(6)コーヒーカップが飛ぶほどの愛?
それからしばらくして、また小野寺君が誘ってくれて、今度は迷わずに誘いを受けた。新しくできたお店で夕食をとり、わたしが頑固に言い張って割り勘にしてもらった。
食事はちゃんとおいしくて、つまり食べ物の味もわかったし、おしゃべりも楽しかった。
帰りはまたアパートの手前まで送ってくれたから、そこで別れた。アパートへの帰り道、月を見上げて歩きながら、小野寺君とはじめて手をつないだ。
先輩は、その日も、いた。でもいつもより、無口だった。というか、ほとんどしゃべらなかった。いったい何がしたいんですか。
いらいらするような気持ちで先輩を軽く睨むと、少し恨めしげな目を向けられた。
わたしは衝動的に、先輩にくるりと背を向けた。そしてその場で、服を脱ぎはじめた。何もまとわない姿になるまで、すべて。
それから振り向かずに部屋を出て、シャワーを浴びにユニットバスに向かった。
部屋を出るまでずっと、背中に視線を感じていた。でも先輩は、ひとこともことばを口にしなかった。
そのあと一人で布団に入ると、あんなバカみたいなことしたってどうにもならないのに、と後悔で泣けてきた。先輩だって呆れて泣いてしまったかもしれない。
その日は、子守唄も聞こえなかった。
やっぱり今の状態はよくない。先輩のためにも、わたしのためにも。
先輩が悩んだ揚げ句に大学をやめる選択をしていたなら、わたしも大学をやめて地元についていってもよかった。いやもちろん、そんなことをしても何の意味もないし、役にも立たないだろうけど、先輩に対してそれくらいの気持ちは持っていたということだ。
今だって、先輩が望むなら、わたしにはついていく覚悟がある。でも、先輩にはそんな覚悟はない。これからもずっと、そんな覚悟はできないに違いない。
考えた挙句、ある日私は、夕食を外で一緒にとった後に小野寺君をアパートに誘った。
玄関のドアを開けるときは緊張した。先輩の気配は感じたが、姿は見えなかった。
わたしの緊張を、初めてアパートに誘ったことが原因と思ったらしく、小野寺君はいつもより優しかった。実際、思っていた以上に優しい人だった。
わたしは自分が小野寺君を利用しているのか、それとも彼とそういう関係、つまり「青春を謳歌」するような関係になりたいのか、自分でもよく分かっていなかった。小野寺君は別にわたしに夢中というわけではない、それはわかっていたから、都合の悪い感情には目をつぶっていた。
ドリップのコーヒーを入れ、二人で一緒に飲んだ。ソファなんてものはないから、低いテーブルを前にして、床に敷いたラグに直接、並んで座っていた。
小野寺君の右手が、わたしの肩にそっと置かれた。意外にも少し息をつめたような表情で、こちらを見ている彼と目があった。まつ毛が細くて長いんだな、なんて思っているうちに、静かに抱き寄せられた。
目を閉じたわたしの唇に、さらりとした感触が落とされた。
そのときだった。いきなり金属をガンガンたたくような音が鳴り、床が揺れ、コーヒーカップがテーブルから落ちた。
二人で慌てて外に出た。手はしっかりつないで。
「地震かと思ったら、違うみたいだね」
「うん。今はもう、揺れてないね」
「まるで、あれだよ、ポルターガイストってこんな感じかもね。計ったようなタイミングで、誰かがやきもちやいたみたいに」
「ははは、そういえば近所で水道工事してるとかで、このアパートの下を水道管が通っているから、変な音がしたり揺れたりするかもしれないって。回覧板がまわってきてた」
「ふうん」
回覧板なんて大学入学以来、見たこともないけど、適当なことをいってごまかした。
しかし侮れないな、小野寺君。やきもちの部分以外は正解だよ、多分。