト
部屋での立ち上がりのテスト。。。。。色々である。
帰ったらこれをしようあれをしよう、あれを探して持ってこようとか、
色々考えたが全くできないまま、病院に帰ることになった。
段取り悪かったかなぁーちょっとくやしい
段取りよくても目的が違うだろ!自分に突っ込んだ。
出来なくて当たり前なのである。
*** お正月 ***
なんにもしていなくても月日はすぎる。
正月が来てしまった。
正月の自宅外泊は、申請書を出して許可が降りるのに何の問題もなく早かっ
た。
前回の外出時のチェックがあったからかも知れないが、とにかくも早かった。
ありがたいことである。
タクシーで自宅に帰ると、病気前の私の座っていた位置に、いつもの私専用の
座椅子が置いてあった。
親父の存在を覚えていておいてくれたことに感謝しつつ定位置に座る。
嫁さんが左に、娘ふたりが正面に座った。これも定位置である。
涙が出る。止まらない。うれしいのである。
この平穏が嬉しくて涙が止まらない。
いろいろあった50年を経験しても未だこんな感激ができるのは感謝の限りであ
る。
人を動かすのは力ではない。。愛情だ!青臭い言葉が出てくる。
本当である。
この5ヶ月でもらった家族の愛情はもう、言葉では言い表せないほどの感謝を感
じてまだ余る。
50年間で幼年期以外、涙をながしたのは、数える程であるが、この、5ヶ月という
もの私の涙腺は壊れてしまっている。
とにもかくにも正月である。
なんにもしないうちに正月が来てしまった。
めでたくもなんともないがとりあえず新年である。
嫁さんが買ってきた鏡餅を飾り自分のいつもの位置に座り、嫁さんが作ったお
せちを食べる。
最高の幸せである。やっぱり感動で涙が止まらない。こんなことがこんなに幸せ
だとは思ってもみなかった。
何でもないようなことが幸せだったと思う。。。である。
私は何があろうとこの幸せを大事にしたいと思う。
*** 娘の友人 ***
とうちゃん、はいっ!買ってくれたよ。
手に桐箱が渡された。開けてみると、結構高そうなお守りである。
箱には、病気平癒守と書かれている。
娘の友人が買ってくれたらしい。
うれしかった。
お守りを買ってくれたこともそうだが、その子と娘の付き合いの良さ、
その中に私を入れてくれた二人の優しさに又涙が出る。
これは、ベッド横にいつも置かれる事になった。
本当にありがたいことである。
*** 退院、そして現実へ ***
国民健康保険は、リハビリ期間を150日と決めている。
とにかく医者がどうにもならんと言わない限り一定期間で終了である。
どうにもならんといっても変わらんが。
退院ではなく、排出という人もいる。
中には、手足は多少改善されたが、言語関係が改善出来てないのに退院の人
も多い。
ここの所は、もう一つ納得しにくい所ではあるが、家庭生活に重要な支障をきた
すかといえばそんなこともないから
それが通常と言われればそうなんだろうと納得するしかないのだろう。
大体の患者にもう少し居たいのか?と、聞けば、帰りたいに決まっている。私も
窓から見える隣の汚いマンションの壁を見るのも飽きてきた。
ただ、退院後の生活に不安があるのは仕方ない。なにしろ収入が無いのである
これほどの不安因子は無いのである。
しかし、これは自己責任!世の中そんなに甘くないのだ!
で、タイミングよく退院のお知らせ。。。私も何の疑問もなく飛びつく
どうせ収入がないのなら自分で何かと動かなくては生きてゆけないのである。
現実の風は障害があろうとなかろうと同じなのである。
この現実を私だけでなく世の同類になんとか頑張って欲しいし、陰ながら応援
しかできないが努力してほしいのである。
皆様、退院の日取りが決まりました。
今まで大変迷惑をかけました。
看護師の皆さん。療法士の皆さん。
語り尽くせないほどの力を頂きました。
本当にありがとうございました。
現在頑張っている方、今、目指している方。
本当に人のためになる数少ない仕事を選ばれたと思います。
頑張ってください。貴方の笑顔は生きる希望です。
あふれるほどの感謝を受けて輝く人となって下さい。
お願い致します。
皆様、お元気で、ご自愛下さい。
長い間有難うございました。
*** 退院後 ***
退院して10日。
血圧等の常備薬を手に入れるため通院となる。
約束した時間に間に合うようにタクシーに乗る。
ワンメーターで、病院前へ。
なんか懐かしい。
受付で申し込み、ロビーの長椅子で順番を待つ。
大型の病院によくあることで、待ち時間が非常に長く感じる。
いい加減、疲れてきた頃、通用口より笑った顔がぐんぐん近づいて来て、隣に
座った。
思い出した、作業療法士のメンバーだ。
覚えていたんだ!担当でもないのに。
にこやかな笑顔に戸惑いながらも、感謝する。
当時の話をしていると、お呼びがあり、担当医の元へ歩く。
担当医は、定番の質問を問いかけてくる。
今、杖をついているとは言え、歩けていることを感謝していると伝える。
執刀医として、がんばってここまで治癒していることを、感謝していると返された
。
なんか、うれしい。
順調ですねぇと、嬉しそうな笑顔に、帰りはあるいてかえりますよ。。。と、格好を
つけてしまった。
28日分の薬を処方してもらい、帰途につく。
帰りは、やっぱり、頑張って歩こう。。嫁さんも付いて来てくれるらしいし。
到底たどり着きそうもないと思われた自宅への道は、思ったより近く、嫁さんと、
この半年を思い出すには短く感じられたが、自宅の入口にたどり着いたときは、次の
やるべきことを考える余裕ができていた。
やはり、人は、人とのつながりで、自分を確認し、正気を保つんだなぁ。。。
病院の理学療法士から電話がかかってきた。
退院後4週後の、生活状況調査である。
なつかしい声が聞こえる。
彼は、私の退院時、体調を崩して入院していたため、気にはなっていたからあ
りがたい。
元気そうな声に元気をもらったような気がする。
しかし、アフターケアと言えばそうなんだが、ここまでするか?
自宅内の動作はほぼ、問題なく出来ていること。外出時は、何度かつまづいた
こと等、報告して電話を切った。
見捨てられてない。。なんて、勝手に思い込む。
12週後の通院
退院後、12週目の通院日、前回通りタクシーで病院へ。入口で、女性の療法
士らしき人に声をかけられる。
だれだ?。。。。嫁さんは解ってるような反応。ああ。。やっぱし私が覚えてない
んだ。
電話もらった理学療法士の元気な顔を見たくて行こうと思うんだが。。。邪魔に
ならない時間を聞く。
入院中も思ったことだが、ああ!彼はいたなあ。。と、やっぱりこの病院の、横の
繋がりはすごい!
前回通り、担当医の検診を受け、受付で支払いを済ませ、外へ出る。
どうしよう?さっき、リハビリ棟に行くと言ったので行くべきか?
行っても、みんな仕事してるし、こっちはとっくに退院してるしなぁー
仕事してるわけだし邪魔になるしなぁー第一、忘れてたりして。。。。
あんまり気が向かなかったが、嫁さんの強い進めで行ってみることにした。
来てくださいって言ってたしなぁー。。とか、言い訳を自分にしながらエレベータ
ーへ。
3階が理学療法室
2階が作業療法室
両方に言語聴覚療法室
3階に着いた。
とたん、リハビリ受付の女子職員と、目が合う。
ああ!。。。と、声が聞こえる。
目的の理学療法士の名前を告げて、久しぶりに顔を見に来たことを伝える。
と、目の前の引き戸が開き、見た事のある顔が。。私の名を呼ぶ。
引き戸の奥、療法士控え室から次々と出てくる。みんな、笑顔で話しかけてくる
。
嫁さんも、私も返事に戸惑っていると、入院病棟から帰ってきた療法士さんに声
をかけられる。
突然廊下が賑やかになる。
他の入院患者さんが何事かというような顔でこちらを見る。
やっぱし、邪魔になったなぁーと、思いつつ、あまりの歓迎に嬉しくなって話が
終わらない。
ナースセンターには、行ったか?と、言われたが、この状態があちらで始まると
より以上の迷惑になると思いやめることにした。
入院中も思っていたことだが、退院してなお、思う。なんて、アットホームな病院
なんだ
職員同士のつながりもすごいと思うんだが、この病院では、患者も巻き込んで来
るのだ。
これを、優しさと取るのかどうかは、個人個人で思うところは違うと思うが、職員
全体がすべての情報を共有している。
良い事は良い事なんだが、そこに秘密は全く存在できない。
職員のミスであれ、患者の横着であれ、外来の挨拶であれ、一喜一憂が完璧に
伝わるのだ。
情報の共有という意味では、理想的なシステムであり、その上、そこに違和感は
湧いてこない。
呆れながらも、心が踊る。帰ろうとするが、きっかけがつかめない。
なんとか、エレベーターに乗り、下に降りる。
高揚した気持ちのまま外に出たが、今回も歩いて帰ることとする。
タクシーワンメーターを、時間をかけて帰る。
嫁さんと二人で、今日の驚きを反芻し嬉しがる。
やっぱり行って良かった。
入院時の、多分大変であった毎日が懐かしく語られる。
今、右手に杖を持ち、ゆっくりと歩く。
ここまで回復できました。
皆さん、ありがとうございました。
あの人たちのあの笑顔に励まされ、ただの肉袋だった物は、杖はついています
が、なんとか歩けています。(全然痩てません。)
歩けてしまえば、これからの希望も生れてくるものです。
あの、二度と味わいたくない絶望感は、希望へと名を変えました。
心の中でお世話になった皆様に頭を下げて今日も自主練習頑張ります。
毎日の刺激がリハビリの極意です!
同症の皆さん!大丈夫ですよ!今は、まだ始まりなんです。
これからを信じて頑張りましょう!
頑張って下さい。反復は力です。
家族の方々、笑ってください。希望は貴方方が与えるものです。
私の場合、嫁さんと子供の笑顔が勇気をくれました。
今はまだ思いもつかないかも知れませんが、一緒に歩く日は必ずやってきます
。
頑張って下さい。
*** 障害者になると言うこと ***
退院後、半年が過ぎ、障害者認定可能な期限がきました。
自立支援センターで、認定を受けます。
神経系の治癒は、半年が限界らしく、それを過ぎると、これ以上の改善は不可
能というのが、この業界の通常らしい。
一般治癒可能期間が過ぎての認定となります。
認定医の前に座り、診察を受ける。
意外と重症っぽく話しをしてくる。
付いていた看護婦さんが、足を見て今の状態とこれからの自主リハビリ方法を
親切丁寧に教えながら現状を調べてくれる。
障害者として症状以上に障害年金を期待して行くと裏切られるかもしれない。
しかし、自立を目標に健常者になりたい人間が行くと、障害者に扱われて気に
入らないこともあるかと思う。
私の場合、この中途半端な状況が気に入った。
なんだかんだと言ったって、障害者手帳は魅力である。
しかし、ある程度治ってきてることを告がれるとうれしくなる。
無理して認定もらったってどうせいつかは返上なのである。
それより、治っちゃるのがベストなのだ。
それが目的なのだから、治りたい人には、親切丁寧に教えてくれる。
まあ、とにかく手帳がないことには、車の運転のチェックとかも出来ないので認
定だけは急いでもらう。
後は、役場で手帳の手続きをするのだ。
何でもちゃっちゃっと、済ませたいいらちの私には今まで行政関連ががまんなら
なかったが、やっと来た。
物事が進むということはホッとする。とりあえず、認定だ!
認定! 障害者手帳頂きました。
自分の写真が、病気前だったのでちょっと違うかな?とは思ったが、見た目ほと
んど変わってないと言う家族の声に嬉しくなってそのまま載せることにした。
さて、これで終わりではないのだ。
現状をまとめておく。
上から記するとして、
顔の左頬部はしびれが残っている。
左上肢は、指の動きがたどたどしい
たとえば、キーボードを打つにしても、定位置への素早い移動が難しい。
左足も同じように細かい位置移動と、固定が難しい。
あぐらをかいた状態からの立ち上がりもさっとは無理である。
歩き出しても、足首はやはり細かい動きは難しい。
歩くことは可能だが、足首の不具合でつま先が意識しないと上がらない。
端末の関節を制御しているサーボモータが的確に動作していない。
ここの所は、ほぼ、退院時と変わらない。
歩くときは、足首に気をつける。
足首の上下の動きはまだ無意識レベルまで治癒していない。
退院後、3か月。。現状である。
だが、よく歩くことで、足首が固まってしまうことはない。
この程度で、通常生活にはほぼ支障の無い所までは来ている。
今の所、つまずいたことは何度もあるが、一度も転んでいない
すこぶる順調だ。
*** 退院後3カ月後 (12週目)***
今日の診察は、朝9時だ。
いつもより早いので、早めに準備をする。
8時40分にタクシーに来てもらい病院へ。
受付で、対応してもらい、血圧を測る。
上127下75 正常正常!
測定器から出てきた記録用紙を申請用紙に付けて呼ばれるのを待つ。
以前、待ってるとき声をかけられたなぁーと、懐かしんでも今日は誰も近づいて
こない。
ちょっとさみしくなってると、事務的な声に診察室に呼び込まれる。
今日は、ちょっと緊張している。
主治医が変わっているはずなのだ。
以前、手術をしてくれたイケメンが退職しているのだ。
どんな医者になったのか、変な奴だと嫌だなーと思いながら部屋に入る。
椅子に座ると、人のよさそうなおっちゃんであった。
おっちゃんと言っても、私もおじんなのでちょっとだけ上って言う感じであった。
この年の差は、医者としての威厳?って言うくらいしか変わらないくらいである。
このおっちゃんが、まあ、話しやすいし、色々と分かりやすく質問に答えてくれる
。
うん!良い人だ!よかった!ほっとした。
今後の事も安心できたので、よろしくとお願いして診察室を後にする。
受付の近くの長椅子に座って処方箋の発行を待つ。
今日は誰もいないなーと、寂しく待つ。
病院独特のしらけた雰囲気がよそよそしく思う。
処方箋を受け取って、嫁さんと病院を出た。治療病棟とリハビリ病棟の間の道を
歩いて敷地を出る。。
と、、上から、名前を呼ぶ声が聞こえる。
振り返ると、リハビリ病棟の2階の窓から二人の男が大きく手を振っている。
おお!作業療法士さんではないか! ちょっとうれしい。
おげんきそうでーと、恥ずかしいほどの大きな声!
大声で会話もできず、笑って頭を下げる。
覚えてたのか。。そう思うとうれしくなった。
やっぱり、ここは良い!
家までの長い道のりが、気持ち的にずいぶんと短くなった。
*** お買いもの ***
行くよー
嫁さんが呼ぶ
私の散歩がてら近所のスーパーに買い物に行く時間だ。
退院して、ずいぶん時間はたってはいるが、足首全廃と言われた通り、やはり
歩行に関しては、健常者とは違い、毎日ある程度歩かないと足首が固まってきてちょっと曲
げても痛くなる。
ここの所は、進展が見られない。ので、散歩は必項になってしまっている。
以前、公園を歩いていると、嫁さんに妹から電話があり、今何してるのと聞かれ
て父ちゃんの散歩!と言った時、一緒やね、私も犬の散歩中と返事され、大爆笑
となった。
確かに、リードは無いが、散歩に連れて行ってもらっているのは間違いない。
入院中に外出と言う名の散歩で、色々と注意点を教えてもらっているので、まあ
、何度かつまずくことはあるが、一応一度も転ばずに来ている。
スーパーで、知らない人の中をうろうろするのも結構リハビリになっているような
気がする。
スーパーの中は、危険がいっぱいと聞いたが、結構つえを突いているだけで、
みんなが気にしてくれる。なるべく私に近づかないようにしているのがよくわかる。
結構歩きやすいが、入口のマットとか、通路においた特売品の棚とか、到底障
害には思えない障害がある。
気をつけると言っても、気付かないのだから、気の付けようがないし、一々気を
付けているとどこにも行けないのだ。
それよりも、危険回避である。つまずくのは当たり前として、その後、転ばないよ
うにするには、どうしたら良いか?
健常者のころ、つまずいてなかったか?と言えば、つまずいているのだ。しかし
、持ちこたえている。それは、なぜかと言えば、反射運動と、足首あたりの筋肉が正常で
あったから。
反射神経は、この病気で少々弱っているが、筋肉は、入院中の運動不足で減っている
だけである。常に、スクワットとかの運動をかかせなければ、戻りそうなものだ。
主治医も、動いて下さいと言っていたが、方法は別にして、とりあえず、筋肉を
鍛えるのと、さらなる神経線維の増幅のため、刺激をうけるようにしてみる事にしよう。
*** 公共機関 ***
以前、障害者手帳を頂いた際、公共機関の割引票をもらった。
しかし、それから妻の再三の誘いに何かと言い訳をつけて使わなかった。
じつは、怖かったのと、他人に迷惑がかかるんじゃないかと不安だったからだ。
しかし、いつまでも隠居生活も異常なので、いい加減外に出なくてはいけない。
初めての公共機関は、妻のすすめもあって、路上電車にした。
バスのような、感じなので両方の練習になるかと思ってである。
嫁さんに付いてきてもらう。
しかしまあ、気も弱くなってるもので、これしきに戸惑っていてはいけないのだ。
乗り易さで、始発駅にする。歩いて、30分くらいで着く所目標は終着駅。
これも、降り易いのを理由にである。
切符等は無く、どこまで乗っても200円である。
駅に着くと、電車はもう来ていて、すぐに乗りこめた。
乗るのも、気になってはいたのだが、意外とすんなりと乗りこめた。
平日の昼間と言うこともあり、乗客も少なく、混雑もなく座った状態のまま行けそ
うである。
久しぶりの乗物からの景色に少々楽しんだ。
手帳持ってきた?
嫁さんの言葉にポケットから障害者手帳を出す。
割引票が挟まれているのでそれを職員に見せると料金が半額になる。
たった100円ではあるが、非常にありがたい。
年金も、健康保険もただ払っているだけのうちはあまり良く思っていなかったが
、こうなると世の中に必要なものと分かる。自分勝手なものである。。
*** 四度目の通院 ***
2か月ごとの通院も、四回目になった。
さすがに、四回目になるとあまりうろうろしたくない。
今回はさすがに地味に行こうと思う
朝、むかいのタクシー会社に予約して1台回してもらう。
ほぼ、予約時間に到着。
いつもどおりに、血圧を測って呼ばれるのを待つ。
担当医の前に座るまで今回は非常にスムース。
前回から聞きたかった事を色々聞くが、逐一丁寧に答えてくれた。
結構満足して処方箋をもらい帰途に就く。
病院から家まで、帰り慣れた道を歩いて帰る。
ああ。。歩いて帰れるなんて。。。思ってもみなかった。
きっと、私はツイてるんだなぁ。。。
ふと左を見ると相変わらず傍を歩く妻がいる。
頑張らなくっちゃ。。。
幸せなんだと実感する。
きっと、しっかりせんかと叱られてるんだな。。
やさしい家族に甘えている自分が情けない。
ここまで出来たんだから、目標は健常者だ。
で、軽く行こうと決めた初心に戻る事にした。
***退院後のMRI***
何度目かの通院時、一年が経過したと言う事で再度MRIを撮った。
私の病気は、視床部の出血のために圧迫された脳細胞が一部死んでしまった事で異常が出たものだ。
出血した部分の血だまりを取って命を救ってもらったものであるため、脳細胞を圧迫した血腫部分はどうなってる?
以前、発病時のMRIデータを手に入れていたので今回のデータもどうしても欲しかった。
で、担当医に事前に相談をすると、3000円ほどでコピーがもらえるらしい。
そんなもんもらってどうすんのって言われると反論のしようがないが。。
事実、撮影後担当医から見せてもらいながら説明を受けるので何にもしなくても見る事は出来る。
で、やっぱり。。と、言うか、現実は血腫があった場所はぽっかりと空いているようである。
生命とはすごいもので、死んで使えなくなった脳細胞は、もうすでに吸収されて、
その部分、大体ピンポン玉くらいの穴が空いている。
脳細胞は増えないって聞いていたが、やっぱりね。。ここには髄液が詰まってるのかな?。
でも、左足も左手も完璧とは行かなくても大体動いている。
結構いい加減なもんだなーと、思うと同時にすごいなと、感心した。
何処かで代換処理されてるんだろうか?
圧迫されて幾つかの細胞は死んでしまった事はこの穴で証明されているし、その後細胞が増えてない事も一目瞭然である。
なら、なんで少しづつではあるが動いてきてるのか。。
ここからは私の想像と思いこみなのだが。。
脳神経細胞は分裂増殖はしないでも、細胞同士のつながりは常に更新されている。
これを回路とすると、神経細胞同士が常に良い方向に回路変更していると思うのだ。
これを思うような方向に向かせたい。
それにはやっぱり刺激だとおもうのである。
それには何をするにも他人に頼らない事だ。
これは私の持論なのですでに実行中である。
だから、継続するだけだ。
確かに思う処これは有効に感じる。
最初のとっかかりである左手人差し指のわずかの動きから始まった自己修復誘導は今の所成功しているような気がする。
ただ、あせってはいけない。
そして、過剰に期待してもいけない。
こうういう物は、いつのまにか戻ってくるものである。
常に改善した物として体を扱うと良いような気がします。
確かに動いては無いんだけど。。
動いてると仮定して使ってると動き出したような気がします。
それと、補助具は極力使わない事。
でも、その分危ないので慎重に行動する事!
人間何かに頼ると進歩が止まる。。。。ですよね(^◇^)