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キタジマ先輩の奇矯な大学時代(閑話)

 うむ。なかなか。いい眺めである。

 この子がちびた湯のみを両手で持って番茶をすする姿は、リスが手のひらの匂いを嗅いでるみたいで、愛くるしいな。

 だがしかし。オレはこの子を「リスみたいだね」と褒めないだけの賢さを身につけている。

 なぜそう褒めてはいけないか。なぜなら、この子がリス派とは限らないからである。


 この子、高校でも大学でも一年後輩となったムラサキちゃんとの長年の付き合いを熟成させる中で、オレもいろいろなことを学んできた。その集大成を、そろそろ見せつける時期に来ているのかもしれない。

 ムラサキが高校一年、自分が高校二年のときに、二人は運命的な出会いを果たした。そしてオレが大学に入学した後は、折に触れ、高校時代に手厚く面倒を見てあげたボンクラ後輩たちからムラサキに関する情報提供を受けてきた。だから、わき目もふらずに受験勉強に打ち込んでいる様子から受験予定の大学まで、当然ながら把握していた。

 その結果なんとムラサキは、オレの在籍する大都大学に入学することになったのである。

 これぞ運命というものではないか。

 そうと決まれば、なんとかして、さりげなく、偶然に、ムラサキに連絡をとらねばならない。もちろんケータイのアドレスも入手済みだが、さすがに瓶に入れて海に流した手紙みたいに、偶然メールしたら届きました、というわけにもいかない。

 どうしたものかと思っているうちに、オレの連絡先を手下、いや後輩から聞いたというムラサキの方から電話が来た。

 いままでムラサキから電話をもらったことがあっただろうか、否、ない。

 これはもう、何かのはずみにオレの魅力に気付いてしまったとしか思えない。この機を慎重にとらえなくては。


 電話では、大学生活における金銭面のことを気にしていたから、最低でも週一回、いや二回以上はゴハンを食べさせてあげることにしよう。

 保護者達の受けが異常によいオレは、高額のカテキョバイトを複数確保していたし、ぜいたくをしたいとは思わなかったから、さほど金には困らない生活をしていた。

 よって、多少無理すれば高めの店に行けないこともない。が、ムラサキは遠慮がちなタイプだ。

 さらに、オレが下心とは無縁の存在であることをアピールするためにも、いつも通っている色気のない定食屋が最適だろう。

 しかも、こういう店ならサークル仲間も通ってくるから、彼女ができたと思って羨ましがるはずだ。一石二鳥である。



 と、いうわけで、今日もリスさんといっしょに定食屋でゴハンを食べたところだ。

 店を出ると、いたいけな女の子が、金魚が一匹だけ入ったビニール袋を持って途方に暮れていた。

 子どもにとって、オレはずいぶん頼もしく見えたのだろう、金魚の面倒を見てやってもらえないかとお願いされた。もちろんオレは、期待に沿うべく金魚を受け取った。


 金魚の入ったビニール袋をムラサキの顔の前にかかげてみせると、口を半開きにして見入っている。

 ちろちろと泳ぐ赤い金魚を追って動く瞳は、濡れた黒猫みたいな色だった。白眼の部分は透きとおるくらいで、うす青くみえる。太陽が当たっている部分の髪が、柔らかく光っていた。

 ああ、きれいだな。

 と思った。


 だがしかし、である。これを口に出して言ったら、トイレットペーパーの芯を見るような目で見られてしまうことだろう。それをやられると、しばらく立ち直れない。


 うむ。この金魚はムラサキにあげることにしよう。

 いつの日か、この子はこう言うであろう、

「せんぱい、わたしのキンギョを見にきて」と。

 そしてオレはこう答えるのだ、

「よしよし、ムラサキのああいうキンギョさんもこういうキンギョさんも見てあげるよ」



 さて。

 何も口に出していないのに、今現在、トイレットペーパーの芯を見るような目でにらまれているのは、気のせいだろうか。頭はさほどは良くないが、勘は妙に鋭いヤツ、というカテゴリーに分類されるのかもしれない、ムラサキは。

 くれぐれも慎重にいかねばなるまい。


 雑念を振り払ってからムラサキに金魚をあげると、一瞬だけ、とても嬉しそうな顔をした。

 この子もう連れて帰ってしまうか、と思うぐらいの衝撃度ではあったが、オレの理性は紙の六法全書のように厚い。

 まあとにかく、よかった。彼女は金魚派だったようだ。



 清く正しくムラサキに手を振って、去っていく姿を見送った。

 振り返ると、あの月影さんが歩いてくるのに気がついた。月影さんは、男子学生の間でのみ受け継がれる、学部内女子ランキングのかなり上位に位置する一年生である。

 小さくなっていくムラサキの背中を、月影さんもじっと見ている。よくわからないが、さすが女王の迫力、ちょっと怖いぞ。

「北島さん、お食事?」

「やあ、マツコ。そうなんだ、お食事だったのだ、元気そうで何よりだ。じゃ、少し急ぐので、悪魔のような男に騙されないように注意しろよ」

 そう言って退散の体制に入ったところ、オレの素敵な顔をじっくり見てから歩み去った。

 そういえばサークル仲間が、来たるべき月影さんの誕生日のため、対策委員会を開くと言っていた。誕生日対策委員として誘われたが、美人は歳をとるのを嫌がるから、余計なことはしない方がいいよと、親切に教えてあげた上で断った。


 残念ながら、月影さんは高校時代の同級生である姫川に似ている。ある事情から、姫川の彼氏である悪魔のような男、速水に脅されていたため、姫川に似た月影さんを見ると反射的に挙動不審になってしまう。

 なお、月影さんもオレの魅力に気付いた一人らしく、最近になって、いろいろな働きかけをされるようになった。

 月影さんの積極性はムラサキも見習えばいいと思う。が、何とか早いうちに、円満にオレを姫川似の月影さんの視野から放逐してもらいたいというのが正直なところだ。

 サークル仲間から聞いた話では、月影さんは自分のファーストネームである「マツコ」を忌み嫌っているという。たしかにイメージとは多少違うが、デラックスな感じでいいと思うのだが。

 いずれにしろ、「マツコ」と呼ぶと嫌われると聞き及んで以来、彼女のことをそう呼んでいる。しかし、今のところ効果は見えない。逆効果の感すらある。

 悩ましいところだ。


 悩みと言えば、もう一つあった。実家の父親の体調が思わしくないという。心配をかけまいとしているのか、電話口では深刻ではないというばかりで、はっきりした病状はわからない。家業が父親の肩にかかっている状態であったから、できのよい息子としては、休学してでも力になるべきだろうか。

 休学しても、たとえば司法試験の勉強はできるだろうが、決断は容易ではない。

 ムラサキとの距離も縮まってきたところだ。休学するにしたって、最低週に一度ぐらいは、さりげなく偶然にムラサキに会えるような方策を立ててからでないと、とても彼女には話せない。

 うむ。早急に方策を考えねばなるまい。



 それからしばらくたったある日のこと。

 なんと。ムラサキの方から、会って欲しいとお願いされてしまった。今までかつて、こんなお願いをされたことがあっただろうか、否、ない。

 しかも指定された日は、ムラサキの誕生日だった。ただし、話の感じでは、本人はそれを忘れている可能性が高い。

 それでも誕生日プレゼントを渡すべきか。そんなことをしたら、下心ありと誤解されてしまうか。

 それともいっそ、下心です、といって渡すか。


 そんなこんなで悩んでいたところ、もう一つの苦難に襲われた。父親の手術が決まったと実家から連絡があったのだが、それがムラサキの指定した日と重なってしまうのだ。


 実家からの連絡に対して、休学の心づもりを申し出ると、そんな役にも立たないことを先走って考えられても逆に迷惑だとすら言われてしまった。

 そう言ってくれる親の心遣いには感謝だが、一度自分の目で状況を確認する必要があるだろう。幸い、手術自体は大きな危険を伴うものではないらしいが、帰省のついでに、いろいろとスッキリさせてから戻ってこよう。

 そういえば、兄をさしおいて彼氏ができてしまったらしい、薄情な妹にもしばらく会っていない。今はさすがに心細い思いをしているだろうから、彼氏よりも頼りになるところをついでに見せてあげよう。


 だから、その日に会うのは断腸の思いであきらめる。でも戻ってきたら、今度こそムラサキとのこともハッキリさせて、新たなる展開に踏み出そうと思う。


 だから待っててね、ムラサキちゃん。



 しかし、この後で人生最大の苦難に襲われることまでは、さすがのオレでも予想できていなかった。




 ごめん、ごめんね。




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